第12話「第六天魔王と宗教」

 江がどうやったら中学校に戻ってくれるんだろうと考えてはいるが、どうしたらいいのか答えが出ぬまま、時間だけが過ぎていく。

 毎日、家で一人ゲームをしたり、勉強したりしている江を眺めているだけで、話を切り出すこともできなかった。ぼうっと何もしてない分だけ、自分のほうが引きこもりにも思える。

 自分にも休みが必要だったように、彼女にも休みが必要なんだと、なんとか結論を導き出す。それが甘えでないことは、鬱になった自分が一番分かっている。今はしばらく見守るしかないだろう。

 江は今日も戦国時代のゲームをしていた。


「信長ってなんで第六天魔王だいろくてんまおうって言うんだ?」


 ゲームの音声で「第六天魔王」と信長が叫んでいるのが聞こえたのだ。

 このゲームにかかわらず、信長は自ら「第六天魔王」という悪そうで強そうな名前を名乗っている。


「自分でそう名乗ったから」


 江はゲーム画面を見たままで答える。


「え? ほんとに自分で言ってたのか……?」


 信長のように厳格そう人が、そんな中二病っぽい称号を自ら名乗っていたとは、さすがに信じられない。


「うん、ほんと」

「マジか……。第六天魔王ってどういう意味なんだ?」

「第六天にいる天魔の王」

「え、そのまんま……? 第六天ってなにさ……?」


 江はため息をついて、ゲームのコントローラーを置いて、こっちを振り向いてくれる。

 これは「仕方ない。無知で可哀想なあんたのために説明してやろう」のため息である。案外、自分もこうされるのが、癖になっているのかもしれない。


「詳しく知らないけど、仏教では3つの世界があって、そのうちの欲界にある6個目の場所みたい。そこに天魔っていうのが住んでるとか」

「天国にいる天使というか、悪魔みたいなところかな? なんで、そんな名前、名乗り始めたんだ?」

「信長って、比叡山延暦寺ひえいざんえんりゃくじを焼いたり、仏教勢力と戦ってたから、武田信玄が信長に抗議したのよ。その手紙で信玄は“天台座主沙門てんだいざすしゃもん信玄”と名乗った。天台座主というのは、延暦寺の住職で、全国にある天台宗のお寺のボスってことね」

「天台宗のボスなら、そりゃ怒るわけだな」

「信長はそれに対して、それなら俺は“第六天魔王”だし、って答えたの」

「子供のケンカか……」


 信長と信玄が、すごい名前を出すことで言い合いをしているとはシュールである。


「仏教には四魔しまという4つの魔がいるの。欲望、苦しみ、死、心身を乱す魔。第六天にいるのはその最後ので、人が正しい道にいこうとするのを邪魔するから、仏教の敵と言われてるのよ。だから信長は信玄に、お前が仏教を守護する者なら、俺は仏教を壊す者だって言ったわけね」

「ははあ……けっこう凝ったジョークなんだな……」

「信玄は実際に延暦寺の住職というわけではなかったけど、延暦寺から逃げてきた天台座主を保護してる。だから天台宗の名前を使って、信長を叱りつけることができたわけね。沙門しゃもんは修行僧の意味だから、“天台座主の下で修行している人”と読めば、謙遜した称号になるわ」


 大名同士の舌戦というわけだろう。戦うのは武器だけでなく、口を使って人を引き込んだり、権威を味方につけたりするのだ。


「信長はなんでそんな仏教を毛嫌いしてたんだ? 天台宗と敵対したら、いろいろ面倒だと思うんだけど」

「それ、ほんとに知らないの……?」

「あ、はい……」


 江はため息をつく。これは軽蔑を通り越して、哀れに思うため息。


「歴史の教科書にも載ってるけど、大きなお寺はとてつもない力を持っていて、昔から政治に口出してきたり、武装して武力で脅してきたりしたのよ。僧兵って聞いたことあるでしょ?」

「ああっ、坊主が甲冑の上に袈裟けさ着て、ナギナタ持ってるやつか」

武蔵坊弁慶むさしぼうべんけい(※1)も、元は延暦寺の僧兵だし、だいたいそんなイメージね。お寺を焼き討ちにしたというと、信長がひどいことをしたように感じるかもしれないけど、延暦寺を攻めたのは信長がはじめてじゃないわ。130年くらい前に6代将軍・足利義教よしのりがやってる。義教は3代将軍・義満よしみつの五男で、後継者にはなれないからと出家して、比叡山の天台座主をやってたんだけど、将軍になったあとに延暦寺と揉めて、武力行使に出てるの」

「へえ。お寺といっても、大名みたいに一つの勢力って感じなのかもな。お寺自体も、石垣とか作って要塞化してたんだったな」


 本能寺の変について聞いたとき、本能寺も砦のように防衛力を強化していると説明されたのを思い出す。


「信長も、お寺が宗教だけをやっていれば何もしなかったんだろうけど、いろいろ圧力かけられて、攻め落とすしかなかったんだと思う。宗教的な権威を利用して、自分の改革を邪魔されるのは許せなくて」

「そういえば、信長ってキリスト教なんだっけ?」

「一応そうね。仏教勢力を排除するために、キリスト教の布教を進めたということになってるわ。あと珍しいものが好きだったんだろうけど」

「家臣たちはどうしてたんだ? 仏教弾圧されると、いろいろ困ったんじゃないか?」


 当時の日本人は、仏教か神道が多かったはずだ。上司が仏教はダメだと言い始めると、キリスト教に乗り換えたりしたのだろうか。


「どうもしないわ。延暦寺を焼き討ちしたりしたけど、別にどこの宗教が悪いとか、禁止するとかしてたわけじゃないし」

「あ、そうなんだ?」

「のちのち、秀吉や家康がキリスト教を禁止するけど、別に信長はキリスト教を勧めて、仏教を禁止した、ってわけじゃないの。政治に口出しをしなければ、特に気にしなかったみたいよ」

「政教分離か。新しい考えだな」


 現在、日本の政治はしっかり宗教と区別するようにしている。もしかすると、信長がその土壌を作ったのかも知れない。

 世界には、特定の宗教を国教として政治にも組み込む国がある。何が正しいとかではなく、日本が政教分離をしているも、お国柄の一つなのだろう。


「戦国時代は、キリスト教という新しい考えが入ってきて、改宗する日本人が増えたわ。それは大名も例外ではなく、熱心な大名はキリシタン大名と呼ばれているの。黒田官兵衛、有馬晴信ありまはるのぶ大友宗麟おおともそうりん小西行長こにしゆきなが高山右近たかやまうこん(※2)とかが有名かしら。九州の大名か信長の家臣って感じね」

「はじめはオーケーだったけど、あとで禁止されてひどいことになったんだよな、確か」

「うん、秀吉と家康が禁止するの。秀吉は、外国人が日本人を人身売買しているのを知って、キリスト教布教は日本を支配するための活動なんじゃないかって疑ったみたいよ」


 宣教師がどのように考えていたかは分からないが、日本の統治者である秀吉にとっては、自国民を不当に扱われるのは不愉快なことだったのだろう。


「念のため言っておくと、当時国内では人身売買を普通にやっていて、合戦の戦利品だったみたいよ」

「そういう時代だったんだな……」


 物語ではよくある話だが、実際に行われていたと聞くと、ぞっとしてしまう。


「仏教徒で、有名なのは加藤清正の日蓮宗にちれんしゅうかな。長い兜の前立まえだてに日蓮宗のお題目を入れていたり、常に日蓮宗とともにあったエピソードがいっぱいあるの。家康は浄土宗。“厭離穢土 欣求浄土おんりえど ごんぐじょうど”と書かれた旗が有名ね。これは家康が桶狭間の戦いで敗戦後、自害しようとしたところ、大樹寺だいじゅじの住職に、欲にまみれた戦国時代を終わらせ、平和な世界を作りなさいと諭されたのが由来になってるわ」


 戦国大名も、人と人が殺し合わないといけない世に疑問を持っていたのだろう。その苦しみから解放されるために、宗教が必要だったのかもしれない。

 江を学校に通わせるにも……と思ったが、それはちょっと違う気がした。




※1 武蔵坊弁慶といえば、京都の五条大橋で牛若丸うしわかまる(のちの源義経)に敗れ家臣となったエピソードが有名。義経を守るために矢を全身に受け、立ったまま亡くなったことから「立ち往生おうじょう」という言葉が生まれた。

※2 高山右近は、キリスト教の棄教を何度も断り、国外追放となる。フィリピンのマニラ到着後すぐに亡くなってしまう。

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