4.お母さん。ごめんなさい、俺は犯罪者になります

 7月16日。草地の処刑執行日まで残り、10日。


 学校でも大騒ぎになっていた。当然だ。知り合い、あるいは同じ学校の生徒が処刑されるのだから騒がないはずがない。学生が処刑されることなど、もう30年も無かったのだ。大きなニュースにもなるだろう。


 自宅の居間、ソファの上で俺は一人寝そべっていた。仰向けに横たわり、天井の灯から視界を遮るように目を腕で覆い隠す。


 今日の学校の様子が、脳裏に蘇った。


 ――広く無機質な廊下は人の声で賑わっていて、教室の中、耳を幾ら塞いでも周りの声は消えてくれなかった。少し、頭痛がしたのを覚えている。ひんやりと冷たい机に片頬を乗せて目を瞑れば、窓の外からも騒ぎ声が聞こえてきて、どれだけが事が大きくなっているのか、あの時、改めて実感した。


 今はなんとか学校側が規制をかけて押さえ込んではいるが、マスコミも動いてる。そう遠くないうちに、草地のことは全国に知れ渡るだろう。

 伊奈瀬は朝早くに早退してしまった。草地の事件に対するショックと、過労によって倒れたらしい。聞いた時は焦ったが、ただの貧血だったようで少し安心した。だが、胸中で渦巻くこの感情が晴れることはなかった。


「バレちまったな…」


 ゴロリ。ソファの上で寝返りを打って今度は俯せになる。

 伊奈瀬に自分の吐いた嘘がバレてしまった。遅からず、爽太くんにもこのニュースは伝わるだろう。

 俺は髪を掻き毟り、頭を悩ませた。この事実を聞いてしまったとき、あの子はどうするのだろうか。まず罪悪感で押しつぶれることは、間違いない。

 手近にあったクッションに顔を埋めて、心に蔓延る不安を吐き出すように唸る。


 俺はあの時、何と言えばよかったのだろうか。そんな考えが過ぎった瞬間、すぐに気がついた。


「……ああ、そうか。オレは」


 ――俺がしたことは、問題を先延ばしにしたにすぎない

 けど、それ以外にどうすれば良かったのだろうか。あそこで事実を話してしまえばあの子はあのまま壊れていたかもしれない。爽太くんは、ただ家を助けたかっただけなのだ。それなのに、そのために一人の命を犠牲にしてしまったその事実は、7歳の子供――いや子供でなくとも、重く、残酷すぎる。


「…最悪、だな」


 自分だったら後悔、罪悪感、悲しみ、怒り、すべての感情に押し潰されて、呼吸もできなくなるだろう。

 ――俺がそれを想像しただけでこんなにも苦しいんだから、あの子は――。


 クッションを握る手に力が篭もる。胸が自己嫌悪でいっぱいになって、息が詰まりそうだ。何か、鋭いもので自分を突き刺したい、そんな狂った衝動に駆られそうになる。


「ほんとうに、どうすれば良いんだよ」


 何も浮かばず、正常に働いてくれない糞みたいな脳を殴るようにソファの背凭れに頭をぶつけた。時刻はもうすぐ午後7時。そろそろ夕飯の時間だ。


理人りひと


 誰かが自分を呼ぶ声がした。

 視線を居間の入口に向けると、母が開けっぱなしの扉に寄りかかっていた。腕を組んで頭を傾げながら、こちらの様子を伺っている。

 オニキスのようだと、他人からよく褒めそやされる黒い瞳が、気遣わしげにこちらを見つめる。


「大丈夫?」

「……」


何が、とは聞かない。聞かずとも分かる。草地のことで思い悩んでいる俺にたいしての言葉だ。無言で返す俺を、母はただ見つめている。続きを待つわけでも、慰めるわけでもなく、ただ「好きなようにしろ」というかのように。


「母さん、」

「なあに?」

「犯罪って……なんだ?」

「……」

「どんな犯罪も犯罪でしかないのは分かってる。でも、それでも分からないんだ。

誰かを助けようと、ただそれだけをしようとしたのに、それが罪になってしまうのは……」


 要領を得ない頭は途中で何が言いたいのか、この話を始めた意図を見失ってしまいそうになった。分からない、自分でも何を言いたいのか。なんでこんな質問をしているのか。停止しそうになった思考を必死に回し、口を開いたり閉じたりする。

 そんな俺を見かねたように、母が言葉を重ねた。


「あのさ……母さんにはよく分からないけどさ、犯罪は犯罪だよ。決して犯してはならない行為で、それ以外に言いようがない」

「……」

「例え、どんな理由があろうと、誰のためであろうと、其れは唯の免罪符で、言い訳にしかならない。罪と分かってやるなら、なおさらね。必ず償わなくてはならない時がくる」

「……だよな」

「でも、――だからと言って決して死んでいいとは言えない」


 俯きかけていた顔が止まった。その言葉に瞠目すると同時に、何かがストンと胸の中に落ちた。少しだけ、体の強張りが解けたような気がして、ほう、と息が零れた。視線を上げた先で、母はただ真っ直ぐ、俺を見つめていた。


「罪は償わなくてはならない。けど処刑には反対だね」

「なんで?」

「あのさ……死ぬって一瞬のことなんだよね。んでもって、もうそれで終わりなわけ。その後はもう何も感じることも、考えることさえも出来ない。罪を償うという行為さえもね」

「……」

「だから、母さんは正直この国の法には反対だよ。それどころか、嫌悪さえもしている。盗みは確かにやっちゃいけない行為だ。どんな理由があろうとも盗ってはいけない。けどだからと言って死んでいいわけが無い。人は誰しも罪を犯したのならば償わなくてはならないんだ。ちゃんと生きて、苦しみながらでも、ね」


 その言葉に目を見開く。初めて耳にした母の考えが、今、自分の中でずっと雁字搦めに絡まっていた『なにか』を紐解いた。

 ――そうだ。

 草地も、爽太くんも、嘘を吐いた俺も、そして――この《世界》も間違っている。

 一度、罪を犯したならば、人は必ず償わなければならない。だから死んではいけないのだ。

 生きているからこそ、俺たちは『何か』を出来るのだから――。


 こんなにも単純で、簡単なことだったのだ。そんなことに俺はなぜ、今まで気づかなかったのだろう。


「法を守るのはいいけど、心を躍らされちゃ駄目よ理人。法がいつも守ってくれるとは限らないからね」

「……」


 いい歳してウィンクをかましてくる母親を見て、不思議と心が落ち着いた。溜まっていたものを吐き出すように、再度大きな息を吐く。


「母さん、ごめん。ありがとう、なんか元気でた」

「それは良かった。ところで、ご飯できてるけどどうする? お風呂にする? ご飯にする? それとも、わ・しょ・く?」

「どっちも飯じゃねーか!? そこは普通「わたし」じゃねーの!? いや、やられても気持ち悪いからいいけど!!」


 相変わらずな母に、今度は別の意味で溜め息を漏らした。


「……気晴らしに、なんか漫画よんでくる……30分したら降りてくるから」

「はーい。待ってるよー、ご飯が冷めないうちに来てねー」


 ヒラヒラと手を振る母の横を通りすぎて、二階の書庫へ向かう。


 ドアを開くと、其処には沢山の漫画や小説、歴史書などの書物が、そこらかしこの本棚にギュウギュウに詰められていた。壁一式とは言わず床、窓、 天井までもが本でいっぱいだ。気のせいか、床が沈みはじめている。恐らく本の重量に耐えかねているんだろう。そろそろ、庭の書庫に移した方がいいなと、散らばる本を少しだけまとめた。

 今の時代、《本》は電子書籍――紙媒体ではなく《スクリーン》や、小説を幾らでもインプットできる《BShuffle》――を差している。

 紙媒体の生産は効率が悪く、非論理的だということで、生産数は電子媒体と比べると少ない。だが、うちは紙媒体の方をあえて好んで入荷していた。

 そのため、うちの本屋では《スクリーン書籍》や《BShuffle》へ直接、小説ソフトをインプットするための機械を置いているが、どちらかというと紙媒体の方が多く並んでいる。

 うちは《本屋》というより、《古本屋》に近い店だった。だから、紙媒体の本を数少ないお得意さまから取り寄せては、こうやって書庫に一旦置いている。此処から本を表に売り出すこともあれば、気にいった物はそのまま取っておく事もある。


 書庫の中に入ると、部屋に埃がたくさん舞っているのが分かった。今度掃除しなければなと思いながら、俺は目当ての本棚へと向かった。

 床も本だらけで足場が余り無く、非常に歩きにくい。それでも無事、棚に辿り着くことが出来、並ぶ本を指で追いながら目的のものを探る。


「あった、」


 土本健四郎作、「火の函」。今はもうほとんど見なくなってしまったミステリー小説。中学校の入学式で珍しいものとして母から与えられた本だ。これを読んだ後、俺はすっかりミステリー物に嵌ってしまい、よく昔の漫画や小説を亡くなった祖父の秘蔵書庫から引っ張り出していた。この事もあって俺は電子書籍ではなく、実際に物語に触れられる紙媒体を好んで探すようになったのだ。懐かしい、と小さく呟きながら、小説の背表紙をなぞる。

 本棚には、他にも「1990年代の玩具事典」(特典で実際の玩具つき)や「昔の家庭器具(危惧)」など、2010年代の本が並んでる。この時代の本を俺は特に気に入っていた。


「あとは……おお」


 世田谷区の特大地図があった。その隣には漫画の「おそ●くん」が、全巻ずらりと並んでいる。これは祖父が生まれるずっと前から、あった漫画らしい。祖父はこういう本当に昔の本も好きで集めていた。なんでも、「昔なりのスタイルと斬新さ」があるのだとか。綺麗に、新品の様に未だに保管されている本からは祖父の几帳面さが伺えた。


「そう言えば草地も、うちに来たときよく読んでいたな」


 初めて草地が家に遊びに来た時、偶然見つけてしまったこの漫画を一日中、帰るまで読み耽っていたのを覚えている。録に俺と遊ぼうともせず、漫画を大事そうに、真剣な目で読む奴を見て母は笑い、「良かったら貸そうか?」と聞いたのを思いだす。それに対して草地は「貴重な本だから」と遠慮していた。無表情で頭をブンブン振るその様が少し可笑しくて、今でも鮮明に思いだせた。

 思えば初めて出会ったときから奴は本当に笑わない男だった。それでも機械じみたように見えなかったのは、おそらく時折見える奴の気だるげな表情のお陰だろう。

 ああ、でも婆ちゃんの前では偶に笑ってたっけ、とふと奴の不器用な笑顔を思いだす。その顔はマザコンならぬ、ババコンを何度か思わせた。


「なんで、あんなのがモテるんだ?」


 今も振り返ってみると、本当に草地はムカつく男だった。いつもなんでも卒なくこなして、俺よりずっと先へ進んでて、俺の欲しいもの全てを持っていた。そして、どうでも良いことは言うくせに、肝心なことは言わない。それで自分は一体どれだけ悩まされたことか。


 ――否、悩まされたのは俺だけではないか。


 ふと爽太くんの顔が浮かび、胸を締め付けられるような感覚がした。きっと彼は今頃、すごく苦しんでいるに違いない。ほとんどの原因は爽太くん自身と草地にあるが、けど嘘をついた俺も十分悪いことをした。大丈夫だと口からでまかせを言い、気分を舞い上がらせて、再びドン底に突き落としたのだ。十分最低である。


「何で、こんなことになっちゃったんだろうな……」


 いつも通りの日常を生き、ただ平穏を守ろうとしただけなのに。いつのまにか《日常》は《非日常》へと変わって、俺たちに襲いかかってきた。


 草地たちは、確かにしてはいけない事をした。けど、だからと言って死んでいい理由にはならない。罪とは生きて、初めて償うことが出来るのだから。だから、きっと……この世界は間違っているんだ。


 俺は平凡な人間だ。

 特に才能も、知性もないし、運動能力も悪くはないが、良くもない。それどころかこの世界、否、国の常識の異常さにさえ気づけなかった愚か者だ。いや……世界から見たら、俺の方が異常なのだろう。

 自分の正しさを証明できる力なんて、俺は持っていない。

 超能力が使えなければ、魔法も使えない。物語に出てくるようなヒーローにはなれないのだ。

 

(――それでも、きっと、は出来る)


 本を持つ手に力が篭る。


 ――そう。俺には文字通り何も無い。力も、知性も、財力も、権力も、人脈も。けど、それでも。


「法が、《非日常》となって俺らをのなら、今度は俺が非日常をやる」


 ――《日常》を奪われてしまったのなら、奪い返すしかないのだ。


 呟いた言葉を噛み締める。そうして、今の自分の発言を振り返って、はたと我に返った。


「まて、……いま何か中二病めいたことを言った気が」


 恥ずかしい方向へと走り出してしまいそうな思考を急いで止めた。恥ずかしさで顔に熱が集まり、額を抑える。傍から見たら、なにか壮大なひとりごとを零す自分に気がついたのだ。

 いやいや、と頭を振って、自分に言い聞かせた。


 ――あながち間違ってはいないのだから良いじゃないか。うん、これくらい可愛いものだ。


 そうだ。自分がこれから仕出かすことを考えれば、こんな厨二めいた思考は可愛いものなのだ。


 下から母の鼻歌が聞こえてきた。そろそろ下におりてこいと言う合図だ。

 本を棚に戻して、もう一度、自分の決断を振り返るように、背表紙をなぞった。


 先ほどの母の言葉が耳奥で蘇る。きっとあの人は自分にを望んで、あの話をしたわけではないのだろう。

 けれど、俺はことを選んでしまった。答えに気づいてしまった今、もう引き返せないのだ。


 この先のことを考えると、正直怖い。

 まだ何もしていないというのに心臓は早鐘を打ち、手が微かに震えだす。これから自分の仕出かすことを考えれば、容易にその結末を想像することができた。失敗してしまったときのことを考えると余りにも恐ろしくて、思考を止めてしまいそうになる。家族にだって迷惑をかけかねないのだ。

 過去に散々な迷惑をかけてきた母たちには感謝しているし、出来れば巻き込みたくない。

 

 だが、このまま草地のことを諦めてしまえば、俺は必ず後悔する。それこそ毎日、爽太くんや草地の顔を思いだしては、後悔や見捨てたことへの罪悪感、そして悲しみで押し潰されることになるだろう。いっそ、死んでしまいたいと思うほどに――。


 ――そんなのは、もう嫌だ。


 俺は自分本位な男だ。自己中で我侭な奴だ。

 晴れ晴れとした毎日を生きたいし、伊奈瀬たちの可愛い笑顔だって見たい。こんな胸糞悪い気持ちなんて一掃したいんだ。だから――、


 ごめん、母さん。

 俺は《犯罪》を犯します。

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