2. 高校受験、決めました
――夢をみた。
それはとても暖かい夢だった。草地がいて、伊奈瀬がいて、爽太くんが笑っている、そんな夢だった。自分が相変わらずのように馬鹿をやって、それを三人が笑う。
それは懐かしいような、切ないような気持ちを金城に味わせた。
晴れやかな笑顔を見せる爽太くんがこちらへと駆け寄ってくる。伊奈瀬も一緒だ。
――草地?
だが、あの仏頂面の幼馴染がこちらへと近寄る気配はない。金城は怪しむように彼を凝視した。すると、
――草地!
奴の体が透けだした。金城は焦った。消える、このままでは草地が消えてしまう。
急いで手を伸ばす。だが、それは間に合いそうになく。
――草地!
ブワリ。今にも消えてしまいそうな草地を闇が襲う。それはそのまま金城の視界さえも覆い、金城は恐怖した。
だが、次の瞬間。
「くさぢいいいぃぃぃ! って、……あれ?」
真っ暗な視界が開けた。目の前には染み一つない真っ白な天井と、丸い電球。そして伸ばしたままの自分の腕。
「……ゆめかよ」
先程の光景が唯の悪夢だったことに安堵し、金城は大きく溜息を吐いた。なんだ、とベッドの上で寝返りをうつ。
そうして、ふかふかの布団に包まって思考した。
(……もう、一週間は経つんだよな)
あの事件から一週間。正確には八日。
あれから金城はひたすら家に籠っていた。
学校は既に夏休みに入っている。通学する必要もなく、友達との予定もなく、金城は一人、何もせずにただボーっとしていた。
草地を助ける際に、自身のエネルギーを全て使い果たしてしまったような気がして、何かをする気力が湧いてこなかったのだ。本屋である自宅の店番などはしているが、客の数は疎らで特にすることもない。
「
扉の向こう側、階段の下から母の声がする。金城は未だに回らない頭でベッドから這い出た。向かいのクローゼットの鏡に映る自身を見て、目を細める。
(髪、すっげぇボサボサ……まあ、いいか)
大口を開けながら欠伸をする金城。ボリボリと腹を掻くその様はまるでオヤジのようだった。
ぼんやりとした顔で部屋を出る。トントンとゆっくりと階段を下りて、すぐ傍の居間へと顔を出した。入ると其処には仁王立ちした母がいた。
「ちょっと、なにその格好? もう十一時よ?」
「今は夏休みなんですぅ。別に寝てていいんですぅ」
拗ねたように口を窄めながら講義する金城。
その格好はだらしなさ満載の、シャツにトランクスという出で立ちだ。その姿を見て、金城の母親は困ったように息を吐いた。疲れたようにスタスタと台所のカウンターへ戻り、息子へともう一度振り返る。
「まったく……とりあえず、ほら。こっちに来て食べなさい。もう用意できてるから」
「……はい」
草地の死刑執行日から八日。
処刑に関する情報は、一切流れていなかった。理由は不明だが、どこのテレビ局も電子新聞も、そのことについて一切触れないのだ。プッツリと切れた話題に国民も困惑している。「一体、何が起きたのだ」と。
金城も他者同様、訝しんでいた。
あれほど大規模な事件を起こしたのだ。なのに、なぜ何も報道されていない? 行政機関がなにか噛んでいるのか?
金城はずっと不安だった。草地と別れを告げたときは強気でいられたが、実際にははこの先の生活のことを危惧していた。警察に見つかったらどうしよう、と何度も弱きな声が頭の中で呟く。
暗闇の中とはいえ、玖叉には顔を見られてしまったのだ。
もしかしたらモンタージュ写真を作り上げられて、指名手配をされてしまっているかもしれない。
それが怖くて金城はずっと外に出れなかったのだ。自室に篭もり、食事の時だけ顔を出し、殆ど動こうとしなかった。
だが、そんな金城を母は咎めたりはしなかった。必要以上に口を出さず、毎日普段通りに接してくれた。それは、金城にとっては有難くもあり、申し訳なくも思えた。
先日の外泊にしたって、そうだ。草地の処刑日に、友達の家に泊まると突然電話だけして帰ってこなかった息子に、必要以上に何をしていたのかなどと聞いてくることはしなかった。金城が草地に関して相当滅入ってたことは知っているから、おそらく、気を使ってくれたのだろう。
(ありがとな……母さん)
スゴスゴと台所と隣接した居間の食卓へと向かう金城。
テーブルの上には既にお味噌汁と白米、鯵の塩焼きが置いてある。それの芳しい香りを嗅いだ途端、腹が鳴きだす。じゅるり、口から漏れそうになる唾を啜って、席へと着いた。
すると珍しく母が嘆息を漏らす。
「まったく、あんたはこんな大変な時に……」
「大変……? 何が?」
突拍子もないことを言われて金城は首を傾げた。本の在庫はまだ沢山あるし、客だって忙しいと言えるほど来ていない。母は一体なにを大変だと言っているのだろうか?
金城は眉を顰めた。
そんな金城を母はどこか複雑そうな顔で見つめ、次にリモコンでテレビのスイッチを入れる。
『尚、《
「……」
目の前の
黒いフードに異様な仮面。気のせいか角のようなものが生えているように見える。
ダラダラダラ。汗が滝のように額からと流れ落ちた。
「……お、」
(おっれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?)
思わず喉から悲鳴が、スペイン語のような叫びとなって、飛び出そうになった。
からん。箸が手から滑り落ちる。
唖然とスクリーンを見つめる金城。そんな奴を横目に金城の母は憂いたように喋った。
「草地くん執行直前に攫われたみたいなの……びっくり、したわよね。行方が分からないみたいで……でも、死体は見つかってないって! 大丈夫よ、きっと! だからあんたも元気だしなさい理人!」
励ますように言葉をかける母。拳をぎゅっと握って金城の肩を叩く。どうやら彼女は金城が草地の身を案じていると誤解しているようだ。
「……」
金城の口がタコのように窄められる。眼球は血走り、今にもその瞼から飛び出そうだった。
(いやぁ生きてますよ!? 超無事ですよ!? ってか、何ィィィ!?)
突然の事態に金城の肩が跳ね上がった。心臓は早鐘を打ち、思わず胸元のシャツを握る。
(なに、とうとう来ちゃったわけ!? てか、なんでその写真出すのォォォォォお!?)
眼前へと突きつけられた現実に金城の頭はパンクした。
(いや、予想はしてたけどさぁあ? けどさぁ……え? マジ? もう完全大放送? てかリベルって何? 誰だよ、そんな格好いい名前つけたの……)
無茶苦茶だ。要領を得ない言葉の羅列が思考の中で組み立てられ、金城は更に困惑した。
(あれ、でも……あの写真使ってるってことは俺の顔、バレてない?)
その事実に気付いた金城は、一筋の光明が差したような心地を覚えた。自然と体から力が抜け、椅子の背へと凭れ掛かる。
(……おれ、まだ首つながってる?)
はあぁ。潔く理解した己の現状に金城は長い息を吐いた。助かった、俺はまだ日常を生きられる。不覚にも涙が出そうだった。
「……理人」
「わるい母さん。大丈夫だから」
顔を上げて母に笑いかける。自分はまだ大丈夫だ。
その意味が伝わったのか、母はホッと安堵の息を漏らし、微笑んだ。
「そうね……草地くんなら大丈夫よね」
どうやら母も随分と草地のことを心配していたらしい。金城は今更ながら、母親の目の下に小さな隈が出来ていることに気付いた。
(……馬鹿か、おれ。母さんだって気にしてないわけがないのに……)
己を恥じた。本当に親不孝な息子だと自分を叱咤しながら、気分を入れ替えるように再び箸へと手を伸ばす。
「あー、と、じゃあ……いただきます」
「はい、どうぞ」
太陽の眩しい光が窓を照らしつける中、金城は一人、朝食に手をつけた。
◆ ◆
「……はあ、」
朝食を食べ終え、ソファで寛ぐ金城。調子にのって、白米を五杯もおかわりしてしまった。
げふり。口から下品な吐息が漏れる。
「あー……」
――しかし、これからどうしよう。
世間が反逆者事件で騒いでいる中、下手な行動は起こさない方が良いのだろうが、何もしないのもどうかと金城は思った。長らく何もせず、ベッドに籠っていたせいもあるのだろう。体が妙にソワソワしてして落ち着かない。
(……そうだ、伊奈瀬)
ふと、大切な彼女とその弟の存在を思い出して、金城は腕輪型の端末で今日の日付を確認した。
(……会いに、行くべきか)
脳裏を過る彼女の最後の姿。
チクリ。胸を小さな針で刺されたような気がした。
(……草地のこともあるし。でも、急に押しかけてもな)
もう一週間も会っていない彼女。優しく、繊細な少女は今どうしているのだろうか。草地に仄かな想いを抱いていた彼女はこの事件をどう思っているのだろうか?
知らず知らず、金城はその答えが知りたくなって、端末へと手を伸ばした。
件名:こんど会えませんか?
たった一文。それだけ書かれたメッセージを見て、金城は呆れの息を吐いた。
「阿保か……おれ、」
(普通、お元気ですか? とか、 具合はどうですか? と労りの言葉とかいれるだろう……いや、敬語じゃなくてもいいんだけどさ。いきなり会おうってのは無いだろ)
だが、送ってしまったものはしょうがない。後で小さな謝罪と一緒にメッセージを送りなおそう。金城は思考を放棄するようにソファへと背中から倒れこんだ。
「あー……」
「ちょっと、理人。だらしないわよ……暇なら店番てつだってちょうだい」
いい加減、金城のそのだらしなさに飽きてきたのか、母親が居間へと扉から顔を覗かせていた。
それに対して金城は何もすることないし、別にいいかと彼女の言葉に従って、ソファから降りた。
◆ ◆
からからと窓の引き戸を開けて、空気を入れ替える。蝉の鳴き声が鼓膜を揺らした。
夏だな、なんて金城は感慨深く思いながら自動ドアを潜って、熱く焼けるアスファルトの地へと踏み出した。外はやはりジメジメとしていて、蒸し暑い。
本屋の名前は『KANAGI BOOKSHOP』。金城の姓をただ取ってつけただけの安易な名前だった。特に他意はない。外装は昔の本屋と大差なく、シンプルだ。特になんの工夫もされていない、白抜きの文字の看板が入口の屋根に飾られている。
「理人」
ボーっと金城が看板を見つめていると目の前の引き戸が開いた。同時に店内のひんやりとした空気が流れ出て、気を抜くように息を吐く。
「なに?」
「悪いけど幾つか本の整理するの手伝ってくれる? 今朝入荷したんだけどあまりにも多すぎて」
「わかった」
「参考書とか入ってるから必要だったら持っていきなさい」
「……いや、必要ねーよ」
「夏休みの補習があるくせに?」
金城は思わずげっ、と声を漏らした。正直そのことは忘れていたかったのだが、どうやら母は目敏くも覚えていたらしい。呆れたように視線を投げる彼女に金城は目を泳がせた。
「……あんた、ちゃんと進学できるの? お願いだから高校に上がれなかったとか、そういうのはやめてね?」
「……あい」
金城が通う世田谷中学は付属中学なので自然と高校に上がれるはずなのだが、あまりにも金城の成績が悪いため、このまま進学させるのはどうかと教師の間で問題視されているのだ。つい先日、そのことで母は電話を貰っていた。
「ちょっとでも良いから勉強しなさいよ 」
「イエス、マム。とりあえず百均の本をなんとかしてきマス。」
億劫そうに敬礼をして、トボトボと店内へと戻る金城。そんな少年の背中を傍目に、金城の母は嘆息を漏らした。
「まったく……どこで育て方を間違えたのか」
最近やたらと奇行が増えてきた息子を見て、金城の母は頭を抱えそうになった——。
♦︎
KANAGI BOOKSHOPは普通の店よりも広く、他所とは少し変わっている。——というのが、紙媒体の書物が多いのだ。
店内には幾つかの書架があり、其処にはズラリと紙媒体の本が並んでいた。飾られている本は殆どが古書だ。百年から九十年代物の書物が沢山ある。今でも古書を好む物好きな人間や、歴史を学ぶ学者のために仕入れたものだった。
何冊かは綺麗な状態を保ってはいるが、やはり古い紙特有の湿った匂いは隠せない。
古本屋に近いものにはなりつつあるが、書店にはちゃんと最近出版された電子書籍も置いてあった。その証拠に店先には宣伝用のホログラミックスクリーンや、《Bshuffle》に小説をインプットできる機械も設置されている。機械はセルフサービス方式で、その台の上に《Bshuffle》の端末を置けば、欲しい書籍を勝手に購入できるようになっていた。
他にもカバーデザインが施されたスクリーン型の書籍が手前の書架に並んでいるが、こちらはもちろんセルフサービス式ではないので、カウンターで会計を済ませないと購入はできない。
「よっ、と……」
百円均一の本が詰まったワゴンを外の軒下に設置した後、金城は店内の通路に積まれた書籍を拾い上げた。
「これか、入荷したってのは……」
軽く二百冊ほど積み上げられたそれを見て、肩を落とす。
「……めんどくせー」
スクリーン型のそれのカバーを確かめて、ジャンルを分けていく。
「これは、恋愛もので、これはホビーで……これは参考書か……」
出来れば目を背けたいが、何冊もの参考書に目を通す金城。気のせいか段々とその目は虚ろになりはじめていた。
「……やっぱ、留年しちゃ……だめだよな」
それはかなり恥ずかしいことだ。後輩と同じクラスになるのは苦痛であり、ある意味屈辱的な体験だ。最悪の未来を想像して金城は頭を振った。そんな時だった。
かたり。拾い上げたスクリーンの下から——ある参考書が姿を現した。
「……
行政高校――正式名を『
この学校に入学を許されたということ自体がエリートということであり、それを知らないものはこの国には居ない。もちろん、金城も含めて――。
「……あいつらみたいなのが、ココにも居んのかな」
『あいつら』――それは恐らく死刑執行部隊のことを差しているのだろう。彼らもまた、紛れもない『機関士』だ。国を守り、民を救い、秩序を作り上げる者たち。それは日本国民の憧れであり、数多くの者たちが目指す地位でもある。何故なら機関士こそが国家の《力》の象徴であり、《顔》そのものなのだから。
(——もう、俺にあんな無茶はできない)
玖叉と戦い、犯行を起こしたときの記憶が金城の脳裏を過る。自然とスクリーンを握る手が震えた。
(草地にはこの国を変えるって言ったけど……もう、あんな思いをするのはゴメンだ)
ぎゅっ。瞼に力が篭もり、目が固く閉じられる。
情けない。金城は己を恥じた。
あれだけ啖呵を切っておいて、この様とは、なんと情けない男なのだ、自分は。
(……でも)
――『消えねーんだよ。思い出も、想いも、この感情も、全部。もし、それが本当に全部消えてしまうのなら、残るのは後悔だけだ』
あの日。草地を助けに向かおうとした時、自身が口にした言葉を金城は思い出した。
「……俺は、もう後悔したくない」
もう自覚している。自分は『ブラッド』だ。この国の法を受け入れることのできない為らず者。この先、それを抱えて生きてゆけば、自分はきっとまた『同じ思い』をするのだろう。その時、今回のように誰かを助けられるとは思えない。何故なら金城にはその力が無い。
知性も体力も権力も、何も、持っていないのだ。
(……それでも俺は後悔をする。今度こそ誰かを失ったら、俺は間違いなく自分の無力さを責める。あーしておけば、こうーしておけば良かった。
絶対、そう言うんだろうな……俺は)
自分のことだから、分かる。誰かを失ったとき、きっとまた己の過ちを悔い、グダグダといつまでも自身を責め続けるのだろう。
(そんなのは、絶対にいやだ)
ギリ。知らず奥歯が悲鳴をあげる。思考するのは、この国を変える方法。自分が選べる最も安全で、最善な道。リスクはある、だが。
(この国は、内側から変えるしかない……)
パキりと、握りしめたスクリーンが不穏な音を立てた。だが、金城は気にせず立ち上がった。——どうせ、この参考書は売り物にしないのだから。
「——理人? どうしたのそんなとこでボーっとしちゃって? って、作業まだ終わってないじゃないの」
背後から母に声をかけられた。言葉には呆れの感情が滲んでいる。だが金城はそれに構うことなく、口を開いた。
「母さん」
「なに?」
様子の可笑しい息子。腹でも壊したのだろうかと金城の母は表情を曇らせた。今朝、賞味減の切れた鯖を入れたのがいけなかったのか。腕の中のスクリーンの山を抱えなおして、息子の言葉を待つ。すると。
「俺、
「……」
沈黙。静寂が空気を支配した。母親の顔は曇ったまま、固まっている。
「……え?」
数分か、或いは数秒か。潔く息子の言葉の意味を理解した母は困惑した。
「……あんた、そんなに成績が悪いの?」
やっとの思いで出た言葉は、それだった。
「……駄目よ、諦めちゃあ」
「違ぇよ」
段々と濁り始めた母の瞳を見て金城はツッコんだ。確かに己の成績は、今のところ酷くはあるが、そういう理由ではないのだ。
金城は長時間おろしていた腰を上げ、痺れはじめた足を伸ばした。すくりと立ち上がって母と向き合うように姿勢を正す。
琥珀色の瞳と、オニキスの視線が交わる。
「俺、行政高校を受験する」
「……、」
——瞬間、スクリーンの割れる音がした。
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