白百合の中には秘密がある
act.麻生
劣等感と自尊心を混ぜ合わせて作った思春期という化け物の群れに確かにあの少女は異端だったかもしれない。
駐車場を整備する警備員の初老の男の示した先は第二駐車場で、意外に人が集まったものだなと妙なところに感心してしまった。俺の横に座る校長は重苦しい顔でハンカチを握りしめていた。きっと校長の頭の中にはいじめとか生徒による犯行とかそういうシナリオが渦巻いていて、今頃脳内では記者会見でも開いているのだろう。
「校長先生、着きましたよ。」
「は、はい。麻生先生。すいません、冷静ではいられなくて」
「大丈夫ですよ、校長先生。灰村はいじめなんかで死ぬようなたまじゃありませんから」
俺の言葉に反応するように後ろの座席に肩を並べて座っていた三人の少女の真ん中―…白雪の肩が揺れる。
戸惑いと焦りをはらんだようなその反応はクラスメイトの死を目の当たりにした高校生としては教科書通りの反応だった。
でも、ひとつだけだいぶ異常なことがあるとすれば。
この五人乗りの狭い車の車内で誰一人、灰村百合子の葬式だというのに涙を流していないということだった。
悲劇的な少女の死に対して誰も頬を濡らすことはなかったのだった。
焼香をあげ、校長は灰村の両親のもとに向かい、クラスの代表として選別されこの会場に運ばれてきた少女たちは、線香のにおいが体にまとわりついて重いというようにふらふらと会場の外へと出て行ってしまった。
焼香を一通り終えた会場に残っている人はほとんどいない。校長と両親の話もまだ終わりそうにはなかった。
生徒のところにでも行こうかと足を会場に向けた途中、会場の入り口あたりに飾られている写真の前で動かない影を見つけた。誰も心の底から悲しみに沈んでいないような表面上でしかないこの会場で、写真の前で行き場を失ったように立ち尽くす青年は異質だった。
「お前何だ?」
そう口に出した後に、しまったと思う。もっと灰村とどういう関係だったのかとか、そういうことを聞き出したかったのだが、無作為に言葉を選び過ぎて失敗した。
突然俺に声をかけられて驚いたのか、青年は勢いよくはじかれたばねのおもちゃのように顔をあげて、それから興味なさそうに目を細める。
色素の薄い髪の毛が瞳にかかるのを少し煩わしそうにして、ついでのようにおれを見つめる。
おそらく、高校生だろう。だが、青年は喪服をしっかりと着こなしていて、喪服となりえる制服を着ていなかった。
「城鐘 愛です。」
何を思ったのか自分の名前を名乗った青年の、その名前には覚えがあった。4月の頃に新入生名簿にあった名前だ。もちろん、その名前は今も俺の持つ出席簿にはあるが、生徒たちは知らない。つまるところ、一度も登校していない俺のクラスの、男の、今外にいる彼女たちの同級生だ。
「愛と書いて、ラブとよむタイプの愛ですか?」
「………」
ほんのりと赤くなる頬。なかなか、かわいい反応するじゃん。不登校青年。と、一通り茶化そうとしたが、城鐘愛が見ていた写真を見てそれを飲み込む。
セーラー服の灰村が楽しそうに笑っている。くしゃくしゃに楽しそうに何も気にせずに笑っている。そんな表情をあの少女がするのかと素直に驚いた。
灰村百合子という少女はいつだって薄い影をまとって生きていた。それがない瞬間の笑顔を死んで、始め知った。
そして、この少女の視線の先にいるのは、この人盛りの中で唯一赤く泣きはらした瞳で、写真を見つめているこの青年なのだろう。
「灰村が笑ったとこなんて俺は久しぶりに見たな」
初めて見たといえなかったのは、担任としての意地のようなものだったのか、なんだったのかを俺はいまだに自分でも思い出すことも知ることもできない。
ただ、俺の言葉を聞いた目の前の俺の生徒が安心したように少し微笑んだのを覚えている。
「俺も久しぶりに見た気がします」
「ああ、そういえば」
こんな風に灰村が笑うというにはいささか控えめ過ぎる笑みを浮かべたのを一度だけ、一度だけ見たことがあった。
「俺ファッション部っていう部活の顧問で、灰村も何でか在籍してたんだけど」
今まで写真を見ていた城鐘の視線が食い入るようにおれを見つめる。その目には熱がにじんでいて、枯れ果てて乾燥している俺はその熱さで焦げてしまうような気がした。
「灰村が一回だけデザイン画持ってきたんだ。黒いウエディングドレス。あれ、デザインしたの愛ちゃんだろ」
城鐘が俺を見つめている。その何の感情もこちらに読み取らせないような顔は生前の灰村に似ていた。無機質で透明でそのくせ、劣等感とか自尊心を他人にばれないようにひっそりと孕んでいる。
「そのデザイン画どこにあるの?」
「学校。登校してきたら、渡すよ」
城鐘はもう一度、写真に目を移してまた俺を見る。俺を見ているわけではない。俺も城鐘を見ているわけではない。城鐘の後ろにいる灰村の面影を見ている。城鐘も俺の中に灰村の面影を見ている。
「俺のデザインどうでした?せんせー」
「よかったよ」
城鐘は俺を見て呆れたように笑う。
「あれを黒色にしたのは失敗でした」
「あ?今だったら何色にするんだよ?」
城鐘はまっすぐに俺を見つめる。熱がじりじりと伝染している気がする。灰村を灰に変えた火もこのくらい熱いのだろうか。
「白色。白い百合は死んだ人にも似あうんだって、今日知ったから」
灰村百合子の死体は綺麗に縫合されていて、傷痕なんてないようにも見えた。そして、白い百合に囲まれていた。
まだ若い少女の死体は花に混ざることでその残酷さを隠しているようにも見えた。
灰村が唯一、一年にも満たない高校生活の中で笑ったのは、部活説明会に来た時の一度だけだった。俺に服飾の知識があるのかを確認してから、丁寧にしまわれた一枚のデザイン画を差し出してきた時だった。
素直によくできていて、よいデザインだといった俺に、灰村は嬉しそうに無邪気に笑った。
「私のためのドレスなの」
そういった灰村の嬉しそうな顔は、城鐘に後ろにある写真の笑顔の同じだった。
それだけが、灰村の高校生活で嬉しかったことなのだろう。
「麻生先生、麻生先生」
新任の教師の入れてくれた薄いお茶を飲んでいると、校長がうかがうように俺を見てくる。
おおよそ、校長の聞きたいことはわかっている。新学期になって登校してきた城鐘のことだろう。
灰村が教室の真ん中で首だけで発見され、胴体は中庭の茂みに隠されるように放置されていた。飛び降りで死んだというには胴体は奇跡的なほどに綺麗で、ただ首は荒々しく切り取られていたという。
最初はいじめとか同じ高校生の犯行とか好き勝手に騒ぎ立てられていた。大急ぎで会見を開いて、いじめの実態は現在調査中だと発表したその夜に、幼女を同じようにバラバラにして殺していた隣りの県の犯人が捕まって、そいつが灰村のことについても容疑を認めたとのことだった。
本当に何となくだが、そいつは灰村を殺した犯人ではないと思った。残忍さには類似性があったが、対象が一人だけ高校生であったことや手口の不慣れさ、そういった矛盾をきっと俺以外にも何人かが感じ取っただろう。
快楽殺人犯の犠牲になった高校生の少女。学校の生徒の心のケアとか保護者への説明とかそのようなもので対応に追われていた。
事件の猟奇性からか灰村のことはあまり報道されず、生徒にも事実の説明はなかった。
ただ、灰村の死だけが伝えられた。
それから季節が巡って春。不登校だった特別科の歴史の中で三人目か、四人目だかの男子生徒が登校してきた。驚くほどに堂々と、すがすがしいほどに周りの女生徒に対して敵意を向けて、それでも何事もないように教室の一員になっている。
城鐘はきっとこの教室の中に、灰村の亡霊を見ているのだろう。忘れられて、透明になっていった少女の面影にとらわれている青年。
彼はきっと、灰村が死んだときに一瞬、クラスの誰かが灰村の首を切り落とす瞬間を想像してしまった俺と同じように、少女に、白百合に殺されたいと思うほどの罪悪感を抱いてここにいるのだろう。
「校長先生、心配しないでも大丈夫ですよ」
「え」
「城鐘はこの学校にドレスをつくりに来ただけみたいですから」
「いやあ、勉学もしてもらわないと」
校長は安心したように笑う。それにつられて、俺も笑う。
城鐘は灰村のためのドレスをつくりに来た、そして白い百合に守られるように隠されている彼女の死を暴きに来たのだろう。
それを俺たちは見守るしかない。先生といわれるあの焼けるような劣等感と自尊心を棄ててしまった大人には、彼を止めることも、少女たちの秘密を暴いて散らすこともできない。
その秘密を散らせるのは、きっと彼だけだろう。
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