第1話

 夜だった。

 晩飯を食べ終えた夕凪は、歯を磨き、風呂に入り、寝間着に着替えたところだった。テレビはあるが見たい番組はなく、本を読みたい気分でもない。寒いし、明日と健康のためにも、もう寝てしまおうかと思っていた。

 呼び鈴が鳴った。郵便があるとは聞いていない。


「はーい。いま出ますー」


 答えておいて、玄関の灯りを点ける。擦りガラス越しの人影には見覚えがあった。しかし、まず靴を履き、靴箱の上のダイバーナイフを取った。鞘から抜いて、後ろ手に隠し持つ。

 夕凪は深呼吸して、取っ手に指をかけた。


「よう。久しぶりだな、坊主」


 やはり、帽子の男だった。いつもの灰色のスーツに、同じ色の帽子だ。

 

「すまんな。突然」

「連絡くれれば良かったじゃないですか」

「ちゃんとやってるか、確認も兼ねてな」

「それ、いま考えましたよね?」


 言って、夕凪は微笑みながらナイフを戻した。

 帽子の男は小さく肩を竦めて、背後の誰かを手招いた。


「実はそうなんだ。急な仕事で、こっちも泡食っててな。地下室使うぞ」

「ウチを使うなんて、珍しいですね。もう辞めたって言ってませんでした?」

「辞めたんじゃなくて、避けてたんだ」


 玄関を上がった帽子の男が振り向いた。口元を緩めている。


「長生きしたいからな」

「ですよね」


 つられて夕凪も笑った。

 奥に歩いていく帽子の男の背に気を取られていると、「ちょっとそこ通してくれ」と、顔に傷のある男が入ってきた。肩に、白い布にくるまれた人を抱えていた。大きさからすると成人だろう。浅黒い肌の足先がはみ出ていた。太い。男性だ。


「手伝いますか?」

「いや。大丈夫だ」


 担ぎ直した顔に傷のある男は、通り過ぎ間際に言った。


「坊主。またデカくなったな」

「そうですか?」

「デカくなったよ」


「人間がそう簡単にデカくなるかよ」と、長い爪楊枝を咥えた男が横やりを入れた。こちらも肩に白い布を抱えている。今度は二回りほど小さい。子供だろうか。

 爪楊枝の男は靴を脱ぎつつ、夕凪にしかめ面を向けた。


「なんだそりゃ。パジャマか?」

「そうです」

「坊主。今年で……いや、いいわ」

「お腹が冷えると良くないじゃないですか」

「ああ……まぁ、そうな」


 担ぎ直して、奥へと歩いていく。

 戸を閉めた夕凪は、靴を並べ、鍵をかけ、電気を消した。どうしようか考える。

 寝るか。

 見に行くか。

 もう一度歯を磨いてから、決めることにした。


「子供の方は、いくらくらいなんだろう」


 洗面台の前で呟く。鏡の中の九万九千八百円(税別)が、不思議そうに眉を寄せていた。

 三、四年で腎臓は供給過多になったというから、あの子はもっと安いのだろうか。

 俄然、興味が湧いてきた。

 歯を磨いて居間に戻る。顔に傷のある男がポテトサラダをつついていた。


「それ、僕の朝ごはんだったんですけど」

「んお? すまん。冷蔵庫に入ってたから」

「入ってたから、じゃないですよ。僕、朝ごはん抜きじゃないですか」

「すまん、すまん。メシ代は置いてくからさ」


 軽く手刀を切って、財布を取り出した。

 夕凪は頬を膨らませ、「別にいいですけど」と地下室へ続く階段に向かった。途中、帽子の男が外に出ていくのを見かけた。

 地下室は六畳ほどの部屋になっている。鎖で吊られた蛍光灯と、五段重ねのツールボックスと、丸椅子がいくつか。直した跡のある緑のタイル床に、見覚えのない衣服が散らばっていた。


「裸にしちゃったんですか?」

「おう。捕まえたとき刃物持ってたんでな。田舎だし、裸なら逃げられねぇだろ?」

「女の子だったんですね」

「気になるか? 坊主も年頃だもんな。」


 夕凪は部屋の端に置いてある丸椅子に座り、膝立ちの二人を見つめた。

 蛍光灯の光の下で、どちらも浅黒い肌を晒していた。頭には黒い布をかぶせられていて、少女の方は防音のイヤーマフも付けさせられていた。胸と腰の発達具合からすると、十二歳から十四歳くらいだろうか。

 寒いのか、二人とも小刻みに震えていた。


「……いくらか分かります?」

「ガキの方は、一発二、三万くらいじゃないか?」

「そうじゃなくて」

「ヤりたいか?」

「遠慮しておきます。長生きしたいから」


 爪楊枝の男が肩を揺すった。


「さすがに病気もちじゃねぇと思うぞ?」

「病気?」

「まぁ、ここに連れてこられるようじゃ、分からんけどな」

「いくらなんですかね?」

「知らん。いま電話しに行ってるから、戻ってきたら聞いてみな」

「そうします」


 夕凪は少女の裸体を見つめた。肉付きは良くないが、肌に傷は見当たらない。手術痕もなさそうだ。腎臓は供給過多だから、四万九千八百円くらいだろうか。

 税込みで、五万と三七四八円。

 階段を下りてくる足音に夕凪は顔を上げた。

 入ってきた帽子の男が、小さく顎をしゃくった。

 

「おう。坊主。どうした」

「いくらかなって思いまして」

「女の子の方か? そうだな……三十万ちょっとくらいじゃないか?」

「…………えぇー……?」

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