3.嘘の中に隠された本当

 病院から戻った翌日。


 放課後。またダッシュで教室を飛び出ると、なえセンにどやされそうになった。だが、捕まる前に逃げ足だけは速い俺は上手く逃げ切り、校舎を出た。明日また、今朝のように説教をされるのだろうか。

 駅まで駆け、電車から降りるとまた猛スピードで伊奈瀬の家へ向かう。以前、体育祭のとき、一度だけ俺は伊奈瀬を家まで送ったことがあった。だから、あやふやながらも家までの道順は覚えている。そして見覚えのあるアパートが見えてきた頃、タイミングよくを見つけた。


「爽太くん!」


 ビクッと肩を震わし、恐る恐る此方を振り向く彼の背中には、黒いランドセルが背負われていた。彼も学校の帰りなんだろう。伊奈瀬はバイトだから、しばらくは戻ってこない。一対一でこの子供と話すには丁度良い。

 荒くなった息を整えるために深呼吸して、額から流れてくる汗を袖で乱暴に拭った。


「あのさ、ちょっとアイスでも食わね? もちろん俺の奢りで」


 爽太くんは警戒心まるだしの顔でこっちを睨みつけていたが、近くの自動販売機でシュヴァルトブランドのアイスを買って差し出せば、あっという間に表情を柔らかくした。なぜだろう、少しこの子のことが心配になってしまった。いつか、誰かに騙されて誘拐されてしまわないだろうか。


 近くの公園で一息吐いて、背もたれの無いベンチに座る。アイスと一緒に買ったガリガリジュースを飲みながら、隣に座る爽太くんを横目で見た。パクパクと次から次へとアイスを口に頬り込むその姿は、清清しいほどに素直だ。そうとう好きなんだろう、シュヴァルドブランドが。

 大分器からアイスがなくなって来た頃、俺は聞きたかったことを単刀直入に聞いた。


「先週末、何であんなことをしたんだ?」


 その瞬間、爽太くんが固まったのが分かった。


「安心しろ。誰にも言わねーよ。伊奈瀬にも何も言ってない」

「なんで……」


 ――


「なんで知ってんのかって?そりゃ、見てたからな、実際」


 爽太くんが息を呑む気配がした。顔も見る見る青くなっていく。その表情が、俺の勘が間違っていなかったことを教えてくれた。


 面会室での草地は明らかに様子が可笑しかった。普段の奴なら言わないことを言い、俺が傷ついたような顔をした時は、奴のほうが悲しそうな顔をしていた。そう。今、思い返してみると草地はどこか無理していたように見えたんだ。だから、不思議に思った。

 あの時、伊奈瀬のことを話題に出した理由、そして爽太くんが俺に草地のことを聞いてきたときの、あの必死さ――。

 正直、これは賭けだった。確証となる要素は無かったが、俺にはこれ以外の可能性は考えられなかったのだ。初対面の、しかも伊奈瀬の弟を疑うのは酷い話だが。それでも、俺は真実を知りたい。そしてもしも、俺の考えが全て当たっていたのなら、俺は草地を殴るつもりだ。


「ねえちゃんは、」

「安心しろ。誰にも言ってねーし、この先も言わねー、絶対にな」


 言えるわけがない。こんなことを言えば伊奈瀬はきっと壊れる。ただでさえ、草地があんな事になっているというのに、弟が原因・・だと知ったら、彼女は間違いなく罪悪感や後悔で押しつぶされるだろう。なぜ、気づけなかったのだ――と。


「なあ、爽太くん。正直に話してくれ。何で――宝石を盗んだんだ?」


 爽太くんはその瞬間、悲痛な顔で俺を見、次には俯いた。


「いえが、」

「家…? 」

「いえが、なくなっちゃうんだ 」


 ポツリポツリと、ゆっくり、声を震わせながら爽太くんは言葉を紡いだ。


「おかねが、なくなって…このままじゃ、みんなバラバラになるって、お母さんたちの話し声が聞こえて、それで」


 週末、日曜日。どうにか出来ないかと必死に頭を回していた爽太くんは偶然、宝石店のガラス越し、店員がダイヤをショーケースから出したまま離れるのを見かけたらしい。見たところ警備ロボなどの類は置いておらず、思いつめていた爽太くんはそれを見て、魔がさしたそうだ。


 そして店からあまりにも簡単に宝石を持ち出せてしまった爽太くんは、自分がしでかしてしまった事を恐ろしく思い、逃げ出した。けど数刻後、どうすれば良いのか分からずダイヤを手に持てあました頃、運悪く草地と鉢合わせてしまった。爽太くんの身の丈に会わないダイヤを見て、草地はすぐに彼のしでかしたことに気づいたようで、即座に返すように説得したらしい。今ならまだ間に合う、と二人で宝石店に戻ろうとしたが既に警察に通報されていて、爽太くんを庇って草地が代わりに捕まってしまった。爽太くんは何度も事実を告白しようとしたが、草地に大丈夫だからと、伊奈瀬たちに更なる苦労をさせたくなかったら黙っていろと、口止めをされていたようだ。


 大抵の宝石店は出口に盗難を未然に防ぐためのセンサーを仕掛けているが、例の宝石店は間が悪いことに、センサーが故障していたらしい。しかもありえないことに、誰もその事実に気がついていなかったようなのだ。しかし、防犯がしっかりしていようがいなかろうが、店員は宝石をちゃんと管理し、ショーケースから出すときは客に手渡さない。常に自分の手に置き、決して目を離さぬよう店員たちは教育されているはず。ダイヤを置き去りにした店員はクビなり、なんなりされて処分されているだろう。

 それでも、思わずにはいられない。ふざけるな、と。店員なら、そんな高いダイヤ置き去りにするなよ、と。


(店も店もだ。そんな高いものを置いているのなら、なんで警備ロボや監視用のアンドロイドを置いてない!? 常識だろ!? ありえねーだろ!? ニュースで日本が他国にもてはやされているように、犯罪ケースが圧倒的に少ないからって警備に手ぇ抜いてんじゃーよ!!)


 腸は煮えくり返り、苛立ちが頭の先までこみ上げる。店の奴らに怒鳴りちらしたい衝動を抑えながら爽太くんを見やる。


「ねえ、くさぢのおにいちゃんは……」


 涙を目に溜めて見上げてくる彼に、努めて優しく笑うよう心掛けた。


「大丈夫だ」


 草地の気持ちも分からなくない。この子は幼い。今以上の苦労なんてして欲しくないし、出来ることなら助けてあげたい。俺も同じだ。


 けど、それだけじゃない。爽太くんはもう、7歳なんだ。まだ、じゃない、彼はもう7歳――小学生だ。この国の絶対処刑法ぜったいしょけいほうが起用される歳に、既になってしまっているのだ。

 6歳未満の子供なら、いわゆる未成熟年みせいねんとして法を――処刑などの実刑を免れるが、7つになってしまったら、もう駄目だ。この国の法は幼子にさえも適用される。

 このまま、真実を話して草地が釈放されても、今度は爽太くんが処刑される。八方塞だ。


「――かなぎのおにいちゃん……?」


 か細い声にハッと意識を引き戻され、隣に座る爽太くんを見やる。

 瞳を揺らしながらこちらを見る彼の頭を、ポンと叩いてやった。


「爽太くん。もう草地の奴に言われただろうし、自分でもわかってるだろうけど、爽太くんがやったことは、犯罪だ」

「うん……」


 泣くのを我慢するように、下唇を噛む彼の髪をワシャワシャと掻き混ぜるように撫でる。


「たとえ、どんな理由があろうと、絶対にやっちゃ駄目なんだ。伊奈瀬……姉ちゃんやお母さんが、悲しい思いをするからな」

「うんっ……」

「家族だけじゃなく、草地やまわりの人、(こいつらはどうでもいいけど)店にだって迷惑をかける」

「うん……」

「いくら誤魔化せたって、やった事実は消えない。一生、ついて廻るんだ」

「ぅん、う˝っ……」

「だから、顔をあげろ。反省しているんなら、償うために何が出来るかよく考えるんだ。後悔しても、もう遅い」

「う˝ん……」


 泣きながらも、顔を上げて何度も何度も頷く爽太くんの背中を、元気づけるように叩いて、草地も願っているであろうことを言ってやる。


「草地がお前のために頑張ったんだから。その頑張りに答えられるよう、お前も二度としないって誓って頑張れ」

「う˝ん˝…!」


 最後に力強く頷いた爽太くんの頭をもう一度撫でて、帰るように促した。ベンチから立ち上がり、ゴシゴシと涙を服の袖で拭いた爽太くんが、小さく「ごめんなさい」と謝る。


「それはオレにじゃなく、草地が戻ってきたときに言えよ」

「うん!ありがとう!」


 憑き物が落ちたように走り去る爽太くんの後ろ姿を、手を振って見送りながら、俺は一人思い悩んだ。

 腕からするりと力が抜け、肩から垂れ下がる。


 きっと草地は、自分なら処刑になっても良いと思っているのだろう。婆ちゃんも亡くなって、肉親が一人もいない自分なら誰にも苦労をかけることは無い。そう思ったのだ、あの馬鹿は間違いなく。

 奴はいつもそうだ。どうでも良いことは言う癖して、肝心なことは言わない。婆ちゃんのことも伊奈瀬のことも、俺を思って言わない。いや、奴のことだ。案外めんどくさかったというのもあるのだろう。

 それでも、言って欲しかった。


「……そうだよ」


 ポツリ、口から言葉が滑り出て、次に頭の中で奴に対する文句が、つらつらと並べられる。


(面会室の時だって、なんかオレ、自分のことばっかりで恥ずかしいじゃねーか……自己中心的な、鈍い奴みたいでさぁ。よく、クラスに「あいつKYよねー」とか裏で言われちゃってるお調子もんか、俺は!?)


「――ざっっけんなよ、糞地くさぢ!!」


 空に向かって吼えた。同時に散歩中だった犬に吠えられて、飼い主のお姉さんには引いたように見られたが、それどころではなかった。

 腕から力が抜けて、プランとぶら下がる。背中は猫背になっているのだろう。顔を上げる気力が起きず、俺は足元に敷き詰められたタイルを見つめた。

 裁判で真実を晒したって、裁判官は――法は、同情なんてしてくれない。『情状酌量』なんて教科書でしか見ることのない難しい言葉は、とうの昔に意味を失っている。度重なった不運も、動機も、法の前では意味を成さない。

 盗んだ事実しか、残されないんだ。


「どうすんだよ、もう処刑免れねーじゃん。やってない証拠だしたって、その代わりに弟君が処刑されたら駄目じゃん。伊奈瀬、泣いちまうじゃん。

 どうすんだよ、馬鹿やろう……俺まで、泣いちまうじゃんかよ。なんで、こんなことになんだよ。なんで爽太くん、7歳なんだよ。何で盗みなんか働いちまうんだよ。しかも何でよりにもよってダイヤなんだよ。店もだよ。何やってんだよ糞店員。何であんなに警備ゆるゆるなんだよ糞宝石店。

 もう、ほんとに――どうすんだよ……」


 長い独り言だ。ぶつぶつと呟く俺は周りから見れば、頭の可笑しな少年だろう。それでも吐き出さずにはいられなかった。胸の奥が草地への苛立ちで募る。心臓の周りが何かで詰まったような気がして、ムカムカして気持ちが悪い。


 ――もう、どうすれば良いのか、本当に分からなくなってしまった。



 ◆  ◆


 そして数日後。裁判に赴いた草地は其処で、己の罪を認め、死刑判決が下された。

 奴の処刑日まで、のこり10日。



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