10.玖叉充という男(後)
充が次に目覚めたときには、全てが終わっていた。
闇に沈んでいた意識を取り戻せば、彼は病院のベッドの上に横たわっていたのだ。
目を開けた彼を、母親が嗚咽をもらしながら抱きしめている。
『――ごめんね。ごめんね』
充を置いて日本へ帰国したことを悔いているようだった。真っ赤に腫れぼった目を見るに、ずっと泣いていたのだろう。充はそんな彼女を感慨もなく、ただボーっと見つめた。
黒い制服姿の男たちは警察だった。「最近、やたらと森で銃声が響く」と少し離れた村奥の住民から通報が届き、過度な狩猟を危惧した彼らが来たらしい。そして偶然にも充を心配して来た母と鉢合わせ、森の中を彼女に案内させたのだ。
母は驚愕していた。まさか、元夫と息子がこんなことになっていたなんて。彼女はその事実に打ちひしがれ、悲観し、涙を零した。なぜ、気付かなかったのかと――。
充の体には幸いなんの異常も見当たらず、直ぐに退院することが出来た。だが、警察の事情聴取によってしばらく多忙は続いた。事件はニュースとして大きく報道されたが、事実とは多少異なっていた。充が『狩り』に関する話を一切拒んだからだ。
事件から数日後、亡くなった老母を葬式で弔い、全ての問題が片付くと充は母親に引き取られた。
母親には三歳になる娘が出来ていた。娘はブロンドに、充と同じ琥珀色の瞳をしていた。母親はまた外国人と再婚していたようだった。
母親が英国に来たのは充の様子見というわけではなく、実際は此処に移り住むためだったらしい。再婚した旦那が仕事で駐在することになったのでそれに追いてきたのだ。
本当は事前に充たちに連絡しようとしたのだが、電話はなぜか繋がらず、怪しんだ彼女は家族よりも一足先に英国に来ていた。そうして、事件現場を目の当たりにし、今へと状況は繋がる。
充は新しい家族と共にロンドンの郊外――《モアパーク》へと移り住むことになった。そこはピータバラと比べれば緑は少ないかもしれないが、それでも十分に自然の豊かな場所だった。
充は近くにある男子校、『マーチャンテイラーズ校』へと通い始めた。其処は広い敷地を誇り、森や川、湖までもを所有していた。建築物も立派で、校舎はどれも大きく、伝統のある外装を保っている。
学園は間違いなく、レベルの高い所謂『エリート校』ではあったが、腐っても研究者である父親に勉強を教えられていたためか、充は簡単に、学園に入学することが出来た。
――父は処刑された。
英国は日本ほど犯罪に厳しくはなく、どちらかと言うと「緩い」国としても知られている。それでも《クリミナルスワイプ》と言うシステムがある今、罪を犯した者にはそれなりの重い処罰が下されていた。充の父親は殺人罪。十分に重い罪だった。だから処刑判決が下されるのも、その数日後に刑が執行されるのも可笑しなことではない。そう、可笑しなことではなかったのだ。
事実、そのことに関して充は何も感じなかった。あれほど父を慕い、畏怖の念を抱きつつも想っていたはずなのに、その父親に何が起きても充が感情を覚えることはなくなっていた。
充の感情は欠落していた。何も感じないわけではない、思考だってしている。だがそれだけだ。喜ぶこともなければ、悲しむことも、怒ることもない。「心が動く」ということが無かったのだ。
その事実を僅かながらも感じ取っていた充の母親は、事件のこともあって充を腫れ物のように扱った。新しくできた義父も然り。唯一そんな充と普通に接していたのは、八つ離れた妹だけだった。
学校でも充と自ら接しようとする者はいない。別に充を恐れてというわけではない。ただ、どんなに話しかけようが、どんな話題を出そうが、奴が生返事しか返さないから「つるむ」と言う気を失くしていただけだ。
そうして、充は無感動に学校生活を過ごし、高校生になった。奴は相変わらずのようになんとなく授業を受け、なんとなくな気持ちで日々を過ごしていた。
そんな時だった。
『――玖叉。お前、まだ進路とか決めてないのか?』
高校一年の終わり、夏。Alevelという名の大学受験のようなものが翌年から始まることで、充は担任の教師に呼び出された。
Alevelでは、生徒自身が学ぶ教科を三つか四つに絞らなければならないのだが、充はその教科を未だに決めていなかった。だから呼び出されたのだ。
がらんとした空っぽの教室で、充は教卓の前の席に腰掛けていた。相対する教師は禿げ散らかった頭を悩ましげに撫でながら唸るように声を上げた。
『――なんか、やりたいこととか無いのか?』
やりたいこと、と聞かれて、充は眠たげな眼を窓の外へ向けて考えた。硝子越しに、ちょうど学校の敷地内の林が見えて、ふと思考を吐露する。
『なんか、俺に
その言葉に教師は頭を悩ませた。「スリル」とは、なんだ。
再び抱えそうになる頭を抑えながらも、手の中にある玖叉の成績表を見て、「じゃあ、これはどうだ」と提案する。
『――警察官ってのはどうだ?』
『警察……?』
教師はにんまりと笑って頷いた。
『お前、成績もいいし、体育でも目を見張る身体能力を持っているからなぁ。丁度いいだろ。よし。お前、「
満足そうに頭を縦に振る教師を見て、充はその単語の意味を噛み砕くように反復した。
『――けい、さつ』
《過去の事件》の際に現れた黒い警官たちを思いだして、息を漏らす。
――まあ、いいか。
無事、三つの教科が決まった充はあっさりと《
けれど、その朗報に対して、玖叉はやはりなんの感動も覚えなかった。
家族がそろって祝いの
こうして、自分は何も感じずに生きていくのかな、なんて少し憂う気持ちが充にはあった。だが、それだけだ。ただ、何事もなく毎日を過ごすつまらない人生。それも仕方がないのかもしれない、なんて奴は思考する。
充の再生能力を知るものは亡くなった父親以外、誰もいなかった。病院で検査された時は「自己修復能力というか、傷が治るのが速いですね」と言われただけで大して騒がれもしなかった。
実際、あのとき充が得た再生力は今では見ることが無くなっていたのだ。指を切ってもすぐに傷口が塞がるわけでもなく、翌日には薄らと消え始めている程度だった。まあ、その時点で既に早いと言えるのかもしれないが。けれど、逸脱としたものではなかった。
――だが、「それ」もすぐに戻ってくることとなる。
◆ ◆
二一〇二年、夏。
無事警察官になれた充は、大きな事件に偶然にも鉢合わせてしまっていた。
休日、銀行のキャッシュマシンでお金を下ろそうとした時、強盗団と居合わせたのだ。男たちは擬態ホログラムを自らに施し、道化のような格好で客や銀行員を脅していた。
手には《
『――手を頭の後ろに回して伏せろ』
主犯らしき男はその銃を天井に向けて発砲し、人質に強要した。白と灰色で統一された室内が静寂で支配される。弾丸は天井に見事な蜘蛛の巣のような罅を作りながら埋まっていた。
店内の人間たちが恐々としながらも、大人しく床に伏せる。
充は一人、思った。
――これ、なんとかした方がいいのか。
周りが犯人の指示に従う中、充は未だに立ったまま、ボンヤリと男たちを眺めていた。
――これなら、なんとなくいけそうだな。
見たところ、数は五人。自分一人でもなんとか出来るだろう。
そう確信した充は、白いタイル張りの床の上へと、一歩足を踏み出した。
『――おい、お前。何を……っ!』
一瞬だった。気が付いたときには、男たちの視界を覆い尽くすほどの近距離に充は迫っていた。そのまま首に強い打撃を与えて一人を気絶させる。場が静まり返った。
そして一瞬の躊躇によって強盗団に生じた隙を利用して、充は残りを一気に片付けた。
充はこの時既に、異様に強い脚力と強靭な肉体を誇っていた。それは大学での過酷な訓練の賜物でもあったが、父親の苛烈な狩りの成果から来るものでもあった。
あの地獄の日々の中、極限まで痛めつけられ続けた充の身体は、繰り返される怪我と治療によって、徐々に頑丈なものへと変わっていったのだ。
脚は森の中、駆け続けることで強い瞬発力を有するようになり、神経はどんなに小さな気配にでも気付く鋭いものへとなっていた。
人質が唖然とする中、いつの間にか呼ばれていた警察が現場に駆けつけた。あっという間に収められていた場に、警官たちも他のものたち同様、驚然としながらも事件の収拾に取り組む。そうして、人質を解放すると同時に混沌とする犯人たちを連行していった。
充は一人の警察官による事情聴取を受けていた。
『――なるほど。玖叉巡査か。見事なもんだな、まさか一人で奴らを片付けるとは』
怪しむ他の警察官とは反対に、男は感心していたようだった。賛否の声が聞こえてくる中、充はどうでもよさげな顔をした。銀行はなんの被害も負うことなく、きれいなままだった。その事実に銀行員たちは感謝の意を示していたが、それにも充は相変わらず関心を示さなかった。そんな時だった。
『――誰かぁ!』
銃声が響いた。驚いた充はその発砲源に目を向ける。そこには腕を抑えて蹲る警察官が一人いた。
『――おい、どうした!?』
『――、男が、ひとり……拳銃を持って、』
『ボディチェックをしなかったのか!?』
どうやら強盗団を逮捕する際、その男は他の武器の有無を確認しなかったようだ。そうして、連行される隙を突いて、撃たれたらしい。
『――どっちへ逃げた?』
『ろじ、うらの方……』
男が指さす先は銀行の外、他の店の壁と壁の間にある小さな路だった。
充は犯人を逃がす前に、咄嗟に走りだした。
『――あ、待て!』
後ろで怒号が聞こえたが充は構わず犯人を追いかけた。そのまま驚異的な脚力で路地を走り抜け、あっというまに男に追い着いた。だが、次の瞬間――。
足を、何かが貫通した。
思わず体制が崩れて充はアスファルトの上で跪いた。じゃり、と間近で石を踏みしめる音が聞こえた。充は膝をついたまま顔を上げる。黒い銃口が視界に映った。
犯人である男は引き金に指を伸ばし、今にも引こうとしていた。照準が充の額に定められている。恐らくその引き金を引かれたら最後、充は脳髄を撃ちぬかれて死ぬのだろう。
――死ぬ?
その瞬間、充の心臓がドクンと一際大きく跳ねた。
何かが彼の胸の中で生まれた瞬間だった。
その感情が恐怖か、焦燥か、なんなのかは充には分からなかった。けど、充の中には確かに感情というものが大きく揺れ動いていた。
男がゆっくりと引き金を引くその僅かな間――充の手が、動いた。
再び響いた銃声。
弾丸は標的の斜め上を走り、的外れな壁に当たる。熱を持った銃口は充の手に握られていた。男は思わず悲鳴を上げた。必死に銃を握る手を振り解こうとするが、充によって捕まれた
地に跪く充に、男は不思議と恐怖を抱いた。俯いていた顔が徐々に上がっていく。
其処には、猛攻な笑みが浮かんでいた――。
◆ ◆
――数分後。一人の警官が二人に追いついた時には、全て終わっていた。
辺りは静かだった。聞こえるのは息切れした警官本人の呼吸だけで他には何も聞こえない。細い路地裏の中、《黒ずくめの男》の背が見える。警官は汗を拭いながら目の前に佇む男へと近づいた。
おい。そう声をかけようとした。だが、警官は踏みとどまった。《黒ずくめの男》の足元に何かが見えたからだ。それは真っ赤に染まり、口をパカリと開けたまま意識を失くしているように見えた。咥内からは血に染まった歯が覗き、何本か折れているのが分かる。骨格は大きく歪み、変形していた。
警官は、《それ》が誰だか一瞬分からなかった。だが、《それ》が着ているタートルネックに視線が行き着いて、警官は瞬時に理解した。
其処に横たわっていたのは、強盗犯の一人だった。
仰向けに、死体のように転がる血だらけの男――
事実、男は半殺しにされていた。臓器の幾つかは外部からによる打撃で潰され、折れたあばらが何本か内臓に突き刺さっていた。瀕死の状態と言ってもいい。
警官は《黒ずくめの男》に目を向けた。その男の顔は、涅色の髪の下に隠れていて見えない。だが、手は確かに血で濡れており、黒いズボンには何故か穴が空いていた。しかし、
《黒ずくめの男》――充に、警官は疑心を抱いた。
強盗犯の男は病院へと緊急搬送され、充は警察署で再び事情聴取を受けた。犯人捕獲と正当防衛のため、本人に非はないと判断はされたが、「やりすぎ」とのことで一週間の謹慎処分をくらった。
その一週間の間、充は一人、アパートの部屋に閉じこもっていた。
室内はそれなりに広く、新しい。独り暮らしの充には贅沢に思える住居だった。
最上階の其処からは街が見下ろせ、天気の良い日は燦然と輝く
ポンと、家具が殆ど無い空間に置かれた黒いソファの上で、充は寝そべっていた。頭を肘掛けに乗せて、ボンヤリと先日のことを思い出す。
――久しぶりに《感情》というものを覚えた。
スルリ、黒のブラウス越しに自身の心臓を撫でる。
目を閉じなくとも、充にはあの時のことがありありと思い出せた。男に銃口を向けられた瞬間、跳ねた鼓動、湧き上がる衝動、うずうずと疼きだす体。
口角が、自然と上がった。
それは、快感だった。
命を危険に曝された瞬間、死ぬかもしれないと危機感を覚えた心臓はバクバクと鼓動を速め、脳からはアドレナリンが全身へと放出された。
感情が大袈裟に揺れ動き、充の中に激動を生み出した。
充は己が「生きていること」を、久しぶりに実感したのだ。
父との間で何度も繰り返される狩猟の中、充は命をかけていた。疲れて動かない腕、痺れて震える足。充はいつだって極限状態にいた。
何度も恐怖を感じ、何度も死にそうな目にあい、そうして生還する度、充は己が生きていることを実感した。狂ったレコードのようにリピートされる感情はいつしか充の感覚を麻痺させていた。
充は例えどんなことがあっても、それは父との「触れ合い」に比べたら些細なことに思えたのだ。
充の心の感覚は、完全に狂っていた。
充自身もそれに気づいていた。だからこそ、彼は心が動いたあの時、快感を覚えたのだ。
薄い唇から吐息が漏れる。熱いような、冷たいような、形容のし難い吐息だ。だが、思考は間違いなく叫んでいた。
――もっと、と。
◆ ◆
謹慎処分が解けて仕事に復帰した充は、溺れるように色んな事件に取り組んだ。そうして、仕事を片付けるたびに周囲は彼を恐れた。
充は勘が鋭く、頭もよく働く男だった。刑事へと昇格した彼の捜査能力には目を見張るものがあったが、もう一つ、別の意味で目を見張るようなものがあったのだ。
犯人を捕まえる際の《挙行》だ。
人の目に《それ》はとち狂ったように映り、精神病質者を何度か思わせた。
普段から充は、撃たれることも構わず、骨が折れていることにも気づかず、真っ向から犯人にぶつかっていたのだ。《
だが、大きな傷を負ったにも関わらず充はいつもピンピンとしていた。平気そうに動くその体は重傷を負っているはずなのに、奴は同僚に救急車を呼ぶことさえも許さなかったのだ。曰く、「あとで、行けば大丈夫」だそうだ。その実、充は事件の翌日にはいつもどおり出所していた。
《現場》から離れれば、とち狂ったような表情は為りを潜め、充はその時だけはいつも正常に見えた。そう、普通なのだ。行動も姿勢も、その動作も。問題なさげに動く体は重傷を負っているはずなのに、そんな気配は一切しなかった。
誰かが、一度囁いた。あの男の手傷が見る見るうちに治っていく瞬間を見てしまった、と。
その言葉は瞬く間に警察中に回り、いつしか誰もが彼を恐れるようになった。
『化け物』と――。
そんなこともあり――次から次へと、節操なく仕事を片付けていく充のその様は確かに異様で、誰もが彼から距離を一歩置くようになった。そうして、充は一人で仕事を熟すようになり、気が付けば「飽きてしまっていた」。
味に慣れてしまったのだ。最近の凶悪犯はどれも似たような者ばかりで芸がない。充は何かを物足りなく感じていた。
単純な犯行を起こす凶悪犯らの次の動きはすっかり読めるようになってしまい、容易く避けられる。これでは、《命の実感》という名の快感を味わえない。
充はもっと、自分が予測できない攻撃を仕掛けられる者を求めるようになった。だが、いくら待てども暮せども、「誰か」が現れてくれる気配は一向になかった。
充は再び、この世界に絶望しはじめていた。
そんな時だった。
『――君が、
艶のあるアルトが聞こえた。白い廊下を振り返ると、其処には静かに佇む男が居た。薄茶色の髪に栗色の瞳。スッと通った鼻筋の下では薄い唇が弧を描いていた。だが、その眼は笑っているように見えて、笑っていない。
一七〇センチほどの男を、充は一八〇センチの長身で見下ろす。
充の細身ながらも強健な肉体には隙が無く、相対する男もまた重ねた年からか只者ならぬ雰囲気を漂わせていた。見たところ、年齢は三十そこそこに見えた。
先ほどの流暢な日本語とその容姿からして日本人の様だった。清潔感のある顔は、彼をとても食えない人間に見せている。
充は眉を顰めた。
『――なんだ、テメー』
『――初めまして、私の名前は
背広のポケットから出された電子型の手帳には、法務省の文字が確かに見えた。そしてその下には、
『――死刑執行部隊?』
なんだ、それは。充は怪しむように視線を男――宇佐美に向けた。だが、その視線を意に介さず、宇佐美は朗らかに笑った。
『――まあ、平たく言えば死刑を執行するものだね』
『まんまじゃねーか』
『そうだね』
沈黙が降りた。充は顔をひきつらせる。
『それが俺になんの用だ』
『――いやね、ちょっとした用件でこちらに来てみたら、君の話を耳にしたものでね。探していたのさ』
『――はぁ?』
充は益々顔を険しくさせた。それでも宇佐美がその笑みを取り去ることはない。
『うちに来る気はないかい?』
『……何?』
『所謂、ヘッドハンテイングだよ』
充の表情が少し和らいだ。片眉が上がる。
『なんのつもりだ?』
『うちの部署はまだ人が少なくてね。丁度だれか欲しいと思っていたんだ。そこで、君を見つけた』
充は問う。何故。
『――君、スリルは好きかい?』
ピクリ、充の米神が微かに反応した。それを見逃さなかった宇佐美はすかさず続ける。
『――君に更なる《力》と《機会》を与えよう。その代わり、君には我が国に潜む犯罪者たちを狩り取ってほしい……処刑という名の形で』
『ただの処刑のどこに、スリルがある。ただ、殺すだけだろう。大体テメーの国に犯罪者なんざ殆ど居ねーじゃねーか』
その言葉に珍しく宇佐美は嘆息を漏らした。
『――そうだね。確かに我が国に蔓延る犯罪者は少ない。だが、その分だけ厄介なのが沢山、居てね……苦労してるんだよ』
『――厄介?』
充が興味を示したのを良いことに宇佐美はあざとく続けた。
『そう、厄介。彼らは人数が少ない分、器用だ。年密な計画を立てては、面倒くさい騒ぎを起こしてくるんだよ。その中で何度捕まえても、逃げ出すような奴もいてね……大変なんだ』
ぞくり。玖叉の背筋に震えが走り、胸の中で期待が湧き上がった。
『――他国ではあまり知られていないかもしれないけど、我々は死刑囚の身柄確保と刑の執行を主の仕事とし、また刑執行を妨げる人間への攻撃も認められているんだ。だから、他部署と比べたらウチは物騒な仕事をしているんだよ。
殺し合いなんて日常茶飯事。死刑囚だからその分、相手は危険な思考はしてるし、トリッキーな罠を張ってくる輩もいる。
私たちはそんな奴らを捕まえて処刑しなくちゃいけないんだよ。死刑対象の犯罪者は、殆どうち以外に誰も相手することを許されていないからね』
その言葉に充の胸は高揚した。にやり、と無意識に口が笑む。その表情の変化を捕らえた宇佐美もまた、薄らと笑みを浮かべていた。
『――そいつらは、
『強い、というよりさっきも言った通り厄介だね。凶悪だよ。中には頭脳的な奴もいる』
――十分だ。
つまらなさそうにしていた顔が、一気に輝いた。
充は直感した、この男の国には――日本には、英国以上の『何か』が隠されている。それこそ未知の、危険な『何か』が――。
こうして二一〇三年、夏。
ロンドン警察庁から、一人の男が姿を消した。
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