第8話「本能寺は何が変?」

 定職に就いていないので時間だけはたっぷりある。

 やることがないと、意味もなく家に引きこもってしまいそうなので、毎朝ランニングをするようにしていた。

 ランニングから帰ってくると、マンションのポストに封筒が入っていた。

 宛先は僕の名だが、差出人が書かれていない。

 誰からの手紙だろうと部屋に戻り、封を開けてみると、無地の便せんが一枚だけ入っている。筆で1行だけ書かれていた。


『本能寺は何が変?』


 ダジャレ……?

 誰かのイタズラだろうか?

 姪っ子たちならば、初か江が怪しい。

 この住所を知っている自分の友達はいないから、姪っ子が違うとなると、兄に違いない。


「シエ、本能寺って何が変なんだ?」


 まず、学校にいかず、居間でゲームをやっていた江に聞いてみることにした。


「は?」


 ゲーム中に話しかけられて、ひどく嫌そうな顔を振り向かせる。


「変なのはあんたの頭でしょ」


 いつもの毒舌で返される。どうやら江が手紙の差出人ではないようだ。


「本能寺の変って、信長が明智光秀に殺されたやつだよな。信長ってなんで、本能寺にいたの?」

「いたら悪いの」

「いや、いてもいいけどさ……。信長は一番偉いんだからお城にいてもいいじゃないか。そしたら、光秀が裏切っても死なずに済んだろうし」

「はあーー…………」


 江はものすごく長いため息を吐く。

 ゲームのコントローラーを置き、人を哀れむような目でこっちを見てくる。


「特別に教えてあげるから、よく聞いて」

「あ、うん……」

「中国地方で戦っている秀吉の援軍要請を受け、信長は光秀に向かうように命令する。そして信長も秀吉を助けるために安土を発ち、その途中、京都の本能寺に泊まったのよ」

「あ、泊まってたのか。じゃあ、その隙を襲われても仕方ないね」

「仕方なくないし」


 江にぎらりとにらまれてしまう。


「寺はホテルじゃない、砦なのよ。当時の大きな寺は、堀や塀で守られ、それなりに防御力があったの。だから信長も決して観光気分で京都に行ってたわけじゃないし」

「そ、そうなんだ……」

「近くには息子の信忠のぶただ(※1)が二条城にいたし、ちょっとした騒動には対処できる状態だったはずよ」

「でも、光秀にやられちゃったんだよな?」

「その頃、光秀は自分のお城である亀山城(※2)で出陣準備をしてたんだけど、本能寺からは20キロもないの。引き返そうと思えば、あっという間についてしまうような距離よね」

「ゆっくり歩いても4時間か……」

「それで、光秀は1万3000の大軍を率いて深夜に京都に入り、本能寺と二条城を襲ったのよ。対して信長と信忠は合わせても数百」

「なんつー差。そりゃ勝てるわけないわ……」

「信長もそれなりに備えはしてたけど、さすがに援軍の主力を率いる光秀には敵わないってわけ。だから、本能寺に変なところはないわ。なるようにしてなったの」


 それが江の見解であった。

 江が手紙の主でないならば、次に怪しいのは初である。


「初、本能寺ってなんか変?」


 セーラー服で帰宅したばかりの初に同じ質問をする。


「変? 変っていえば変だけど……。それがどうしたの?」


 特にごまかしている様子はない。初も手紙のことは知らないようだ。


「いやぁ、本能寺の変ってミステリーだなって」

「うんうん、ミステリーだよね! 本能寺の変は、戦国ロマンの固まりのような事件だからっ!」


 何気なく言った言葉に飛びつく初。


「本能寺が変なポイントは2つ。光秀がなぜ裏切ったかと、信長の死体が見つからなかったこと」

「信長って捕まって殺されたんじゃないの?」

「ううん。本能寺に火がついて、自害したか焼死したんじゃないかって言われてるよ。死体が見つからなかったから、たぶん姿がなくなっちゃうくらいに焼けちゃったんじゃないかな」

「それじゃあ、本当に死んだか確認できなかったんだな」

「そう、それ! それが歴史ロマン! 歴史ミステリー! 信長は生き延びたんじゃないかっていうイフ!」

「ああ、実は信長生きていたってのは、なんか面白いね」


 ゲームでも、信長が生きていたら、というシナリオがあった気がする。


「でしょでしょ! 実は裏側から、光秀や秀吉がどんなことをするか、ニヤニヤしながら見てたのかも!」

「それでもう一つのほう、光秀が裏切ったのはどうして?」

「上司である信長を恨んでたってのが通説かな。みんなの前で殴られたとか、魚が腐ってると言いがかりつけられて接待係クビになったとか、母を見殺しにされたとか」

「パワハラの限度を超えまくってるな……」

「あとは野望説。信長の代わりに天下を取ろうと思って、殺すなら今しかないと思ったの。そうでなければ、誰かの命令でやった説」

「なにそれ?」

「朝廷とか足利将軍家とか秀吉とかが黒幕でしたってやつ。前の大河ドラマだと家康も信長殺す気だった、って感じだったよ」

「へえ、面白い説だな」


 初は本能寺が変なポイントを教えてくれた。

 可能性は低いが、茶々にも同じ質問を投げかけてみる。


「本能寺が変なところですか? そうですね……」


 茶々は首をひねって真剣に考え始める。

 茶々も手紙のことは知らないようだ。


「信長がなぜ茶器を本能寺に持ち込んだか、ですね」

「茶器? お茶するためじゃ?」

「それもあるとは思うんですけど、信長はこれから戦に行くんですよ。1個で国が帰るほどの茶器を持って行くわけないじゃないですか!」

「そんな高いの……?」

「高いってものじゃないです。現代に残っていたら、値段がつけられないくらいヤバイやつです! ああ……でもそれが光秀のせいで、焼失してしまうんです……」


 茶々は自分のお金がなくなったかのように嘆いている。


「茶器ばかりでなく、名刀も焼けてしまったんですよ。信長が蘭丸に与えた不動行光ふどうゆきみつ。信長が死ぬまで振り続けていたという実休光忠じっきゅうみつただ。信長が桶狭間の戦いで今川義元から奪った宗三左文字そうざさもんじ(※2)……」

「けっこうな損失だったんだね……」

「はい……。でも、光秀の重臣である明智秀満は、たくさんの家宝を守ってくれたんです。坂本城には、信長の安土城から奪った宝と光秀が持っていた宝がありました。坂本城が包囲され落城するとき秀満は、『これらは天下の宝であるから失ってはならない』と言って、敵にすべて渡してしまうんです。多くの茶器や、不動国行ふどうくにゆき二字国俊にじくにとし薬研藤四郎やげんとうしろうが救われました」

「すごい人だな。宝をみすみす渡すことなんてできないなあ」

「でも、一つだけ渡さないものがあったんです。倶利伽羅郷くりからごう。これは光秀が特に大切にしていたもので、それを知っていた秀満は絶対に渡すわけにはいかなったんです。『これは我が腰に差し、死出の山にて光秀様にお渡しいたそう』といって火の中に消えていくんです……。泣けるでしょ!? 忠心ここに極まれり、ですよ!」

「あ、うん、そうだね……」


 ヒートアップしすぎた茶々の目から、本当に涙がこぼれている。

 茶々としては、本能寺の変で多くの宝物が失われたことが変、ということだった。

 どうやら手紙の犯人は姪っ子たちではないようだ。となれば、あとは彼女たちの父、僕の兄しかいなかった。

 僕をからかうためにやったのだろうか。それとも、何かの謎解きなのか……?

 勝手に家を飛び出し、子供たちを放り出す迷惑な兄である。




※1 織田信忠は信長に家督を譲られ、織田家当主となっていた。信長を助けようと奮戦するが死亡する。一緒にいた信長の弟・有楽斎うらくさいは逃亡し、1621年まで生き残り、東京の有楽町ゆうらくちょうの語源となる。

※2 亀山城は京都府亀山市にある。世界の亀山とは関係ない(三重県)。

※3 宗三左文字は、三好宗三、武田信虎(信玄の父)、今川義元、信長に渡った名刀。信長は義元から奪ったとき、刀身に「織田尾張守信長」と刻んだ。

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