13.決着

 午後六時五十五分。江田処刑場、裏倉庫。


 静寂が空間を支配していた。

 中は相変わらず薄暗く、灰色の床は大きく罅割れ、幾多もの屑が彼方此方に散らばっている。

 その中心で――銀髪の男が一人、静かに佇んでいた。

 トントンと靴先で床を叩き、次いで非常口の傍に立つ二人の少年たちへ視線を寄越す。その双眸には鋭い眼光が宿っており、二人は思わず怯んだ。微かな怒気が男から放たれているような気がした。


「……おい、fucking brats. Let’s just stop this stupid game(糞ガキ共、もうこんなお遊びは終わりにしようぜ)」

「……」


 流暢に紡がれた男の言葉の意味を僅かに理解した少年――草地は静かに息を飲んだ。


「……言っている意味はよく分かんねーけどさ。まだ、終わってねーよ」


 その隣で、黒髪の少年――金城は静かに男へと言葉を返す。少し強張ったように見えるその顔に諦めの兆しは無い。むしろ、何かを待っているように思えた。


「……ああ? 何言ってやがるIdiot。もう、お仕舞だ。こんなくっそくだらねえ茶番劇はな」

「……終わりじゃねーよ」


 銀色の髪を乱暴に掻き混ぜながら、男――玖叉は呆れたように長嘆息した。


「……お前、馬鹿なのか?」

「馬鹿はあんただろ」


 気丈に玖叉と会話を続ける金城の目には未だに強い意思が灯っている。


「聞こえねーのか? この音が」

「……音?」


 ――


 それは蝙蝠が鳴いているような、金属が折れるような高音だった。

 耳元まで流れ着いた異質な音に玖叉は眉を顰めた。


(……どこからだ?)


 薄暗い倉庫の中、どこまでも反響するその音を追うように視線を回す。右でもなければ、左でもない、だとすれば――。


(まさか……!)


 一つの可能性に行き着いた玖叉は瞬時に天を仰いだが、時既に遅し。

 ブチリ。何かが切れる音がした。


「……っ!」


 けたたましい音と共に衝撃が再び床を襲い、埃が宙へと舞い上がる。

 飛び舞う埃に、金城たちは咳き込んだ。線香の匂いが室内に充満している。

 そうしてしばらくして煙が収まり、視界が段々と冴えてくると、先ほど地を襲った大きな影が姿を現した。


 ――照明だ。


 以前から不穏な音を立てていた照明がついに落ちてきたのだ。幸い電球は取り除かれていたのか、火花が起きることもなく、大参事にはならなかった。

 だが、その下には一人の男が埋もれていた。


「……な、んで」


 下半身を巨大な円盤に潰された玖叉はうめき声を漏らした。

 幾ら照明やそれを天井へと繋げるワイヤーが古くなっていたとしても、頑丈な炭素繊維で出来ているそれが、切れるはずがない。なのに、何故――。


 。何かが玖叉の上、否、照明の上を走り回る音がした。それはやがて玖叉を潰す円盤の上から飛び降り、奴の前へと姿を現す。


「……は?」


 ――ネズミ?


 灰色のボディをしたそれに毛は生えておらず、滑らかな肌からしてロボットであることは推測できた。胴体には小さく「Cheese Grainer(よく切れるチーズおろし器)」と文字が描かれている。

 きらり。その小さく愛らしい口から覗く歯が、煌めいた。


(……まさか、)


 鋭い凶器を目にした途端、玖叉はありえない推測を立てる。


「それ、本当によく切れるからさ……忍び込ませておいたんだよ。あんたが来る前に天井にな」


 ――思ったより時間はかかったけどよ。


 溜息交じりに言葉を重ねた金城に、玖叉は唖然と視線を向けた。

 金城は説明してやった。ネズミがいつからワイヤーを噛みはじめ、どうやってあれほど頑丈な鉄を千切らすまでに至らせたのか。


「さっきの、踵落としの衝撃で、倉庫全体が揺れただろ?」

「……まさか、」

「それを利用させてもらった」


 幾ら噛んでも玩具のネズミには限界がある。金城はそれを考慮し、玖叉の怪力を働かせたのだ。

 実際、玖叉があの地震のような震動を起こした瞬間、照明は大きく揺れ動いた。左右へと振り子のように勢いよく揺動したそれは一本一本のワイヤーを途切れさせるほどの力を持っていたのだ。


 金城には見えていた、少しずつ少しずつ傾き始める照明が。だからこそ奴はあの化け物ような男を前にしても、気丈に振る舞えたのだ。


「……じゃあ、てめーは分かっていたって言うのかよ? 粉塵はカモフラージュで、こうなることが……俺がこの倉庫に大きな衝撃を与えることを全部予想して、俺を誘導したっていうのか?」


 それは疑わしい事実だった。能力ワイズを有してもいない、唯の子供に己の動きが読めたなどありえるはずがない。

 顔をますます歪ませる玖叉に金城はほくそ笑んだ。


「そうだな、あんたがそれを教えてくれたからな。ロザリオが機械だって言うことも、俺がまた『火』を使うことを予想していたことも、そして、あんたがそういう場面に対していつも馬鹿力を働かせていたことも」

「……なんだと?」


 玖叉の目が細まる。この少年の言っていることは、おかしい。自分は奴に情報を漏らしたこともなければ、ヒントをやったこともない。


「あんた、『ハンデ』与えすぎなんだよ」


 ごそり。金城は背中のリュックから一つのイヤホンを取り出した。


「なんだそれは」

「イヤホン。Robotics Doll専用のサウンドビジュアル」

「ああ?」


 意味不明な単語を耳にした玖叉は、徐々に眉間の皺を増やしていった。


「ホビー型のロボットだよ」

「……!」


 やっと合点がいったのか、玖叉の目が限界まで開く。そして未だ動く腕を自身の懐へと伸ばして、ある物を確認しようとした。

 黒いジャケットのポケット越しに感じるのは角ばったプラスチックのような感触。よく触れてみると形状からしてそれは間違いなく人形――処刑場に来る前、初めて金城と接触した際に玖叉が仕舞っておいたロボットだった。

 それに気づいた玖叉は、やっと思いだした。そのロボットを通してした金城との一方的な会話を。そして、それを破壊もせず、『奴が此処に侵入しやすいように』と遊び心で胸ポケットに忍ばせていたことを。


『――いざとなったら、ちゃん機械マシンを使ってくださいよ。ロザリオはちゃんと首から下げていますよね?』


(……まさか、)

「聞こえてきたよ……あんたらの会話、全部。まあ、俺も途中まで忘れてたんだけどな……」


 思いだせてよかったよ、と金城は知らず安堵の息を漏らした。

 全て計画通りにうまくは行ったが、実際は一か八かの賭けだった。イヤホンの存在を思いだせたのも、玖叉が思い通りに動いてくれたのも、そしてネズミがタイミング良く照明を落としてくれたのも、全て運が良かったとしか言いようがない。

 幸運の女神、いや、勝利の女神が己に微笑みかけてくれたのかもしれない、なんて金城は柄にもないことを思った。


 目の前の男は呆然としていた。やはり、奴自身『ドール』の存在を忘れていたようだ。呆然自失としたその顔は、哀れにも見えた。


「……悪いけど、俺らはもう行くよ。これ、此処に置いとくな」


 金城は静かに目を伏せて、床に白いロザリオを置いた。玖叉と五〇メートルほどの距離があるそれは、あまりにも遠い。

 そのまま背を向けて非常口へと向かう少年たちの背中に、玖叉は咄嗟に怒号を上げる。


「おい、待て!」


 だが、二人は止まることなく外へと駆け出す。

 バタン。非常口用のドアが閉ざされた。


 そんな二人を見て、玖叉は必死に照明の下から抜け出そうとした。下半身は神経が麻痺しているのか、痛みを感じない。相当、酷い状態ことになっているのだろう。それでも構わない。腕を床に立てて己の身体を前へと引き出そうとする。しかし、上半身が上へと仰け反るだけで下半身は一ミリともその隙間から動かなかった。ブチリブチリ。上と下の繋ぎ目である腰から、凄惨な音がした。

 内臓から赤い液体が喉元へと競り上がり、自然と玖叉の口から溢れ出る。そんな時だった。


『やめなさい、玖叉』

「……!」


 いつの間に内線が繋がれていたのか、左ポケットの端末から声が響いてきた。それは静かで、無感動で、無機質に聞こえた。


『あなたはのです。己の力を過信し、相手を見くびり、あり余るほどの塩を敵に送り、敗北した。

 敗者に語る資格はありません。そこで大人しく反省していなさい。それ以上、体を酷使することは私が許しません』

「……っ、おれは」


 淡々と紡がれる言葉。それはどこか冷たく、氷柱のように鋭い。

 それでも玖叉にはどうしても納得することが出来ず、自然と不満の声が口から零れでる。

 だが、相手は無情にも反論をする余地さえも与えなかった。


『下がれ、玖叉』


 敬語が外れた。それは『命令』だった。三人の中で唯一決断権を与えられた男――釘崎の絶対だ。

 いつから聞いていたのかとか、どこまで知っているのだとか、そういう疑問は浮いてきたが、玖叉はなに一つ言葉を返せなかった。男の先程の冷ややかな発言は正論であり、一つも間違っていないのだから。

 玖叉の顔が徐々に俯いていく。

 その沈黙の意味を相手は察したのか、通信が音も無く切れた。

 玖叉の拳がゆっくりと振りあがる。床に再び重い打撃が加えられ、新たな罅が生まれる。地面へと僅かに減り込んだ指の隙間から血が流れた。


「……くそ、」


 薄暗い空間。其処には一人の敗者が横たわっていた。


 ――それは、男が初めて《敗北》を味わった瞬間だった。



◆  ◆


 処刑場の入口。


 其処は金城のラジコンによって火種が点けられ、つい先程まで燃え盛っていた現場でもあった。

 白く広い受付前は、たくさんの警備員が集まっているせいか少し騒々しい。


 辺りには所々焦げ跡が見えたが、火は無事に鎮火していた。周囲では残骸を片付けるロボットや他に問題がないか確認をする警備員が忙しなく動いている。


 その大多数の中には何もせず、己の端末をただ静かに見つめる男が居た。

 レンズに覆われた目は伏せられ、口から小さな吐息が漏れる。男――釘崎の顔はどこか憂い気だ。

 その視線の先には『玖叉』の名前が浮きでているスクリーンが淡く光っていた。

 先程の一方的な会話を思い返して、釘崎はまた溜息を漏らす。


 無言は肯定。それを理解している釘崎は黙って玖叉との通信を切った。あそこまで言えば、流石の奴も其処から動くことはもうしないだろう。

 奴の心情を思って、釘崎は唇は強く引き結んだ。


「ちょうかんさーん? どっした? 玖叉さん負けちゃった?」


 ――このアマ。わかっているくせに。


 突然後ろから掛けられた陽気な声に釘崎は自然と眉を顰めた。少女のことだ。その悪趣味な《能力ワイズ》で釘埼の心を通して、玖叉の状況など既に読み取っているのだろう。それでも意地悪く話題を突いてくる彼女に釘崎は自然と苛立ちを覚えた。


「大変だねー。きっと荒れるよー、あの人」


 ――この糞女……人が危惧していることを。


 米神に青筋が浮いた。このままでは血管が切れてしまいそうだ。それを避けるように釘崎は指で眉間の皺を揉み解す。

 そう、釘崎は案じていたのだ。玖叉という男が帰還した後、起きるであろう事態を――。


(あの男のことだ……戻ってきたら躍起になって犯人を捜しに行くに違いない……それも溜まった書類を放っぽりだして……)


 その様がありありと想像出来た釘崎は苦虫を噛み潰したような顔をした。

 玖叉充という男は執心深い男だ。一度見つけた獲物にはどこまでも食らいつく。それこそ、先に片付けなければならない仕事を投げ出してまで。


(絶対、駄目だ……あの男が動き出すと、どんな問題が次から次へと出てくることか……!)


 其れだけは避けねばなるまいと、釘崎は固く決意して拳を握った。気のせいかその背にはメラメラと燃え盛る炎が見えた。


「わー、長官さん燃えてるよー。鎮火しなくちゃね……ロボちゃーん! こっちにも消火器お願ーい!」

『はい、只今』

「するな!」

「あだっ! ……ちょいちょーっと。長官さん、痛いよ……」


 後ろでなにやら不穏な動きを見せる篠田の頭を叩く釘崎。

 それに対して篠田は抗議するように口を窄めながら頭を撫でた。涙で潤む愛らしい瞳を前に、何人かの男が心を掴まれた。制服姿の警備員一同が胸元の衣を握る。


「うっ……! 胸が!」

「鼻血がっ……!」


(こいつら……!)


 オーバージェスチャーをする男共に釘崎は呆れの意を覚えた。

 頭が痛い、頭痛薬が欲しくなってきた。釘崎は切にそう願ったが「そんな暇は無い」と気合を入れなおし、連中を叱咤した。


「ほらっ! いつまでもこんな所でボサッとせず、さっさと犯人の後を追いますよ! 他の警備員も来てください!」

「ほいほーい」

「は、はい!」「了解しました!」


 目的の場所へと向かう釘崎の後を、少女含む集団が続いた。



◆  ◆


「大丈夫か草地?」

「……そういうお前こそ。大丈夫なのか? その腹、抱えてるけど」

「あー……ちょっと痛いけどでいじょぶ」


 長く続く非常通路の中、金城と草地は歩く。

 蛍光灯の明かりの下で、こつんこつんと反響する自身の足音に耳を澄ませながら、金城は足を進めた。

 ああは言ったものの、本当は鈍い痛みを訴える腹のせいで動くのが辛い。「骨、折れてないよな」と冷汗をかきながら、壁に手をつく。

 大きな傷は医者に診てもらう必要があるので、出来れば小さな傷であることを祈りたい。医者に怪我の原因を聞かれてしまえば最後。この事件のことを誤魔化せる自信を金城は持っていなかった。

 もし本当にそうなったら金城は間違いなく警察行きだろう。先のことを考えて憂鬱になった金城は、玖叉に顔を見られた可能性も思いだしてしまい、さらに顔色を悪くした。


(……どうすんだよ、俺)


「金城」

「……あ?」


 思考に浸かっていると不意に声をかけられて顔を上げる。見ると草地が少し悩ましげな顔をしていた。


「これからどうするつもりなんだ、お前?」

「え……? どうするって、此処から出た後のことか?」


 その問いに草地はコクリと頷いた。


「それなら心配ねーよ。ちゃんと『協力者』を見つけてあるから」

「……協力者?」

「おう」


 いまいち信用できないのか草地は疑うような表情を見せた。それに対して金城は歯を見せながら力強く笑う。


「……大丈夫だ。テロリストとかそういう類の人じゃねーから。最も、此処からまず逃げ出さないと助けてもらえねーんだけどな」


 そういう約束だから、と言葉を続ける金城に草地は一つ息を漏らして、呟いた。


「……お前は、どうするつもりなんだ?」

「……え? 」


 それは金城が先ほどまで懸念していたことだった。ちらりと、視線を横に向けると草地の真剣な瞳が見えた。


「……わかんねぇ」

「……そうか」


 正直な答えに草地は寂たる声を返す。


「別にお前の好きにすればいいよ……なんだったら俺がお前に付き合ってやる。お前にはデカい貸もあるしな」

「……おう」


 珍しく優しい言葉をかけてくる奴に金城は少し驚きながらも、照れくさそうに返事をした。そして、それを誤魔化すようようにガシガシと頭を掻く。


 かつんかつん。靴音を鳴らしながら進むと路の終わりが姿を現しはじめた。先には上へと昇る階段があり、其処を上れば『EXIT』という緑色に発光する文字が見えた。

 重厚な灰色の扉の隙間からは微かな光が漏れている。そろりと、その温度の低い鉄扉に触れて、ゆっくりと音を立てないように押し、僅かに開いた隙間から外の様子を伺う。幸いなことに誰も見当たらなかった。


「行くぞ」

「……ああ 」


 金城のあとに続いて草地も外界へと足を踏み出す。

 抜け出せた先は処刑場の外のようで、背後には自分たちが居たコンテナと、その先の遠くには鉄格子が見えた。どうやらコンテナの形を模したこれは万が一のために、倉庫から抜け出せるように作られた隠し通路だったようだ。その証拠に、金城たちが通ってきた道は地下に設置されていた。


 三時間ぶりに出られた外に、金城と草地は感動で震えた。

 長時間、中に居たわけではないのに久しぶりに外の空気に触れた気がした。


「空気がうまいって思ったの……はじめてかもしんねー」

「同感だな」


 金城の言葉に草地が同意する。空は紺色に染まり、辺りは真っ暗だった。星一つ見えないその景色は少し寂しげに見える。

 目の前には大きな道路が横たわっており、その向こう側には橙色に輝く街が広がっている。金城は不思議と開放感に包まれたような感覚を覚えて、身体を伸ばす。


「……あー、生き返る」


 なんて息を漏らしていると、鉄格子の向こう側に人影が見えたような気がした。嫌な予感がして、目を凝らす。


「……げ!」


 遠くに見える紺と黒の影は十中八九、死行隊の者だろう。恐れていた事態を前に、金城は草地の腕を引いて走り出した。暗い夜空の下、一直線に目の前の道路を横切って、入り組んだ街中へと走り出す。処刑場の周辺はやはり人が少なく、逃走の障害となるものはない。二つのビルの間、細い路地へと駆け込み、長く続く道を走り抜けた。


「急げ、こっちだ!」

「まて、金城。どこへ向かうつもりだ? 」


 逃げること数分。足が進むにつれて路の終わりが見え始め、段々と水の流れる音が聞こえてきた。アスファルトの地を蹴り続けながら草地は金城が指差す先へと視線を向けた。


「あれって……!?」

「止まりなさい!」


 予想だにしなかった逃走ルートに草地は驚愕した。だが、次の瞬間。聞き覚えのある声が後方から響き渡って不意に足を止める。ビルの隙間から抜け出した二人が立ち止まった先は、二メートル程の小さな絶壁。

 目の前にはけたたましい音と共に激しく流れる川。緑にも蒼にも見えるその色は濃く、川の深さが伺える。


「二人とも。両手を上げてこちらを向きなさい。さもなくば撃ちます」


 厳しい声色が川の流れる音と混ざって、耳元まで届く。カチャリ、後ろで男が火器を構えた気がした。恐らく、この声の主は釘崎だろう。草地の頬に冷汗が垂れた。


「草地」


 呟くように潜めいた声で金城が草地の名を呼ぶ。


「これ、しっかり掴め。右腕が取れそうになっても放すなよ。どんなに痛くてもだ」


 でないと死ぬぞ。

 続いた言葉に草地は頷いた。後ろの連中に背を向けたまま、金城が手渡したそれを見て、少なからず瞠目する。


「用意周到だな……金城のくせに 」

「だから一々余計な一言が多いんだよ。テメーはよ」


 こんな切羽詰まった状況の中、無謀な逃げ道を取ろうというのに、草地の心は不思議と落ち着いていた。もしかしたら今まで潜り抜けてきた修羅場のお蔭で、感覚が麻痺してきたのかもしれない。そんな可笑しなことを考えて、草地はせせら笑う。

 金城も草地と同様の気持ちなのか、その顔には笑みが飾られていた。


「お前も絶対ぜってぇ離すなよ」

「当たり前だ馬鹿野郎」


 カシャリ。その『道具』に付いている手錠のようなものが二人の手に片方ずつ掛けられる。草地は折れていない左手を、金城は右手を。


「聞こえていないのですか? もう一度言いますよ。無駄な抵抗はやめてこちらへっ……」


 釘崎がこちらへと近寄る瞬間。じゃり、と小石を踏みしめる音を合図に金城たちは勢いよく其処から足を踏み出した。


「っせーの!」


 金城の掛け声とともに水しぶきが上がる。

 釘崎の視界に飛び散る水滴が映った。一瞬呆気にとられたが、即座に我に返って目の前の川へと駆け出す。急いで下を覗き込むが二人の姿は既にどこにも無く、視界に映るのは勢いよく流れる川だけだ。


「す、すぐに追跡ロボットを!」

「……いえ、この流れの勢いだと追跡はおろか、見つけるのも苦難の業でしょう。川の流れを追ってください」


 釘崎の冷静な声に後ろに控えていた警備員たちが承諾し、すぐさま処刑場へと駆けだした。


「見つかるかねー」

「……」


 暢気に笑う篠田に、釘崎は苦い顔を見せた。

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