未成熟ラプソディ
act.姫
朝起きてまずすることは、鏡の前で目を閉じて、今日の自分が、昨日の自分より少しでもかわいくなっていますように。と願うこと。
そして、いつも少しもかわいくなっていない現実に、ため息を一つ、落とす。
甘ったるいカフェの新作ドリンクを飲みながら歩いている私と、飾り気のないコーヒーを飲みながら、少し私の前を歩く七瀬を、すれ違うおっさんたちが、じっくりとなめまわすように見つめてくる。足とか、胸とか、そういうところにまとわりいつくような視線に、まだ私は慣れない。
「ヒメ、どうかした?」
「あーううん、なんでもないよ。ただ、これ甘すぎて失敗したと思って」
「甘そうだもんね。交換する?」
そういって七瀬が差し出してくれたコーヒーは、少しほろ苦いけど、甘さの広がりすぎた口の中を書き換えていくのには、ちょうどいい苦さだった。七瀬は何ともないように、私の頼んだドリンクを飲んでいる。ほんのりと色づいたリップが、ストローについているのを目でついつい、追ってしまう。
七瀬が私の視線に気づいて、少し困ったように笑って、それからまたクリームに口を付ける。七瀬が意外に甘い物が好きなのに、甘いものはいつかくどくなるのを知っていて我慢しているのに対して、かわいさとか、一口の甘さとかに惹かれてしまう私が、なんだか馬鹿みたいに思えてきた。
コーヒーショップの周囲にいる女の子たちは皆新作のドリンクを飲んでいて、七瀬みたいにこだわりを持って、いつも変わらないメニューを選んでいる子なんていない。
そういうのを見ると、安心する。そこら辺に散らばる女の子と同じになれている。それで、それだけで、私は満足だ。
「最近、小花さんあの転校生にべったりだね」
「……あいつの考えていることなんてわかんないし、どうでもいいよ」
ついついとげとげしい言い方になってしまって、慌てて七瀬の顔を見るけど、特に気にも留めていないのか、表情は変わらなかった。
「ヒメはなんだかんだ、ああいう子たちにも優しいから、小花さんにはなんか厳しいの珍しいよね」
「そ、そう?」
七瀬が優しく目を細めて、そう呟く。人工的じゃない白い肌と大きな瞳で、まっすぐに七瀬は私を褒めてくれる。その言葉が胸の中の一番やわらかいところに刺さって、落ち着かない。
「もういいよ!あいつの話は…そんなことより、今からどこ行く?」
「ああ、ごめん。親に六時までには帰って来いって、言われてて。」
七瀬のスマホに表示されている時間は17時40分で、もう帰らなくてはいけないのはは何となく察することができた。
七瀬が申し訳なさそうに、私を見ている。暗い表情になっていたのかもしれないと、慌てて笑顔をつくると七瀬の顔が安心したように緩まっていく。
「こんなぎりぎりまで、つき合わせてごめんね!気をつけて帰ってね!」
「ううん、楽しかったよ。ありがとうね。」
七瀬の黒髪が、風に揺らいでいる。つい数か月前までもう暗くなっていた時間なのに空はまだ明るくて、空気は温かい。一人でいるには少しさびしい季節だった。
駅前の大きい本屋の前でうずくまって、何かものを拾っている同じ学校の子がいるなあ、なんてぼんやり考えて、近づいたのが運のつきだったのかもしれない。
よく分からない高そうな色を塗るのであろうペンを拾って差し出すと、驚いたように顔を上げたのは今もっとも会いたくなかった小指の奴だった。
「小指…あんたこんなとこで何してんのよ」
「信ちゃん!買い物しようと思って駅に来てたんだあ。信ちゃんは?」
「うちはもう帰るとこ!あと、信ちゃんってよぶな!」
小指の無抵抗・不用心なおでこにデコピンをお見舞いすると、痛そうに小指がのろのろとした動作で、おでこを抑える。
「そっか!よんじゃダメだったねえ、ごめんね信ちゃん」
「…べつに。二人の時はいいけど、人前ではやめてよ」
小指の少し怯えたような瞳が、私の言葉を聞いて安心したように私をまっすぐに、見つめるようになる。その瞳が少し照れくさくて、慌てて目をそらす。
小指はそんな私の反応なんて気にしてないのか、落としたものを拾うのに、必死になっているみたいだった。
「小指…この後時間ある?」
「えっ」
小指が驚いたように目を見開いて、そのあとせっかく拾っていたものたちを、また落とす。
それもそうだ。高校生になってから、私はこのどこかとろくてウザったい幼馴染を、できるだけ無視していた。
きっとそれは小指も何となく、感じ取っていたのだと思う。だからこそ、こんな風に声をかけられたことに、驚いているのだ。
でも、急にこんな風に声をかけたことに対して、驚いているのは私の方だ。
もうすぐ18時になるのに外はまだ明るくて、暖かい。
小学生のころ、小指と遅くまで遊んでいた公園の回る地球儀を思い出していた。そんな、あたたかさだった。
小指とは、校区が同じいわゆる幼馴染というやつだった。小学校の頃はよく、遊ぶグループのメンバー同士みたいな認識だったけど、中学生になった時なぜか小指と親しくなった時期があって、毎日のように小指と彼女の家で遊んでいた。
小指のお母さんは、小指よりスカートの短い私にすごく驚いていたけど、優しく迎え入れてくれていたし、小指の部屋にはたくさんの漫画があって、暇つぶしには、ちょうどよかった。
何より、小指の雰囲気は、安心して居心地がよかった。
あと、小指は意外に歌がうまくて、よく二人でカラオケに行ったりもしていた。小指は最初の頃は、照れ臭そうに歌っていたけど、だんだんと堂々と歌うようになってきて、その小指の姿は本物のアイドルみたいで、私はよく見とれてしまっていた。
学割を使えば、1日500円とかで利用できる少し小汚いカラオケに、私と小指は自転車をこいでいつも一生懸命に向かっていて、そのカラオケ屋で小指の歌を聴いている時、私はアイドルのコンサートにいるみたいな気持だった。
小指は私にも、クラスのだれにも、ないキラキラしたものを持っている。そう思いながら、歌をただただ、聞いていた。
その後小指にも私にも仲の良い子は別にいたから、だんだんと会わなくなっていって、私は入学式まで小指と同じ高校だということを、知らないくらいだった。小指は、中学の時のように私の後をついてくることはなくて、いつの間にか灰村の後ろを付いて回っている姿を、よく見た。
私はその姿を見ているうちになんだかわからないけど、もう小指はきっと、私の前で歌うことはないのだろうなと思った。
「信ちゃん、ココアでいい?」
「なんでもいいよ。あんがと」
小指は嬉しそうにベンチに荷物を置いて、私に手渡された小銭を大切そうに握って、公園の端っこにある販売機まで走っていく。
公園は誰もいなくて、私と小指がいるだけだった。何となく、よく二人でいったあの小さいカラオケの部屋を思い出す。
「おまたせ、信ちゃん!どうかした?」
「別に、座ってのも」
小指と私の間には、私のペラペラのスクールバックが、あるだけだ。前はどんな距離感で、小指と座っていただろう。このくらいだったかもしれないし、もっと遠かったかもしれない。
「小指最近、城鐘と仲いいよね」
「そうかなあ。でも、城鐘くん優しくて面白いよ」
「それはなんとなくわかる…」
温かいココアを火傷を恐れて、少しずつ飲んでいく。小指は冷たいジュースを買ったみたいだけど、まだ蓋を開けていなかった。
「小指大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ。大丈夫」
小指は何が大丈夫なのかは、聞かなかった。
灰村の告別式に参加したときに、小指は泣いていなかった。ぼんやりとした顔で私らの知らない笑顔で笑う灰村の遺影を見ていた。
灰村の告別式で泣いていたのは、私と同い年くらいの男の子だけで、別れってこんなものかと、少し悲しくなった。
「あんたって灰村と何して遊んでたの?あんまり想像つかないんだけど」
「え?う~ん、遊んだりはあんまりしなかったかなあ。放課後にちょっと残ってお話はたくさんしたよ」
「へえ、何の話すんの?」
小指は少し困ったように微笑む。その横顔は私の知らない大人びた顔で、なんだか迷子になった気分になる。
「百合子の好きな人の話」
風が吹いて、昔よく小指と乗ったブランコが軋む音を立てて、揺れている。
きづけばもうあたりは薄暗くなっていて、ココアの缶から伝わる熱がじんわりと心地よい。
小指はまたごまかすように笑って、楽しそうに笑っている。私はなんとなくだけど、もう小指とあの頃のように何も考えずに、はしゃいで話すことなんて、できないのだと思った。
あの頃と同じように、化粧気のない小指の透明な肌を見て、私は灰村のことを思い出していた。
あいつが小指に優しかったのは、私と同じように小指に、縋っていたかったからなのかもしれないと、ぼんやりと考えていた。そして、小指もきっと灰村とか私の考えを見透かしたうえで、何も知らない顔で、笑っているのだろうと思った。
【改ページ】
「ヒメ、ファッション部ってどんな感じに部活なの?」
放課後、急に話しかけてきた愛は薄っぺらい鞄をだるそうに肩にかけて、私を見下ろすように立っている。私の前にいた七瀬は、いつまでも返事を返さない私に対して待つことに飽きたのか、私の代わりに薄く色づいた唇をゆっくりと動かす。
「ファッション部?兼部がOKだから、特別科の生徒は大体籍を置いてるよ。結構なスパンで、ファッションショーとか、やってて。お手伝いとかに、特別科の暇な子が行くって感じかな。後は、頼まれたらモデルすることもあるよ。精力的に活動してるのは、数人くらい。」
七瀬の言葉に、愛は納得したように適当な相槌を返している。私も七瀬も一応、籍だけは置いてて、何回かはモデルを頼まれて、ファッションショーに出演にしたことがある。きらびやかな衣装で、ステージに立つのは緊張した。自分にサイズにピッタリに作られた服や、演出。服屋さんで買った服を着た時とは違う高揚感とか、そういうのは楽しかったけど、モデルを行ったのは一度きりだった。
楽しい、楽しい経験だったけど、それよりなにより…
「私とヒメも一回だけ、モデルしたことあるけど。本気度というか、お金が動いてる感じというか…そういうのがなんか生々しくてね」
そう、ファッションショーはこのあたりの地域では有名で、チケットの売り上げもよくて、大きなお金は動いたりしてた。それの大半は、服の材料代とか、ステージ代とかそういうもので、消えていくからあまり残らないとはいっていたけど。
ステージの最後に、七瀬と私に手渡された封筒に入っていた1枚の紙は、私の紹介されたあのバイトの時給の半分にも及ばないものだったけど。
この子たちの大切な高校生活の時間を費やして作られたものに、なにか価値がつくのがすごく、すごくすごいことだと感じた。
それとは反対に、私の持ってないものを持っているファッション部の子たちの眩しさに、目の前にチカチカと線香花火みたいなものが見えたのを覚えている。
「そっか。俺、ファッション部をみに行きたいんだけど」
「え、そう。ヒメ、連れてってあげたら」
「ぅえ!?うちが!?」
「私ちょっと用事があるから。裁縫室に連れてってあげたらいいだけだし、いいでしょヒメ。」
「ありがとう、ヒメ」
七瀬は私にしかわからないくらい、静かに、楽しそうに、微笑んでいる。何だか、あの一件から、私と愛の間には微妙な雰囲気というか、窓から入ってくる妙に温かくてじんわりと汗ばんでいくような、そういう雰囲気が流れている気がする。それは多分、愛は感じ取ってはいないと思うけど、七瀬は何となくその空気に毒されているような気もする。
「ファッション部は毎日活動しているみたいだよ。特にショーとか、コンクールがある日は遅くまでやっているみたい。あと、部の子以外にも服飾の授業の締め切りが近いと残ってる子も多いよ。まあ、今は新学期だし、そんなにいないと思うけど。」
「七瀬何だか今日はたくさん話すね」
私の思っていたことを、愛は普通にさらりと口にする。息するよりも簡単なことだと思っているくらい涼しい顔で、告げる。七瀬は少し、私と愛から目を背けて、それから小さく手を振って、廊下に出ていく。
「ヒメはあんまりしゃべらないね」
「わ、わたし、う、うちは、いつもこんな感じ!!」
七瀬の後姿を見ていた私とは真逆に、愛は去っていた七瀬には興味がないのか、どこかそわそわした視線で私の足が動くのを待っていた。
クリスマス前のおもちゃ売り場の子供みたい。同い年の男の子にこんなことを思うのは変化もだけど、そう感じた。
「う、うちでいいの?ファッション部に案内するの?」
「うん、よろしく」
背が高いからか、少し屈んで私に目を合わせて、お辞儀をする愛。そのしぐさに心の奥の方、私も場所を知らないようなところが、じんわりと温かくなっていた気がする。
それが、どこかむずがゆくて、私は静かに、目を一回だけつむる。
一瞬、真っ暗になった視界の端っこで、ろうそくの火みたいなものが、チリチリを燃えている。
「こ、小指はいいの?」
「え、ああ。小指とたまきは新入生勧誘で、忙しいみたい」
「ふ、ふーん」
小指の代わりだと、さらりと口にされているというのに、それでも嬉しさで唇が緩んでいくのは、何でだろう。答えがわかっているようでまだ知りたくない私は、スキップしそうになるほどに浮かれている自分の心を抑えて、廊下へとつながる扉を開ける。
廊下に満ちている春の空気はいつもより、綺麗で、温かいもののような気がした。
ファッション部の部室である裁縫室は三棟の一階の端にある。二階にも、第二裁縫室があるけど、そっちは服飾の授業で使うことが多かった。裁縫室に車では、何となく、本当に何となくだけど、私はいつもよりゆっくり、ゆっくりと、足を運んで。愛は何も言わずにその歩幅に合わせてくれていた。
こうやって並んで歩いていると一昨日くらいに二人で走り回った後、愛と駅まで歩いたときを思い出す。あれからそんなに時間もたっていないのに、何でこんなに懐かしい気持ちになるのだろう。
「ここが裁縫室かあ。案内してもらった時はここまで歩かずに、棟のマップしか見てなかったから」
「まあ、無駄に広いからね。見るのも、案内するのも、疲れちゃうから」
扉を開けて、中に入ると、愛は後ろから少しためらったようについてくる。私を盾にして進んでいるような愛の姿に、やっぱり男の子一人って心細いんだなあと、実感する。
「誰かいる~?姫川だけど~」
裁縫室には作業用の大きい机が六個ほど並んでいて、一番奥の机に何個かのスクールバックが置いてあったけど、人の気配はなかった。愛は、隅に置かれている裁縫用の物差しとか、メジャーとかに興味があるのか、手に取って見つめている。そういえば、自己紹介の時に、ドレスをつくりたいとか、言っていたっけ。
それで、ファッション部の見学に来たい何て言ったのだろうか。頭の中で、勝手につながっては、解き明かされていく自分の考えに、なんだか名探偵のような気持になる。
教室の奥の方には、きらびやかなドレスとか、作りかけの服の着せられたマネキンがある。学校の創立から、ある物も混ざっているからだろうか、古めかしいマネキンも何個か混ざっていた。
古いマネキンが、新しくキラキラと輝く布地で、何かを祝うかのように着飾られている姿は、なんだか服というものにかけられている魔法みたいなものを、感じさせる。
「誰かと思ったら、ヒメじゃないですか~」
マネキンたちのくびれのあたりから、ひょっこりと顔を出すのは、茶色いふさふさとしたロングヘアーの少女だった。朝、髪の毛を梳かしたのかもわからないような、このヘアスタイルは、見覚えがありすぎた。
同じクラスの生徒、綾瀬 千織(あやせ ちおり)だ。千織は上半身はジャージ、舌は制服のスカートという、いつもの独特の格好をしていて、小さい顔には大きすぎる丸メガネの位置を直しながら、マネキンの間からすり抜けるように出てきて、私の前にたつ。
いきなり近くなった距離にたじろいでいると、千織が伸ばした手が、私の胸に添えられる。そしてそのまま、強い力で揉まれる。
いきなりの刺激に、羞恥心で頬に全身の熱が集まってくる。燃えるように熱くて、だけど、驚きで動くことができない。
「あれ、ヒメ何してんの。えっ」
愛が振り返ってこっちに歩いてくる間に、目が合う。驚いたように、目を見開かれた後、ほのかに頬がピンク色に染まって、ゆっくりと目をそらす。
当たり前だ。目の前で、胸をもまれている同級生と、愛は同級生だとは知らないだろう女がいるのだから。
「おっ、白鐘くんじゃん~クラスメイトの綾瀬でっす~」
「ど、どうも」
「てか~ヒメ!胸が前より大きくなってる~!誰かに揉んでもらった?」
眼をそらしていた愛が、驚いたようにこちらを見る。愛がどうしてそんな反応をするのかを何となく、気づいてしまう。この間の夕方のことで、なにかを考えているのだろう。
「ち、ちがう!揉まれてない!揉まれてない!!」
「そっか~あ、ていうか、城鐘くう~ん」
わたしから興味がなくなったらしい千織の視線は、愛に向いている。
そしてそのまま、子供が興味がなくなった風船を簡単に宙に話すように、私から離れて、愛の方に向かっていく。
「顔は整っている…足もすらっとしている。筋肉はないけど、ひょろっとし過ぎているわけではない。白いぴったっとしたズボンに…」
「はあ…」
千織の手がためらいなく、愛の身体をぺたぺたと触っていく。その手つきは、いやらしさなんてなくて、「やめなよ」と声をかけることもできなかった。
愛は一瞬、戸惑ったように私の方を見たけど、そのままおとなしく、千織が満足するのを待っていた。
「あそこにあるドレス、綾瀬さんが作ったの?」
「そうっすよ~まだ、完成してないですけど演劇部の衣装だよお~」
「薄い生地だから、手縫いだよね。フリルのギャザーとかすごい丁寧。縫うの大変そう」
愛の言葉はただ千織を褒めているようには、聞こえなかった。どこか、千織を試すような、敵に対しての言葉のような気がした。
「もっちろん!!大変っすよ!!!でも!!それよりも、なによりも!フリルを縫ってる時の幸福感!!はあ!フリフリ最高!フリルに埋まって死にたい!!!」
愛の言葉に対して、千織が興奮した様子で答える。言ってることはめちゃくちゃで、気持ちの悪い発言だけど。だけど、その目のまっすぐさと、キラキラとした輝きに圧倒されて何も言えなくなる。
千織は自分の縫った作りかけのドレスに、優しく手を伸ばして、それから、大好きな人と離れるみたいに切ない顔をして、手を離す。
愛の方を見ると、愛は千織をまっすぐに見つめている。その目は、私と同じで好きなことをまっすぐにしている眩しさに心を奪われているように見えた。
「城鐘君もドレスつくりたいんですよね?デザイン画とか描いてんの?」
「描いてるよ。今はこのくらいしか持ってないけど」
「えっ!そうなの?以外に本格的なんだね!!」
愛の言葉に驚いて、会話に割って入ってしまう。しまったと思ったけど、愛と千織は嫌な顔をせずに、愛は薄っぺらい鞄から、スケッチブックをだす。
それを、千織は丁寧に受け取る。そして、ためらうことなく開いて、ぱらぱらと見つめる。見つめて、ただ見つめている。瞬きもせずに、目の前に広がる世界に魅入られるように指を動かしている。
千織の後ろから、覗き込むように見た愛のデザイン画は綺麗だった。デザイン画なんてみたことはないけど、馬鹿な私だけど。わかる、綺麗さだった。
誰かの一生懸命に書いたものっていうのは、その人の頭の中を覗いているような気持になる。その人が今まで生きていた考えとか、夢とかそういうもの。
その人の頭の中に広がる世界みたいだと思う。私の目の前にあるこの紙に広がるのは、この人の全てなのだ。
「いいっすね。自分の同年代の人の才能っていうのを認めるのは、うん。むかつくけど、いいと思う。城鐘君には関係ないけど、このデザイン画、4月頃に似たようなのを見たことあるよ。」
「それって今どこにあるの?」
「これよ」
奥の扉が開いて、夕焼け色の髪の毛を青いリボンで三つ編みにした少女が出てくる。髪の毛をまとめていたリボンをほどくと、ゆるく後のついた髪の毛が広がって、風に揺れる。
「亜子!」
奥の部屋は確か、デザインを考えるときに使う小さな部屋だと聞いたことがある。その部屋から出てきたのは、前に私にモデルを依頼してくれた由布院亜子だった。
そういえば、デザイン画ができないからスランプだと嘆いていた気がする。いつもメイクで隠しているそばかすもそのままに、目の下にもクマが隠されることなく表れていた。
「パクろうとかじゃなくて、インスピレーションを貰おうと思ってさあ…このデザイン画の入ってるファイル観てたら、作者書いてないやつあったから」
そういって、重みのあるファイルを愛に手渡した亜子はそのまま、ふらふらと吸い寄せられるように、千織の持つ愛のデザイン画に近づいていく。
愛は重たいデザイン画の入ったファイルを近くの空いていた机の上において、焦ったようにめくっていく。
そして、一枚のドレスのデザイン画を見つけると、安心したように一度、大きく息を吐く。そして、そのデザイン画をファイルから引き抜く。
「わあ、綺麗なドレスだね」
私の言葉に、愛は少し驚いたように目を開いて、そのあとゆっくりとほほ笑む。
「このドレス。信子は何色がいいと思う?」
「えっ、うち?そうだなあ、やっぱりウエディングドレスなら、白かなあ。あれ?これ、ウエディングドレスじゃないかな」
確信もないけど、確証もないけど、私は何となくこのデザインは愛がしたものだと思った。
愛は、ドレスのデザイン画をじっと見つめている。その顔はどこか悲しそうで、私は何も声をかけることができなかった。
「これは、喪服。喪服だよ。でも、白がいいと思う。俺も今なら、白にする」
「ふうん、まあ千織さんてきには喪服でも、何でもいいですけどねえ。フリルが足りない…!そうだ、フリルがもっとあったら喪服でもいいかもお。フリルに埋まって死ねるしい」
千織が興奮したように話しているのを、亜子が疲れた目で見つめている。千織の顔をよく見ると、ファンデーションで隠されているけど、うっすらと目の下にクマがある。二人とも寝ていないんだろう。
その時、入口の扉が控えめにあけられて、男が一人入ってくる。上半身裸の白い塊には、全校生徒の大体が見覚えがあるだろう。演劇部の白王子こと、真理愛だった。白い肌には、男の裸という割にはそういう感じが全くない。中性的だった。
ただ、まあ。男の裸だから恥ずかしいのは当然。愛の後ろに隠れると、愛が察したのか私を隠すように、自分の影と私の影を重ねさせる。
「おい、亜子はいるか?これ、ボタンが取れちまって。明日までにつけてくれないか…て、城鐘?」
真理亜の青い瞳が驚いたように見開かれて、愛を見つめる。愛は気にせずに、真理愛に近づくと、その腕にかけられている男物の衣装を奪うようにとる。真理愛はあっけにとられたように、そのしぐさを見つめている。愛は気にせずにボタンが引きちぎられたようになっている部分を見ている。
「ここにつけるボタンは取ってあるの?」
「あ、ああ。扉にひっかけて、取れてしまったみたいだから拾って、とっておいた。」
きらびやかな金色のボタンが、愛に手渡される。城を基調としたおとぎ話にでてくる貴族が身にまとうような衣装は、演劇部の公演で使われた衣装か何かなのだろう。
「俺がつけとくよ。由布院酸たち忙しいみたいだし、今日の夜につけて寮で渡すよ」
「君、そんなことができるのかい?いや、別に疑っているわけではなくて、意外だと思って…」
「大丈夫」
このくらい大丈夫だという愛は、大切そうに衣装を抱えて、自分の薄いバックの中にしまっていく。真理愛は不安なのだろう。それをしばらく見つめていたが、どう切り出していいのかわからずに、縋るように私たちの後ろにいる亜子たちを見つめている。
「城鐘くん、それそんなに急ぎじゃなくていいと思うよ。どうせ、この馬鹿のことだから、来週登校してくる神崎ちゃんをかっこいい恰好で迎えたいとかそんなんだろうと思うし」
「え、そのために…」
亜子の言葉が図星だったのか、真理愛は白い顔をだんだんと朱色に染め上げていく。白色が、赤色に塗り替わっていくのは、観ていて少し面白い。理科の実験みたいだった。
「ベ、別に!いいだろ!じゃなくて、俺はボタンがなくなったらつまらないと思ってだな!」
「はいはい、わかりました、わかりました。今どき、王子様が目の前に現れてシャララランってしたって、ときめく女の子の方が少ないと思うけど」
亜子は、わずらわしいといわんばかりに手で食って掛かりそうな勢いの真理愛を、払いのける。
亜子の言葉に後ろにいた千織は、おなかを抱えて笑っていた。
「そうっすね~王子様に憧れてたのなんて、神崎っちと灰村さんくらいですよね」
灰村、という名前に私の横にいた愛の身体が、一瞬動きを失う。その後、ねじを巻かれたみたいにゆっくりと動き出す。
「灰村さんは王子様にあこがれてたの?」
愛の言葉はどこかの壁に書かれたセリフを音読するような、感情も何もそこに見透かすことのできない温度のない言葉だった。
「そうっすね!確か、いつか王子様が迎えに来てくれるって言ってたなあ」
亜子と真理愛は気にも留めずに言い争っていて、千織ももうこの話題には興味がないのかそちらの話の輪に入っていく。残された私と愛は、楽しく輪になることもできずにただ同じ空間にいることしかできなかった。
「信子、行こうか」
私の方を振り返って愛がそう告げる。私に向けられた言葉にはどこか、何かを言い聞かせるような強さがあるような気がした。
愛が少し口元を緩めて、笑う。目尻が少し下がっていく。でも、この笑顔はどこか偽物くさい。
『私はここで王子様が来てくれるのを待ってるの。たとえ、私がバラバラになっても拾い集めてくれるような、そんな王子様』
なぜ、今になってこんな言葉を思いだすのだろう。夕暮れの教室、誰かの理想を形にしたかのように美しい少女が微笑む。偽物のような笑顔ではなく、年相応のまだ幼さの残る笑顔で。
灰村がそう言ったのは、いつだっただろう。去年の秋の頃にそう言ったような気がするし、昨日そういったような気もする。
何よりも、どうして私は愛の笑顔で灰村の顔を思い出して、こんなにも怯えているのだろう。
愛が残る三人に軽く会釈をして、一枚のデザイン画を大切そうにもって出口の方に向かっていく。
その後に続く私は、足に何か鎖のようなものが巻き付いているような気がして思うように彼の後ろを歩くことができなかった。
私は、愛のことがきっと好きになるのだろう。でも、それと同じくらいに確率で私は愛に恐怖する未来がくるだろう。そんな気がしている。
窓の外には、踏みつぶされた桜の花びらたちが春の終わりの匂いを運んでいた。
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