閑話 ティアにとってあの人は。

今回は、ティアちゃんの昔話。あまり良い話ではないし、普段は暗い話を書くことはないのですが、この話は必要な話だと思ったので書きます。

これでティアちゃんが駿河のことをすきな理由がわかると思います。



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「おーい、ティア。」


 あの人の声が聞こえる。


「どうした?相変わらず可愛いなぁティアは。」


 あの人が呼んでくれる。


「よしよし、ティアはほんとに可愛いなぁ。」


 あの人が頭を撫でてくれる。







 ティア。その名前は誰がくれたのだろう。今まで考えたことがなかった。生まれてからずっと、虐げられ、罵られ、口のなかが血の味しかせず、体のどこを動かしているのか自覚すら出来ないときもあった。


 ある日、ドレスのようなものを着た女の人間に蹴られた。そのドレスを見て、可愛いな、着てみたいなと思った。でも自分には似合うことはないのだろう。だってこんなにも『醜い』『気持ちが悪い』『臭い』と言われるのだから。


 どんな人間も、眼を見ればわかる。無関心なもの、いやらしくなめ回すようなもの、憎悪に満ち溢れたもの。この三つの視線しか向けられたことはなかった。


 種族が悪いのか、生まれが悪いのか、顔が悪いのか、性格が悪いのか、髪が悪いのか、体が悪いのか、息をしているのが悪いのか、なにもかもが悪いのか。


 自然と涙というものも、何時からか出なくなった。それと同時に感情を向けることもなくなった。どんな人間にも。そして自分にも。


 歩き疲れ、食べるものもなくなり、道端で倒れているところをフードを被った人間に拾われた。その眼はフードのお陰で見えたことはなかったが、少なくとも悪意は感じなかった。そのフードの男はこう言った。


「あなたの名前は?」

 ティア。そう答えた。

「そうですか、見たところ空腹のようですね。どうでしょう?しばらく私のところへ来ませんか?ご飯は用意します。その代わり、あなたには奴隷になってもらいますが。」


 それがいい提案なのか、悪い提案なのか。判断はつかなかった。でももうどうでもいい、どうなってもいいと思ってこの男についていくことにした。


 その男が連れてきたのは奴隷商館と呼ばれるところだった。過去に一度、連れてこられたことがある。その時は怖くなり、必死で逃げ出した。でも今はもう怖いとすら感じない。ただ、生きることだけを考えていた。




 どうやらこのフードの男はフライダというらしい。ここに来てからしばらく経った。ここにはたくさんの奴隷がいる。色々な人間に出会った。

 奴隷として紹介されたことがあったが、そのときのきらびやかな服を着た男は

「なんだこの髪の色!バビロニア!?忌々しい神の暴君ではないか!こんなものを紹介するなんてバカにしているのか!」

 そんなことを言われた。悲しいとは思わなかった。そんなことを思っていればいつか心が壊れると思ったから。だから黙ってその場を後にした。



 この奴隷商館に来て、さらに幾日が経ったころ、またフライダから呼ばれた。最近は売れないことが分かったのか呼ばれることはなかったが、どういう風の吹き回しだろうか。どうせ行ったところでまた何か言われるだけだ。


 いつものように部屋に呼ばれ、フライダが挨拶をするように言う。中を見てみるとあまり見ない格好をした人間がこちらを見ていた。

「……ん、ティア、よろしく。」

「おぉ、よろしく頼むよ、ティア…ちゃん。」

 目を会わせると、今まで見てきた眼とはなにか違うように感じた。その眼は無関心なものでも、いやらしいなめ回すようなものでも、ましてや憎悪に満ち溢れたものでも。


 今までに見たこともないその眼に何故か惹かれた。抱えあげられ、人間の膝の上に座らされた。初めて温もりを感じた。太陽に当たっているときよりも、暖かいご飯を食べているときよりも、ずっと暖かい温もりを感じた。心の奥底が明るく照らされたように思えた。


 でも、フライダはいつものように説明をする。バビロニアという種族のことを。奴隷の素性を説明する義務があるらしい。どうやらこの人間はバビロニアという種族を知らなかっただけのようだ。


 この人間がそれを知るときっとまたあの視線が向けられるのだろう。いつも通りだ。いつも通りなのに…何故胸が痛くなるのだろう。もう慣れているはずなのに。


 しかしその人間はそれを聞いても決してその眼の色を変えることはなかった。こちらを見て

「ティア、これからよろしくな。」

 そう言ってくれた。心配になり、聞いてしまう。もしそうだったら嫌なのに。

「ティアで…いいの?」

 あぁ嫌だ。なんでこんなことを聞いてしまったんだ。これで嫌われたりしたらどうなるんだろう。


「いいや、ティアがいいんだ。」


 たった一言。その一言で、人生のすべてが救われた気持ちになった。肯定されたことなんてなかった。否定をされたことしかなかった。顔を背けれ、眼を背けられ、背を向けられた。

 初めて人の顔を正面から見た気がした。その顔はどんな顔より凛々しく、美しく、逞しく見えたのだ。


 奴隷になってすぐにとある店に連れていかれた。というかついていった。離れるのが嫌だったから。

 その店は何故かムキムキの男が営む服屋さんだった。あるじは服を買ってくれるという。似合うわけがないのに。こんなにも醜い自分に。


 いつか見た女の人が着ていたようなドレスがあった。あるじとムキムキの男が着てみてと言う。着替えた姿を見て変な風に思われないだろうか。不安を抱えながら着てみる。


 あるじはじっとこちらを見つめていた。やっぱりダメだっただろうか?

「ん……あるじ……似合う……?」

 怖い、返答を聞くのが。

「天使か……」

 とあるじは呟いた。どういう意味なのだろう?神の末裔ではあるけれど、天使ではないはずだ。

「……あるじ?ティア…似合ってない…?」

 それはそうか、似合うわけがない、分かっていたはず…

「そんなことないぞ!?とんでもなく可愛いぞ!!来てよかった!!!」

 しかし、そんな意図とは裏腹に、あるじはその綺麗な目を輝かせて可愛いと言ってくれる。誰よりも強く、誰よりも大きく、誰よりも高らかに。自然と顔が熱くなる。



 簡単に肯定してくれる。こんな自分を。

 だからどうしようもなく好きになってしまうんだろう。





 高梨 駿河、あるじの名前。

 きっとその名前を忘れることはない。


 この温もりも、優しさも、心に照らされた光も。忘れられない。忘れたくない。


 たまにいやらしい眼で見られることもあるけど、それは邪悪なものではなく、嫌な気持ちになどならない。なるわけがない。だってこんなにも彼のことが好きなのだから。


 あるじのことを考えると、胸が暖かくなる。






「おーい、ティア。」


 あの人の声が聞こえる。


「どうした?相変わらず可愛いなぁティアは。」


 あの人が呼んでくれる。


「よしよし、ティアはほんとに可愛いなぁ。」


 あの人が頭を撫でてくれる。




 愛しいあるじが今日も側にいてくれる。






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