第11話「江戸と武家屋敷」
いつも荷物持ちばかりをやっていたが、今日はようやく保護者代理らしい仕事を任されることになった。
初仕事にしてはあまりに責任重大で、今抱えている一番大きい問題であるに違いない。
江の不登校についてである。担任の先生から呼び出しを受け、親代理として長女の茶々とともに中学校へ行って来たのである。
学校という場所の雰囲気は、なんだかソワソワさせるものがある。中学卒業から15年。大人になり保護者として、再び学校にいくことになろうとは思いもしなかった。しかも、子は自分の子ではなく、同行者も妻ではなくて大学生である。
先生も、親代わりがこんなコンビでビックリしたことだろう。どうしようもない家庭環境にあきれながらも、江に関する現在の状況を詳しく教えてくれた。
卒業はなんとかできるようだが、イジメなどが原因で不登校になったわけではないので、先生としては復帰を望んでいるようだった。
「どうすれば、学校戻ってくれるんだろうな……」
「すぐにどうなるという問題ではないないですからね」
不甲斐ない父親役は、帰りの電車の中で、妻役の茶々に嘆いてしまう。
無理矢理学校に行かせても意味はないから、なんとか本人を学校に行く気にさせなければいけないのだ。
不登校の原因は、両親の不在が大きいようである。母は江を産んだときに亡くなり、父は仕事に夢中でほとんど家に戻らない。江がひねくれてしまうのも当然に感じる。
何度も彼女らの父である兄に、家に戻り彼女らと暮らせとメールを投げてみたが、まったく返事はないままである。
「でも、最近ゴーは変わったと思いますよ。たぶん
「え? なんもしてないけど」
そう言われるのはちょっと嬉しい。
「たぶん寂しかったんだと思います。親代わりの武人さんが来てくれて、嬉しいんでしょうね」
「親ね……」
僕と江の関係は、親子という感じではなかった。頼られていたり、敬意を払われていたりはない。親と言うより友達だ。できれば兄妹であってほしいけれど。
これまで茶々が母親代わりを務めてきたのだ。彼女はしっかり者だから、普段の生活に困らないよう頑張ってきたのだろうが、妹たちの世話はとても苦労したに違いない。これからは僕が、その肩代わりをしていかねばならぬのだろう。
これから江とどのように付き合っていけばいいのか考えながら山手線に揺られていると、茶々がいつものように問いかけをしてくる。
「東京って人口何人いるかご存じですか?」
「人口? 日本で一番多いんだよね。1千万人くらい?」
「惜しいです。1千350万人ですね。昼間は1千600万人くらいに増えるようですけど」
「増える?」
急に人間は増えたりしない。ということは……。
「ああ、通勤通学で人が増えるのか」
「はい。近くの県から、電車や車などで移動してきてるんですね。そういえば、江戸時代は100万人いたみたいですが、時期によってまったく人口が違ったそうです」
「え、なんで? 病気とか?」
「病気とか火事とかで多少変動はあると思いますが……違います」
「んー、なんだろな……」
「正解は
「あっ、そんなのあったなあ」
歴史の授業で習った。将軍の命令で、大名たちは自分の領地から江戸に、わざわざ歩いていかなければならないのだ。
自分の城で領地経営してればいいじゃんと思うものだが、江戸に来させることで、上下関係をはっきりさせたり、無駄にお金を使わせたりするのがこの政策の目的らしい。
「大名とその家臣たちは、一年おきに江戸と領地を行き来します。だから江戸の人口が時期によって大きく変動するんです」
「へー。すごい人数の武士が江戸にやってくるんだなあ」
「江戸の人口の半分くらいは武士だったみたいですね」
「え、そんなに!?」
「地方県庁に勤める知事や公務員が、わざわざ江戸に集まって政治してる感じですかね。全国から集まるとなれば、けっこうなものです」
やはり効率論で考えると、参勤交代とは無駄なことをしているように感じる。江戸とは完全な消費都市なのだ。
「江戸はもともとほとんど何もなかった土地のようです。川が多く辺りは湿地帯だらけで、徳川家康は高台に江戸城を作ります。その周りにだんだん職人や商人たちが集まり、城下町になっていきました」
「江戸城か。どこにあったんだっけ?」
「え……?」
「え?」
この姉妹たちはいつも僕をこの目で見る。
こんな歴史知識、知ってて当然ですよね、という目である。
「今の皇居です。あそこが天守閣のあった場所なんですよ」
「あー! あそこが城なんだ!」
「立派なお堀があるでしょう? あの内側が
気づきそうなものだが、これまで意識してこなかった自分が少し恥ずかしい。
「竹橋、桜田門(※1)、半蔵門(※2)などは江戸城の門があったところです」
「ああ、駅名であるね(※3)」
「お城というと、天守閣がある場所ってイメージがあるかもしれません。でも、お城は
「ほー、どんくらい?」
「町全体です!」
「町……?」
「
「なにそれ、すごい大変じゃないか」
「江戸城の場合、川を利用して、大きなお堀を作っています。今ではほとんど埋め立てられていますが、皇居周りの内堀を取り囲むように、大きな外堀がありました。お茶の水辺りでは、お堀の雰囲気が味わえますね」
「外堀までお城ってこと?」
「そうですね。江戸時代は、外堀の内側に武士がいっぱい住んでました。町を歩くと、なになに家・武家屋敷跡って碑が立ってたりします」
「ああ、どっかで見たことあるな。って、そう考えると、東京の大部分が武家屋敷ばかりだったんだな」
「はい、いわゆる“山の手”ですね。明治時代になると武家屋敷があった場所に、お役所など大きな施設が作られました。逆に、外堀の外側は“下町”と呼ばれます。浅草が有名ですね。ちなみに、外堀と内堀の間を“丸の内”と言います」
江戸の人口の半分が武士だというのも、うなづける。
「他に総構えになっているお城は、小田原と大阪が有名です。いつか大阪に旅行に行ったら、どこまでお城だったのか、痕跡を辿って歩いてみたいものです!」
普段東京にいてもあまり江戸の雰囲気を感じられないが、探してみれば江戸の名残は多いのかもしれない。確かに姉妹の解説を聞きながら、町を歩いてみるのもよさそうだ。
※1 大老・
※2 半蔵門は、伊賀忍者・服部半蔵が守備していたとされる。
※3 皇居の地下はさすがに地下鉄が通っていない。
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