第17話 僕と契約する魔法少女になってよ。その4

 ルイス・グリムゾン・サーバイトが部下の兵士を連れてヒプトリア火山から一キロメートル以上離れた峡谷に着いたのは昼過ぎだった。周囲が絶壁に囲まれた場所に立ったとき自分たちが罠にかかったのではないかとルイスは感じた。

「こんな狭いところだと大兵力はかえって不利になるな。これは下手に深入りするのは危険だな」

 部隊に退却の指示を出したとき、前方の岩かげから人影が現れた。

「これはこれは、みなさんお揃い……ではないようですな。ミシウム氏はどうされましたか?」

 ルイスは正面に立っている三人に向かって問いかけた。背中に冷や汗が流れる。もし今、勇者の持つ剣の力を発動されたら、この狭い峡谷では逃げ道がない。部隊の全滅すら覚悟しなくてはいけないだろう。だが、それを悟られるわけにはいかない。そうなればよりいっそう危険が増すだけだ。

「サーバイト兵団長、お願いがあってお呼び立てしました。来ていただけて嬉しいですわ」

 いつものように代表してテレナが語りだす。

「いえいえ、あなたからのお呼びであればいつでも参上しますよ。……しかし、あれがバレていたとは知りませんでした。ミシウム氏は失敗したのですね」

 ルイスは平然とした口調を変えずにテレナに問いかける。ライラが右手に持っていた「ゼファンの結晶」を人指し指と親指で挟んで見せた。結晶は鈍く光っている。どうやらバレたのは間違いないようだとルイスは確信した。

 テレナは両の手のひらを重ねるように組みながら

「こんなものでわたくしたちの居所を探ろうとされていたとは気がつきませんでしたわ。これを作られた方はここにはみえていないのですか?」

 と尋ねた。

「彼は今、別の用事があってここには来ていません。……彼に興味がおありでしたか?」

「ええ、これだけの『結晶』を作られる方ですもの。どんな方なのか興味はありますわ」

「そうですか。それではご一緒にリストリア城にお戻りください。そこで会うことができるでしょう」

 ルイスはそう言って自身の後方に停めてある荷馬車を指さした。

「なんだよ、今度は荷馬車での送迎かい?ずいぶん安くなっちまったな」

 ライラが腰に手を当てて悪態をつく。

「残念ですがわたくしたちはリストリアに戻るつもりはありません。この際、はっきりさせておこうと思います」再度、テレナが場の主導権を握る。「ですから、これ以上の干渉をお控えください。『結晶』もありませんから、わたくしたちの居所を突き止める手段はもうありません。あきらめてくださいな」

 彼女の手のひらに小さな黒い球が見えたような気がした。

 ルイスは両肩をすくめて

「やれやれ、またもや振られてしまいましたな」

 と、ぼやいた。

「しつこい男は嫌われますわ。『好かれていない』程度で満足していただけると嬉しいのですが」

「それは無理ですね。私は強欲ですから」

 ルイスは片手を上げて部下に合図を送る準備をする。この手が振り下ろされたら一斉に戦車に積んである大砲が火を吹く手筈になっている。的に当たらなくても周辺の崖を崩して彼らを下敷きにするだけでも目的は達成される。ミシウムがいないということは障壁を作ることはできないはずだから。ただルイスはジルが障壁を作れるようになったことを知らない。

「こんなところで大砲を撃ったらみんなどうなるかわからないよ」

 ジルがはじめて口を聞いた。背中から“勇者の剣”を’抜く。兵士の中から動揺が走る。やはり、この剣の力を知っているのだ。ハッタリに使えるはずだと言ったテレナの意見は正しかったようだ。

「気にするな、勇者は私たちに対してあの“剣”は振れんよ」

「大砲を撃たれても結果は一緒だからね。それだったらこちらから仕掛けたほうがマシだよ」

「ハッタリにしては上出来だね」

「ハッタリかどうか試してみますか?」

「……いいだろう」

 ルイスの右手が振り降ろされる。命令一下、大砲の導火線に火がつけられ、狙いが定められる。

「できました!ジル、離れてください」

 テレナはそう言うと両手に包んでいた黒い球を兵団に向かって放り投げた。彼女の手から勢いよく飛び出た黒球は螺旋を描くように飛びながらルイスのほうに向かって行く。

「……!そいつに触れるな。吸い込まれてしまうぞ!」

 ルイスが大声で叫ぶと黒球から逃げるように横に飛んだ。兵士たちもそれに習うように散らばるように逃げ出した。

「テレクリナサージ・バル・ドラゴリウム!」

 テレナが久しぶりに召喚竜を呼び出す。

 地面から大木が生えてくるように現れた竜の角にライラとテレナが掴まる。竜はそのまままっすぐ昇っていく。ジルが

「フーリアン!」

 と叫び空中浮遊で竜が昇るときに生じた気流に乗って並ぶように上昇する。

「しまった!」

 その時、大砲に火が到着し勢いよく三つの砲弾が放たれた。

「……いまごろかよ!」

 ルイスが悪態をついた時、黒球が方向を変えて砲弾に向かって一直線に突き進んでいく。黒球が近づくにつれ砲弾の勢いが鈍くなり、ついには黒球の方に向かって方向を変えた。

 三つの砲弾は競い合うように黒球に向かって突入し、最後には黒球に飲み込まれた。

「意外にうまくいきましたわ」

 召喚竜に掴まっているテレナが下方を見ながら黒球に向かって左手の人指し指を差していた。そうやって黒球を操っていたのだ。

「……意外ってお前、やったことなかったのかよ?」

 ライラが驚いたようにテレナに問いかけた。

「ええ、ギリアから口頭で教わっただけですわ」テレナは平然と答える。「わたくし、案外天才なのかもしれませんわね」

「ああ、ギリアはそんなこと言ってたような気がするよ」

 呆れたようにライラが賛同する。

「ねえ、あれどうなるの?」

 ジルが黒球を指さして尋ねる。

「適当なところで消してしまいます。あの方たちが峡谷から退却してくださるまでもうしばらく暴れさせましょう」

「あれに吸い込まれたらどうなっちまうんだ?」

 ライラも尋ねる。

「……わかりませんわ。ギリアもどうなるか知らないと言ってました。きっと別の空間に行ってしまうのでしょう」

 テレナが素っ気なく答える。

「早く逃げてくれ」

 空中浮遊をやめて召喚竜にまたがったジルが祈るように呟いた。


 クリシュナの村を出たミシウムの元に一人の客人が来た。それはジルたちと兵団が対峙していたのとほぼ同じ時刻だった。

「なんじゃい?お前さん一人か」

 ミシウムが客人のフードの男に向かって声をかける。

 彼の足元には鈍く光る「ゼファンの結晶」が転がっていた。それを視界の端で確認したフードの男は

「君と同じ考えをジルたちも持っていたようでね。お互いを逃がすために、こちらの注意を引きつけようとしたんだろう?」

 肩をすくめて吐息をついた。

「当たらずとも遠からずといったところか。しかし、“印”が二つも同時に発動されたら何かの罠かとすぐにわかるさ。地形を考えたら罠を張ってるのは向こうだと思ったのでね、団長たちにはあちらに行ってもらったのさ」

 男の講釈を聞きながらミシウムは、どうしてこいつがここに来たのか考えていた。二つ同時に“印”を感じたときに自分の失敗はすぐにわかったはずだ。そうなると……。

「それであんたがわしを始末しに来たわけじゃな」

 そう結論づけた。

「いいや、約束を果たすことを知らせに来ただけさ」

「約束?……!」

 ミシウムの顔が蒼白になる。

「そう……あの城からの脱出の時にサーバイト団長が言ったはずさ。『もし、私たちを裏切るようなことがあったら、君の家族に危害が加えられることを覚悟しておけ』とね」

「……いや、わしは天涯孤独の身だということは、あんたが一番わかってるじゃないか」

 ミシウムは精一杯、気を張ってゆったりとした口調で語った。……そうだ。こいつはセレイヤのことは何も知らないはずだ。ジル以外には喋っていないのだから。

「この先のクリシュナの村を覚えているかな?いい温泉があるらしかったが、結局入れなくて残念だった」

 男が突然、話題を変えた。だが、クリシュナという言葉が出たことにミシウムは動揺してしまう。男はそれに気がつかないといったように続けた。

「あの村の酒場の女に君はずいぶんと入れ揚げていたな。いや、隠し通せていると思わないでくれよ。君の態度をみれば明らかだよ」男はにやつくような声で語りつづける。「ただ……そうだな。あれは惚れた女への態度とはちょっと違っていると思ったね。君は年甲斐もなく気に入った女性には積極的に声をかけていたからね。そう言えばテレナもそうだったな」

 表層はともかくミシウムの心中は激しく動揺していた。こいつもジルと同じところに気がついていたのか。こんなことなら、表面だけでも口説く態度をとっておくべきだった。

「年齢から考えると彼女は君の娘だといっても不思議ではないね。そう考えれば彼女の目元は君に似ている気がする」

「そいつは光栄じゃな。彼女は旦那も子どももいるし口説きにかかっても軽くあしらわれると思ったからなかなか声をかけられなかっただけじゃよ。じっくり時間をかけて戦略を練ろうとした矢先に出立してしまったからな。本当に残念じゃったよ」

 ミシウムは精一杯の虚勢を張る。ここで認めてしまってはセレイヤがどんな目にあうかわからない。

「そうか、そいつは困ったな」男はあっさりとした口調でミシウムの言葉を受け取った。「実はわたしたちは二手に分かれたわけではないんだ。ヒプトリアの峡谷とここの他にクリシュナの村に一個中隊ほど割いてもらったんだ」

「……何のために?」

 ミシウムが声を震わせながらなんとか尋ねる。フードの男はなおもあっさりと答える。

「クリシュナの村を焼き払うためさ」予想外の言葉に声を失った。……焼き払う?正気か?「なぜ村ごと焼き払う必要があるんじゃ?あの子はなんの関係もないんじゃからすぐに引き払わせろ!」

「わたしもそう思ったんだがね」男は悪びれずに答える。「あの村には君の子どもを身ごもったと思われる女性の墓があるんだ。おっと否定しても無駄だよ。こんなことは調べ上げることはそんなに難しくはないんだ。と、なると必然的に君の子どもがあの村のどこかに住んでいる可能性が高い。私はあの酒場の女性がそうだとあたりをつけたんだ。しかし、違うのなら約束を守るために村人すべてを殺戮するしかない。そうすれば君の身内は必ず死ぬだろうからな」

 男の言葉にミシウムは目眩を覚える。結局、自分がセレイヤを娘と認めたとしても焼き払うことをやめるわけではないのだろう。ここからクリシュナまで命令をやめさせる手段はないのだから。

 こうしてはいられない。ミシウムは男に目もくれずに傍に生えていた大木に繋げていた馬に跨がる。

「どこへ行くんだい?」

 男が興味もなさそうに尋ねる。

「知れたこと。クリシュナに行く。なんの関係もない人が巻き添えになるとわかって黙ってるわけにはいかん」

 馬の手綱を捌きクリシュナの村の方角に頭を向けさせる。

「行ったところでもう間に合わんよ。ほらっ」男が無情に告げる。彼の視線の先に火の手の上がった煙が見えた。「到着次第命令が実行されるんだ。手っとり早く約束を守るためにね」

「それでも何人かは助けられるかもしれん」

 馬の脇腹を蹴り走り出す。

「……それでは困るのだがな」

 男の手に小さな黒球が現れた。それはみるみる大きくなり人の頭ほどの大きさになるとミシウムに向かって投げつけるように飛ばした。

 飛びながら黒球は大きくなり続けミシウムに襲いかかる。ミシウムの身体が後ろに引っ張られる。黒球の大きさに比例して吸い込む力は大きくなっていく。今やミシウムだけでなく、馬も一飲みにできるほどになった。

 最初は触れなければ吸い込むことはなかったはずの黒球は周囲の石や小枝、土塊や岩などを無制限に吸い込みはじめた。

「吸い込まれたところで案ずることはない。運が良ければどこか別の場所に飛ばされるかもしれないよ。私のようにね」

 男のその言葉も空気とともに黒球に吸い込まれたためにミシウムの耳には届かない。

 ミシウムは懸命に馬ともども前に進もうとするが、後方に進む距離の方が長くなる。

 やがて馬の蹄が地面を空滑りし、それをきっかけにミシウムと馬は黒球の中に向かって一直線に飛んでいった。

「……」

 ミシウムが最後になんと叫んだのか男の耳にも届かなかった。男は右手を差し出し、黒球を小さくする。

 握りこぶし大まで小さくなった黒球は男の元に飛んで、その手のひらの中で消えていった。

 クリシュナの村の方角から一頭の馬が走ってきた。一人の兵士が乗っている。クリシュナを焼き払う命令を受けた部隊の伝令が報告に来たのだろう。

 兵士は男の元にたどり着くと馬を降り、敬礼をする。

「ご命令どおり、クリシュナの村に火を放ちました」

「ご苦労様です。……以前にも言いましたが、私は軍人ではないのですから敬礼はしなくてもいいのですよ」

 男はフードをあげて、兵士ににこやかな顔を向けながら言ったが兵士は敬礼を崩さず生真面目に返す。

「はっ!しかし、団長からは大佐待遇で対応するようにとの命令が下っておりますので……導師ギリア」

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