第6話「秀吉は農民か足軽か」

 僕の名は、生天目武人なばためたけひと。31才独身。

 10年近く務めた会社を鬱でやめ、今は長い休養を取りながら、少しだけフリーライターの仕事をしている。

 兄が長期出張になったため、姪っ子たちを住みこみで世話している。

 ……というものの、生活能力は姪っ子たちのが上で、自分が住まわせてもらっているのが正しいかもしれない。

 今日は次女の初と一緒に夕飯の買い出しをしている。学校帰りにスーパーで待ち合わせをしたので、初はセーラー服姿であった。家では和装に近いゆったりした服装だから、とても新鮮であった。

 そして、女子高生と一緒にスーパーの中を歩くのはやはり照れる。


「野武士の生活はどう?」

「どうって、普通だけど……」


 僕は野武士と呼ばれている。特定の会社に勤めず、フリーで仕事をしているのが、初いわく野武士っぽいらしい。


「野武士ってカッコいいよねー。自由気ままに生活して、依頼を受けたときだけ雇われるっていうのが」

「そうなのかな……?」


 野武士のことはよく分からないが、自分はまだほとんど無給のボランティアのような仕事なので、フリーライターという名前ほどのカッコよさは見いだせない。


「そういえば、武士ってなんなんだ? どっかの大名に仕えれば武士になれるのか?」


 武士は戦闘のプロフェッショナルだが、武士か野武士か、それ以外の職業であるかは何で決まっているのか、ふと気になったのである。


「んー、その考えも間違ってはないかなー? 武士も長い歴史を持っているから、その時代によってずいぶんスタイルが変わるんだよねー。源氏平氏はもちろん知ってるよね?」

「源平の戦いだよな。鎌倉時代の前の話だろ? 武士の始まりってイメージがある」

「うん、そんな感じ。清和源氏せいわげんじ桓武平氏かんむへいしと呼ばれる武士団で、もともと清和天皇、桓武天皇の一族、つまり皇族なんだよね」

「武士って偉い人なんだな」

「生まれは偉いんだけど、人数増えてくると役職が不足してきちゃって、源氏と平氏は一般の貴族と同じ地位に下りちゃうんだ。そんで、武装して荘園の警備や管理を請け負うようになる。それが全国各地に住み込むようになったのが、武士団の始まりって言われてるよ」

「へー。じゃあ、もともと武士は選ばれた人たちだったんだな」

「うん、平安末期、鎌倉時代はほとんど貴族出身だね。中央政府で、今でいう大臣とかの役職につけない人たちが、地方に出て独自にお金を稼いで、仲間を増やし力をつけていくんだ。そして、平清盛たいらのきよもりは、ついに大臣よりも偉くなっちゃうわけ! 平家を破った源頼朝みなもとのよりともは鎌倉幕府を作って、別の政府の運営を始めるんだから、武士の地位がどんどん向上していくのが分かるでしょ?」


 長男や次男は社長職など重要なポストを譲られるが、下の弟たちは地方で子会社を作るしかなかった。

 だが弟たちは地方で力を蓄え、いつの間にか兄たちを上回るようになってしまった。という感じだろうか。


「江戸時代なんて、完全に武士がトップだからな。国を治めるのは貴族じゃなくて、武士の役目になるってことか」

「うん。だから昔は武士と言えば、人を指揮できる貴族クラスのエリート武士を指したんだ。でも、時代が進むごとに、武士に仕える“郎党ろうとう”って言われる人たちも武士と呼ばれるようになる。戦国時代には、農民出身だけど武装して、領主などに雇われている人たちも武士って言うようになるよ」

「なるほどな。そういえば、足軽も武士なのか? あれは下っ端だろ?」

「そうだね。広い意味ではそうなるし、江戸時代はちゃんと武士として認められてる。本来の武士はエリートだから重武装で騎馬に乗ってるんだけど、お付きの人は軽装で徒歩なんだ。そこから、“足軽”って言葉が生まれたんだよ」


 武士とは貴族出身のエリートを指していたが、戦国時代に入ると、武装して荒事を仕事にする人たちも、武士と言えるようになっていくようだ。

 足軽は農民出身で、下級武士である。武士に仕える者もいれば、足軽同士で集まって組織化する者もいる。後者が地方豪族、土豪どごうと呼ばれる人たちである。武士に仕えていないため、野武士のぶしとも言える。


「一応、分類はできるけど、当時は身分制度が崩れてるから、あまり武士か武士じゃないかは重要じゃないかもね、下克上げこくじょうといって、下の人が上の人を殺して上に立つこともあって、武士じゃない人が武士にもなるし、足軽が大名になることだってあった」

「秀吉のことか。秀吉は農民なんだっけ?」


 初はショッピングカートを止めて、真剣に考え始める。


「んーー、それは諸説あるんだけどね。これはあたしの持論、独自研究だけどいい?」

「うん、いいけど……」


 気軽な気持ちで言ったのに、そこまで構えられるとビックリしてしまう。


「身分をすぐ飛び越えられる時代だから、農民と足軽を区別する意味はあまりなんだけど……。秀吉は足軽、だと思う。戦国時代って、武士が農民を徴集して足軽にして戦わせてるってイメージあるでしょ?」

「あ、うん。ゴーに借りたゲームでそんなのあった」


 足軽というと、戦争に無理矢理参加させられた可哀想な民という感じがする。急に武器を持たされ、何も分からずに死んでいく。


「でもあれはウソなんだ」

「え?」

「確かに大名は農民をほぼ無償で集めて、運送など合戦の手伝いはさせたんだけど、足軽として戦わせたとは思えないんだ」

「どうしてだ?」

「叔父さんが徴兵されて軍隊に入ったところで、明日から戦争できる?」

「できない……」

「武士は戦闘のプロだよ。毎日、力士のような訓練を積んだスポーツマン。素人が力士や空手家に勝負を挑んで勝てる? 10戦したところで1勝もできないぐらい差があるでしょ?」

「確かに……」


 特に殺し合いにおいては、プロと素人の差は大きいに違いない。


「用語をしっかりさせておくと、農民とは村に住んでる農業だけをやる人。足軽は村に住んでて武装して武士のような仕事もするけど、農業もする人。大名はこの足軽を徴兵して、合戦に連れ出してたんだよ」

「兼業ってこと?」

「んー、ニュアンスがちょっと違うかな。今でいうと、ヤクザのような人なんだ。いつもは普通に暮らしているんだけど、力が強く武器を持っていて、荒事を得意としている人たちなんだよ、足軽って」

「ヤ、ヤクザ……?」

「うん。室町時代前期は、そういう仕事してて、集団で悪いことをしている人を“悪党”って呼んでたんだ。武力で人を脅したり奪ったりするの。もちろん、足軽すべてが悪人じゃないけど、村には戦うことが好きな人が住んでいたんだよ。その人たちが徴兵されたり、雇われたりして、武士と一緒に戦争をしてたの。それで武士に認められると、たくさんお金をもらえたり、出世できたりして、農民とは何段も上の上級生活ができるから、やる人は多かったんだ。当然戦で死ぬこともあるから、ハイリスクハイリターンだね」


 人に支配されて年貢を納めるだけの仕事が嫌な人は、足軽になって大金持ちになるロマンを求めたのだろう。

 地方の農家から、都会に出てサラリーマンになるのと近いものがあるかもしれない。当時は、刀を持てば、身分を飛び越えてリッチになれる夢が持てたのだ。


「それで、学校で習ったと思うけど、秀吉が“兵農分離へいのうぶんり”を行って、その人たちが農民と武士の間にいたから、どっちになるか選ばせたのよね。武士になるかカタギになるかって感じ。秀吉がわざわざそんなこと全国でやらせるんだから、武装した農民がすごい多かったのかも」


 戦国時代には、武装した農民が大勢いて、大名は彼らを使って戦争をしていた。戦国時代を終わらせた秀吉は、中途半端を許さず、武士と農民をきっかり分けたようである。おそらくいいとこ取りの職業の人がいると、支配しづらいからだろう。


「で、秀吉の身分だけど、親が武装して戦ってたから、足軽と言って問題ないはず」

「農民が関白に、というとインパクトあるけど、正確には足軽が関白にってことか。それでも、すごい大出世なのは間違いないね」

「叔父さんも、関白目指さなきゃね!」


 レジで大量のお菓子がカゴに入っていることに気づく。

 どうやら初が歴史の話をしながら、こっそりショッピングカートに詰め込んでいたようである。

 初がてへっと笑い、僕はそれを許してしまう。

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