第6話

 夕凪はC-四三番という男について、名簿に書かれている以上のことは知らなかった。どうやらフィリピンから来たらしいことや、両親と兄弟が健在であること、それに初日に反抗的態度を示したということ。それでほぼ全てである。

 もし何か付け加えるとしたら、初日にして以来、なぜか懐かれているということと、どうやら夕凪の担当するC班ではリーダー格らしいということくらいだろうか。


「Cサン。今日はナニするですか」

「詳しくは知らないので、Aさんに教えてもらいながら進めます。皆を集めて下さい」


 ありのままを伝えると、一瞬、C-四三番は躰を震わせた。Aを一瞥し、夕凪たちに頭を下げて小走りで寮に戻っていった。

 寮のガラス戸が閉まると同時に、Aが肩を揺らした。


「見たか? 俺にビビってたろ、あいつ」

「そうですか? 教育する程ではなさそうでしたけど」

「いや、しねぇよ。おっかねぇな」Aは左手を腰に当て、空いた手で頭を掻いた。「あいつ、俺よりお前の方がよっぽど怖えって分かってんのかね?」

「僕ですか? 僕は必要以上に叩きませんから、Aさんほど怖くないと思いますよ」


 Aが失笑した。腰に吊るした教育棒のグリップを撫で、夕凪に横目を向ける。


な?」

「そうでした」


 それっきり、二人は夕凪の担当するC班四名が出てくるまで、黙っていた。

 C-四三番を左端に班員が横並びになり、大声で「おはようございます」と言った。二人は殆ど同時に挨拶を返し、班員を連れて用具倉庫へ向う。本日の作業『穴掘り』に使うという足掛け付きのシャベルを四本取って、C-四三番に担がせる班員を選ばせた。


 C-四三番は、C-五七番に持たせた。C-五七番はベトナムから来たという男で、C-四三番に言い聞かせられているらしく、従順だった。俯きがちで暗い顔つきをしている以外は、これといった特徴がない。


「そいじゃ、裏山行くか」

「『穴掘り』の場所ですか?」

「ま、そういうことになるな」


 Aは意地悪い片笑みを浮かべて、班員に言った。


「お前らの墓穴になるかもな」


 墓穴という単語の意味が分からなかったのか、班員たちは顔を見合せ、愛想笑いで返した。Aは面白くなさそうに肩を竦めて、鼻で息をついた。A班では皆怯えるのだという。

 夕凪はぬかるむ坂道を登りながら、何のために班員を脅すのか考えてみた。教育したばかりならともかく、言うことを聞いているのに脅す意味はあるのだろうか。

 Aは着いて来る班員の様子を肩越しに窺い、呟いた。


「お前のトコの連中、こうしてみると殆ど普通の研修生だな」

「Aさんのところは違うんですか?」

「俺のところっつーか、ウチにいんのはゴミクズみたいなもんだろ。使い捨てだし」

「そんなこと言ったら失礼ですよ。皆、五百円以上はかかります」

 

 夕凪がそう答えると、Aが不思議そうに瞬いた。再び、Aが肩越しに班員たちを覗いた。彼らは顔を見合せ、Aに首を傾げてみせた。

 

「五百円ってなんの話だ?」

「粗大ゴミです。持っていってもらうには、シールが必要なんですよ」

 

 班員たちがザワついた。

 瞬間、夕凪は教育棒のグリップに手をかけた。班員たちは息を飲むようにして口を噤んだ。

 半拍遅れて、Aが小さくのけぞる。


「たしかに。五百円じゃきかねぇわな」

 

 楽しげに笑っていた。

 

「あ」夕凪は言った。「忘れてました。持ち込みだったら無料ただですね」


 丁度、穴掘り場所のすぐ近くだった。

 Aが声を大きくして笑った。首を振り、夕凪を指さしながら、班員たちに同意を求める。水を向けられた班員たちは顔を青ざめるばかりで、何も言わない。

 と、C-四三番が乾いた笑い声を立てた。他の班員もそれに続く。


「……冗談を言ったわけじゃないですよ?」

 

 笑い声は、ピタリと止まった。

 Aだけがくつくつと笑っていた。冗談を言っていると思ったのかも知れない。それこそ、冗談ではない。帽子の男は『言っていい冗談と悪い冗談がある』と言っていた。

 Aが足を止める。夕凪は、ほう、と短くため息をついた。


「ここで穴を掘るんですか?」


 山道を外れてキツい斜面を降りる、まさにその途中だ。鬱蒼と茂る木々で辺りは暗く、枯れ葉と枯れ草で足元は茶色一色。『穴を掘る』という行為を遂行するには、不適としか思えない場所だった。それに、


「何のために?」

「なんでもだよ」Aは即答した。「ゴミなら、なんでも捨てられる穴を掘る」

「大きさは?」

「深さは最低でも三メートル。余裕を見て四メートルくらいがいい」


 夕凪は首を振って、班員たちに微笑みかけた。


「ですって。お願いします」

「えっ? ……わ、わかりマシた……」


 C-四三番がそう答えると、班員たちは各々ショベルを受け取り、もぞもぞと穴を掘り始めた。

 黙々と穴を掘る彼らを、Aはニヤけた顔をして見つめていた。もう要件は済んだことだし、戻ってもらってもいいかもしれない。夜勤明けらしいし。

 夕凪がAに声をかけようとした時、ランニングバッグの中で、携帯が鳴った。

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