9.勝敗

 ――金城の胸に沸いたのは、殺気のような感情だった。


 殺したい、と思ったわけではない。だが、後悔させてやりたい、と叫ぶ、強く重苦しい衝動が胃の底から這いあがってきた。


 心臓は狂おしい程に脈を撃ち、掌に納まる物を握り潰してしまいそうなほどの力が、何処から来るのか、生まれてくる。


 この感覚を、金城は知っているような気がした。


 あの日、久叉と腕を折られた草地を前にした時のような激情。けど、それとも少し違う。

 少なくとも思考を奪われるような事態には陥っていないし、冷静に状況の判断も出来ている。


 そう、なのだ。激流のように流れる感情を有している反面、脳は正常に、淡々と働いている。

 不思議な感覚だった。まるで、自分が自分ではないかのような感覚。

 焦りも、躊躇も、緊張も、何も無い。あるのは唯、どうしようもない怒りと苛立ちと、を殴り飛ばしたい、と言う切望。


 ――高田を侮辱する明石の言葉は、金城の中で潜んでいた“引き鉄”を引いていた。


 頭の中で駆け巡るのは草地の背中。奴を勝手な憶測で叩き落とした数々の冷たい目。そして、それに対して反論をしなかったあの日の自分。


 跪く高田と蹲る草地の姿が、脳裏で重なり合った。


「……やめた」


「もういいや……あんた、黙んなくて良いよ。

 そのきたねークチ、二度と開けねーぐらいブン殴ってやる」


 ゆらり。痛む身体を叱咤しながら、立ち上がる。

 手のうちのTDを固く握りしめ、室内を見渡す。

 使えるもの、使えないもの。利用できるもの、利用できないもの。

 聞えてくる明石の悪態などお構いなしに、静かに分析を続けた。


 そして再度、何か無いかと己のポケットを探る。


「ブン殴るってさぁ……君、どうする気?」


 未だに金城を賎しむ明石。そこには訝しみの色が見え隠れしており、唐突に変わったように思える金城を、多少なりとも不可解に感じていることが読みとれた。


 ――頭上のバルコニーで観戦している黒崎もまた、同じ心境だった。突如漂いだした異質な空気に呼応するかのように、神経がざわつく。

 だが、周囲の人間はそれに気づいていないようで、負け犬の遠吠えを前にしたような忍び笑いが人垣から聞こえてくる。


 その冷笑の標的である金城は、そんな嘲りなどまるで相手にせず、ただ黙々と手を動かしていた。

 その様子は全員の死角となっていて、確認することは誰にも出来ない。


「……無視か」


 己の問いに答えない金城に、知らず舌打をした明石。ブラッドのくせに、と咥内で吐き捨てながら、忌々しげに目元をひきつらせた。


「いいや、もう終わりにしよう」


 どうでもいい言を誇張しながら肩を竦めると、TDをそろりと上げた。

 カツン、と靴音を響動させながら無機質な床を歩く。進む先はの頭頂部ほどしかない高さのコンテナ

 

 終わったな、と人垣に潜む何人かの人間が漏らした。

 しかし、その浅はかな予見もすぐに覆されることとなる。何故なら、


「、あ?」


 金城が飛び出したからだ。足裏に重心を乗せ、低く体を屈みこませて、前のめりに走りながら、速度を飛躍する。


 予期せぬ奇異に一瞬意識を奪われるが、瞬時に我に返って明石は弾を撃ちこむ。だが、銃口から走った瞬発的な閃光は相手に弾着することなく、下面を跳ねた。


 奔る影を追って、再度数発TDを鳴らせるが、それは函によって阻まれ、見事に外れてしまう。


「こそこそと……」


 まるで溝鼠のようだ。ボロボロの裾を引きずりながら、見っともなく室内を無駄に駆け回る格好は何処までも醜悪で、目障りなものだった。


 学習悪く死角へと隠れた金城を、引きずり出す勢いでTDを連射するが途中で弾が切れてしまい、明石は舌打ちした。


(……こんな時に、)


 ポンコツが、と心中で唾を吐き捨てながら装填動作を手早く済ませる。


(撃ってこないのか……)


 リロードを待つ今こそ隙を突く最大の機会だと言うのに、相手はTDを向けるどころか、其処から姿を現す気配も無い。


 怪訝な顔をしながら、明石は先に鎮座する函を凝視する。


(まさか、気付いているのか……?)


 銃を握る右手とは逆の左手が伸びる先は腰の後ろ。ロングコートの下に隠れるその“獲物”を指先で確かめて、いつでもそれを引き抜けるように明石は体制を整える。

 次の瞬間、


(……来た!)


 函の後ろから金城が顔を出した。左手にはTDを構えており、その銃口はこちらへと標準を定めている、はずだった。


「はっ!?」


 ところが、その放たれた弾は明石を掠めるどころか、見当違いの的を狙っていた。


「なにを、っ……」


 何発も何発も連撃される弾。その意図が分からず、明石は警戒しながら、視線をその“標的”へと動かそうとした。

 だが、それは叶うことなく、突然もたらされた暗闇によって断念される。


「……っえ、?」「うそ、何!?」「ちょっ、な」


 灯が落ちた。


(……まさか、スイッチを)


 どうやら、金城が先ほどまで狙っていたのは訓練室の手動スイッチだったらしい。

 校内の全ての照明は自動オートマチックになってはいるが、一応システムに誤作動などが起きた場合のために、手動スイッチも設置されている。

 己の背後、入り口近くにそのタッチパネルが壁に備え付けられていることを、明石はしっかりと記憶していた。


 恐らく先ほどの銃撃でスイッチパネルに振動を与えて、電源を落とさせたのだろう。


(くだらないことを……)


 なんとも幼稚な手段で来たものだ。

 呆れの息を一つ吐くと、モニタールームへと声をかける。窓越しに漏れる光へと、焦点を合わせながら、視線で友人に指示した。


 確か、モニタールームにもこの室内の照明を可動させる制御装置があったはずだ。

 目交ぜの意味を理解したのか、友人は一つ頷いて、目の前のタッチパネルを操作した。

 照明の動作指示など一度もしたことがないので、多少手間取るだろう。しばらく時間はかかるかもしれない。

 だとしても、問題は無い。明石は再び視線を金城が居るであろう場所へと向けた。


(モニタールームの方から届く光のおかげで、視覚には然程の問題はないし)


 別に闇の中でも、敵の気配は察知できるし、音などで即座に相手の位置を把握できるように明石たちは訓練されている。視界が悪くなったからと言って、狼狽えることはない。

 明石は腐っても三年だ、最終学年なこともあって後輩よりも場数は踏んでいるし、相当な量の訓練を受けていることから、このような状況下に陥っても動揺することは無かった。

 寧ろ、とんでもなくで来た相手に嘲りの想いを抱いてさえもいた。


「君さぁ……馬鹿なの? 照明落としたって、モニタールームのおかげで、完全に見えなくなってないし……大体、こんなの俺には通用しないよ」

『だから?』


 肉声ではない、あの放置された無線機越しに声が届いた刹那、閃光が明石の視界を過った。


「……っ」


(いつの間に……!)


 知らぬうちに金城は移動していたようだ。あらぬ方向から飛び込んできた弾丸を察知して、頭を避ける。

 休む暇など与えないとばかりに、弾は立て続けに発砲された。だが、一年という初心者なこともあってか、奴の腕は微妙なものだった。

 的確なように見えて、実際には弾の軌道はずれているし、躱すには造作もない駄弾だった。


(あそこか、)


 少しずつズレた個所から射撃していることを目敏くも見知した明石は、睨むように目を細めると、素早くリロードが完了したTDをへと定めた。


 パン、と正確に一つの函の隅を狙撃すると、銃撃戦は見事に止んだ。敵は奥に引っ込んだ模様。

 なんとも呆気ないものだ。


「……そろそろ、終わりにしようか」

『……』


 視線の先は、モニタールームの明かりが届かないせいか、真っ暗で何も知覚できない。

 だが、奴は確実に其処に居る。確信を持った明石はコツり、と相手を牽制するようにわざと音を響かせると、右手に握られた銃火器の照準を合わせた。


 銃口が差す先は最後に閃光が走った位置。今度こそ、本当に終わりだ。


 コツりコツり。


 不用意に、相手が待ち構えているであろう場所へと赴く明石。だが奴には、例え金城が目の前の函から飛び出してきたとしても、それを軽く往なして最後の一撃を入れる自信があった。


 金城の実力は十分に理解した。平均よりは少なからず高い運動能力を持っているようだが、結局はそれだけだ。


 例えどんなに優れた武器を有していようが、上等な拳銃を携帯していようが、それを上手く使い熟せなければ意味はない。

 事実、金城は行政高生に与えられた“特典”を使いこなすどころか、その“機能性”を推し量ることも出来ず、TDの能力をドブに捨てている。


 だから、明石は容易くも、金城の全ての弾を避けられたのだ。


『……終わり、じゃねーよ』

「と、言われてもねぇ……君、次の一発で最後でしょう? 俺のカウントが間違っていなければ、もう19発は撃ってるよね?」

『……』

「どうするの? 今からリロードするにも、その前に俺、先に走って君を撃てちゃうよ? 暗くても大体気配は読めるしね」

『……っ』


 カツカツと足を速めながらコンテナへと近寄る。

 低く、唸るように紡がれた音声はどこか悔しげで、少年の限界を露わにしていた。

 それが哀れに思えて、明石は密かに嘲笑った。精神破綻者のブラッドのくせに、何が正しいのかも判断も出来ず、このような世迷言を起こすからそうなるのだ、と。


(こんな風にだけは、なりたくないな)


 心からの嫌悪と蔑みと、勝者としての優越感に浸りながら明石は足を踏み続けた。


 それを上から見下ろす観客は所々、期待に満ちた瞳で終幕の時を待ち望んでいた。

 その中で伊奈瀬は悲しげに眼を伏せ、吾妻は所在無げに目を泳がし、三枝は下階へと直ぐに降りられるよう、後退していた。

 そんな友人を無感動に横目にしながら黒崎は頭を掻いた。


(さっきのは気のせいか……入学早々、胸糞わりー試合ばっかだな、此処は)


 今頃、函の後ろで霧散してしまった勝利へと必死に手を伸ばそうとしているであろう少年の姿を想像して、黒崎は長嘆息した。


 本当にこの学校は碌な事がない。

 錯覚でなければ、入り口付近で棒立ちする高田は悲痛な面もちをしているように見える。

 なんとも後味の悪い試合だと、黒崎は苦渋の表情を曝した。


 カツン、最後の靴音が室内に反響する。明石は既にコンテナの裏へと回っていた。

 重厚な音を鳴らしながら、真っ暗闇へとTDを掲げる。


「流石に5発目を食らうとなるとキツイものがあるでしょ? ギブアップ、とかしたら?」

『あんた……馬鹿か? するわけないだろ』


 途端、銃声が明石の耳元まで駆け抜けた。


「っと、……」


 目先の暗がりから弾が床を走り、足元を襲撃した。

 反射でステップを横へと踏んで、微かに見えるへと銃口を向けて、引き金を引く。


 固いが、床と擦りあうような音を立てながら、後方へと滑っていくのが分かった。弾は的中したようだ。恐らく金城のTDが回転しながら、奴の手元から離れていったのだろう。


「苦し紛れのラスト一発、てか……まったく、往生際の悪い……」


 聞き分けのない子供を前にしたように、眉尻を下げると明石は五、六歩、歩みを進めた。

 さっきはTDに弾を当てることはできたが、金城自身には当たらなかった。

 まるで、ドラマのワンシーンのように、ゆっくりと、指にかかる引き金を引く。


 そうして重々しい銃火器が、澄み渡るようなを奏でながら少年を射る、はずだった。


「え……?」


 ぱちり、とやっと明かりが点いた室内。なんとか照明の作動装置まで辿りつけたらしい明石の友人。

 だが、そんなちっぽけな事など、明石の関心に加わる余裕はなかった。

 何故なら、


「……っ」


 白い光で照らされた空間の中、金城の姿はどこにも無かった。

 目の前にあるのは、床に転がるTD、乱雑に脱ぎ棄てられたガードジャケット、そして例の無線イヤホン。


 確かに此処にあったはずの気配が無いことに明石は恐慌しそうになった。だが、それも一瞬のこと。

 背後にの気配を感じて、僅かに驚きながら、TDを振り向きざまに手早く発砲した。


 その敏速な身のこなしは流石と言うべきだろう。幽霊のように其処に静かに佇んでいたに、的確に弾の軌道を合わせ、閃光を走らせた。

 だが、一息、遅かった。


(弾を避けた……!?)


 微かに体の重心をずらして、弾を躱す金城。その瞬間、瞳孔の開いた双眸が見えた。

 

 ぞくりと、明石の中の危機感の水準が急上昇した。


 脅威まじりの眼光を目にした明石は、条件反射のように弾を連射する。

 だが、次の一手を予測していたのか金城は何の迷いもなく、明石の懐へと踏み込んで、TDを握る手を叩いた。


 発砲した際に起きるTDの反動と、急所である手首への急な打撃によって、TDが滑り落ちた。

 同時に明石のセンサーが断絶的な悲鳴を上げる。


「このっ、」


 逃げるように右足を後退させながら、左足を蹴り上げようとするが、その前に金城に左手で胸倉を掴まれてバランスを失いそうになった。


「――遅せぇんだよ!」


 空気が震えた。鋭い眼光を顕わにしながら、黒い髪が舞う。食い縛られた素白の歯は悲鳴を上げ、それを覆う口角は大いに引き攣っていた。

 恫喝と共に明石の胸元を引き寄せながら、金城は大きく頭を仰け反らせた。そして、

 ――


「っ……」


 鈍い強打音が二つの頭骨の合間から轟く。然程大きな音ではなかったはずなのに、何故か観衆の人間はその鈍音が耳元まで鮮明に流れ着いたような気がした。


 余程強い打撃だったのか、明石は背中から床へと倒れる。

 面白いことに、金城よりも背丈の高い身体は後方へと、そのロングコートの裾を引きずりながら、吹き飛んだのだ。


 一際高い音が明石の制服の襟に飾られた《ターゲット》から響き、真っ白に塗りたくられた明石の思考を現実へと引き戻した。


 途端に激痛が顔を襲い、明石は額を抑える。


 唖然。

 誰もが言葉を失い、静寂が空間を支配する。


 その中で、普段よりも僅かに重く感じられる低音が、少年の口から這い出た。


「立てよ――

 そのきたねー面、高田の前に引きずりだして、床にこすりつけてやる」


 恐々と、現状の掌握をせんがために、少年、金城へと明石は視線を向けた。

 乱れた衣服。埃だらけの格好はみすぼらしく、見っともない。額もいくらか赤く染まっている。


 だが、長い黒髪の下から伺える瞳は、何処までも人を引き込める引力を伴っていた。

 床から見上げるその様は、可笑しなことに圧巻で、明石にとてつもない威圧感を肌で感じさせた。



◆  ◆


 数秒の間を置いて、どうにか呆然自失の状態から回復できた観衆は、再び空間をさざめきで埋め尽くした。


「え、まって」「いまの、なに?」「なにが起きた?」「どうして、」「おい、誰か見えたか?」


 四方八方から飛び出る疑問と動揺の声。

 それを耳にしながら三枝は喉を鳴らした。


「黒崎、今の、何が起きたか分かるか……?」

「気配が消えた」


 二人とも、互いに下の金城たちを注視しながら意見を交わす。


「最後の一発前の、19発目。気配が消えた……多分、その間にあの三年の後ろに回ったんだと思う」

「それは俺も思った。けど、あの最後の20弾目はどうする? あれは確かにあのコンテナの後ろから発砲されたはずだ……その最後の一発の後に、あの数瞬の間に相手に気付かれず、移動するなんて……」


 どう考えても有り得ない、と言いたいところだが、三枝は完全に否定できなかった。

 何故なら、奴は既に知っているからだ。そのような芸当が出来る者を己の同期で一人だけ――。


 だが、金城の今までの行動や動作から推測に、それほどの実力を有しているようには思えない。

 だとすれば、黒崎が申したように19発目で動き始めたと考えることが妥当だろう。だが、そしたら最後の20発目はどうする? 


 あの弾は間違いなく明石の目先から放たれたはずだ。だが、TDが所有者に直接トリガーを引かれることなく、自動で発砲するなんて、できないはず。

 その主旨を黒崎に述べると、奴は淡々と一つの可能性を指摘した。


「TDは確かに所有者以外の手に渡ると、教師以外の人物には使えないようになっている。だが、それは他人の手に渡った場合だ」

「……どういう意味だ?」

「TDは自分の手から離れても作動し続ける。敵の手に渡った場合は即座にロックされるが、俺らからの指示が無ければそのまま状態でいる。あれらは生体の認識をしても、の認識はしないからな」


 未だにその説明の終着点を辿れず、三枝はますます眉を顰めた。そんな奴に助け舟を出すように、黒崎は床に転がる金城のTDを指さした。


 首を傾げながらその指先を追う三枝。すると、目を見開き、奴の言葉の要点をやっと悟ったのか、間抜けにも「あ」、と声を漏らした。

 視線が差す先はTDの引き金部分。その小さな穴には、風船のような何かが息苦しそうに、挟まっていた。


「あれは……」

「ふっくらフグちゃん。夏限定の緑版。マクドのハッピーセットの玩具だ」

「……はあ?」


 何の前触れもなく、いきなり不可解なネーミングが黒崎の口から飛び出したことによって、三枝の声が裏返った。


「ふっくらフグちゃんって……」

「元は大体2センチとか、それぐらいの大きさで、スイッチを押すと、60秒以内に5センチほど膨らむんだ」

「……なんだ、そのくだらない機能。てか、なんでそれ知ってんの黒崎」


 怪しむように三枝が顔を歪めると、黒崎は平然と返した。


篠田しのだ福会長に何故か貰った……」

「……ああ」


 “篠田副会長”という人物が会話に登場した途端、どういう訳か納得したように頷いた三枝。


「確かにあの人、そういうの好きだもんな……」


 その面差しは心なしか、疲弊しているように見える。


 だが、これで頭に渦まいていた疑問を消化できた。

 あの金城という少年は19発目の銃弾を撃ち終えた瞬間、その“フグちゃん”とやらをトリガー部分に予め仕込んでおいたのだろう。

 そして明石が向かった先にTDを放置し、それが穴の中で膨らんで、無理やり引き金を“引く”瞬間を待った。


 そうして、“無人”のTDに射撃された明石は、自然と其処に金城が居ると、背後から迫る奴の気配を察知することができなかった。


「……油断から来た失態、か」


 数分前とは真逆の立場に陥っている明石に、人のことを言えない三枝は冷たい目を向けた。ビックリ箱を暴いてみれば、なんてことはない、短絡的な仕掛けだったのだ。


 三枝も試合の結果を決めつけて、気を緩ませてはいたが、実際にあの明石の立場に立って、金城と真剣に対峙していれば、小さな違和感にも気づいて、即座に対応できただろう。

 一人、納得する三枝。

 だが黒崎はそんな奴に同意せず、小さく――恐らく本人しか聞こえないほどの音量で、呟いた。


「それは、どうだろうな……」


 油断していたにしても、それなりの経験を費やしてきた三年ならもう少し早くに察知できたはずだ。


 むしろ、明石の反射神経は感心できるものだった。本来ならあのまま背中を撃たれて終わるはずだったのに、あの男は瞬時に反応した。


(あの一年……)


 どうやら黒崎が感じたあの悪寒は気のせいではなかったらしい。


 明石だけでなく、己を含む観衆の目を欺いたあの技量には底知れないものがある。

 トリック自体は単純なものだ。だが、それを遂行させ、へと導かせた動作には目を見張るものがあった。


 事実、黒崎自身も騙されたのだから。


 黒崎は周囲の者とは違い、金城を警戒していた。

 あの言いようのないが背筋を走った瞬間、黒崎の中の警戒心は限界値まで上昇したはずなのだ。

 金城の動きを一瞬たりとも見逃すことなく、神経を最大限張り巡らせていた。


 だが、黒崎はその集中を切らしてしまった。


 あの最後の瞬間、金城が我武者羅に弾を連発し、明石と悔しげに会話を交わした瞬間、黒崎は「終わった」と思ってしまった。


 もう、金城に撃つ手は無い、奴は既に限界だ。そう、黒崎は勘違いをしてしまったのだ。

 それは恐らく対峙していた明石も同じだろう。直接金城と相対した奴なら、その違和感に感付き、幾分か気を張っていたはずだ。

 

 だけど、しまった。

 短絡的で、けど何処か緻密なその罠にかかり、誘導され、僅かな感情の動きでさえも利用されて、

 こんな言い方は大袈裟かもしれないが、少なくとも黒崎はそう感じたのだ。


 それに、錯覚でなければ金城は、明石の弾を“避けた”。


(……気配の消し方と言い、あの俊敏さと言い)


 上位成績者とも、己の知る先輩とも、隣の“優等生”とも違う。

 強いわけではない、天才と言うわけではない、特殊と言うわけでもない、


(あれは、)


 ――だ。


 確信に近いその憶測を抱きながら、黒崎は目を細めた。


 試合の勝敗は決したように見えた。

 まだ、二発ほどしか喰らってない明石に対して、既に四発も撃たれている金城。

 それでも金城が敗者として多くの目に映ることは無かった。可笑しなことだ。

 だが、信じられない、と表情で語る明石を見れば、納得できるものでもあった。

 しかし、まだ、実際に模擬戦は終わったわけではない。


 コツリ。


 今度の靴音を鳴らしたのは金城だった。

 無機質な足音を立てながら、明石へと踏み出す。その手には当然のことながら、拳銃TDは握られていない。肉弾戦を始めるつもりなのだろう。

 体格は相手の方が明らかに上なはずなのに、金城に負の感情は見当たらなかった。


 コツリコツリ。


 冷ややかな床の上で、音が綺麗なリズムを刻む。

 一歩、二歩、三歩。そうして何度かステップを踏んで、最後のビートを刻もうとした瞬間。


「……っふっざけるなぁ!!」

「――っ!」


 明石が腰の後ろから、TDのような“拳銃”をもう一丁、取り出した。


「――金城くん!」「金城っ」


 聞き覚えのある少年少女の悲鳴が金城の耳元まで、流れ着く。

 だが、予想できなかったまさかの事態に意識を持ってかれて、それどころではなかった。

 般若のように荒々しい表情をした相手が、引き鉄を引く様がゆっくりと、映る。


 ――パン。


 銃声が鳴り響いた刹那、男の手から拳銃が弾け飛んだ。


「そこまでだ」


 続けざまに起きた不測の事態。突如、横から割り込んできた閃光に金城は目を白黒させながら向けた。

 威圧的にも取れる重低音。忘れたくとも忘れられないそのテノールボイスに室内の誰もが振り返った。


明石あかし宗次そうじ。数々の“マナー違反”と、“機械武器ウェポンデバイス”の不正使用について、話を伺いたい」


 両開きの扉の前に、二人の女性を背後に従えながら、威風堂々と立つ男に、全ての人間が息を飲んだ。

 

 厳格な佇まいに、ピンと伸びた背筋と、鋭い眼差し。ロングコートの襟には行政高校のバッジと共に、風紀委員のバッジが『HEAD』という文字を飾りながら鎮座していた。


 ――行政高校三年。風紀委員会会長、辻本つじもと智久ともひさだ。

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