第7話モーニングは二人きりで


 トントントン……


 まな板の音がします。いいえこの際包丁の音だとか争うのはよしましょう。


 とにかく。





「んー? 朝ごはん?」


 飯塚君は安心して寝坊ができます。


 飯田さんは昨夜飯塚君の寮にお泊りしました。きゃ! ハレンチ!


 とたんに何かが落ちる音。





「あ、起きちゃった?」


「眠ってられるか。大丈夫?」


「ごめんなさい。お野菜、落っことしちゃった」


「そうじゃないでしょ」


「?」





 飯田さんは彼がお手洗いを使っている隙に、お料理仙人に助けを求めました。


『だいたい、練習もせずに男の部屋に入るから』


「そんなことはどうでもいいの! 彼にまずいご飯を作る女と思われたくない」


『どれ、材料を見せてみい』


「レタス一個、ニンジン半分、玉子二個、冷凍した食パン三枚ととろけるチーズ、ジャガイモ、玉ねぎ、大根……」


『豊かな内容……こいつは、食にうるさいぞい』


「やっぱり、私なんかじゃ満足してくれないわ」


 時計を見れば六時過ぎ。


「今から、上等なもの、作れないかしら」


『しょせんは付け焼刃よ。それより基礎から』


「そ、そっか!」





「んー? なに、独りで言ってんの?」


「なんでもないよ!」


「んー? そっか」


「もうちょっと寝てていいよ」


「ありがとう」





「お料理仙人、なにから手をつけたらいいの?」


『困ったときだけ、呼ぶんだのう……』





 <レシピ>


 ・十五分間耐久、塩と昆布茶の漬物


 1、 野菜200㌘。塩小さじ二、昆布だし少々。


 2、 ポリ袋に入れて口を閉じ、十五分間もむ。





 ・炒り玉子


 1、 玉子二個、砂糖小さじ二、塩少々をボールに入れて混ぜる。


 ※白身を切るように混ぜるのがコツ。


 2、冷たいフライパンにボールの中身を流し入れ、弱めの中火にかける。


 3、さいばし四本を同時に握ってかき混ぜる。


 ※フライパンに火が通りすぎないように、ときどき火からおろす。


 4、そぼろになったらできあがり。






「ね、ねえってば。起きて!」


「うん? 七時か……あー、よく寝た」


「よく寝たじゃないわよ。早くお食事にして」


「ゆっくり寝ててよかったんじゃないの?」


「炒り卵が冷めちゃう。オニオングラタンスープがふやけちゃう」


「なんだかなあ」


 飯塚君は苦笑してます。


 飯田さんの初めての、朝ごはんです。


「おいしいよ」


「ほんと! よかった」


「けど、この時間だ。また今度一緒に食べられたらいいね」


「ごめんなさい」


「?」


「私、普段朝食はコーヒーか野菜ジュースだけなの。作ったの、初めてなの」


「へえ、うまいもんだな」


 飯塚君はにへらっと笑いました。


「貴重な時間を、いただいちゃって、その」


「ん?」


 飯塚君はにこにこ。


「ご、ごめんなさい!」


 飯田さんはあまりの自信のなさに、申し訳なさそうに言いました。


 普段、朝ごはんをつくらないことも、自分から言ってしまいましたしね。


「んん……」


 飯塚君はなにやら思案しています。


「ごめんなさい。本当に」


「あのさ」


 飯塚君、大事な事を言うように、飯田さんと向き合います。


「おいしかったよ」


「……おそまつ、さまでした」


「そうじゃないでしょー」


 わ、わからない。飯塚君って、男の人ってこんなにわからないものなの?


 飯田さんはパニックです。


「そうじゃないって、なに?」


「おまえは俺と食事して、なにか感じないの?」


 飯田さんは首をかしげます。


「緊張していて、味がわかんなかった……」


 そうかよ。


 飯塚君はふうと息をつきます。


「まあ、及第点だな」


「あ、あの」


「なに?」


「洗い物、洗剤がなくてできなくて」


「いいよそんなの、あとあと」


 言って、着がえたばかりのシャツの中に、飯田さんを抱きしめます。


「おいしかったよ?」


「それは……なによりです」


「よっしゃ! それでいい」





 寮から出てすぐ、飯田さんは飯塚君の部屋の窓を見上げます。


(そっか。そうだったんだ……)


 私、ちゃんとやってきたつもりだったけど、誰かと一緒に食事するなんて、久々すぎて勘がつかめない。


(結婚したらどうなっちゃうのかな……)


 そう思うと、結構お二人様はハードルが高い気がするのでした。





 そのころ飯塚君は、鼻歌混じりにカバンを確かめ、もともと短く刈った頭にワックスをつけてます。


 一体、どこが変わったというのか。


 飯塚君は、


「いいんだよ。自己満足なんだから」


 鏡にむかってバッキューンと指で示します。


「なによりです、か……」


 いい娘じゃないか。


 ふんふふーんふふーん。


 ネクタイを選んで、今日はターコイズとグリーンのストライプ。ブランドのロゴが入っているようなものは、好みませんから、ちょっとライトでさわやか系です。


 ん?


 どうして飯田さんに、そういう姿を見せないのかって?


 恰好がつかないでしょ!


 靴下を履く姿なんて、ましてや月曜日には必ず爪を切るなんて、見られたくないのです。


「まだまだ、新鮮でいたいからね」


 でも、朝食は本物の味がしました。


 あったかかった。


「よっしゃ!」





 お料理仙人は言いました。


『あんまり距離をつくると、女は寂しがるぞい。なにはともあれ、縁結び。今日もおいしいごはん、ごはーん!』





 飯田さんの朝帰りを、どこから見ていたのでしょうか、Mさんがシナモンデニッシュをくわえながら玄関から出てきました。


「ちょっと、ちょっと飯田さん!」


「あら……」


 飯田さんはきまり悪いような、気恥ずかしい気持ちになりました。


「今日こそ、イケメン彼氏のこと、聞かせてよね!」


 物見高いMさんには飯田さんも降参です。

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