第3話
背の高い男が一人、入り口で頭を下げて、地下室に入ってきた。黒人だ。帽子の男たちよりも上等なスーツを着ている。ギョロギョロと大きな瞳が動いていた。
会釈した帽子の男は、黒人の足元を見て、口元を歪めた。
「靴。そのまま来ましたか」
「ダマレ」
片言の日本語で言って、膝立ちの二人を眺めた。品定めをするような目を少女に向け、気だるげに口を開いた。
「コッチダケなら、ナントカシヨウ」
帽子の男は短く息を吐き、帽子を被りなおした。
「助かります」
黒人は首を左右に振った。帽子の男が小さく顎をしゃくる。
爪楊枝の男が少女を立たせて、イヤーマフを外した。背中に手をかけ、黒人の前に押し出す。
黒人は少女の顔からつま先まで眺めて小さく頷き、踵を返した。
「……長生きしな」
爪楊枝の男が、少女の背を押した。
横目で見ていた夕凪は、素早くノートに目を滑らせた。
「スラマット」
少女がビクリと震えた。
帽子の男と爪楊枝の男が、夕凪に目を向けた。黒人の男と少女が階段を昇っていく。
夕凪は目を瞬かせ、先ほどの語を和訳した。
「おめでとう、って言ったんです」
「めでたいと思うか?」帽子の男が言った。「長生きできるとは思えんが」
「同感です」爪楊枝の男が、咥えていた爪楊枝を指でつまんだ。「どれくらい持つんだか」
夕凪は目を瞑り、少女の行く末を考えた。
先ほどの男は、おそらく、どこかの国の外交官だろう。人買いには様々な人間がいるが、中でも最も自由にやっている。
「あの子、国籍、もらえるんですかね?」
「どうなんだろうな」
帽子の男は内ポケットから新しく煙草を取り出し、火をつけた。
「無い方が何かと便利かもしれんからな」
ぐぅ、と煙草を深く吸い込んで、残された男に煙を吹きかけた。爪楊枝の男が、黒頭巾の上からイヤーマフをかぶせていた。
「さて、こいつだな」
「どうするんですか?」
「まぁ、始末するしかないな」
「何をしたんですか? この人」
「さぁな」
帽子の男は、黒頭巾を見下ろし、呟いた。
「何もしなかったのか。あるいは、余計なことをしたんだろうな」
「……じゃあ、さっきの子は?」
「こいつが身代わりにしようとした」
「身代わり」
夕凪は言葉を繰り返しながら、男の前に立った。
「あの子は、この人の子供なんですか?」
「そうだ。何のツケかは知らんが、娘の命で済ませようとしたらしい。少なくとも、逃がすためだとか、育てきれないからとか、そんな綺麗な話じゃない」
「……いくらなんですか?」
帽子の男は答えなかった。爪楊枝の男も何も言わない。沈黙を破るように、顔に傷のある男が降りてきた。手に、金属バットを握っていた。デコボコに陥没したバットだ。
顔に傷のある男はバットを持ち替え、グリップを夕凪に差し出した。
「やるか? なんか、ムカツクだろ」
「僕、お風呂入っちゃったし、寝間着なんですけど」
「いや、別に。やらねぇなら俺らでやるよ。なぁ?」
言って、顔を後ろに向けた。爪楊枝の男が小さく頷く。
夕凪は微笑を浮かべ、寝間着のボタンを外し始めた。
「やらないとも言ってないです」
顔に傷のある男は、線の細そうな童顔からは想像しにくいボクサーのような体躯を見つめ、目を細めた。
「別に無理しなくてもいいんだぞ?」
「無理はしません。体に悪そうだから」
夕凪は脱いだ寝間着をツールボックスの上に投げ、差し出されたグリップを握った。左手の小指をグリップエンドにつけ、右手を添える。
膝立ちしている男の左側に回り込んだ夕凪は、一度バットを下ろした。バットの先が床とぶつかり、コン、と硬質な音を鳴らした。
男が弾かれたように顔を上げる。
歩幅を調整した夕凪は、バットを握りなおすと、野球でもするかのように振り上げた。
「そういうのは、ダメでしょ」
鋭く息を吐き、振った。バットが、ぶ、と風を切り、男の後ろ頭にめり込む。粘着質な鈍い打音が鳴った。手を通じて頭の重さと硬さを感じた、その瞬間、夕凪は歯を強く噛んだ。痛みに耐えるためではなく、振り抜くために。
男の躰が打たれた勢いそのままに床に倒れ込む。頭が床で弾んだ。そして、動かなくなった。
顔に傷のある男が、いくらか伸びた首筋に触れる。失笑した。
「ナイススイング。さすがだな。一撃だ」
「……やっておいてアレなんですけど、ここで殺しちゃってよかったんですか?」
「硬直が始まる頃には土の下だし、問題ないさ」
「それに」帽子の男が言った。「あとは俺たちでやるから、坊主はもう寝ていいぞ」
「ホントですか?」
帽子の男は携帯灰皿に煙草を押し込んだ。
「ああ。明日も早いんだろう? 夜更かしは体に障るぞ」
「それじゃあ、お言葉に甘えて、僕は失礼しますね」
夕凪は寝間着に袖を通しつつ、階段に足をかけ――止まった。
忘れていた。
振り向き、地下室に残る男たちに深く頭を下げる。
「お休みなさい」
男たちは顔を見合わせ、口々に、「お休み」と返した。
夕凪が十万と七七八四円で命を買われてから、五年目の夜だった。
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