12.罠

 ——水鉄砲から放出されたのは水ではなく、炎だった。


 その事実に草地は一瞬驚愕したが、金城に叱咤されて瞬時に我に返って走り出す。


 炎に焼かれて崩れ落ちる玖叉を置いて金城も後に続く。トイレを出る寸前、ちらりと振り返ると玖叉は顔を火傷したようで、真っ赤な手でそこを覆っていた。所々、服も焦げており、男は肌も含めて全身がボロボロだ。それでも再生して立ち上がるというのだから恐ろしい。ゾンビよりもある意味、質の悪いそれを見て金城はすぐに駆け出した。


 荒い呼吸が廊下に続く。


「どっちだ……!? 」

「さっき渡した地図に書いてあんだろ!? 右だよボケ!」


 枝のように別れる通路を前に、草地は一瞬迷った様子を見せたが金城の指摘で右へと曲がる。そして息を切らしそうになりながらも草地は金城を問いただした。


「お前、その水鉄砲なんだよ!? まさか、それも作ったっつーんじゃねーだろーな!?」

「作ったよ! 爺ちゃんの倉庫にあったガソリン詰めて、ライターで燃やしたの! ほら、これ、ココ! 針金に付いてんだろ!」

「……っガソ!?」


 草地は己の耳を疑った。

 今の時代、機械も自動車も全て電気で作動していることからガソリンは必要とされていない。だから、ガソリンというものはこの日本という先進国にはもはや無いのだ。


 けれど、金城は持っていた。祖父の倉庫の中にそれはあったのだ。花火然り、ガソリン然り、どうやら金城の祖父は相当変わっていたらしい。まさか、そのような物を倉庫の中にたくさん仕舞っていたとは――恐らくそこはビックリ箱のようになっているのだろう。


 だが、草地が何よりも驚いたのはその水鉄砲の仕組みだ。金城の言うとおり、銃口部に貼り付けられた針金の先にはライターが仕掛けられていた。それは先ほどの炎の熱で溶けかかっており、原型をなんとか留めてはいるものの、最早使えそうにない。

 金城はポケットに仕舞っていた新たなライターを取り出して、使えなくなってしまったそれと付け替えた。

 水鉄砲のタンクから僅かに、喉に残るような苦い異臭が漂う。


「広場でのスプレー見ただろ? あれと同じだよ。使っている素材が違うだけ」

「……おまえ、」

「……言うな、俺だって分かってる。けど、しょうがねーだろ。これ以外抵抗する術がねーんだからよ」


 しかし思い返してみると本当に自分は随分と危険な発想をしはじめているな、と金城は複雑な気持ちを抱いた。そして、何よりも火を使うことが多い。まるで放火魔だ。

 この計画のために参考代わりとして読んだ『危険な日常品五〇選』には他の方法も綴られていたが、それらはあまりにも危険すぎたのでやめた。実はこの水鉄砲は、まだマシな方なのである。


 それでも実際には危険な行為なので、金城自身、二度とこのような事はしたくないと思っていた。これは正直、大規模な事故を起こしえるものであり、使い手自身も大火傷しかねないので、奥の手にしていたのだ。


(……まさか、これを使う羽目になるとはな)


 苦虫を噛み潰したような顔をする。水鉄砲をつかむ手も自然と震えだしそうになるが金城はなんとかそれを耐えて走り続けた。


「此処からあと数分走った先に非常口があるはずだ! そこから出るぞ!」

「わかったよ!」


 だが、次の瞬間。


「――おい、今の!」

「もう回復したのか……!」


 後方から大きな音が聞こえてきて、金城は思わず舌打ちをした。恐らくこのままだと、男の足ですぐに追いつかれてしまうだろう。

 何か奴を止める方法はないかと必死に頭の中で思案した。だが一向に良い案は浮かばず、焦る。


(どうするどうする!?)


 恐らく自分のちゃちな計画はもう通用しないだろう。あの男は本当に殺す気でいかないと止められない。けれども、自身に残された殺傷能力のある武器は、もうライターとカッターナイフ、燃料が殆ど残っていない水鉄砲しか無い。目を瞑って孝策しても、何も思い浮かばす、金城は頭を片手で掻き毟った。思考がショートしてしまいそうだった。


(ちくしょう! もう何も方法は残ってねーのかよ。このままじゃ……)


 諦めてしまいそうな自分を叱咤し、鞄の中を探る。何か、何か無いのか。すると、


(……いや、あった。まだ、あるかもしれない……)


 あることを思い出す金城。希望の兆しが見えた気がした。一か八かの賭けではあるが、もうこれに賭けるしかない。金城は腹を括ると草地に呼びかけた。


「草地!」

「……なんだ?」


 息切れしながらも会話を続ける二人。


「お前はそのまま地図に従って走れ! 俺は後から行く!」

「は!?」


 金城の突然の言葉に草地は戸惑った。


「お前、馬鹿か!? 何をするつもりだ?」

「この先にデッケー倉庫があったはずだ! そこであいつを足止めする!」

「なら、おれ」「足手まといだ!」


 金城を一人で行かせるわけにもいかず、草地も共に行こうとしたが、思わぬ追撃を食らい、言葉を失くす。


「ごめんっ……けど、此処から先は一人の方が色々とやりやすいんだ。だから、」

「断る」


 きっと草地なら聞き入れてくれるだろう。そう思っていた金城は予想外の返答を耳にして、瞠目する。


「俺は行くぞ。どんなにお前に嫌がられようと、お前が俺にしたように俺も行く。これ以上お前に借りを作るなんてごめんだ」

「貸し借りの問題じゃっ……!」

「後に合流するとしても連絡しあう手段がねーだろ。それにお互い傍にいない間に、他の奴らに見つかったらどうする? そのまま逃げたらお互いのことを見失うぞ」

「……っ!」


 最もな言葉だ。通信できる端末など金城の手元には最早残っていなかった。全て計画の初期段階で使い切ってしまったのだ。


「俺は腕以外ならどこも動かせる。そう邪魔にはならないはずだ……お前より運動神経は良いしな」

「それ余計な一言ォ!」


 草地に少しのコンプレックスを抱く金城は叫んだ。この男は全くもって腹立たしい、と悔しげに歯噛みする。


(……囮に使ってやろうかこの野郎!)


 心にもないことを叫びながら二人は目的の場所へと走り続けた。

 方や美青年、方やオヤビ●を模した仮面の男――白い囚人服と黒いパーカーのコントラストは、なんとも異様な光景を生み出していた。



◆  ◆


「……くそ、あの餓鬼どもが」


 二人が通ったであろう廊下を歩きながら玖叉は舌打ちした。まさかあそこで、また火が来るとは思わず油断していた。とんだ失態だ。

 こんなボロボロな姿を釘崎に後々見られることを想像した玖叉は顔を顰めた。奴のことだ。グチグチと説教を聞かされながら始末書を書かされるに違いない。面倒くさい、と玖叉は溜息を漏らした。


 すると、端末が鳴った。


 嫌な予感を覚えながらも玖叉は通信に答える。


「……なんだ」

『申し訳ありません。火の始末にはやはりもう少し時間がかかりそうです。其方は大丈夫ですか?』

「問題ねーよ」

『……本当に?』


 通信の相手は案の定、釘崎だった。神経質そうな声が端末を通して聞えてくる。カメラ機能は遮断している――今の格好を見られたら面倒なことになりそうだからだ。

 何の問題もないと返したのだが、釘崎はやはり疑り深く、確認するように問い返してきた。


「うるせーなテメーは本当に。俺がやられるわけねーだろ」

『……一応、言っておきますが、今までの動向から見て、恐らく敵は爆発物などの火の類を好んでいると推測できます。或いは、そのような物しか『使えない』。

 玩具やくだらない道具、そしてこの行動ぶりからして単独犯でしょう。我々に攻撃を仕掛けてくる際はいつも火器系の物を使っていたので用心してください。特に爆発物があるような場所には、』

「うっせーなぁ。分かってるよ。俺が一度でもしくったことがあったかぁ?」

『……そうですね。どんな爆発も何もあなたはその異様な馬鹿ぢ……怪力で跳ね除けてきましたからね』


 ――こいつ、馬鹿力と言おうとしたな。


 一瞬そんな考えが頭を過ったが玖叉にとっては『馬鹿力』だろうとなんだろうと、どうでも良かったので、あえて聞かなかったことにして会話を続けた。


「ああ……だから、なんの問題もねーっつってんだろが」

『いざとなったら、ちゃんと機械マシンを使ってくださいよ。ロザリオはちゃんと首から下げていますよね?』

「……お前は俺の母親かGeek(ダサ男)。問題ねーって何度言わせるつもりだテメー」

『……そうは言いますが、あまり油断していると足元を掬われますよ。あなたはいい加減、』


 ブチリ。相手の言葉を最後まで聞かずに通信を切った。切られた相手は今頃、傍で待機している少女に指を差されながら笑われてることだろう。だが、そんなことはどうでも良い。


「こっちは、《最後の段階》に入ろうとしてんだよ……」


 ニヤリ。狂喜的な笑みが玖叉の顔に再び飾られた。



◆  ◆


 同時刻。非常口前、倉庫。


「おい、金城。本当にこれで良いのか?」

「ああ、お前は其処に居て、タイミングが来たらそれを落としてくれ」


 暗く、膨大な空間にはコンクリートの床が広がっており、そこは肌寒い。

 鉄工が何本も柱のように建っているせいか、ひどく殺風景に見える。空間の中心を囲むように、壁際には大きな木箱が何重にも塔のように積み重なっており、下から見ると圧巻だった。

 高い天井からは、大きな丸い照明が数本のワイヤーによって吊るされていた。気のせいかギイギイと寂れた音が聞こえ、悪寒が金城の背筋を走る。「アレが落ちてきたら即死だろうな」と、無意識にも想像してしまい、勢いよく頭を振った。


 この倉庫は一見古臭くは見えるが、実際に目を凝らしてみるとキレイに掃除されていた。木箱の中に積まれているのは粉末状の線香のようで、不思議と落ち着く匂いがする。

 その優しい香りを嗅いで「そういえば」と、ふと金城が疑問を口にした。


「……そういえばさ。なんで、こんなに線香なんかあんの?」

「お経っつーか……教誨師が祈りを捧げるためだよ。他にも塩とかあったろ」

「……は?」

「俺は断ったけどな。先に拘置所でやってもらった」


 草地が言うには死刑を執行するにはちゃんと順序があり、まず面会室で教誨師と顔を合わせるらしい。処刑場で死刑される直前に会うか、拘置所で会うかは死刑囚本人が選べるとのことだ。そうして、それが終わると塩で清められた例の『執行室』という名の広場で処刑を行われる。その間、教誨師が祈りを捧げてくれるそうだ。

 金城は気付いていなかったようだが、あの広場のような執行室にも、実は小さな仏像が天井近くの柱部分に飾られていたのだ。


「……そういえば、なんかあそこも線香の匂いがしたような……」

「おまえ、その分厚い仮面被ってたしな……つーか、お前の火薬のせいでんなもんぶっ飛んだよ。仏像も吹っ飛ばしそうになりやがって、この罰当たりが」

「ええ…!? 罰当たりっておまっ! 知らなかったんだよ!」


 思わぬ言葉の奇襲に金城はぎょっとする。言い訳を並べようと焦る奴に草地は「冗談だよ、半分」と吐き捨てた。金城はそんな奴に口をひきつらせるが、今は喧嘩している場合ではないと気分を取り直すように、再度草地に確認した。


「じゃあ、頼むぞ。声はぜってぇ出すなよ」

「わかっている……お前も気を付けろよ」

「おうよ」


 天まで高く積み上げられた箱の後ろ、設置された幾つかのコンテナの上に立つ草地は一つ頷いて、暗闇へと姿をくらませた。

 金城も一度深呼吸をして心の準備を整える。


(……チャンスは一回。それで上手くいかなければ、全てが終わる)


 ドクンドクン。未だに早鐘を打っている心臓へパーカー越しに触れた。被りっぱなしの仮面を少し下に引っ張りなおして、両手で頬を叩く。


(……よし)


 気合を入れなおした金城はポケットからある物を取り出し、それを乱雑に置かれた一つの箱の上に乗せた。

 それは灰色のボディをした小さなネズミ型のロボットだった。可愛らしいデザインと少し雑に見えるその作りからして、恐らく今までの犯行に使っていた玩具と似たようなものなのだろう。

 金城はロボットの目――アイカメラをある『物』へと向けると、その腹の下にあるボタンを押した。カシャリとシャッターが切れる音がした。


標的ターゲットはこれでインプットした。あとは、あそこまで走らせて『齧らせる』だけだ……)


 ポチリ。背中についたボタンを押して、ロボットを作動させる。


「行け……」


 『ネズミ』が静かに走り出した。灰色の身体はあっというまに箱の向こう、壁の隙間へと入り込み、どこかへと駆けてゆく。


「これで、あとは奴を待つだけか……」

「誰を待つんだぁ?」

「!!」


 独り言をこぼした瞬間だった。背後から声がして振り返ってみると、いつの間にか男が入口に居た。両開きに開いた重厚な扉の向こうから廊下の眩しい光が差し込み、男の背中を照らしている。その分、男の前身は陰で隠れ、そのせいで表情を伺うことができない。

 だが、金城には分かった。その男の顔は今、飢えた獣のように舌舐めずりしているのだと。


「よォ、さっきはありがとよ。Idiot。待ったかぁ?」

『ぜんっぜん……むしろもうちょっと遅い方が良かった』


 仮面の下に指を突っ込んで、口元に取り付けた玩具のようなマイクのスイッチを入れる。すると、金城の声が其れを通して再び変わった。どうやら変声期らしき物も、玩具だったらしい。


(……まさかウルトラマ●八○○○の変身グッズがこんな風に役に立つとはなぁ……)


 六歳の誕生日。母親にそれをもらった時のことを思い出して金城はほくそ笑んだ。


(母さんには感謝だな。あと、ウルトラマ●好きだったあの頃のオレ)


「そうかそうか。それは悪かったなぁ。なら、もう此処で終わりにしてやるよ」

『……嬉しくないんですけど』


 ――だから何故お前はそういう思考に走る。


 金城は思わず叫びたくなった。本当に野蛮な男だなと顔をひきつらせる。だが、このまま留まってはいられない。早々にケリをつけないと他の奴らに追いつかれる。

 息を吸って吐き出す。そして次の瞬間、踏み込んだ。


「……!」


 一切の躊躇も見せず男――玖叉の懐へと駆け出す。その手にはカッターナイフが握られていた。殺す気で来たのか、それは玖叉の心臓めがけて突き出される。だが、玖叉にそんなものは通用するはずもなく、奴はそれをヒラリと避けて、金城の鳩尾へと膝を蹴りいれた。


『……っ!』

「……あ?」


 ズドン。そんな鈍い音が金城には聞こえた気がした。実際玖叉の蹴りは重く、以前と同じように金城は吹き飛びそうになった。だが、嘔吐しそうになりながらもそれを両足で踏んじ張って受け止める。


(……痛ってぇ。けど、やっぱまだ加減されてる)


 どうやら男はまだ自分で遊ぶつもりでいるらしい。金城は鳩尾に減り込む奴の膝を掴みながら、笑みを漏らす。


(……まだ、大丈夫だ)


 左に握ったカッターナイフを膝に突き刺す。


「……っ!」


 その瞬間、玖叉は咄嗟にそのまま膝を振り切ることで金城を吹っ飛ばした。後方へと背中から倒れるが、その手にはまだナイフが握られている。金城は即座に転がるように床から起き上がる。そしてもう一度玖叉の元へと突進していった。


「……」


 攻防が続く。金城が一方的に玖叉に攻撃を仕掛けているのだが、余裕気に躱す玖叉の方が明らかに優勢に見えた。玖叉の顔から段々と笑みが消えていく。どこか、つまらなさそうな顔をしていた。


(殺気を感じねー……殺す気がねーのか?)


 だが、鈍色に光る閃光が何度か玖叉を掠め始める。

 気のせいか金城は段々と奴の動きに追いつけるようになっていた。玖叉のジャケットが徐々に原型を失くしはじめる。元々穴だらけだった服が、ナイフの切っ先が掠めることで布の面積を失ってゆく。

 玖叉の身体が動くと共に白い十字架のペンダント――ロザリオが舞った。それを繋げる鎖がシャラシャラと音を奏でる。


(……さっきの放射器はゾクゾクしたが……これはつまらなすぎんだろ)


 玖叉の瞼が垂れる。眠たげに見える眼は奴の心情を現していた。


 暇だ。


 そう思った瞬間、金城が離れかけていた間合いを一気に詰めて、右から左へと薙ぎ払うようにナイフを振るった。

 それを玖叉は大きく仰け反ることで躱し、目にも留まらぬ速さで右回転して蹴りを繰り出す。それをまともに食らった金城は再び背中を床へと打ち付けた。今度は軽く十メートルほど身体が後ろへと飛んで、ゴロゴロと壁際の箱まで転がってゆく。

 今回はあまり力を加減されなかったようで、大きな衝撃と共に鈍い痛みが鳩尾を襲って、あまりの疼痛に金城はしばらく体を起こせなかった。骨にヒビが入ったか、或いは折れたのか、脇腹に鋭い痛みが走る。


(……あーあ、飛んでっちゃったよ……けど、まあいいか)


 飛んだ拍子にナイフを手放してしまった。だが、代わりに右手に感じる感触に金城は安堵した。


(……なんとか、取れた)


「……Idiot。おまえ、ガキか?」

「…え? ……っ!!」


(ちょっ、まったああああああぁぁ!)


 口から零れたのが『地声』だったことに気付き、金城は心の中で悲鳴をあげた。実際は口から滑り出そうになったのだが、腹の鈍い痛みのお陰で、それはなんとか止められた。

 スルリ。左手で顔を撫でる。そこに感じるのはあのツルツルとした表面ではなく、自身の肌だった。


 ――仮面が外れた。


 その驚愕の事実に金城はダラダラと冷汗を垂らした。此処は暗いから顔はハッキリと見えないだろうが、それでもまずい。相手は自分が子供だと分かるくらいには認識できている。


(日常に戻るどころの話じゃねーよ! 指名手配されちゃうやん!? 俺の仮面ちゃんどこおおおォ!?)


 すぐさま痛みのことなど忘れて、飢えた獣のように視線を倉庫中に走らせるが、どこにも見当たらない。すると、玖叉が何かを掲げた。


「……これか?」

「オヤビィィィィィィィィィン!?」


 ついに上げられた悲鳴に玖叉は思わず耳を塞いだ。それはまるで黄色い悲鳴をあげる女性のようで煩い。玖叉の口が自然と引き攣る。


(……What the fuck is wrong with this crazy brat?(なんだ、この頭の可笑しいガキは?))


 ――こんなのに、俺はあれほど期待したのか?


 犯人の正体に対する驚きと共に湧き上がったのはなんとも形容し難い感情だった。自分に呆れればいいのか、恥じればいいのか、それともあの子供を怒ればいいのか、正直わからない。だが、玖叉には一つだけ確かに分かることがあった。

 知らず嘆息を漏らして、もう一度金城に視線を向けた。それはまるで虫ケラを見るような眼だった。


「……殺すか」

「……!」


 ビクリ。猛獣に怯えるウサギのように金城の肩が跳ね上がる。錯覚だろうか。ボサボサの頭に長い耳が一瞬生えたような気がした。幼い顔は見事に真っ青になっている。


(……そうだ、こんなことをしている場合じゃないだろう!)


 自分の現状を改めて理解した金城は苦痛に顔を歪ませながらも、震える足で立ち上がった。しゃらり、右手に揺れる鎖が音を立てた。


「……! テメー、それ」


 その音の正体に気付いた玖叉の顔が憎々しげに変わる。視線が金城の右手から顔へと移り、殺気が自然と膨れ上がる。

 ニヤリ。まるで「優位な立場にいるのは自分だ」と暗示するかのように、金城が口角を上げた。多少ひきつってはいるが、そこに『怯え』は見えない。


 主導権を握っているのは、俺だ。


「これ、あんたの『マシン』って言う奴だろ?」


 そうやって手で掲げた物は――玖叉のロザリオだ。


 先ほどの長い攻防はソレを奪う隙を伺うためのものだったらしい。多少のダメージを負ってしまったが、身体を張ったお陰か、或いは玖叉がずっと油断していたお蔭か、なんとか気付かれずにソレを奪うことができた。

 玖叉は元から高い治癒能力を有していたが、あまり大きな怪我は機械マシンがないと簡単には修復できない。

 玖叉は一瞬苦虫を噛み潰したような顔をすると、すぐに眉間の皺を解いて、静かに金城を見つめた。


「……お前、なんで俺の機械を知っている? それに……それで俺を脅したつもりか?」

「……まさか。俺は唯、あんたを確実にだけだ」


 恐らく玖叉に脅しは通用しないのだろう。

 なぜなら奴は金城よりも圧倒的な強さを誇っている。あっという間にロザリオを取り返されて殺されるのがオチだ。だから金城はロザリオを脅しには使わない。

 奴から出来るだけ力を剥ぎ取るのだ。そのためにも相手が動き出す前に、こちらから行動を起こさねばなるまい。


 金城の言葉をいまいち理解できていないのか、玖叉は怪しむように顔を歪めた。


「どういう意味っ……!?」


 その瞬間。玖叉の傍に積み上げられていた箱の山が崩れ落ちた。さきほど裏へと隠れた草地の仕業だ。

 けたたましい音が響くと同時に箱が玖叉を襲い、その原型を失くす。同時に中に入っていた線香の粉末が宙へと舞い上がった。

 それを咳き込みながら、木屑と共に掃おうと玖叉が腕を振る。


「てめーっ……」

「なあ、おっさん? こんな方程式、知ってるか?」

「あ……?」


 問いかけの言葉に振り返ると、いつの間にか倉庫の奥――小さな非常口の前に立つ金城を見つけた。草地も一緒だ。

 玖叉との距離は約六十メートル程。二人は今にも非常口へと潜ろうとしていた。

 飛び舞う粉末が邪魔で、玖叉の視界がぼやける。だが、金城の手に握られた『火のついた何か』を確認することは出来た。

 玖叉の目が細まる。それは獲物を狩る獣のような目をしていた。

 だが、もうそのような視線に怯む金城ではない。ドクンドクンと大きな鼓動を刻む心臓の音を耳にしながら、ゆっくりと口を開いた。


「……粉塵プラス火花、イコール――爆発」


 最後の言葉を口にした瞬間。勢いよく『それ』を振りかぶる。そして、


 どん、と――倉庫が文字通り『揺れた』。


 床は大きな蜘蛛の巣のような形に割れ、粉末は突風によって吹き飛ばされた。

 先の衝撃によって、コンクリートの床がところどころ盛り上がっている。

 金城はゴクリと唾を飲み込みながら、視線をある箇所へと向けた。

 洪大な罅の中心には玖叉の踵が減り込んでおり、天井では照明が不穏な音を鳴らしながら揺れていた。


 凄烈な風を起こしたのは玖叉だった。奴が落とした踵で地面が割れ、その衝撃で生まれた風圧が、宙を舞っていた粉塵を吹き飛ばしたのだ。

 粉末は未だに飛びまわってはいるが、爆発を起こせるほどの規模ではない。金城は静かに左手に握っていたライターの火を消した。


(……まじでさぁ。体一つであれを吹き飛ばすって、どんだけだよ。しかもなんでか本当に全部消えちゃってるし)


 物理的に考えて、粉塵を風で飛ばすなんて不可能だ。特にこのような閉じこもった空間では、風を起こしても粉末を更に宙へと舞い上がらせるだけのはず。


 だが、現実はどうだ。

 粉末は全て壁に張り付き、床に落ち、殆ど消えているではないか。

 たったの一撃で、舞い散る粉末は宙から掻き消されたのだ。


「……テメーの考える『火遊び』なんざすぐに分かるんだよIdiot」


 ガラリ。

 男の踵が床から抜けた。

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