10.決着と予兆

 ――え、何これ。どゆこと?


 金城は困惑していた。

 いきなり目前に突きつけられた銃口、かと思いきやそれは別の弾によって弾き飛ばされて、そしたらなんか聞き覚えのある、いかつい声が聞こえてきて、かと思えば、風紀委員が居て……とにかく、もう何が何やら分からなくなっていた。


(え、まって……は、え、俺、じゃないよね? 俺を捕まえに来たとかじゃないよね?)


 明石から辻本へ、辻本から明石へと視線を左右に泳がしながら、金城は狼狽えた。

 しかし、明石はそんな金城の存在など気にもしていないようで、静かに明石だけを見つめている。


「な、なんで、お前が……」


 驚然としながら、明石は唇を震わせた。


「他の委員から連絡が来た」


 感情の読めない、無機質な声を反響させながら、辻本は金城に向けられた銃口へと視線を移す。


武器ウェポンはこちらで預からせてもらう。お前は風紀委員室まで来い、明石宗次」

「っ……」


 微かに息を詰まらせながら、明石はゆっくりと辻本の指示、否、命令に従った。

 それを目視すると、辻本は背後の二人――女性と少女――へと目配せをする。すると、眼鏡をかけた寡黙そうな女性が前へと踏み出し、明石に同行を願い出た。


「数々の校則違反に関して、話を伺わせていただきます。それなりの処罰が下されることは覚悟しておいてください」

「まて、俺はっ……!」


 処罰、という単語に明石は焦ったように反応を示すが、それを御するように女性は一際低い音程を響かせた。


「あなたが校則違反を犯したことは事実であり、その行動は既に我が風紀委員会によって確認されています。

 それとも、あなたはこの百人にも劣らない数の観衆を前にしても尚、己の過ちを否定するつもりですか?」

「っ……」


 止めを刺すような言葉に明石は瞠目し、俯いた。

 その様を冷然と見つめながら、女性は奴に立ち上がるように促し、連れて歩き出す。ついでに、モニタールームの明石の友人も、いつの間に連れ出したのか――活発な雰囲気を伴わせた少女が彼を連れて入口で待機していた。


 少女は明石を引き渡されると、「それじゃあ、連れてきますね!」とハキハキとした声を返し、ざわざわと騒ぐ観衆を置き去りにして、訓練室を後にした。

 残った女性はバルコニーで屯する生徒たちに鋭い視線を投げると、声を張り上げる。


「昼休みも終わります! 他の生徒たちは教室へ戻ってください!」


 その言葉に従って、群がっていた観衆は直ぐにバラバラに散り、訓練場を出ようとする。その中で、伊奈瀬は一人急ぐように走り出し、下へと降りようとした。

 黒崎と三枝も後に続き、吾妻も多少逡巡しながらも、おそるおそる追いかけた。


「金城くん!」


 駆け下りた先は一階。試合が行われていた空間だ。

 金城はその中心で座り込んでおり、女性に何やら事情聴取をされている。


「――白井先輩」


 そんな二人に、三枝は関心を自身へ向けるように声をかけた。

 金城は驚いたように目を見開き、女性――白井は感慨無さげに、駆け寄ってくる集団へ視線を投げかける。


「三枝くん、連絡ごくろうさまです。申し訳ないけど、この子を保健室まで連れて行ってもらっても?」

「え……!?」

「わかりました」


 思いがけず、あらぬところに自身を引き渡されそうになって、金城が焦りを見せた。

 然程、大怪我をしているわけではないし、立って歩くことだって出来る。誰かを付き添わせる必要はないだろう。


「いや、いいですよ! 十分動けますし、んな大した怪我じゃないから!」

「……そうですか。では、担任の久京先生には私から連絡を取っておきます、気をつけて行きなさい」

「あ、はい、ありがとうございます」


 それだけを言うと、白井は立ちあがって、明石の武器の回収をしていた辻本の元へ向かった。

 なんというか、あっさりとした人だな、と金城は呆気に取られながらも、立ちあがろうと足に力を入れる。


「金城くん、大丈夫?」

「あ、伊奈瀬……ありがとう」


 そっと、突然差し出された手を見れば、相手は伊奈瀬で、金城はその事実に戸惑いながらも手を伸ばした。


(伊奈瀬、見てたのか……)


 不謹慎にもときめく心臓を抑えながら床から腰を上げる。

 握った白い手は小さく、華奢ながらも柔らかで、暖かった。

 その事実に鼓動が跳ねなくもなかったが、周りの目もあるので、なんとか口角を抑えながら、目の前のメンバーへと視線を走らせた。


「えっと……」


 ――え、……誰?


 全くもって、記憶にない二つの顔ぶれに金城はどうしていいのか分からず、冷汗を垂らす。

 一つは若干、どこかで見たような気はする……否、訂正しよう。知っている、こいつは普段から騒がれている、「どこぞの漫画だよ」とツッコミたくなるくらいのクオリティーを有しているの三枝だ。

 だが、もう一人の黒髪は――。


「大丈夫? 本当に保健室に一人で行ける?」

「え、あ、はい」


 いきなり笑顔で三枝に話しかけられて、戸惑いながらも何故か敬語で返事を返す金城。

 なんか、鼻につく顔だな、と理不尽に思いながら足を進めようとした。

 すると、伊奈瀬に声をかけられる。


「あの、私も一緒に行くよ」

「え、いや……マジで大丈夫だから」


 どこか気遣わしげに提案する伊奈瀬に、金城は遠慮するように言葉を返した。

 「でも、やっぱり心配だから」と押し切るように言われ、少し引き気味になりながらも結局最後には頷いてしまった。


「じゃあ、先生には俺から話しとくね」

「うん、ごめんね三枝くん、ありがとう。吾妻さんも……」


 申し訳なさそうに謝る伊奈瀬に吾妻は慌てて首を振る。「だ、だいじょうぶ」と小さな声で意気込む彼女に軽く微笑しながら、伊奈瀬は金城を保健室へと促した。

 

 それに答えて金城は歩き出そうとするが、「待て」と、別の声に出鼻を挫かれて、思わず立ち止まってしまう。


「これ」


 カタリと差し出されたのはイヤホンとTD。どうやら、その存在をすっかり忘れていた金城は「あ」と顔を青くすると、呆れたような目を黒崎に向けられた。


「あ、と。悪い、ありがとう」

「いや」


 素直に礼を口にし、それを受け取る金城。

 危なかった……認証登録を既にされたTDはともかく、20万以上の価値はある無線機を失くしたら、土宮香苗に顔向けが出来なくなるところだった(と言っても、二度と会わないのだろうが)。

 内心、忘れたことに対する罪悪感を抱きながらそれを受け取る。よく観察してみるとイヤホンもTDも、どちらも無傷のようで安堵した。同時に、ふと疑問が湧く。


(そういえば……)


「……なんで、風紀委員が」


 今更な疑心が呟きとして口から零れ、それを耳で拾った三枝は苦笑しながらも答えてやった。


「俺が呼んだんだよ」

「……へ?」「え?」

「やっぱり、お前か……」


 予期せぬ所から思わぬ矢が飛んできて、一同が呆けた。だが、逆に黒崎は大体の予想はしていたようで、一つ溜息を吐くと半目で三枝を見やる。


「校則違反を見つけたら、ちゃんと委員会の方に連絡を回すのは鉄則だからね」


 莞爾として笑う三枝。

 だが、辻本が出動することは流石に予想外だったらしく、ちらりと入口近くに立つのっぽへと視線を送った。

 対する辻本はその無言の視線に気付いているのか、気付いていないのか、白井と何やら相談をしている。

 

 その様子に軽く息を漏らしながら、三枝は金城へと視線を戻した。

 

「とりあえず、早く保健室へ行ってきなよ。あんまり遅くなると久京先生に怒られるよ?」

「……あ」


 その言葉を合図に金城たちは今度こそ動き出し、それぞれ向かうべき場所へと向かい始めた。



◆  ◆


「――うん。これで問題はなし、と……」

「っどうも……」


 ポン、と叩かれた腕に僅かな痛みが走るが、それを耐えて金城はぎこちなく口角を上げた。

 対して向かいの椅子に座る女性――保険医の小熊こぐまはニコニコと効果音が聞こえてきそうなほど、柔らかい笑みを浮かべていた。

 

 金城とはあまり縁のない保健室。

 白い室内は、開けっ放しの窓から吹き抜けてくる風のおかげか、心地よく、また愛嬌のある容姿をしている白衣の小熊と、雰囲気がよく合っていた。


「それにしても災難だったわねー。あ、よかったら仮眠室で休んでいく? 疲れてるでしょう?」

「いや、後で久京先生に怒られそうなんで……」


 保健室の隣には、仮眠室がズラリと体調不良者のために建設されていた。室内はそれほど狭くなく、また、それぞれ完全な個室となっているため、仮眠を他者に妨げられることはない。

 噂では、ベッドの質はさほど上等なものではないらしいが、それでも清潔感のある室内は休憩と安らぎには持ってこい、とのことらしい。


 こてりと小首を傾げる小熊の誘いに金城は喜んで飛びつきたいところだが、それはを考えると遠慮した方が良いだろう。そんなことをすれば後々、久京にどやされそうだ。


「いやいや、久京くんはないって!」

「そ、そっすか?」


 苦笑する金城に、可笑しそうに笑い声をあげると、小熊は「まさか」と言うように手を振った。


「確かにあの人、見た目は厳しそうだけど、実際に誰かを叱ることは面倒臭がってしないわよ。むしろ――何故、私がそんなことに労力を費やさなければいけないのですか――って、言うんじゃないかしら」

「……あー、」

「こーんな感じで」


 細い指先で目を吊り上げるように顔を弄る小熊に、金城は不意に頷いてしまった。


 ――ああ、確かに言いそう。


 最近、段々と久京の性格が読み取れてきた金城。

 言われてみればそうだ。確かに久京は怒ることをほとんどしない。むしろ彼の注意はいつだって結構疎かなものだった。


「ふふっ……でも、そうよね。やっぱり教室には戻った方が良いわよね。可愛い彼女さんも待っていることだし」

「え、」「……え!?」


 小熊の柔らかい視線が行きつく先は、金城の後ろで待機していた伊奈瀬。

 唐突に紡がれた言葉に金城は一瞬理解が遅れたのか、唖然としている。反して伊奈瀬は突然矛先がこちらへと向けられて動揺してしまったのか、言葉を詰まらせた。


「ち、違います。私は金城くんの友達で……」

「あら、そうなの?」

「はい」


 何故か、少し残念そうに眉尻を下げる小熊。

 それに伊奈瀬は困ったように微笑みながら、金城に預かっていたブレザーを渡してやる。


「はい、金城くん」

「……あ、うん。どうも」


 心なしか沈んだ面持ちしている金城。「友達」という彼女の否定の言葉に少なからず傷ついたようだ。とっくの前に振られていると言うのに、女々しい男である。


「それじゃあ、治療も終わったし、二人とも授業に戻りなさい」

「はい」


 机に設置されたモニターに金城の今回の健康記録を打ち込みながら、小熊が二人に指示をする。

 伊奈瀬はそれに素直に従うのだが、金城は難しそうな顔をしながら椅子から動く気配を見せなかった。


「金城くん……?」

「あの、先生。武器機械ウェポンデバイスって、何ですか……?」


 どうやら、明石のに関して気になるところがあるらしい。訝し気に眉を顰めながら、金城は問いかけた。

 それに対して小熊は「あー」と思い出したように天井を仰いだ。どうやら事の顛末は既に風紀委員から聞いていたようだ。

 小熊の脳裏に、端末を通して連絡してきたアルトボイスが蘇る。


「そっか、……君はまだ入学してからそんなに経ってないものね」


 納得したようにうんうんと頷く彼女。


「ウェポンデバイスは三年……あと風紀委員や生徒会とか、特殊な役柄に付いてる生徒が携帯してる武器の略称よ」

「…………………………はい?」


「まあ、さいきん皆ウェポンって呼んでるけど」

「………え、いや、待て待て待て」

「ん?」


 あどけない顔で小首を傾げる小熊。

 ん、じゃねーよ、と金城は思わず毒吐きたくなった。だが、なんとか理性を総動員させて、その衝動を抑える。


「武器ってなんですか? え、TDじゃないですよね?」

「あら、もしかして知らないの?」


 パチリと大きな瞳を瞬かせる彼女を見て、金城は青白い顔を高速で左右へと振らせた。

 それを目にして「まあ……!」と小熊が口を手で覆うと、伊奈瀬が横から釘を刺す。


「先生、金城くんは《武器》という単語の意味を聞いているのではなく、そのの事を聞いているんですからね」


 どこか呆れたような顔をする彼女に金城が「え?」と更に困惑すると、小熊が頬を膨らませながら、口を開いた。


「もう、伊奈瀬さんったら……“武器の意味も知らないの?”って言いたかったのに……」

「しなくて良いです」


 今度こそ疲れたように息を吐く伊奈瀬。小熊の発言にますます混乱する金城に、彼女は助け舟を出してやった。


「金城くん、警察庁の死刑執行部隊とか、特別捜査本部のこととか知ってる?」

「ああ……」

「あそこって任せられてる案件とか、事件のこともあって拳銃とは違う武器を支給されてるの」

「うん………………武器?」

「種類は色々あるけどね。三年に上がると、そういう所謂にいけそうな素質とか持ってる人には、条件付きで、TDとはまた別の器具を持つ許可が出されるの」

「はあ………………………………っはあぁ!?」

「と言っても、ちゃんと制御とか、規制とかかけられてるけどね」


 唖然。正にその一言に尽きる。

 金城はあんぐりと顎を落としながら固まった。そんな少年の姿に苦笑しながら、小熊が同情の言葉をかける。


「金城くんも災難だったわねー。まさか、それを向けられるなんて」

「………あの、それって。俺、下手したら死んでたってことですか?」

「まさか! それは無い無い。大丈夫だから安心してね」

「ほ、本当に?」

「ええ、ウェポンはハッキリ言えば、TDのサポートデバイスの様なものでしかないからね」

「サポート?」


 ニッコリ。完璧な笑顔を浮かべながら小熊はしっかりと頷いてやった。


「大丈夫よ。とりあえず別の形をしたTDと考えてくれればそれで良いから」


 開いた口がふさがらないとはこの事を言うのだろうか。

 何や不安を煽るような数々の発言に金城はひくり、と口を引き攣らせた。

 

 ――TDだけでは飽き足らず、少人数とは言え、他にも武器を学生に携帯させていたとは……。


(ここは漫画の世界か!?)


 いい加減大声で叫んで、此処の教師共を問いただしてやりたい。

 そんな尤もな衝動に耐えながら金城は頭を抱えた。

 うんうんと唸る姿に憐れみの感情を覚えたのか、伊奈瀬が苦笑しながらフォローをいれようとする。


「先生の言う通り、たぶん金城くんが想像してるようなものじゃないから。大丈夫だよ、許可を出されても携帯を拒否している人も居るし、風紀委員だって取り締まってくれてるから」

「伊奈瀬……詳しいな」


 詳しい事情を大分把握しているように見える伊奈瀬に、金城は不思議そうな顔をした。それに彼女は困ったようにはにかむと、歯切れ悪く答えてやる。


「うん……その、風紀委員に勧誘されていて」

「え……」


 落とされたのは爆弾か、いずれにしてもそれは金城にとっては聞き覚えのない事実で、あんぐりと間抜けにも再び顎を落としそうになった。


「――でも、伊奈瀬さんはまだ承諾してないんでしょう?」

「迷ってて……家の事とかもありますし」

「……」


 今日は驚きの連続だ。

 自分の素知らぬ所で事が進んでいるような気がして、金城は筆舌にしがたい感情を覚えた。


 ――なんだろう、この置いてけぼり感。


 ぽつん、と周りから仲間外れにされているような気がして、金城は寂しく、そして虚しくも思った。いずれ自分は周りから存在さえも忘れられて、ぼっち状態へと陥るのではなかろうか。

 段々と、鬱陶しくも――金城はマイナスの方向へと全思考を走らせそうになり、黒い頭を徐々に沈ませていく。

 そんな時だった。


 ――コンコン。

 ドアをノックする音が室内に響き、金城がハッとしたように我に返る。反して小熊は大した反応も見せず、間延びした声をあげた。


「どーぞー」


 開いてますよー、と言わんばかりの声を、扉の向こう側で待機しているであろう人物にかけ、相手が扉を開くのを待った。

 しばらくの沈黙の後、ガラリと引き戸が横へと引かれる。

 すると、そこには。


「……あ」

「……」


 平均より少し高めの背に、髪を淡い焦げ茶色に染めた少年が、どこか気まずそうに立っていた。


 ――高田だ。


 戸惑ったように視線をウロウロと泳がせる少年に、小熊は優しく笑いかけた。


「もしかして久京先生に?」

「……はい、その……遅いから見てこいって」

「あらあら」


 その答えを予め予想していたのか特に驚いた様子も見せず、小熊はわざとらしく頬に手を当てながら朗らかに笑った。

 そして何が何だか分からず、ポカンと間抜けにも口を開いて置いてけぼりを食らっている金城に彼女は、さも今思い出したように、手を叩く。


「そうだわ。金城くんに痛み止めを用意しなくちゃ」

「え……いや、別に」


 別に痛み止めなど必要ない。怪我はどれも軽い打撲程度で大したものではないはずだ。その証拠に小熊は先程まで金城たちをこの保健室から追い返そうとしていたはず。


「私、ちょっと取ってくるわね。あ、伊奈瀬さんはもう戻って。高田くんが来てくれたし、きっと伊奈瀬さんの方も先生が待ってるから。これ以上授業に遅れるのは良くないわ」

「あ、はい!」

「え、え、え?」


 未だに状況を掴めない金城。

 だが、困惑した様子の奴を特に気に留めることなく、伊奈瀬は「じゃあね、金城くん。あんまり無茶しちゃ駄目だよ」とだけ言い残すとそそくさと保健室からお暇した。


「……」

「……」


 どうやら、混乱しているのは高田も同様のようで、なんとも形容し難い顔で、取り残されたように突っ立っていた。

 椅子に座ったままの金城が居心地悪そうに身じろぎするが、小熊は知らんぷりをしたまま何やら薬箱のようなものを取り出していた。


「はい、これね。あ、金城くん、ちょっともう一度腕見せてくれるかしら?」

「はあ……」


 納得のいかない顔で、腕を小熊へと突き出す金城。相も変わらず大して気にした様子も見せず彼女は診察まがいのことを鼻歌交じりに続けた。

 金城の背後で高田が気遣わしげに眼を炒める。


「……私が言うのもなんだけどね」

「……はい?」

「体を張ってくれる人って貴重よ。もちろん、身体を張れると思えるほどの相手もね」

「……」


「だからちゃんと向き合って話をしたまえよ、少年たち」


 パチン、とウィンクをしながら満面の笑みを携えて、小熊は金城の腕をポンと軽く叩いた。

 「これで、おわり!」と溌剌とした声を出す彼女は――当たり前だが――不思議と教師のように見えた。


「さ、もう授業に戻りなさい! 先生たちが待ってますよ!」

「あ、はい」


 パンパンと手を叩いて二人を追い立てるように小熊が声をあげる。

 それに金城たちは渋々と腰を上げて、保健室から出る用意をした。


 ジャケットを急いで着て、扉を開ける。早くしなければ久京に叱られる……ということはないが、疎ましそうに見られることは間違いない。その視線を想像しただけで嫌になった金城は足早に高田と共に保健室を出た。廊下の角を右へ曲がって教室へと急ごうとするが、おかしなことに二人の歩調は異様に遅い。

 

 自然とゆっくりと歩く金城たちの間に、なんとも言えない沈黙が落ちた。


「……あのさ」

「……」


 先に声をかけたのは金城だった。だが、目線は高田と合わさず前面の廊下の壁へと向いている。


「あの時は、ごめん……その、助けに行かなくて」


 ――ピタリ。


 高田が足が突然止まった。それに合わせて金城も一歩遅れて立ち止まる。

 後ろを振り返れば高田は俯いており、その顔は長い前髪で隠されて見えなかった。


「……高田」


 長い静寂が空間を支配する。数分か、或いは数秒か。

 しばらくすると高田はその薄い唇を静かに開いた。


「俺がここに来た理由ってさ、兄さんの汚名を晴らすためだったんだ」


 唐突に紡がれた話題に金城は微かに瞠目するも、静かに奴の言葉へと耳を傾けた。

 対峙する高田の顔は窓から差し込む光のせいか、白い肌にかかる影には哀愁が漂っており、どこか陰鬱な雰囲気を感じさせる。


「あの怪奇事件のせいで……警察だって証拠不十分でまだ容疑も何も確定してないって言ってんのに、周りは勝手に兄さんを犯人だと決めつけて、怯えて……最後にはあんな事になっちまって」


 要領を得ない言葉は高田の過去を知らなければ、とても理解できるものではなかっただろう。

 金城はゆっくりとその意図を噛み砕きながら、耳を傾けた。


「それが許せなくて、あの事件の真実を知りたくて、此処を目指しだんだ。けど、この高校に入学した時、正直不安だった」

「……」

「此処は行政機関を目指す奴らが集う場所だ。俺のような人間は必ず危険視されて勝手に避けられる」

「……」

「それが、怖くて怖くてしょうがなくて、俺は必死に笑顔で全てを覆い隠そうとした。

 けど、やっぱり不安は募るばかりで、それで、あの日。俺はお前を見つけたんだ」


 目を閉じなくとも鮮明に蘇るあの記憶。

 初めて金城を目にしたあの時、高田が抱いた感想は「手軽そうな男だ」というものだった。


「なんというか、ここにしては珍しく馬鹿正直で、素直そうな奴で、こいつ相手なら誤魔かせるんじゃないかなって、思ったんだ……」


 思ったことは全て顔に出る金城は高田にとって接しやすく、また気安い友人のように思えた。

 だが、仄暗い情が心の奥底で揺らめいていたのも又、事実だ。


「兄さんの汚名を晴らすなんて、そんな高い目標を挙げながら俺は世間と立ちむかうどころか、己の実態を明かそうとすることも出来ず、中途半端に隠れて、お前を隠れ蓑に利用したんだ……ごめん、兄さんのことも、ずっと黙ってて」


 そんな自分が卑怯に思えてならなくて、高田は知らず歯を食い縛り、瞼をきつく閉ざした。


「……そういうもんじゃねーの?」

「え?」

「最初は、寂しさを紛らわすため、とか暇つぶしの相手、とか、外観を良くするため、とか、ある意味……自分のために利用するだろ、誰だってさ。そういうもあるんじゃねーの? そんで、そっから仲良くなってけばいいんだろ。

 あと、黙っててごめん、ってさ、それ別に謝ることじゃねーだろ」


 思わぬ返しに高田は豆鉄砲を食らったような顔で、呆けてしまった。


「……俺だって、お前とあんま変わんねーよ。いや……そんな難しいこと考えてなかったけど」

「……」


 金城は思った。

 つくづく考えてみれば自分と高田は案外似ているのかもしれない。

 この高校に入学した理由も、目的も、考え方も、自分たちの間には通ずるものがある。

 もしかしたらその部分を無意識に嗅ぎ取って、自然とつるんでいるのではないか、と思考が行き着き、何故だか可笑しくなって金城は少し笑ってしまった。


「俺の友達もさ、警察に捕まったことがあるんだよ」

「……え、」

「しかも死刑判決なんて出ちまってよ……あの日までさ、俺、今の法っつーか、何つーの? 政治とか、社会とか、別にどうでも良かったんだ。

 けど、あの時、あいつが警察に捕まったとき、初めて身近なものとして感じた」


 思い出すのは収容所の面会室。あの場所で草地と金城は喧嘩をし、散々な日々をそれから過ごした。悩んで、悔やんで、その胸に鈍い痛みを長い間抱え続けた。


「……だから、俺はに居る。に来た。を変えるために」


 後ろを振り返れば高田は未だ呆然とした様子でこちらを見つめていた。

 とても意外なものを発見したような面差しを前にして、金城は段々と気まずさを感じたのか、視線を逸らす。

 自分が今恥ずかしい発言をした気がしてならず、それを誤魔化すかのように首裏を掻いた。


「……とまあ、これで俺の暴露話は一先ず終わり。これで、おあいこな」

「……」

「めんどくせーんだよ、お前」

「……え、」

「ゴチャゴチャ考えすぎ。とにかく、明日から俺のこと無視すんじゃねーぞ。もう俺のことは広まってっだろうし、周りから後ろ指とか指されんだろーなー」


 話題を逸らしたくて、適当なことを口にしながら廊下を進むのだが、背後で高田が動く気配はせず、金城は奴へともう一度振り返る。


「……黙ってないで何か言えよ」


 やはり気恥ずかしいのか、気まずいのか、口角に異様な力が入り、歪んだ唇はアヒルの嘴のようになっていた。

 それがなんとも面白くて、高田は頬を軽く緩ましながら、そういえば昼食を碌に口にしていないことを思い出す。


「……腹、減ったかな」



◆  ◆


 午後3時45分。

 風紀委員会室。


 広い空間には幾つもの机が並び、会議室のような長方形を描いていた。

 その上座に鎮座する男が一人――珍しくも、何重もの皺をその眉間に作っている。

 どこか悩ましげな男は手に持つ書類の束を机に置くと、窓の外へと視線を向けた。外はまだ明るく、空が青い。


 室内には男――辻本しか居らず、ひどく静かだ。そんな静寂を打ち破るように、扉の開く音が空間に響いた。


「会長、明石の件ですが」「はい、お疲れ様ー! 辻くんご機嫌麗しゅう!」


 中へと突撃するように入室したのは、桃色の髪を一つに纏めて結い上げた少女だった。

 その姿は可憐で、どこかあどけなく、高校生というより、中学生と言った方がしっくり来る身体つきで、この高校に在籍していることに少なからず違和感を覚える風貌だった。

 「元気溌剌」という言葉が正に似合う彼女を見て、言葉を遮られた女性――白井が煩わしそうに嘆息を吐いた。


「篠田副会長、少し黙ってていただけると幸いです」

「えー、挨拶は大事だよー?」


 頬を膨らましながら拗ねたようにこちらを睨み上げる姿は、成る程、確かに可憐だがやはり高校生には見えない。

 白井は何度目になるか分からない溜息を零しながら、姿勢を正すように辻本と向き合った。


「会長、明石の処罰ですが……あの、どうかされましたか?」


 右手に書類を掲げながら入室するが、珍しくも仕事の手を止めている辻本の様子が気になったのか、白井は少しずれた眼鏡を直しながら奴に問いかけた。


「いや」


 首を軽く振りながら否定の意を示すが、辻本の様子はいつもと違うように伺える。白井は眉を顰めながら小首を傾げた。

 対して少女――篠田は頭を捻りながら唸り声を上げると、唐突にパッと瞳を輝かせた。


「もしかして黒崎くん風紀委員やる気になった!?」

「いや」


 端的にその期待を完全に打ち消した辻本に篠田は「なーんだ」、と残念そうに肩を竦めた。

 それを横目にしながら白井は一つの可能性を上げてみる。


「……生徒会のことですか?」


 質問をしているようで、実際には確信しているように聞こえるその声色に、辻本は特に感情を示すことなく、吐息を零した。


「あー、そっか! みやびんたち戻ってくるのか!」


 人差し指を天に指しながら篠田が興奮したように奇声を上げる。だが、そんな珍獣はどこ吹く風。まるで彼女が存在していないかのように、白井と辻本は会話を続けた。


「そういえば、明日でしたよね……」

「……ああ」


 再び書類を手に取る辻本はどこか遠くを見つめるような瞳で、再度窓へと視線を走らせた。


「――玖叉くざみやびが帰ってくる」




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