間章

1. 宇佐美達彦の見解

 8月1日。午前11時10分。

 法務省一角――死刑執行部隊、特別部所室。


 クーラーの冷温が効いた広い空間。モノトーンで統一された室内には幾つかのデスクとスクリーンが並んでいる。灰色の壁に黒いカーペット。どこか物静かで落ち着いた雰囲気が、その部屋には漂っていた。扉と対峙する壁には大きな窓があり、その前には綺麗に整頓された白いデスクと大きな椅子が設置されている。

 外の景色に背を向けるように置かれた墨色の椅子はとても豪奢で柔らかそうだ。そんな豪奢な椅子に、一人の男が背凭れに寄りかかるように、腰を深く沈めていた。


「……随分と、騒がしくなっちゃったね」

「申し訳ありません。私のミスです」


 はあ、と軽い溜息を漏らす男に、眼鏡をかけた男性――釘崎は悔しそうに顔を歪めながら謝罪した。


「いや、君のせいじゃないよ釘崎くん。玖叉くんが遊びすぎたっていうのも、あるだろうけど、そもそも犯人の用意が周到すぎたんだ……Eランクの処刑場とはいえ、実はインスペクターとシステムの一部がどうやってか、ことにも驚いたけど。

 ――まさか、あそこで川に飛びこまれるとはね」

「……川の流れを追ったのですが、祭りがあったのか、娯楽のためにプレジャー船が幾つも出ていたので……」

「調べるにしても、船の撤去には時間がかかるもんね。ざっと、百艘はあったんでしょう? 恐らく犯人はそれも予想してたんだろう。いや、参ったね。お見事としか言いようがない」

宇佐美うさみ隊長……」

「いや、ごめんごめん。だって、まさか君たち三人が出し抜かれるとは思わなかったからさ」


 なんと言えばいいのか、形容し難い表情を向ける釘崎に、男――宇佐美は朗らかに笑った。


「それで、いま法務省中が騒いでいることにお忘れなきよう……」

「うん、わかってるよ。上にも散々怒られたし、最近では私に対してもなにかとグチグチ言う輩が増えだしたからね」

「……すみません」


 バツの悪そうな顔で再び顔を俯かせる釘崎に、宇佐美は手をパタパタと振った。


「ああ、違う違う。別に責めてるわけじゃないから。そもそも、前から上には言ってるけど、皆んな《Dランク》以下の死刑囚に対して警備が疎かすぎるんだよ。あと、人員が少ない。死行隊だからと言って、力を過信しすぎ。便利な力を持っているとはいえ、魔法使いじゃないんだからさ。仕事量と人の数が合ってないんだよ。

 犯罪率が最近さらに低くなってるからと言って、結果に胡座をかきすぎだ。

 《Dランク》以下の処刑中に問題が起きるわけないと、完全に上のボンクラ供は事を軽く見過ぎていた」

「……それでも、責任は殆ど現場に居ながら犯人を取り逃した私にあります」

「だーかーら、釘崎くんは背負い込みすぎだって。仕事のし過ぎで、碌に眠れてないでしょう、キミ。確かに今回のこれは大問題だけど、逆に行政機関の弛んだ尻を引っ叩く良い薬にもなってくれたよ。

 というか、上の彼らのグチグチは、私に嫉妬してるだけだからさ。いつか、ああなるとは思ってたんだよね」


 「ほら。私、若いうえに女性にもモテるから」とさらりと笑顔で言いきった宇佐美に、釘崎は口をひきつらせた。


 確かに宇佐美うさみ達彦たつひこは若い。だが、それは「年齢が」という意味ではなく、法務省の幹部にしては、だ。本来、幹部職には大体四十半ばから六十歳の古株が就くものだ。だがそれに反して、宇佐美は三十そこそこの歳で、幹部席に座っていた。幹部の中で最も若く、歴代最年少と称される歳だ。


 おまけに、奴の席に飾られた肩書きは《死刑執行部隊長》――エリート中のエリートのものだった。《死刑執行部隊》は法務省の要として、選ばれしものたちが集う場所なのだから、そう易々と登りつめられる席ではない。死行隊は畏怖と尊敬の対象であり、良い意味でも悪い意味でも人の注目を集める。そこの部隊長となると、もはや雲上人と呼んでもいいのかもしれない。


 だが、主に恐怖の対象となるはずの死行隊をまとめる奴は何故か女性の間で密かに、熱く囁かれていた。曰く、「怖そうだけど、優しいし、良い……」だそうだ。「何が?」と何度か女性陣に釘崎は問い詰めたくなったが、彼もまだ真面な方とはいえ、周囲から一歩引かれる存在。女性の会話には踏み込めずにいた。


「それで、捜査本部の方は?」

「……残念ながら、何も出てこなかったみたいだ。。髪の毛一本さえも落としてくれなかったみたいでね……玖叉くんが持ってた唯一の手掛かりである《ドール》からも、何も見つからずじまい。中身データが完全に消えてるらしくて、犯人がどこからどの道順ルートを辿って処刑場へやってきたのかさえも分からないんだってさ。

 しかも処刑場の記録係レコーダーもカメラも、全部壊されてるっていうし。

 鑑識もお手上げだよ。本当に何も無さすぎて、神様に悪戯でもされた気分だ」

「……そうですか」

「機械に頼り過ぎた弊害だね。ま、しょうがないさ。ここは玖叉くんに賭けよう」

「それは、まさか複写機ダプリケーターで?」


 複写機ダプリケーター――それは人の記憶にある視覚情報を脳波から読み取って、映像化する機械だ。


「……あの男が協力するとは、思えません」


 釘崎は苦々しい顔で言葉を吐いた。

 玖叉充は、一度目をつけた獲物は決して逃がさない獣だ。

 獲物を他人が横取りすることも、狩の邪魔をすることも許さない傲慢な獣である奴のことだ――断言しよう、あの男は絶対に協力しない。何故なら、そんなことをしてしまえば、自身よりも先に、他の誰かに犯人を見つけられてしまう可能性があるからだ。きっと、《ダプリケーター》の話を持ち掛けても、あの男は即座に切って捨てるだろう。

 その様子をありありと想像できて、釘崎は長嘆息した。


「――いやぁ、それがね。良いって」

「そうでしょうね。あの男はそういう……え?」

「だからね。ダプリケート、協力してくれるって」


 釘崎は仰天した。

 「まさか、そんな、馬鹿な」と否定的な言葉が奴の口から零れおちる。相当、信じられないようだ。それもそうだろう。釘崎にとって、それは天地がひっくり返ったとしてもありえない出来事だったのだから。


「……明日は、槍でも降るのでしょうか」

「……うーん、どうだろうね」


 ――釘崎くん、相当苦労してるんだな……。

 放心したように立ち尽くす釘崎を見て、奴が日頃から味わっている苦労が読みとれた宇佐美は、苦笑した。


(……まあ、押し付けるような形で釘崎くんに任せちゃったからなぁ)


 思い出すのは二年前のあの日。玖叉を初めて法務省に連れてきた時のことだった。


『――宇佐美隊長。この方は?』

『おい、宇佐美。このGeek(ダサ男)は誰だ?』

『――んなっ!? ギッっ……!?』


 英語は一通り理解できた釘崎。初対面で玖叉にその単語を言われたときの顔と言ったら……。


(でもなんだかんだで、上手くやってると思うんだけどなぁ……面倒だったから釘崎くんに無理強いしたわけだけど、これはこれで良かったよね)


 正直な話、当時の宇佐美はただ面倒くさかったという理由で釘崎に『教育係』という仕事を押し付けたのだ。

 入隊してまだ一年と半年しか経っていなかった釘崎には酷な話ではあったが、如何せん執行部は仕事が多い。宇佐美には玖叉一人に構う時間がなかったのだ。


 確かに、色々と揉め事ならぬ面倒事を(主に玖叉が)何回か起こしてはいたが、結果的に釘崎含む二人はちゃんと成長してくれた。釘崎の言う通り、玖叉にはまだ幾つかの問題はある。だが。


「……あの子も、だいぶって奴になってきたんだよね」

「……え?」


 感慨深げに呟く宇佐美に、釘崎は訝しげな顔を見せた。


「大人って……」

「ちょっと癪だけど、犯人には感謝しなきゃね……お蔭であの子は良い経験をした」


 それは息子を見守るような、親の顔だった。端正な顔はどこか遠くを見つめ、口角は緩やかに弧を描いている。

 脳裏を過るのは、玖叉と最後に交わした会話。


『――本当に良いのかい? ダプリケーションしても、』

『しつけーな。別に良いって言ってんだろうが』

『いや、うん、ごめん。あまりに意外だったもので、つい……』

『――確かに『奴』を他の誰かに横取りされるのは気にくわねぇ。だが、今ここで協力しなけりゃ、あいつに追いつくことさえも出来ない。要は横取りされなきゃ良いだけの話だ。誰が捜査に関わろうと関係ねぇ。俺があいつを誰よりも早く見つければいい。だから、協力してやるよ。ダプリケートでもなんでもして、あいつを捕まえてやる』


 今まで単独行動しかしてこなかった玖叉。

 他の誰の言葉にも耳を貸さず突っ走ってきた男が。協調性も何もない、『力』だけを誇示してきた男が、初めて「協力する」と言った。初めて、誰かと捜査に取り組もうとした。初めて、自ら情報提供をしにやってきた。それはとても小さな一歩かもしれない。けれど、それは間違いなく彼の大きな成長の糧となるものだ。


 玖叉充は初めて敗北を知り、己の無謀さを省み、そして気付いたのだ。自身に足りなかったもの、忘れてきた『何か』を――。


 (は大事なものだよ、玖叉くん。決して、忘れてはいけないものだ)


 日差しが差し込む明るい空間の中、宇佐美は一人、ほくそ笑んだ。


「そろそろ、《複写ダプリケーション》を始めている頃かな」

「……マジですか」


 未だに珍妙な顔をする釘崎に、宇佐美は困ったように笑った。




◆  ◆


 一方、警視庁内――鑑識室。


 クッションフロアの床に、白く塗りたくられた広い空間には彼方此方にデスクや様々な機材が置かれており、壁には大きなスクリーンが展開されていた。『Busy』と表示されたスクリーンの隣には開けっぱなしの扉があり、その奥の個室からは男女の話し声が聞こえてくる。


「じゃあ、用意は良いかしら?」

「ああ」


 ――玖叉だ。


 鑑識室の中にはもう一つ小さな個室が設けられており、其処にはなにやらCTスキャナーのような機械が中心に備え付けられていた。背の高いベッドに、そのサイズとは不似合いの大きなヘッド部分には丸い穴が空いている。穴は、ベッドに横たわる人間の頭がちょうど入るような位置にあり、玖叉もそこに頭を寝かせていた。黒いライダースーツのジャケットは脱がれ、男の強堅な肉体が白い半袖のシャツの下から覗いている。


「じゃあ、犯人の顔。しっかり思い浮かべてね」


 玖叉に背を向け、白衣を羽織った女性は目の前のモニターを操作する。

 機械のヘッド部分のライトが緑色に点滅する。《ダプリケーションスキャン》を始める合図だ。

 玖叉はゆっくりと目を瞑って、一人の少年を思い浮かべた。


(ワリぃな……協力するとは言ったが、俺がテメーらにやれるのはこれだけだ)


 ライトが更に淡く灯りだし、玖叉の額を照らす――。




◆  ◆


 ところ戻って死刑執行部隊、部所。


「……やはり、未だに信じられません」

「頑なだねぇ、釘崎“長官”も」

「隊長まで、俺をその渾名で呼ぶのはやめてください……」

「ごめんごめん。なんか似合ってるからさ、ついつい」

「……」


 難しい表情を未だに見せる釘崎。そんな奴を、宇佐美は眉を八の字にしながら笑った。


「まあ、しょうがないか……それより、釘崎くん」

「はい?」


 佇まいを直し、デスクに肘を立てて手を組む宇佐美。上司のその様子に、釘崎は首を傾げた。


「どうかされましたか?」

「君……今回の犯人について、どう思う?」

「……どう、思うですか?」


 突然の質問に戸惑いながらも釘崎は問い返す。それに宇佐美はニッコリと笑みを深めながら頷いた。


「うん。この犯人、っていうかテロリストさんにもそろそろ、他の奴らと判別しやすいように何か名称をつけなきゃと思ってね……」


 「なんか長引きそうな事件だしね」と嘆息を漏らす宇佐美に釘崎は悩ましげに眉を顰めた。今回の死刑囚逃亡事件は《法に不満を持つ者》――『ブラッド』、或いは『アナーキスト』の犯行として捜査が進められている。実際に今回の犯人が起こした騒動はこの国、否、行政機関に喧嘩を売っているようなものだったので、事実、この捜査は長引くだろう。


 今回現れたテロリストの犯罪ランクは未だに決まってはいないが、間違いなく最高ランクになる。何故なら執行部隊に喧嘩を売り、このような勝ち方をした者は今まで一人もいなかったのだから――。

 その上、死刑囚を逃がしたとなるとそれはもう法務省、否、国中が騒ぐほどの問題だ。

 今回の事件は死行隊が創設されて以来、初めての失態だった。おかげで、部所のスクリーンには山積みの始末書データが詰まっており、釘崎は頭を抱えていた。今度のテロリストは本当に


「……隊長は、どうお考えで?」

「危険だね」


 即答した宇佐美はボスン、と背凭れに再び寄りかかった。


「《Cランク》以上のところと比べれば、警備が雑な、セキュリティーの更新も碌にされてない処刑場とはいえ、誰にも気づかれないうちに機械システムを破壊していたんだ――一体、どうやったのか分からないけどね。

 そのおかげで、一部のセキュリティーにも弊害が出て、釘崎くんたちの動きも阻害されたわけだし……本当に神様がなんか力を貸してたんじゃないかって、疑いたいくらいだよ」

「……」

「でも、一番の問題はそこじゃない」

「……はい」


 そうだ。問題はそこじゃない。

 問題は、最後に犯人が処刑場へ侵入してきたことだ。


「玩具を使っての犯行、その発想、垣間見える理念……間違いなくこの国に大きな害となる影響を及ぼす人間だ」

「……犯人が使った道具の件ですが」

「それなら、心配ないよ。既にメーカーと商社の方には圧力と規制をかけてある。後は向こうがなんとかしてくれるだろう。他の部署も色々と動いてるみたいだしね……」

「……」

「それにしても本当に驚いたね。まさか、玩具をあのように使うとは。

 私でも、思いつかなかったよ……一体、どうやってそんな発想に至ったのか」

「……外部、他国の者でしょうか?」

「可能性はあるね……最近、外からの『害虫』が増えているようだし、その一つかな。でも」


 キィ。回した椅子が音を立てた。それを聞き流しながら窓の景色へと視線を移す宇佐美。窓の硝子には無機質な瞳が映っていた。


「一つ、気になることがある」

「……なんですか?」


 椅子の背を見つめながら、どこか恐々とした様子で釘崎は伺った。


「なぜ、彼は玩具を使ったんだろう?」

「……え、」

「愉快犯という可能性も確かにある。だが、資料を通しても彼の必死さは垣間見えた」

「……」

「玖叉くんが前に言っていたように、我々の知るテロリストではなく……つまり。一般人、の可能性も否めないんだよね」

「……それは、」


 いくら、なんでもありえないだろう。

 唖然。玖叉の件よりも信じがたいその事実に、釘崎は言葉を失くした。


「可能性だよ、ただのね。

 一応、草地巴くさぢともえくんの身辺を軽く調べたけど、どれもこれも健全な市民って感じで、犯罪を犯す予兆のある人間は居なかった……それにまあ、じゃあ爆弾はどこで手に入れたんだよって話だしね……まあ、玖叉くんのダプリケーションがあればどうにか見つかるかもしれないけど」

「一応篠田に直接、身辺調査をさせますか?」

「うーん、篠田さんの能力は確かに犯人を見つけるのに適任かもしれないけど……あの子も忙しいし。それに、それで見つかるとは限らないからね。それは最終手段にしよう」

「わかりました。では、一応連絡だけはしておきます」

「うん、お願い」


 キィ、再び釘崎へと振り向く宇佐美。その顔には相変わらず笑みが貼りついていた。


「ところで草地くんの件だけど……やっぱり見つからない?」

「はい、」

「ここまで来て見つからないとなると、日本を出たってことになる、か。外へ逃げられたとなると協力者が居る可能性もあるよね」

「恐れながら……」

「はあ……今回は本当に問題が山積みだ。おかげで、国のを沢山見つけちゃったし」

「そこは、公安課や他の者たちに任せるしかないかと……今回のことで機関自体がシステムについて見直すようですし」

「うん、まあ。そこは実際あんまり心配してないんだけどね。これで皆、死刑執行部隊ぼくらに仕事を全部押し付けず、《Dランク》以下の処刑場の警備も改めてくれるみたいだし……問題のは、犯人だよ」

「と、言うと?」


 不思議そうな顔をする釘崎。宇佐美は肩が凝ったと言うかのように首元を叩く。


「さっきも言ったようにさ。もし。もしもだよ。もし、一般人だったら……どこかで、普通に生活しているってことだよね?」

「……!」


 その言葉に釘崎も遅れて気付いたようだ。今更気付いた事実に思わず額を抑えた。本当に最近の自分の勘は鈍い。


 この国のどこかに、そんなが居たとしたらそれは危険なことだ。いつ、どこで、誰に被害が及ぶかは分からない。だが、問題はそこではない。


「今のところ、築嶋くんが調べてくれた人間は皆、《健全なる精神》を持った善良市民だった」


 本来、テロリストの類は元から『ブラッド』と識別される人間であり、その普段の奇行から『凶暴性』は幾らでも垣間見えた。彼らは必ずを犯罪者になる前から起こしているのだ。だからこそ、日本が認識している殆どのテロリスト、及び犯罪者は直ぐに国家に登録された個人情報こじんデータを通して見つけられた。それはつまり、犯人の顔も年齢も性格も全て把握できてしまうということだ。犯罪者が誰かなんてあっという間に分かる。


 だが、今回はそれが出来ない。『ブラッド』らしき人間が今の所、草地の周辺に見当たらないからだ。それはつまり、犯人は己のその『非常識な考え』を上手く隠し通せていることになる。

 大衆に紛れ、人知れず犯行を起こせる犯罪者。それは正に――。


「見えない敵、ですか」

「うん、そうだね。もしも本当に彼、或いは彼女が一般市民だったとしたらすごいよ。よくあんな巧妙な発想をし、あんな犯行を人知れず起こせた。こんなに沢山のがある中で――」


 くるり、椅子を一回転させて宇佐美はもう一度窓の外を見た。外には幾多ものビルが並んでおり、20階という高さにある宇佐美の部署からは都市が小さく見えた。目を細め、静かにその薄い唇を開く。


「間違った玩具の使い方。間違った思想。間違った行い。すべてに関して間違っている彼は、この国に見事なまでの反逆行為を起こした。それは何処までも大胆で、何処までも無謀だ……だから私はを表して彼を、こう呼ぶよ」


 くつりと、宇佐美は喉を鳴らした。

 そこにあるのは愉悦か、はたまたは別の何かか。何にしても、宇佐美は最初から《やつ》の呼び名を決めていたかのように――するりと、その名前を口にした。


「偉大な大空け――反逆者、『リベル』と」


 決定事項のように口にされた呼び名に、釘崎は眉を顰めた。


「それは……」

「安直な名前かい? そうだね、そうかもしれない。確かに他のテロリストたちも反逆者と呼べるだろう。でもね。私には彼、或いは彼女がその代表者に思えるんだ」


 何故、そう思ったのかは分からない。だが、宇佐美は直感していた。この事件のテロリストこそが世界の、この国に生きる者が信じる常識を壊しかねない『反逆者』だと――。


「こんな大事件が起きたのに、僕らは犯人のことを何ひとつ掴めていない。人の目も、機械の目も馬鹿みたいにあるこの国で、ありえないくらいに、


 それこそ――事件が、なのではないかと錯覚してしまいそうなほどに。

 一見雑な犯行にしか見えないのに、実に巧妙に、鮮やかに、事が進んでいた。

  鑑識課からは、まだ全ての鑑識結果が出たわけではないから、なんとも言えない。

 だが、色んなところで、犯人にとって実に都合の良いように、何かが起きていたように宇佐美は感じた。

 いつのまにか破壊されていたセキュリティーシステムは、どうやって破壊されたのか。どうして未だに犯人の手掛かりを何も掴めないのか。

 まるで見えない力が働いて、犯人を隠そうとしているかのようだ。 


「――僕らは一体、を追っているんだろうね?」


 小首を傾げながら問いかける宇佐美。問いかけた相手は釘崎か、自分自身か――どこか遠くを眺めるような瞳を前に、釘崎はたじろいだように口を開いた。


「……それは、」

「なーんてね! ま、見つからないもんはしょうがない。見つかるまで探すしかないよね」

「……は?」

 

 パッとおちゃらけたように笑う宇佐美に、釘崎の眼鏡が鼻からズレ落ちた。

 今、とても緊迫感に満ちた空気が漂っていたはずなのだが……まぬけな鼻歌が聞こえてきそうなほど明るい宇佐美の声によって、完全に霧散していた。


「――それにしても遅いねー。玖叉くん。そろそろ終わってもいい頃なんだけど」


 壁にかけられた針時計を見て、言葉をこぼす宇佐美。どうやら玖叉には、事が終わったら直ぐに此処に来るように指示していたらしい。玖叉の名前にハっと放心していた意識を引き戻された釘崎が、「そういえば」と後ろの扉を振り返った。


「何時くらいに始めたんでしたっけ?」

「うーん……もう一時間は前になるかなぁ」


「――何がだ?」


 ガチャリ。二人の会話に割り込むように扉が開いた。その向こうから、ライダースーツを着た玖叉が現れる。不躾に見えるその態度に釘崎は嘆息を漏らす。


「……あなたの複写ですよ。それで? 出来たのですか?」

「ああ、ほらよ」


 ズカズカと室内へ踏み込む玖叉。手をポケットに突っ込みながら歩くその様は気だるげだ。

 カチャり。小さな《メモリーデバイス》が宇佐美のデスクへと放り出された。


「ご苦労さま。ありがとうね」


 にこやかに玖叉に礼を述べると、宇佐美はその丸いデバイスに手を伸ばし、指でそれを二度たたいた。

 すると、淡白い光を灯しながら、デバイスから新たなホログラミックスクリーンが浮かびあがる。視界に映ったその姿に、釘崎と宇佐美が感嘆の息を漏らした。


「これは、」

「へぇ……この人が犯人?」


 映し出されたその男の色は、黒。

 上も下も、髪の色も全て涅色で、フードの下に隠れたその眼は少し眠たげに見えた。鼻は高く、仄かに赤く染まっている。真黒な髪は可笑しなことに二つに分かれていて、それは角のように天へと聳えていた。不敵に笑みを携える口元には、長い顎が存在を強調している。


「……なんというか、個性的だね」


 ポツリ。呟くように言葉を漏らした宇佐美の視線の先にあった男の名は、オヤビ●。――九十年以上も昔の某海賊漫画、その登場人物の一人であるノロノロ野郎の顔だった。


「――っって、コレっどう見たって仮面だろう!?」


 晴れた空の下。釘崎の怒号が法務省の外まで響き渡った。



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