青春とフリーハンド

act.たまき



人は見た目が美しいからといって心まで美しいとは限らない。特に女子という人種は。


ずっとそう思って生きてきた。

その最たる例が灰村百合子。あの血と毒を煮詰めて、作られたような蝋人形のような女。

私は彼女の美しさに気持ち悪さまで、感じて生きていた。クラスのどの子も、そうだっただろう。

ただ、あの子だけは灰村百合子のいつもそばにいて、あの子の吐き出す毒のような言葉に、いつも頬を緩ませていた。何故だか私はその光景に、いつも心を惑わされていた気がする。




「たまき」


久しぶりに嫌なことを思い出していた。重たい瞼を、無理やり押し上げて、急いで目の前の光景を写す。

見慣れない角ばった線で縁取られた体は男のもので、つい数日前までこの教室にいなかったものだ。


「なによ、あいちゃん」


「うっ…なんでそれを」


「そんなの出席簿みればわかる」


私の言葉に嫌そうに、顔を歪ませて、そのあと諦めたように、薄く微笑んだ男はこのクラスに昨日から現れた新入り(一年生の頃からクラスに籍はあったらしい)白鐘愛。女の子みたいな名前だけど、ご覧の通り柔らかさも可愛らしさもない男である。もはや汚妬媚である。


「なんかよう?」


「ああ、俺とたまき名簿番号近いだろ?そんでもって明日から授業あるだろ。教科書見して」


「いーーやーーー!」


机を揃えて、こいつと肩が触れ合うかも〜なんてドキドキしながら、教科書を見なければならないのかと思うと、ゾッとして昼に食べたお弁当を戻してしまいそうだ。なにそれ悪夢。もはや罰ゲームの域。


「いやがるなよ。傷つくから」


「嫌なもんはいやよ!!あんたと私だいたい席となりじゃないのに、どうやってみんのよ」


「俺が一列目でたまきが二列目だろ?たまきが一列目まで詰めて」


「しかもなんで私が動くのよ!」


「だって俺の隣の神崎って人ずっといないもん」


神崎、という名前に私は弱い。その名前を聞くと胸がホワホワする。というか、表情が緩んでしまう。



「神崎さんは今留学中なの。確かもうすぐ復帰するっていってたよね」


城鐘の隣に並ぶように立つのはゆびちゃんだ。城鐘の隣にたつと、その小ささが際立つ。

当たり前のように、城鐘の隣にいることに対してなに言おうとしたけど、言葉が見つからない。


「そう。もうすぐ通えるようになるって…まあ。それは置いといて。一番後ろの席空いてるでしょ。あんたそこに行けば?明日だけで土日中には教科書届くでしょ?」


途端に城鐘の顔が雨に濡れた子犬のような、飼い主に放置され続けている犬のような顔になる。



「だってその場合俺の横…白雪さんになる」


ああ、そういえばと振り返る。

一番後ろの席。休み時間で散り散りになっている他の女子とは違い、1人なににも興味はありませんという顔で次の教科の予習なんかしてしまっている生徒がいる。白雪だけはこの騒ぎの中でも、自分の時間を生きていた。


「それは…ちょっとかわいそうかも」


「だろ!?そう思うだろ!?」


「わかった…わかったから離れて」


「ありがとな、たまき」


そう告げて楽しそうに笑ったあと、城鐘はチャイムの音に焦るように席に着く。前の生徒がいないせいか見通しの良い視界の左端にうつる少年。


この席にいるからだろうか、一番扉から近いこの席にいるからなんだろうか。あんな聞かなくても良かったことを聞いてしまったのは。


灰村百合子の名前なんて、12月に聞いて以来だった。みんな名前を言ってはいけないと自分の中に押し込んでいた彼女を、こんな春の日に思い出すことになるなんて思いもしなかった。


城鐘は自分と灰村の関係を否定しなかった。


そう七瀬に告げられた後、少し遅れて教室に入ってきて、笑っていた。初日の睨みつけるような視線が、嘘のように軽やかに綻んでいた。

それが不気味で、仕方なかった。誰だそれとか、言っていたのなら良かったのに城鐘はなにも言わずに、教室に入ってきた。

私たちの領域に入ってきて、当たり前のように今もいる。

みんなまだ慣れないように城鐘を見るけど、そのうち城鐘という存在は透明になっていって溶けていって液体のように混ざり合っていくのだろう。


私も城鐘に淘汰されている。されかかっている。

自然と当たり前でなかった存在が自分の中になじまされていく感覚は、気持ちがわるかった。

灰村百合子と城鐘の接点なんて、どうしたって思いつかない。

けど、灰村の隣に並ぶ城鐘を想像して、あまりにも自然に馴染んでしまったから私は頭の中で城鐘を黒いマジックで消す想像をした。



お昼ご飯の時間になって、女子たちは当たり前のように自分たちの島を作っていく。

椅子を持って仲のいいこの席に行く子、空いている席に勝手に座る子。暗黙の了解で、いつもの陣地にいる子。

戦国時代の陣取り合戦よりも私たちの狭いこの世の中はうまくできている。


指ちゃんは私の席ではなく、城鐘の席に小走りで近づいていく。

小さなお弁当箱を抱えて城鐘に微笑みかける。後ろ姿の城鐘の表情は見えないけど、指ちゃんが空いている城鐘の隣に座るということはそういうことなのだろう。



「たまちゃーん」


「はいはい、いきます」


教室の後ろ側に陣取っている3人組は、こちらにおいでと手招きしている。

ニヤついたようにこちらを見つめている少女のゆるく巻かれた桃色の髪が、楽しげに風に揺れている。

髪の色を少し濃くしたような瞳は、私の奥の城鐘と指ちゃんを見つめている。

本当に好奇心のままに行動しているような女の子なのでいつものことなのだが、今から質問ぜめにされるのかと思うと一発はっ倒したくなる。


「るな的にはさ〜たまちゃんは今日もゆびゆびと食べるのかなあと思ってわけでございますよ〜」


「ふふ、るなはたまきちゃんとご飯食べれて嬉しいみたい」


るなの野次馬精神に溢れた邪な目的など1ミリも伝わっていないのだろう。横で楽しげに花が綻ぶように笑う(これは比喩ではなく私が漫画家だったらこの背景にすごい高い花柄のトーンを撒き散らすであろう笑顔)真咲ちゃんの顔を見ていると、るなを殴ろうという気持ちが少しは減る。ほんの少しはだけど。

るなのニヤニヤした口元を見てると、またしても力が体の奥底から湧き上がってくる気がした。

真咲ちゃんは茶色くサラサラとした髪の毛を、飾り気のないゴムで縛りながら、るなの話に耳を傾けている。

我が高校1の正統派美少女、真咲ちゃん。彼女の存在は教室を浄化する。

思わず手を合わせて拝みそうになるけど、そんなことをするとるなが大爆笑を始めるので寸前でなんとかこらえた。


「小花さんとは食べなくていいの?」


「いいのいいの。指ちゃんは城鐘のお守りに夢中だから」


もう1人の少女、茶々ちゃんが伺うように尋ねてくる。

おとなしげな黒髪のボーイッシュなショートヘアから覗くシルバーのピアスが眩しい。

少し細めの目を安心したようにまた細めて、茶々ちゃんが私が入るスペースを作ってくれる。

といっても、茶々ちゃんと真咲ちゃんのものを広げるスペースなんて可愛いものでほとんどがるなが広げている弁当とお菓子であった。


「お守りかあ〜いいね、いいね〜青春だね〜ゆびゆびも隅に置けないなあ」


「あんまり変なこというと怒られちゃうよ、るな」


「変なことなんて言ってないよ〜ウヘヘ〜まだ事実しか言ってないもんね〜」


「うへへってうへへってるな…!ぶふふ…」


るなのことがツボらしい茶々ちゃんが、楽しそうにお腹を抱えて笑っている。

それをみて、真咲ちゃんが楽しそうに笑っている。この3人はいつもそんな感じでお弁当タイムを過ごしている。

来るもの拒まず、去る者は追わず。3人のペースで陣取り合戦を横目に楽しそうに過ごしている。

神崎ちゃんが入院することになった頃からだろうか、私もここに混ぜてもらったりすることが増えた。


「たまきちゃん、城鐘くんってどんな感じなの?私まだ話したことがなくて」


真咲ちゃんがどこか申し訳なさそうに伺う。それに対してるなは、好物を前に子供のように目を輝かせている。


「どんななの?どんななの?まあ、ただで話せとはいいませんよ〜じゃじゃーん!ドーナツ!」


嬉しそうにるなが出してきたのは一個三百円とかするドーナツだ。それが10個入りくらいの箱に入っていて、可愛らしい春らしいデコレーションのドーナツがこちらを見ていた。


「わあ、これ名古屋とかでしか売ってないやつだよ〜!るなまた誰かにもらったの?」


「前にドーナツ好きって言ったらくれた〜。でもさすがにこんなにたくさんは食べられないからさ〜1人ノルマ二個くらいかな〜ん〜」


「それだと計算合わないでしょ…」


「あ、いいこと思いついた!」


るなはナプキンでチョコレートのドーナツを二つほど掴むと、前の方に向かって軽やかに走っていく。そっちの方向にいるのは城鐘と指ちゃんで、なんとなくこの少女の考えそうなことは予想できていた。


「しろがねくーん!これ、よかったらどーぞ!ゆびゆびももらってくんなまし〜」


るなの声は大きいわけではないけど、よく通るから教室の騒がしさの中でもよく響く。大して、城鐘と指ちゃんがどう返したのかは雑音に紛れてしまって聞こえない。

私に背を向けている城鐘の顔はよく見えない。見えないけど、いつものようにわらっている気がした。


「さっきの質問だけど」


「え?うん」


「侵入者かな」


桜の花びらに紛れて現れた少年は私の中でそう形容してみると、意外にすんなりと心に着地していった。

そう、彼は侵入者だ。




「たまき」


放課後、部活に少しよって作品の提出期限を確認して、下駄箱に向かうと、時間を持て余していますと全身で表現しているような城鐘がたっていた。


「なに?どうしたの?」


「これ、さっきの子とたまきに。ドーナツ高いやつだろ?」


差し出されたのはココアとカフェラテの二つの缶。

ココアはまだほのかに温かく、カフェラテはよく冷えていた。

ココアがいいなあ、と指先から伝わってくる温かさにほだされたようにそう思う。



「ありがとう。さっきの子は椎名ね。椎名 流奈。るなは多分気にしないし、放課後はどこにいるのかさっぱりわからない子だから気にしないでいいよ。城鐘くんが自分で飲んで」



「そうなのか。じゃあまあ明日なんか渡すよ」



律儀に返そうとしているのか、借りを作りたくないのかどちらの意味とも取れるほど、城鐘はるなへのお返しを気にしていた。


るなはおそらく城鐘への借りなんて、気にしない。

多分食べきれなかったら捨てることもできない彼女は困っただろうし、城鐘が断ったら他の子にあげるだけだ。

るなの施しは毎日のようなものだから、お返しを考えていると大変ことになる。

たまにお返しを返していけば、るなは満足する。

けれど、城鐘はそれを聞いて実際に知っても、律儀に一個一個に返事を返して行くのだろう。自分に向けられた善意には、きっと優しくかえしていくのだろう。


じゃあ敵意は?


そんなことをぼんやりと考える。


「ねえ、城鐘」


城鐘の後ろには桜並木が広がっていて、花びらが玄関へと入ってきて私たちの足元へと着地する。

一枚、二枚と風に導かれるように私たちのところにやってきて、居場所が無いように中をたゆたう。


「あんた、灰村の彼氏なの?」


その一枚を城鐘が掴んで、めんどくさそうにまた地面に捨てる。

ひらひらと地面に解き放たれた花びらはどこか傷だらけで先ほどまでの綺麗さはない。


「どう思う?」


試すように確かめるように城鐘が私の目をみる。私その視線から逃げるように、潰された桜の花びらをみつめて、また城鐘に目線を合わせる。


「どうもおもわない。ただ、隠したいんだなって思う」


「たまきは俺が灰村の彼氏だったとして、俺に隠してることはあるの?」


その目は私をうつしていなかった。私越しに何かを見つめているような気がした。桜の花びらがまた舞い降りてきて、今度は城鐘の髪の毛に絡まっていく。


「隠しごとなんてないわよ。ただ、そうだとしても私たちはどうしようもないってだけ」


城鐘の髪の毛に手を伸ばす。一瞬、城鐘の体が驚いたように震えてそれからまた私をまっすぐに見つめる。

ばかみたいだった。私なんかにびびって、とんだ腑抜けな侵入者だ。こんな調子だときっと私以外にぺしゃんこに潰されて学校を去って行きそうだ。

大嫌い、灰村百合子もあんたも。


でも、その目は。その目だけは。真っ直ぐに見つめてくるその目だけは、なぜか嫌いではなかった。



城鐘と別れたあと、まだ部室に残る指ちゃんの元に向かう。

指ちゃんは絵を描くでもなくて、新入生の帰った後であろういつもより綺麗になっている机に突っ伏すようにして寝ていた。

長い髪の毛が木の机の上に広がって柔らかい光を受けて、輝いている。


「指ちゃん」


「あれ?たまきちゃん?どうかした?忘れ物?」


指ちゃんは想像した通り寝ているわけでもなくて、呼びかけに反応して、体をゆっくりと起こす。


「灰村百合子って城鐘の彼女だったの?それとも知り合い?」


指ちゃんは表情を変えない。

ただいつものように少し困ったように微笑んでいる。そして、言葉を選ぶように曖昧に唇を動かす。


「リリちゃんからはそんなこと聞いてないよ」


「…そう」


これは私の持論だから、誰にも押し付ける気もない考えだけど、美しいものに限らず女というものは大抵性格が悪いか、隠し事をしていることが多い。

特に女子高生という曖昧な生き物は。

大人と子供のはざまにたって、どちらの方に倒れることもなく、フラフラとさまよっている私たちは、子供のように純粋ではなくて、かといって大人のようにうまく生きるために嘘を吐くこともできない。


ただ、真っ直ぐにどこか歪んでしまっている。私も彼女もきっと彼も。

それはきっと誰にも責めることはできないけど、認められることでもない。



「もし灰村百合子のことを城鐘が知りたかったら指ちゃんは答えるの?」


「そんなことないと思うけど、聞かれたことにはちゃんと答えるよ」


指ちゃんはまた困ったように笑う。曖昧に弱々しくでも確かに笑っている。


一年前の春から冬までずっと指ちゃんは灰村百合子の隣で笑っていた。

クラスで孤立していた彼女の一番の親友だった。

彼女が生首だけになってしまうまで、指ちゃんは確かに灰村百合子の親友だった。

それを指ちゃんはきっと城鐘に告げることはないと思った。指ちゃんはきっと城鐘の侵入を許さない。

曖昧にでも確かにきっと線を区切っていくのだろう。

そこまで考えて私は目を閉じて、また開いて、指ちゃんといつものようにたわいもない話をした。



でもね、指ちゃん。私も女子高生で、まだ曲がっていくことを許されているから。許されていると思いたいから。

私は指ちゃんの邪魔をすると思う。

城鐘は知りたいのなら知ればいい。知って傷ついたっていい。

知ることもできないまま、傷ついてるよりはきっとましだから。

そう思って私は指ちゃんと別れてすぐに、弾かれたビー玉みたいな速度で、遠い昔に勝手に登録されていたあのうるさい男にメッセージを送る。


『城鐘に灰村のこと聞かれたら教えてあげて』



「私も性格が悪いから、真っ直ぐに伝えてあげたりはしないけど。

ココアのお礼くらいはするつもりよ城鐘。」



私たちは真っ直ぐに歪んでいる。その歪みは誰から見たら時には真っ直ぐに見える時もあったらいいのに。

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