6.処刑場へのご招待

 午後三時五九分。「二子新地」行きバス内。

 草地を警察から引き離すことに成功した金城は、興奮していた。


「ふっ……」


 自身でも気分が高揚してゆくのが分かった。体が震える。腹の奥から何かが競りあがってきて、それをぶちまけたい衝動に、金城は駆られた。

 口角が徐々に吊り上がる。


「ふはーはーはー……」


 喉を震わせながら口から飛び出る声は、どこか可笑しかった。高いような、低いような、不思議な声だ。

 手に握るリモコンは震え、スクリーンを見つめる目が三日月の様に細まる。


「ふへ、ふえへへへへへえへへへへへ」


 ついに感情を抑えきれず、笑い声のような奇声が金城の口から漏れた。そのまま、湧き上がる衝動に任せて――立ち上がる。


「――いよっしゃ、うっしゃ、うるしゃあ! 見たか畜生目! 俺の勝ちだ、ウィナーだ、ヴィクトリーだ! イエス、アイ、キャン! いやっふうぅぅぅぅっ!」


 雄叫びのような声が、腹の底から溢れ出た。

 最後には口笛を吹くように叫び、両手の親指を立ててクロス、という可笑しなポーズを取ってしまうほどには――興奮していた。それこそ、精神障害者を思わせるぐらいには。

 ——だが、そんな自分を誰が責められようか。何故なら自分は敵である行政機関を出し抜き、完全にとは言えないが、草地を奴らの手から奪還することに成功した。

 これは紛れもない事実であり、その事に自分は《狂怖きょうふ》したのだ。


 そう、《狂怖きょうふ》。

 「狂喜」と「恐怖」が混ざり、金城の頭の螺子は狂っていた。否、正確に言えば。草地を乗せた車を無事発進させられた瞬間、彼の頭に刺さっていた理性の螺子は吹き飛び、ロケットのように遥か彼方へと噴射されたのだ。

 喜べば良いのか、恐怖すれば良いのか、正直金城には分からなかった。

 草地がこれで処刑されずに済むのは喜ばしいことだ、だが同時に、金城理人という人間は大きな罪を犯し、完全に処刑対象となってしまったのだ。引き下がれないのは解っている。覚悟はもう決めた。だが、それでも恐怖は拭いきれなかった。


 ――もし、見つかってしまったら、俺は。


 その先の想像をすることに、脳は拒否反応を起こし、自然と喜びのほうへと心の天秤を傾ける。草地は、死なない。俺は警察を出し抜いた。そんな俺は凄い。そうやって、金城は無理やり思考を良い方向へと走らせ、小躍を始めた。そうして、


「あ、っほっれ、っほっれー!」


 ――なんて言いながら、座席の上に乗せた真っ黒なスクリーンに向けてお尻を振っているわけだが。実際は、


(ごめんなさいごめんなさい。本当に申し訳ありませんでした。へい、俺は屑です。アホです。とんまです。●●ピーです。ほんとスミマセンでした。どうぞ私めの頭を踏んづけてくださいまし女王様、王様、ヘリカブト様)


 なんて、涙目で頭の中で土下座していたりする。こんなことをしている場合ではないと自身でも理解しているのだが、如何せん今回の事は流石に重量オーバーだ。

 こんな事件を起こしておきながら言うのもなんだが、自分は庶民だ。一般人だ。どこぞのテロリストではない。こんなことはやったこともなければ、奴らのように所謂「崇高な使命」を掲げこともないのだ。


 ふう、と金城は息を吐き出して、自分を落ち着かせた。早鐘を打つ胸に触れて、大丈夫、俺は大丈夫だと、そう自分に言い聞かせる。

 しばらくして、思考が再び正常に働きだし、だいぶ冷めてきた頭で、金城は周りを見渡した。そして、ふとある事に気がつく。


「……」


 こちらを訝しげに見る影が、一つ。


「……金城くん。あなた、何してるの?」


 ――なえセンだった。


 最悪だ。金城は思わず顔を歪めた。

 突然の事態の急変にパニックを起こし、正常な判断を失い、可笑しな言動を金城は繰り返してしまった。そんな彼を、周りが引いたような目で見るのは仕方ない。

 事実、目の前の彼女以外にあと二対、冷たい目で金城を見る数少ない乗客員が居た。ただ、バスのAIロボットは感情なんてものは持ち合わせていないので、こちらを振りむきもしない。

 それがちょっと悲しいような、ホッとしたような、複雑な気持ちを金城は抱いた。だが、問題はではない。

 観念して、目の前の女性へと気まずげに視線を戻す。


「あなた、頭大丈夫?」


 ――余計なお世話だ。


 なにか可哀想な者を見るように、声をかける『なえセン』に金城は思わず即答した。あくまで、心の中でだが。


「はい、すみません。オンラインゲームに嵌ってて、つい声を上げてしまいました」

「……お尻も何か振ってたけど」


 ―――そこから見てたのかお前は。


 当たり前だ。いつの間にこのバスに乗車していたのかは知らないが、あれだけ騒げば誰でも見てしまうだろう。

 だが、金城としては出来れば触れてほしくなかった。記憶から抹消するか、それが出来ないなら、そっとしておいて欲しかった。本当に、出来れば、口に出して蒸し返して欲しくなかった。「触るなよ。常識だろう」と、金城は頭の中で 『なえセン』を罵倒する。

 そもそも、だ。何故、『なえセン』、もとい、土宮つちみや香苗かなえは此処に居るのだろうか。

 確かに今日は休日だし、何をするかは彼女の自由だが、何故、スーツを着用している。そして一言余計だが、相変わらず化粧が濃い。

 化粧の匂いが少し強すぎて、金城は思わず眉を顰めた。

 その表情の変化に気づいたのか、『なえセン』は一瞬顔を歪ませると、溜息をこれ見よがしに吐く。


「……まあ、いいけど。此処は公共の場よ。少し、慎みなさい」

「はい、すみません」


 それだけを言うと、『なえセン』は座席へと戻った。珍しい、いつもならもっとネチネチとしつこく言ってくるのに。

 金城は少し首を傾けた。けど、今はそれを気にしている場合ではない。

 座席の隣に設置されているモニターのボタンを押して、次の駅を確認する。目的の駅まで、あと七駅はあった。そこから十五分ほど歩いた人目の少ない所で、草地と落ち合うつもりだから、ワゴン車は途中で捨てさせる算段である。

 草地を待ち合わせ場所まで誘導させるための裏ルートを、金城は記憶を頼りに、頭の中で展開した。此処に来る前に一応地図は、しっかりと覚えてきたのだ。

 誰にも見られないように、暗くしていたスクリーンをもう一度明るくして、股の間に設置する。そして身体で覆い隠すように身を縮こまらせながら、金城は草地の様子を確認した。


 ―――草地は、警戒していた。


「……なんで?」


 ポツリと金城は疑問を零したが、草地がそうなるのは当然だった。

 金城は、草地になんの相談もせずに勝手に犯行を進めたのだ。草地の前に立つドールの正体が誰かなんて、分かるはずがない。分かったら草地はとんでもないエスパーだ。

 なんとか草地にドールの正体が自分だと伝えられないか、金城は頭を捻った。だが、なかなか良い案が浮かばず、頭を掻き毟る。喋ろうにもドールにそんな機能はついていないので出来ない。とりあえず、草地を安心させようとドールに親指を立てさせた。


 ―――今度は後退られた。


「……ええ、」


 親指を立てただけなのに、何故そこで引かれたのか金城にはよく分からなかった。困った、とまた頭を捻る。そして、ふと草地の漫画好きを思いだした。これはどうだろうか、と、ある古いギャグをかましてみる。


 ―――シェーのポーズだ。


 これに一時期はまった事があった金城は、草地と店番をしていた際によく真似をしていた。このギャグは最近の年寄りも殆ど知らず、草地か金城自身にしか意味は伝わらないはずだ。


『……まさか』


 耳に嵌めた無線イヤホン越しに、草地の声が聞こえた。

 どうやら、気づいてくれたようだ。その事実が分かった金城は安堵の息を漏らす。これで計画を最終段階に進められそうだ。

 だが、草地の様子が急変する。困惑したようにこちらを見た後、奴は苦しそうに顔を歪ませ、蹲ったのだ。

 どこか具合が悪くなったのだろうか。焦った金城はドールを操作して、草地に近づこうとした。その瞬間、

 ―――けたたましい音が、金城の鼓膜を突き破った。


「いっ……!!」


 突然、鼓膜を襲った轟音に、金城はうめき声をあげる。キーン、と未だに耳中で鳴り響く音に顔が歪んだ。スクリーンを見ればドールの視界が揺れており、乗っていた運転席から落ちそうになっていることが、分かった。

 指を動かしてタッチパネル式のリモコンを操作する。なんとか椅子にしがみつく事に成功した。すると、ドールの頭上から不穏な音が降って聞こえてきた。

 何かを引き破るような鈍い音だ。気になった金城はドールの視界を、その音の発信源へと向けた。

 すると、其処には引き剥がされたドアと―――猛獣のような目をした銀髪の男が、恐ろしい形相で待ち構えていた。


「――あっぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああ!!」


 バスの中で耳をつんざくような、非常に耳障りな悲鳴が、木霊した。


「何事!?」


 突然の悲鳴に驚いた『なえセン』が立ち上がった。他の乗客も何事かと金城に目を向ける。

 その視線に気づいた金城は震える唇を一生懸命に動かしながら、「すみません」と謝った。冷や汗が、滝のように流れている。


「ゲームでちょっとハプニングが、あっちゃって……」


 その言葉に一人は「なんだ、」とため息を吐いて再び視線を前に向け、もう一人も迷惑そうに元の姿勢に戻った。

 土宮香苗は未だにこちらを怪しげに見ている。気まずそうに目を逸らして「今、それどころじゃないんだよ」と、金城は内心で毒吐いた。


「ねえ、あなた本当に大丈夫なの?」

「はい……すんません」


 珍しくどこか心配そうな彼女に頷く。だが、納得していないのか、『なえセン』は続けた。


「何かあったんじゃないの? あなた、いつも以上に様子が可笑しいわよ」

「いえ、ほんとうに、」『――ようぅ、随分と可愛らしい伏兵が居たもんだなぁ』 「アヒィィィィィ!!?」


 突然、耳奥に吹き込まれたテノールボイスに、金城の肩は跳ねあがった。なえセンもビクッと跳ね上がりながら、少年を驚いたように見る。

 顔から血の気が引いていくのが、金城自身にも分かった。顔が、面白いぐらいに青白くなっていく。それほど金城は今、恐怖の念に覆われているのだ。

 体がガタガタと震えて、段々と足のつま先から冷えていく。そのせいで尿意が競りあがってきた。


『面白ぇことしてくれんじゃねーか。なぁ? あんなオモチャ使って俺を翻弄するたぁ、見事なもんだ。どうやって車動かした? ありゃあ、声紋認証とか必要なんじゃねぇの?』


 ――お前こそどうやってドア壊したぁぁ!? 化け物か!? やはり化け物なのかテメぇは!? 玩具なのはしょうがねぇだろ! ジリジリ貧貧学生なんだよ俺は! 武器買えるルートなんて知らんし、それ以外使える物が無かったんだよ!! 悪いか畜生め! はい、すいませんでしたぁ! 別にからかってるとかそんなんじゃなかったんだから、もう許してお願いだからぁ! そんな声で喋らないでぇぇっ!!


 何を言っているのか、金城は自分でも分からなかった。頭の中は完全にパニック状態だ。

 ワケの分からない言葉の羅列が頭の中で並べられ、混乱のあまり涙が込み上げてきた。それでも、テノールボイスは無情にも続く。


『ここまで、やってくれたんだぁ、覚悟は出来てんだろうIdiot?』


 ――イディオットって何ィィ!? どういう意味!? 英語、仏蘭西語フランスご独逸語ドイツご、はたまたは羅典語ラテンごォ!? どっちィ!?


『けど素人にしちゃあ、よく頑張ったなぁ。褒めてやるよ』


 ――有難うございますぅ!!?


『そこで、テメーはDeathParadiseへ招待してやるよ』


 ――地獄じゃねぇかああ!?


 一言も喋っていないのに、何故かこの猛獣のような男との会話が成立しているような気がした。

 スクリーンを見なくとも分かる。最初に見た奴の、あの猛禽類のような眼は、今もギラギラと光っているのだろう。


「ちょっと、金城くん? 大丈夫?」


 あまりにも様子の可笑しい金城を心配して、『なえセン』が声をかけてくる。それがとても希少な表情だということを、金城はこのとき気づけなかった。本当にそれどころではなかったのだ。

 ガタガタと音を立てだした歯を、金城は必死に動かした。


「――大丈夫です」


 『なえセン』に向けた言葉は、意外とすんなりと綺麗に出た。彼女も少し安心したような顔をしている。


「……そう、なら良いわ」


 そうして、『なえセン』が再び席に戻ると、金城は再びスクリーンに顔を向けた。今度はちゃんと声を抑えようと唇を噛みしめる。

 大丈夫だ、これ以上なにが起きても俺は驚かない。


『そんじゃあ、とりあえず……こっちを先に捕まえるかぁ』


 銀髪の猛獣――否、男は丁度金城のドールへ手を伸ばそうとしていた。

 恐怖で飛び上がりそうな声と体を必死に抑えて、金城は《ドール》を走らせる。


 ――来るなぁぁぁぁぁああああああああああああああああ!!


 それでも、心の叫びは止められなかった。

 震える指を必死に動かし、ドールを操作しようとする。が、金城は動けなかった。

 捕まったわけでも追い詰められたわけでもない。ただ、男に隙が無さすぎて、どう動けば良いのか分からなかったのだ。言うなれば蛇に睨まれた蛙状態だ。

 先ほど、男から逃げるために、後ろの座席へとドールを下がらせてしまった。車から出るには、運転席のモニターに触れてドアを開けなければいけない。だが、すぐ傍には男が居る。この小さな《ドール》では、自力でドアを開けるなんて不可能だ。

 じりじりとドールを後退させる。何か方法は無いかとドールの視界を回した。

 やはり出口は男が塞いでいる、しかない。このドールにバトルゲーム用の武器でも装備させていれば良かったのだが、経費が足りず、生憎つけることは出来なかった。

 まさか、こういう時に「世の中は金」だと思い知らされるとは。金城は唇を噛み締めた。悔しい限りだ。

 ちらりと、隣の座席に座っている草地に目を向ける。

 草地は困惑しているようだった。ドールと男を交互に見ては難しい顔をしている。

 金城はもう一度男へと視線を向けた。男は、狂喜染みた顔で笑っていた。まるで、狩を楽しむ獣のようだ。小さく素早いドールの方が有利なはずのに、なぜか、主導権は男に握られていた。

 どうすればいい。

 金城は懸命に考えたが、上手い策が思い浮かばず、頭痛がしはじめた。その時――、


『くっざぁぁ!置いていくなんて酷いよぅ!』

『待ちなさい二人とも!』

『……あぁ?』


 ――男に、隙が出来た。


 今だ。そう思った金城は、ドールの脚の裏に装着されていたブースターを点火した。

 一瞬で前方の座席、天井、そしてルームミラーへと飛び移り、ドールはそのまま男の横を飛びぬけようとした。が――、


『!』


 直ぐに気づかれ、男の手が伸びてくる。


 ―――どんな反射神経してんだよ!?


 悪態を吐きながらも、金城は攣りそうな指を必死に動かして、ドールを操る。


『!!』


 伸びてきた手が迫る瞬間、ドールの身を空中で翻した。そして逆にその掌を足場にして、下へと飛び移る。急に手の届かない所へと移られて、男の反応が遅れた。座席の下へと素早く降りたドールは、男の股の下を通って外へ出ることに成功した。


 ―――よし!


 思わずガッツポーズを取った。けど、まだ油断は出来ない。金城は気を引き締めてリモコンに触れた。

 見つかってしまった今、ここは退くしかない。先ほどの声からして、他の仲間もついに追いついてしまったようだ。幸い、男がドアを破壊してくれたお陰で、しばらく車は動かせないだろう。その間に計画を無理やり練り直して、このドールだけでなんとか草地の奪還を試みるしかない。

 逃げるドールを、今度は男の足が追いかけてきた。ピンポイントの高さで蹴り上げてくる脚を躱そうと、金城はまたドールの身を翻す。男の蹴りを反動力に使い、ブースターを更に強く点火し、遠くへ跳ぼうとした。それがいけなかった――、


『はうっっ……!!!』


「え……?」


 ドールが何かに当たった。否、ぶつかった。

 何かに衝突してしまった身体が、そのままアスファルトの上へと転がってしまう。

 ガシャン、と嫌な音がした。スクリーンには、青い空が映っている。どうやら、仰向けに倒れしてしまったようだ。

 急いでドールを立ち上がらせようとするが、上手く動かない。さっきの衝撃でどこかを損傷してしまったようだ。ちっ、 と金城は思わず舌打をする。焦りが込み上げてきた。このままでは草地を助ける手立てを失ってしまう。

 しばらくすると、何かが崩れ落ちる音がイヤホン越しに聞こえた。ふと気になって、頭がまだ動くドールの視界を、その音の発信源へと向ける。

 銀髪の男とは、また別の男が蹲っていた。眼鏡をかけた男だ。顔は俯いていて、よく分からない。

 彼は痛そうに身悶えていた。どうやら、先ほどドールがぶつかった先は、この男の急所だったらしい。あまりにも痛そうにしていたもので、どこだ、と金城は目をふと向けてみた。


「…………………………………………………潰しちゃった?」


 男が抑えているのは――股間だった。

 どうやら自分はやらかしてしまったらしい。だが、そんなことに構っている暇などない。

 罪悪感を感じながらも、金城はドールを再び動かそうとリモコンに触れた。しかし、時は既に遅く、


『――よお』


 ざりっと、アスファルトを踏みしめる音が聞こえた。

 ――捕まってしまった、ようだ。

 金城は歯を食いしばった。心臓が早鐘を打つ。どうするどうする。頭がその疑問で埋め尽くされる。


 ――このままじゃ本当に草地が死んでしまう!


 ギュッと、目を瞑る。何か方法は無いのか。必死に考えを巡らせる。


『おもしれえもん見せてくれて、有難ありがとよ』

『ぷっ……ぶふ。だ、だめだよ、玖叉。そ、そんなこっ……く、言っちゃ……』

『お前がっっ、それを言うな……っ!』


 妙に明るい声、笑い声、呻き声。三つの声が金城の鼓膜を震わせる。


『……そのお礼っちゃあ、なんだが。気が変わった』


 その声に、俯いていた顔を上げた。


『I'll give you a chance, idiot(チャンスをやるよ、あほ)。

  処刑時刻を一時間延ばしてやる。今から、二時間だ。――二時間後、この死刑囚の餓鬼を殺す。それまでに江田の処刑場へ来い』


 思考が停止する。この男は、今、なんと言った?


『な……、玖叉! 何を考えているのですか! それはっ』

『あ、長官さん敬語に戻った』

『いいだろう、別に一時間ぐらいよォ』

『ふざけないでください! これは正式に法務省を通して決めたことですよ!?』

『別に良いじゃーん。面白そうだしさぁ。私はさんせーい』

『篠田は黙ってなさい! そう簡単に予定を覆せるわけがっ……!』

『死刑に関しての権限を持っているのは死行隊だろーがぁ。最終的な判断をするのは俺たちで許されているはずだ』

『だからと言って……!』

『ぎゃあぎゃあ、うるせーぞ長官さま。っつーわけだ、Idiot。江田まで来い。場所は知ってんだろ?』


「……」


 冷や汗が頬を伝う。スクリーンを握る手に力が篭った。

 横たわるドールを拾い上げて、こちらをカメラ越しに見つめるその顔は、楽しそうに見えた。金城の頬に、冷や汗が垂れる。

 どうやら、この男は自分の目的が草地を奪還することだと、気づいているらしい。


『処刑場の中。そこにコイツを放置しておいてやる。手錠も外してな』


 ――正気か。


 この発言。喋り方。まるで、


『ルールは簡単だ。処刑執行時まで、コイツを俺から奪還して見せろ』


 ――ゲームだ。


『コイツを助け出して、お前が勝つか。お前とコイツを殺して俺が勝つか。見ものだなぁ』

『ちょっとォ、『俺たち』でしょー? 私も参加したいー!』

『二人とも人の話をっ、てか、ドールの逆たんち、』『うるせーな。んなくだらねぇことしなくても、こいつからやってくるんだよ』


『――それじゃあな、Idiot。会えるのを楽しみにしてるぜぇ』


 ドールを破壊されるかと思ったが、そのまま一緒に持っていくらしい。ハンデのつもりだろうか。イヤホンからは未だに男たちの騒ぎ声が聞こえてくる。恐らく眼鏡の男と揉めているのだろう。草地にも、あの一方的な会話は聞こえていたのだろうか。わからない。頭が真っ白だ。


 悲壮に満ちた声が、金城の唇から漏れる。


「……本気かよ」


 視線を上げて隣のモニターを見る。次の駅で降りなければいけない。でも目的の場所に行っても草地は来れない。結局、また奴らに捕まってしまった。

 金城に残された道具は、男の手の中にある壊れかけのドール、隠密に使っていたラジコン車の『トムトム』、小さなネズミ型のロボット、そして、リュックサックに詰め込んだ水鉄砲などの玩具たち。


 深い、深い溜息を吐いた。

 もう遠くから草地を助け出すことは出来ない。先ほどの銀髪の男が言ったとおり、直接処刑場へ行くしかないのだろう。


 ――だけど、あんな『化け物』を相手にどう戦うんだ?


 わからない、何も考えられない。

 手が震え出した。恐怖が胸の中で渦巻く。

 眩暈を感じた。

 怖い、ただそれだけの感情が金城を埋め尽くす。どうすれば良いのか解らなくなってしまったのだ。

 草地を死なせたくない。でもに足を踏み入れる勇気がない。

 金城は拳を強く握った。


 ――俺はまだ、死にたくない。





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