11.草地は罪深い男である


 午後六時二〇分。江田処刑場、一角。女子トイレ。


 金城と草地は隠れていた。

 トイレの中は、天井に設置された幾つもの照明によって、しっかりと照らされている。掃除が行き届いているのか、あまり使われていないのか、外の廊下や他の部屋と比べて壁には染み一つ無い。ズラリと一列に並ぶ個室トイレは全て閉まっており、人の気配を感じなかった。


 此処は非常口へと続く廊下の途中に設置されている手洗場だ。処刑場の入口から遠く、随分と入り組んだ場所にある。周囲には、金城が初めに起こした騒ぎのお蔭か、監視ロボットを含む警備員は誰ひとり見当たらなかった。だが、人気が無い其処は静かすぎて金城たちには少し不気味に思えた。


 白いタイル張りの床の上、扉の前で草地は座りこんでいた。腕は相変わらず歪んだ形をしており、痛々しい。荒い呼吸を零す草地の隣で、金城はゴソゴソとリュックサックの中を荒らしていた。先ほどまで被っていた仮面は、横に放置してある。


 本来、二人はこのまま中央広場から続く非常口までへと走るはずだった。だが、余りにも辛そうな草地を見て、金城は思わず立ち止まってしまったのだ。実際、走りながらプラプラと揺れる前腕はとれてしまいそうで恐ろしく、そのままにしておくのは危険に思えた。だから金城は未だに戸惑っている草地を女子トイレへと押し込み、傷の手当てをしようとしたのだ。


 いつ敵が来るか分からない状況の中、金城は急く気持ちを抑えながら一つの棒を取り出した。


「あった……!」

「……おまえ、それ」


 鉄パイプだ。炭素繊維のそれはアルミより軽く、頑丈だ。また、近場で幾らでも買えるため、金城はこれを武器、兼、爆弾作りに使用していた。そして念のためにと、それを鞄の中にしまっていたのだ。

 その使い道をなんとなく察してしまった草地は、難しい顔をした。


「大丈夫だって。これ殆ど体重感じねーからさ。とりあえず、これで腕固定すんぞ」


 そう言って、手を伸ばそうとした途端、金城は動きを止めた。恐らく草地の腕を再度見て躊躇したのだろう。前椀は先ほど説明したように見事に折れている。真っ二つになっていると言っていいかもしれない。折れた骨の先端が皮膚越しに見えたような気がして、金城は形容詞し難い感情を覚えた。あまりにも痛そうな《それ》は見るに耐えないもので、金城は思わず目を逸らしたくなった自分を叱咤した。

 だが、困った。腕に触れたら間違いなくそれは草地に痛烈な感覚を齎すだろう。しかしこのまま放っておいてはいけないことは、素人の金城にだって分かった。

 どうすれば良いのかと金城は頭を抱えそうになった。両手に持ったパイプと布きれが奴の迷いを現すかのように左右に揺れ動く。


「……もう、良い」

「……え?」


 ――良いの? 超痛いと思うよ?


 なんて、頭の中で自分が草地の腕を固定させる様を生々しく想像してしまい、金城は思わず肩を抱いた。だが、その想像はただの見当違いだった。


「……このまま、この腕を抱えて逃げきる自信は俺にはない。どうせもう逃げ場所なんて無いしな……。

 金城、お前はまだ間に合う。一人で此処から脱出しろ」


 金城の思考が一瞬停止した。対する草地は続く疼痛で段々と感覚が麻痺、あるいは慣れてしまったのか、中途半端に繋がったままの前腕をなにごともなかったかのように撫でた。だが、能面のようなその顔には汗が幾筋も流れていた。

 そんな奴に金城はやっとの思いで口を開く。


「なに、言ってんだよ……ここまで来たんだぞ? お前だって知ってんだろ? 俺のこのチキンハート! それでも一生懸命頑張って、ここまでっ」

「っそんなこと俺は頼んでいない!」


 思わず大きな声を上げてしまい、我に返った草地は慌てて口を抑えた。大丈夫だ、まだあの男の気配は感じない。此処の壁は全て防音になっていると聞いたことがあるから、外までは聞こえていないはずだ。ゴクリと口の中に溜まった唾を飲み込んで、草地は続けた。


「俺は、自分で覚悟を決めて此処に来ることを選んだんだ。

 金城、お前には関係ない。だから勝手に俺の決めたことに茶々を入れるな。迷惑なんだよ」


 平然と並べられるその言葉に金城は自分の頭に血が上るのが分かり、瞬時に草地の胸元へと手を伸ばす。勢いよく伸びた腕は草地の背中を、背後の扉へと押し付けた。

 薄汚れた白い無地布を握る手がギリギリと鳴る。

 床に尻餅をついている草地に詰め寄るように、膝を少し前へとずらしながら金城は言葉を吐く。


 身長の高い草地を般若のように睨み上げるその眼には、業火の様に燃え上がる怒りが見えた。天井の照明が奴の瞳に一筋の光を宿らせる。それは、どこまでも純粋で真っ直ぐな瞳だった。


「ふざけるのも体外にしろよ草地。迷惑? 関係ない? 知ったこっちゃねーんだよ、んなもん。テメーの都合? じゃあ、これも俺の都合だ。お前の気持ちなんざ関係なく、俺が自分でやりたくてやったことだ」

「っおまえ、」


 その聞き分けのない言葉に草地もまた、険しい表情を見せた。


「俺がお前のためにこんな危険を冒して、悲しいか?」

「っ……」

「心苦しいか? 辛いか? ダチが自分のために死にそうな目に遭うってのはよ?」

「金城! お前っ……!」


 まるで他人事のように草地の気持ち、そして自身の危機的状況を話すさまに草地は怒りを覚えた。そして思う。「分かっているんなら、やるんじゃねーよ」と。

 その苛立ちと共に嫌悪感を吐き出すように、草地が口を開こうとした瞬間、金城は静かに言葉を紡いだ。


「そうだろうよ。辛いだろうよ。辛くて辛くて、辛すぎて、忘れられないだろう。どんなに忘れようとしても、頭から追い出そうとしても、心からは消えてくれやしねー。いつまでもこびりつきやがるんだ。ジリジリとさ、心臓が火傷してんじゃねーのかっ、ってぐれーに」


 それは金城が過去に経験したものだった。十歳という幼い年齢で、父親を失った際に覚えた感情。

 零れ落ちる金城の声は、震えていた。


「そうだよ。どんなに頑張っても消えねーんだよ。お前の胸糞ワリー顔が何度も頭の中で浮かんできやがる。本当にうざってーのに何度もだ……爽太くん、みたいにさ」

「……っ!」


 草地が息を飲んだ。反論しようとパクパクと開いていた口は途端に引き結ばれ、眉が歪む。それと反して、目は大きく見開かれていた。


「救ったつもりか? あの子も伊奈瀬も、助けてやったとでも思ったか?」


 は、と金城は嘲りの声を漏らした。


「っなわけねーだろ、この糞バカが! 助けた? 救った? 自分の偽善を押し付けただけだろうが、この糞やろう!」


 昂ぶる感情に任せて叫ぶように罵倒する。金城は畳みかけるように話した。己が見たもの。爽太くんの悲痛の表情、伊奈瀬の容体。次々へと明かされる真実に草地の瞳は揺れた。


「っおれは、」

「……草地、確かにお前は罪を犯した。それも三つもだ」


 ふらり、顔を上に向けつづける首が疲れてきたのか、今度は草地を見下ろすように金城は立ち上がった。


「一つ、嘘を吐いて伊奈瀬や周りを騙して傷つけたこと」

「……」

「二つ、爽太くんにまでそれを強要したこと」

「……」

「そして三つ」


ギロリ。今までに無い顔でもう一度、今度は草地を見下すように睨んだ。


「死のうとしたことだ」

「……っ、」

「確かに爽太くんを助けてやりたいっつー思いはあったろーよ。けど、本当は別の気持ちもあったんじゃねーのか?」

「……なにを」

「婆ちゃんが死んで……お前、どう思った?」


 金城に珍しく正論で畳みかけられても尚、言い返そうとした草地は言葉を飲み込んだ。


「……お前、死んでもいいっ、て……思っただろ?」

「……」


 沈黙が意味するのは肯定。その答えに金城は「やっぱりな」と皮肉気な笑みを浮かべた。

 草地にとって『婆ちゃん』がどれだけ大きな存在だったのかは、金城もよく理解していた。そしてその存在を失ってどんな気もちになるのかも、金城は身をもって知っていた。

 だからこそ、余計に苛立ちを覚えた。まるで昔の自分を見ているようで。


「死ぬなんて絶対許さねー」

「……」


 草地は苦虫を噛み潰したような顔で金城から顔を逸らした。図星を突かれて、なんと言えばいいのか分からなかったのだ。


「俺はお前を助ける。喚こうが泣こうが、無様にひれ伏されようが、無理やり引っ張って此処から連れ出してやる」

「……金城」

「俺は絶対あきらめねー。もう腹は決めた。十分迷ったし、踏みとどまりもした。けど、此処まで来ちまったんだ。

 例え、正体をさらされようが、指名手配されようが、或いはお前みたいに腕を折られようが、もうめねー。

 俺は絶対に、此処から生きてお前と出てやる」


 其処にあったのは強い覚悟と決意。瞳はどこまでも真っ直ぐに相手を射抜き、静かな激情を伴っていた。

 初めて見た幼馴染のその様に、草地は知らず驚いた。


「だから、さっさとその腕、なんとかして此処から出るぞ。あの化け物がいつ来るか分かんねーからな」

「金城、俺は」

「足手まといは黙ってろ。お前は黙って俺に従って、俺に助けられろ。文句なら後で幾らでも聞いてやるし、そのぶん大きな貸しをテメーに叩き付けてやる」


 「この際、思いっきり痛がれば良い」と、金城は構わず草地の腕の骨を出来るだけ一つに繋げられるよう、真っ直ぐに伸ばし、パイプを当てる。そしてそれを固定せさるために布きれを腕に何重にも巻いた。だが、やはり小心者でその動きはどこか恐々としており、鈍い動作は草地に更に強烈な痛みを味わわせた。だが、草地も意地っ張り故に声を上げず、歯を食いしばって平然としたような顔で我慢をする。

 不器用ながらも無事、腕に包帯もどきを巻くことが出来た金城は、リュックに入っていたタオルを草地の首に回して、そこから大きな輪っかを作って折れた腕を通した。


「これで、よし」

「……お前の鞄はなにえもんのポケットだ……」


 呆れ通り越して感心した視線を、草地は金城のリュックサックへ寄越した。その周りには幾多もののスクリーンやリモコン、大型の水鉄砲などの沢山の物が乱雑に散らばっていた。それを全てまとめて鞄に仕舞ったら、とんでもなく重いのではないのかと少し心配そうに金城へと視線を向ける。すると案の定、鞄へと再び物をしまいこむ金城は苦痛に歪んだ顔で、時折肩を回していた。随分と辛かったようだ。

 しばらくして、やっとリュックを片付け終わった金城はいくつか要らないものをついでに整理してゴミ箱へと捨てた。これで鞄も大分軽くなるだろう。嘆息を漏らすと、ふとあることを思い出して金城は「あ、」と声をあげる。


「草地、お前もう一つ、罪おかしてたぞ」

「なんだ?」


 小さく開けた扉の隙間から外の様子を伺っていた草地が、後ろの金城を振り返る。


「俺が十年分溜めたお小遣い、お前のせいで全部なくなった」

「……」


 この時、草地は思わず口を滑らしそうになった。


 ――知るか。


 今度こそ草地は呆れの視線を金城に寄越す。自分のために綿密な計画を練って、そのために全財産を使い切ってしまったと金城は愚痴をこぼしていたが、正直そんなこと知ったことではない。先ほど金城が自身で言ったように、それは奴が勝手にやったことであり、草地には関係のないことなのだ。


「……たく、」


 自然と溜息が漏れる。だが、不思議と心は落ち着いていた。さざ波のように長い間そよいでいた不安は静かに止まり、いつもの日常がほんの少しだけ戻ってきたような気がして、草地は小さな笑みを零した。認めたくはないが、恐らく目の前に居る のお蔭なのだろう。


「金城」

「……あ?」

「策はあるのか?」

「……」

「おい、」


 ダラダラと冷汗を洪水のように流す金城を見て、草地は顔をひきつらせた。まさか、なんとなくそんな予感はしていたが……本当に無かったとは。収まったはずの不安が再び顔を出し始めた。


「い、いや! あるぞ!? ……逃げ道は一応公式サイトの地図見て、頭ン中で構成してきんだけど……ほら。あの化け物につぎ見つかったら、どうしようかなー……なーんて」


 うようよと左右へ泳ぐ視線。行政機関の公式サイトに乗っている地図を見ている時点で、金城の無計画さが垣間見えたような気がした。否、確かに一般市民である金城たちでは、ネットの公式サイトを調べるのが限界だし、他に良い方法は無いだろう。あるには、あるかもしれないが、それは危険なテロリストと手を組むことになるので却下だ。


 だとしても、だ。


 此処が危険な場所なのは端から分かっていたはずだし、玖叉のあの馬鹿力は既に見ていたのだから、普通はもう少しちゃんと考えるだろう。草地は金城を諌めた。お前はどこまで後先を考えない馬鹿なんだ、と。それに対して金城は多少引き気味になりながらも反論する。


「いや、ちゃんと考えてるよ!? たださぁ、なんというかさ……あまりにも化け物染みていたから……その怖いなぁー、なーんて」


 それこそ今更である。

 長嘆息する草地。「けど、まあ……奴らの能力ワイズのことも知らなかったわけだし、仕方がないか」と、心の広い草地は金城にその事について教えてやった。


「……まじ?」

「ああ、大マジだ」

「……え、特殊武装って、え? エスパーちゃんもどき? マトリック●? そんなのあり?」

「ありだ」

「いやいやいやいやいやいやいや……ぇえ?」


 ブンブンブンブン。扇風機のハネのように首を振る金城。だが、草地の真剣な目を見てようやく信じるようになったのか、最後には情けない声を漏らした。


「……俺の計画、通用するかな……」


 ふと、周到であったはずの自身の計画に不安を覚えた金城は、物憂げな発言をした。その瞬間、


「「――!!」」


 扉の向こう側から、けたたましい音が聞こえてきた。まるで、壁が突き破られたような轟音だ。


「……え、あれ来ちゃった? え!? もう!? どうすんの、これじゃあ外に出れないじゃん!?」

「……馬鹿! 声がでかい! 一旦隠れるぞ、来い」


 いつの間にか草地に場を取り仕切られてしまった金城。折れていない左腕で草地に一番奥の個室トイレへと引きずり込まれる。


「声、出すなよ。なるべく息も潜めてろ」

(……なんか、いつの間にか立場が逆になってるんですけど)


 逆転してしまった立ち位置に金城は少しの不満を覚えた。なぜだ、と自問自答を繰り返す。

 そんな金城とは裏腹に、草地は壁に背中をくっつけて耳を澄ました。騒音は未だに止まず、男が無差別に壁、あるいはドアを破壊しているのが分かる。先ほどの音からして間違いなく外の廊下に居るのだろう。ドアを破壊しているのは、一つ一つの部屋を確認しているためか――。


 このままでは、数分もしないうちに辿り着かれてしまう。けれども今ここを飛び出してしまえば、間違いなく同じ廊下に居る奴に見つかってしまうだろう。


(……八方塞がりか)


 草地は頭を抱えた。


 少しずつ、少しずつ、男がこちらに近づいてきているのが音で分かった。

 たらり。草地の頬に再び汗が流れ始め、胸が焦燥感に駆られる。どうすればいい?


 そんな草地を見て、金城は顔を引き締めた。奴の包帯だらけの腕に視線を向けて、今度は己の体を見る。先ほど男に痛めつけられたせいか、服を少し捲れば痣が彼方此方から覗いて見えた。だが、どれも軽症だ。男はやはり手加減していたようで、金城はまだ十分に動ける。

 スッと床についていた腰を上げて、草地を自分の後ろへ下がらせた。


「……金城?」


 背中のリュックを再度下ろして、ゴソゴソと中を探る。


「これ、」


 金城が差し出した紙媒体のメモ用紙には、処刑場の地図が殴り書きされてあった。


「サイトで見つけた此処の見取図。一応、お前がもっといて」

「は……?」

「あいつが来たら此処を突破する。走る準備しとけよ」


 スラスラと金城の口から滑り出る指示に、草地は目を白黒させた。突破するとは、どういうことだ? 奴は一体どうやってあの男を出し抜くつもりだ?

 まさか、またあの爆弾を此処で使うのかと少し身構えたがそんな気配は見えず、金城は鞄から取り出した水鉄砲をなにやら弄っていた。


「……金城、それはなんだ?」

「水鉄砲」

「いや、見れば分かる」


 見た通りの答えを返す金城を、草地は唖然と見つめた。まさか、その玩具で戦うつもりじゃないだろうな、と口をひきつらせる。先ほどエアガンで無茶をしていたのを思いだして、頭を抱えそうになった。そして続けざま、あることに気付いて疑問の声を上げた。


「……そういえばお前。あの爆弾どこから持って来たんだ?」

「作った」


 ――作った?


 草地の思考が一瞬停止した。今、この男は爆弾を作ったと言ったか?

 そのもっとも不可解で、非現実的な言葉に、草地は思わず大声をあげそうになった。


「っ、お前、作ったって一体……!」


 信じがたい事実に得体のしれない不安を覚え、草地は金城に詰め寄ろうとした。だがそれは間近で響いた騒音によって断念される。大きな音に、トイレに隠れる二人は息を飲んだ。


「――ここか?」


 男の声が聞こえた。玖叉だ。

 トイレの扉は閉じており、外の現状は確認できないが、恐らく男はドアを蹴破ってきたのだろう。先ほどの音は壁が壊されたような鈍い音ではなく、ドアが壁にぶつかる高い音だった。その証拠に外の扉は壊れてしまったのか、金具がキイキイと鳴く音が聞こえてきた。


 コツコツ。男が室内に入ってきたのが靴音で分かった。


 「まるで昔の下手なサスペンス映画みたいだ」と、金城は早まる鼓動を抑えながらくだらない思考を回す。


「おい、居るのかぁ?」


 平然としたその声色に「やはり男の怪我は治ったらしい」と、金城はホッとすると同時に気落ちする自分に気付いて、複雑な顔をした。怪我が治ったのは確かに良いことだが、それで男たちが自分たちの後を追うことが出来たと思うと、素直に喜べないのだ。

 だが、あんな目に会っておきながら、そして、あんなことをしておきながら、金城は玖叉を案じていた。自分が殺人を犯すということに対して不安を抱いていたことも、理由にある。金城は「罪悪感と言うものを、なるべく味わいたくない」という思考を持つ、ある意味自分本位な男なのだ。


 コツコツ。男の足音が近づいてくる。次いでコンコン、と一番手前の個室トイレの扉を叩く音がした。


「Knock knock, who’s there? (コンコン。其処に居るのは誰だ?)」


 流暢に紡がれる言葉の意味を、金城はなんとなく察した。


(だれも居ねーよ……)


 スルリ、手に持った大きめの水鉄砲を構える。銃口の近くにはテープで貼り付けた丈夫な針金が伸びており、その先端には《ある物》が取り付けられている。金城は《それ》がちゃんと固定されていることを確認すると、僅かに頷いた。背中のリュックを背負いなおして、仮面を再び被る。


「草地、あいつが来たらドアを開ける。隙をついて此処から出るから準備しておけよ。何があっても立ち止まるな、驚くな。走れ」

「……わかった」


 呟くように子声で紡ぎだされた言葉に草地は多少の不満を覚えたが、今はそうしている場合ではないと静かに頭を振った。疑問は幾つか未だに残っているが、それは後にしよう。草地は今の自分に出来ることは、「金城を信じることだけだ」と理解していた。

 何がかは分からない。何故かも分からない。だが、目の前の金城はいつもと違うように見えた。あの間抜けでバカみたいな雰囲気は為りを潜め、今は別人のように見えるのだ。そこには、不思議と草地を信じさせる《何か》があった。


「Knock knock, who’s there?」


 鈍い轟音が響いた。男――玖叉はその質問を繰り返す度に、ドアを破壊していった。けたたましい音が何度も響く。

 壊れた衝撃で、僅かの埃が舞い上がっていることに金城は気づいた。埃はこちらまで流れてきている。

 そうして、何度ドアを破壊されただろうか。ずっと、自身が居る個室まで玖叉が来るのを待っていた金城には、分からない。ただ、震える体を叱咤しながら身構えた。


「Knock knock,」


 ――来た。


「Who’s therっ……!?」


 目の前のドアがノックされる瞬間、金城はドアを蹴り開けた。男は驚いたように開いたドアを、後ろへと一歩下がることで避ける。視界のドアが完全に開くと同時に金城は水鉄砲の引き金を引いた。すると、


「っ!!?」


 激しい炎がその銃口から噴射された。




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