第9話お料理の神髄
ぼーぜん自失。
飯田さんは割った玉子三個の殻を、三角コーナーに見ながら言葉もなく、手元のカップとボールに視線を移しました。
(やばい! 失敗した)
カップは計量用ではありません。いつもはコーヒーを飲むやつです。
用意していた玉子焼き機は、ふてくされたようにでんとコンロの上に鎮座しています。
(だし、200㏄いれちゃった!)
これはとんだ勘違い。
一回成功したからといって、分量を量り間違えるとは。
「お料理仙人、どうしようー」
『え?』
「これ失敗だよね? 玉子三個が無駄になっちゃう! 三食分の玉子が!」
『なに簡単な事。だしにつかった、干しシイタケをみじん切りにしてボールに入れるのじゃ』
へえ? と、飯田さんは意外そうです。
確かに基本を忘れたのは痛手ではありますが、そればかりでもないのです。
『野菜炒めを玉子でとじたら、チャンプルーのできあがり! なーんての』
「野菜がない……」
『じゃあ、炒り卵ふうに、四本のさいばしでかきまぜてー』
「ふーむふむ」
「あら、おいしい」
『じゃろ?』
「玉子は熱を加えれば、とりあえずは固まるんだ……便利」
『おとなしく食べんさい』
「失敗じゃなくなったわ」
『おぼえるまでは【お一人様~】を手放してはいかんぞい』
<意外なレシピ>
1、 玉子三個、砂糖大さじ一杯、小さじ二分の一。だし200ml。をボールに入れてさっとかきまぜる。
2、 玉子焼き機で二回に分けて焼く。半熟くらいになったらさいばし四本でかきまぜて出来上がり。
「うーん、我ながらおいしい!」
『だしがよかったんじゃのお』
「お料理仙人のおかげで、へこまず、おいしい玉子料理ができたわ! ありがとうね」
『それでいいんじゃ』
「だけどお腹がすいていたから、玉子を摂りすぎてしまった。夕食のタンパク質を抜くしかない……」
『いやいや。授業料と思って、これからもどんどん失敗しなさい』
「えー?」
飯田さんは吹きだしました。
「へんなの」
『失敗は成功の母じゃて』
「ちゃんとレシピを見ないで、焦ってしまったのがいけないんだわ」
お料理仙人は知らんぷり。
『今日もおいしいごはん、ごはーん』
そのまま去っていこうとするので飯田さんは引きとめようとしましたが、お料理仙人の体はスカッとして掴めません。
「お料理仙人?」
『わしはうまい料理を百種、食さんと実体になれんのじゃ』
「初耳よ!」
『だいたい、わしがどこから来るのか、確かめもしないところが、おまえさんは抜けとるわい』
「だって……」
『わしにだって、望みくらいはあるのじゃ。ううう』
「ごめんなさい! 私が作る料理でいいのなら、百種作るから、だから泣かないで!」
『本当かえ』
飯田さんは大きく頷きました。
気のせいではありません、お料理仙人はうっすら内側から光を発しています。
『時に失敗もあろうが、それすら美味にかえるおまえさんの腕前、買ったぞ!』
お料理仙人は、祈りと共に現れる不思議な雲に乗った老人……ではありませんでした。
実体を取り戻すために、飯田さんの家に居ついていろいろなレシピを教えてくれる、正真正銘の神様なのでした。
「でも……どうして、そんなに親切にしてくれたの?」
『おまえさんは一人のとき、食事はどうしておったかね?』
「あんまり思い出したくはないんだけれど、河童寿司とかをテイクアウトしてたわ。ピザとかケーキとかお菓子とか」
『いかーん!』
お料理仙人はそこいらをビュンビュン飛び回りました。
いくら親指大といっても、うっとおしいです。
「だけどね……独り暮らしで適当に食べてたら、お金がすぐなくなっちゃって。絶食する日もあったのよ。一か月くらい」
お料理仙人は悶えています。
『すべてお見通しじゃ。そのおまえさんが料理に興味を示したのはなぜだね』
「それは……好きな人ができたから?」
『じゃろ?』
「おいしいものを食べて欲しいと思ったから?」
『じゃろう!?』
あー……、と飯田さんは思いました。
「料理くらいできないと、嫌われちゃうから?」
『うーむ』
「彼によろこんで欲しいから?」
『ぴんぽーん』
「それがどうしたのよ」
お料理仙人はおほんと咳払いして、両腕を後ろへやって胸をはりました。
『揺れる乙女心のはざまで、おまえさんはみたはずじゃ。恋しい人への純粋な想いを。それが料理じゃ』
「うわあ」
『つまり料理は愛情……これ、まてい!』
「はうう。ごめんなさいごめんなさい。恥ずかしいー」
飯田さんは赤面中。クローゼットに頭をつっこんでいます。
「ぴんぽんぴんぽんぴんぽーん」
がちゃり、と玄関の開く音がしました。
「いらっしゃい、Mさん」
「味噌汁、つくりすぎちゃって……彼氏は?」
飯塚君がいないことを知ると、Mさんはあがりこんで、きょろきょろします。
「挨拶しようと思ったんだけど……だれかいるの?」
「え?」
飯田さんはぎくぎくっとしました。
お料理仙人は他の人には見えないはずです。
「だれかと話す声が聞こえた気がしたんだけど」
諜報部員になればいいのに。
と、飯田さんは思いました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます