第6夜 理不尽な乙姫

 山の向こうに光る何かが見えた。何だろうと思う。その方向に心は引き寄せられ、歩き続ける。峠の向こうに見えたもの、それは海だった。無心に歩き、気がつくともう直ぐ目の前は砂浜だった。潮騒の香り、麗らかな日差し、心は童心に返ってウキウキとして踊り出す。海鳥が飛び交う沖の方を眺めながら、砂浜を歩いていた。海鳥が飛び交う先には船も見え、ボ〜ッとして眺めていた。少し立ち疲れしてきたので腰を下ろそうと思い辺りを見ると、浜辺に一抱えもあろうかと思う大きな岩があった。その岩に腰を乗せた時である。岩がグラッと動いたのである。それは大きなカメであった。


 ビックリしたサイゾウは、「アッ」と声を出した。すると亀は頭を出してサイゾウの方を見た。

「や〜。あなた、今、おヒマですか。竜宮城に行きませんか。乙姫様とお茶しません」

「えっ!乙姫様って。お前さんは何者だい」

「竜宮城から来たんです。お使いの亀です」

「ふ〜ん。そうか。そうだったのか。座って悪かったね。じゃあね。あばよ」

「ちょっと、待ってください。竜宮城ですよ。行きたくありません?」

「無い」

「乙姫様に会いたくはありませんか」

「別に」

「どうして、どうして」

あまりに強引な引きは何かあるだろうと感じさせる。また、マーケッターからの多くの経験から言えば、この亀は引きが強過ぎる、愚かにも胡散臭印象を相手に与え過ぎだと思うサイゾウであった。


「じゃあ、はっきり言ってやろう。お前、怪し過ぎる。騙される感じがありありだ。俺は行かん」

カメは涙目になり砂浜に突っ伏した。

「もお嫌だ。早くうちに帰りたい。あのワガママな乙姫のお陰でこんなしょうもない仕事やらされて。性格もええ加減で無責任、言ったことなどすぐ忘れてしまう、今頃私の事なんて忘れてしまってるんだよ。きっと戻ってもいいポストはクラゲやイルカに取られてるんだ。もう帰りたいよ」

カメは気落ちしかのように陰鬱になり、乙姫の悪口を言い、待遇に対する不満を言いながら、自分の不幸を嘆き涙を流した。


「どうして乙姫が出てくるんだ」

俺は聞いてみた。亀は急に明るくなり、サイゾウに誘いの言葉をかけた。

「あんた、行く気になったのかい。それじゃあ僕の背中に乗ってよ。すぐに竜宮城につけるよ」

「違う違う。ただ聞いてみただけさ。やけに乙姫さまをボロクソに言うじゃないかね。なんか訳ありだね」

「なんだ、今の聞いていたの」

「聞きたくもなかったが、聞こえて来たんでね」

「そうなんだ。家でお茶を飲んでいると、城から鯛が私を呼びにやって来たんだ。鯛が言うには、「君は姫様に気に入られているんだね。君ならお役目が果たせる。亀を急いで呼んで来るように」と。姫様の前にひざまずくと、「人の男を一人連れて参れ」と仕事を命じられたんだ。周りにいる者達は何も言わず、私はやった事がないので断ったんですが、「お前の父はやり遂げたぞ」と、ウツボ大臣が言い、押し切られる様にして了承させられ、この海岸にやって来たのです」

「だが、思ったよりも大変だったか」


 大きくため息を吐くと亀は話を続けた。

「親父に聞くと竜宮からのお使いだと言えば、すぐに背中に飛び乗って来ると言う。そう聞いて、簡単だと思っていたんだ。人は誘いに乗って直ぐに竜宮城に案内できると。でも誰も僕の言う事なんか聞いてくれません。浜辺で行き交う人に声をかけるんですが、チラッとこっちを見るんですが、直ぐにみんな通り過ぎて行くんです。無視ですよ、無視するんですよ」


亀は浜辺を前ヒレで叩き、暴言を吐きながら嘆いた。

「アホ、死ね!二人ずれが前を通りかかたときなんか、これはチャンスだと思いましたよ。それで竜宮城に行きませんかと誘いをかけると、きっと二人が先を争って行きたいと争うと思っていたのに。二人とも嫌な目で私を見て、一人がもう一人に小さい声で言うんだ。「おい、今日は日が悪い。嫌なものに会った。あれが例の亀らしい」、すると相手が「ああ〜!あれか。困ったもんだな。うるさいし、ウザイ。どうして捕まえて市場に持って行かないんだ」って。それを聞いて私は震えましたよ」


 亀はさも腹立たしいと言わんばかりに話を継ぐ。

「嫌なものでも見る様にもう一人がいうんです。アイツは仮にも竜宮のお使いって名乗っているんだから、ヤっちまったら流石にマズイだろう。海が荒れたり、船が沈められたり、そんな事があっちゃ大変だから、捨てておいてあるのさ。そうか大人の事情かとね。それを聞いて嫌になりまして海に帰ったんですが、家にも帰れずまだここにいるんです」


「浜辺にいるのも怖くなり、海に浮かんでいると鯛がやって来て催促するんです。どうなった、早く帰って来いと。お前なんかだったらもう刺身か、煮付けになってるわ。うるさいって言ってやったら、乙姫様に言いつけてやると脅すんです。仕方なく、もうかれこれ一ヶ月ほどこの浜辺にいます。誰にも相手にされず、ただこうして浜にいて、通りかかた人間に声をかけ続けているんです」


「そうなんだ。カメ君、君はどんな人を探しているんだい」

「そうですねえ。乙姫様と同じ年齢の人間ですね」

「フ〜ン。一体乙姫様ってお幾つなんですか」

「確か380歳だったかなあ。公式に発表してるんですからそんなもんでしょう。でも親父の言う事にはもう400は超えてるって。困ってしまいますよ」

「でも300歳の人なんかは魔女以外いないよ。どうするんだい」

「それなんですが。要するに乙姫様とお話ができて、遊び相手になってくれれば

それでいいんです」

「じゃあ。どんな人がいいんだい」

「あなたの様な男性です。つい100年前にも若い男性を父ちゃんが連れて来たんですが、もう老人になちゃって遊び相手に向かないんです。それでまた誰か連れておいでと言いだしまして。父ちゃんに聞いて来たんですが、会う人皆ものすごく疑い深くなっていまして。ダメなんです」

「でも100年前ならあまり変わらんだろうに」

「あっ。そうでした。この空間の時間は竜宮城の約300倍の速さで進んでいるのです。僕は乙姫様をもう2時間40分ほど待たせているんです。多分姫様は怒ってると思います。それでもう僕は首になってるんでしょうね」


 カメがしょげて涙を流すので考えさせられました。どこの世界も宮仕えは大変なんだと。呆れてカメから離れようとすると、俺のズボンの裾を咥えてはなしません。

「何をするんだ。離せよ」

「いいや、離せません。あなたを連れて行きます。きっと満足しますって。美味しいご馳走。魚たちのレビュー。海の美しい景色。きっと飽きることはございません」

「カメ君。嘘が下手だねえ」

「えっ。どうしてです」

「だって乙姫様。飽き飽きしてるんだよね。遊び相手がいないとつまんないんだよね」

カメは急に黙ってしまいました。


「それはそうなんですが。何とかならないですかね。僕を助けると思ってついて来てください」

「困ったなあ。行く予定があるんだ。だから先の約束を破るわけにはいかないんだ」

「ダメ。そう言って僕から離れて行った人はもう二度と戻ってこなかった。騙すんだろう」

「誰も騙してない。帰ってくるなんていつ言った。用事があるからそこに行くんだ。わかったかい」

「イヤだ〜。離したくない」

「困ったやつだなあ。変に頑固だ。まあいい。一つだけ約束してくれるかい」

「どんな事ですか」

「それはねぇ、いいかい。帰りたいと本人が言ったら帰してやるってことだ。わかったか。いいな」

「僕はそれでもいいんですが。乙姫様が承知するかどうか」

「ダメなら、何も教えない。勝手にすれば良い」


 カメは少し考えていたが渋々約束した。

「乙姫様は執念深いし、嫉妬深いから帰ると言い出したら何か悪いことをするかもしれません。それをどう防げばいいんでしょうか。できないかもしれません」

「そうだな。やっぱり人を害することはしない様に乙姫さまに約束させて下さい。そうすれば誰かを竜宮城に誘える方法をお教えしましょう」

「本当に。直ぐに出来ますか」

「まあ、手順を踏めば確実に。カメ君次第ですよ」


 カメは喜びました。

「では教えてくれたら離します。何も言わずに行ってしまわれたら困りますから」

「ハハハハ。君も用心深いねえ。わかった」

「これもここで学んだのです」

「いいかい。君は使者になるんだ。竜宮からのお使いにね」

「待って下さい。今でも僕は竜宮城からの使者なんですよ」

「そうだったね。でもそれは君だけが知っている事で、君が言っていることに過ぎないんだよ。通りかかる人に関係はない。だからこそ竜宮の使者が、やって来る理由が必要なんだよ。なぜ自分なのか。どうして今なのか。そして、イヤなら来なくても良い。この三つが必要なんだ」

「そんな事でうまく行くんですか」

「多分ね」


「でもどうすればいいのか分からないのです」

「う〜ん。そうだねえ。例えば小さなカメを浜辺で遊ばせて、人にいじめさせる。その時誰かがカメを助けてくれるとする。その様子を君が、相手に気付かれずに確認するんだ。次の日、君は事件のあった海岸で、その人間が浜辺を通る時を見計らって、君が海から出て行って話しかけて、口説くんだ」

「でも助けてもらえなかったカメはどうなるんですか」

「さあ。どうなるか。ただするんなら、こうなるよと言うことさ。やるやらないは君次第さ」

「それでどう口説くんですか」

「うん。それも教えるのかい」

「お願いします」

「そうかい。要するにこう言うんだ。あなたは可愛いカメを助けてくれました。だから乙姫様がお礼をしたいと言っております。どうかお早く私の背中にお乗り下さい。一人しか連れて来たらいけないと乙姫様に言いつけられています。誰かに見られてその人が私に乗ればあなた様を連れて行けなくなります。てな具合かなあ」

「分かりました。早速、決死隊を募ってやってみます。ただ、他の方法は無いのかと考えていまして」

「そうですね、カメ君、君自身が捕まった時には良い方法がありますよ」

「えっ!私が捕まる」

「そうです。これが一番良いかもしれません」

「でも相手がある事ですから、上手くいかなければ」

「ええ、そうですねえ。食われるか、鼈甲細工になるでしょうねぇ」

「聞きたくありません」

「そうですか、それでは」


 サイゾウが行きかけると、亀はオズオズと聞いてきた。

「もし、聞きたくありませんが、後学の為、一つお教え願いませんか。捕まった時はどうすれば」

上目使いで話しかける亀の態度に、サイゾウは可笑しさを感じて笑い出した。

「そうだね。知っておくと良い事があるかもね」

「はい」

カメにサイゾウは話す。

 捕まった時には、慌てる事なく話す事。話す内容は、誰かを探しに陸に行く、あんたは誰だい?と尋ね、相手が俺だといえば、そうでしたか、乙姫さまがお待ちですと背に載せるんだ。相手が欲深い奴なら豪華な接待とお宝が貰えるとか、美女が沢山いて、ハーレム状態だと伝えてやれば、もう相手の気持ちは君の物だ。どの様にもできるというもの。


話を聞き終わると亀は納得した様子でサイゾウに礼を言います。

「でも、例の約束は守って下さいよ。それと君はここでは顔が割れているんだから、ここではない別の浜辺に行って、するんだよ。少なくとも入江を三つ以上は向こうにしなくてはダメだよ」

「有難うございます」

そう言うと、亀は口からサンゴのかけらを吐き出しました。

「これは大海溝の底に落ちていた物です。私は気に入り持っていましたが、今日、あなたにお教え頂いた多くの事に感銘を受け、お礼にお渡ししたいと思います。どうぞ」

 サイゾウが受け取った物を見てみると、亀はサンゴと言うが青く光り、人の手で作られた様な形状をしていた。それは、まるで三日月の様であった。

サイゾウが喜んでいる様に感じたカメは、安心して程なく海に帰ってゆきました。


 しばらくしてサイゾウは、気立ての優しい太郎という者がいなくなったと漁師仲間が噂しているのを耳にしました。一人の漁師が腕を組み、首を垂れて不憫に感じている様でした。

「あっあ〜。アイツはいい奴だったのに。あの時に少し魚を分けてやっていたら」

もう一人が首を振り答えます。

「奴には年老いた母親がいる。放ったらかして何処かに行く様な奴じゃ無い。そんな事をする奴じゃないんだ。もしかしたら船が沈んだのかもなぁ」

結局、漁師達は、不漁に悩んだ挙句、海に身を投げたとか、船が沈んでしまったとか、太郎の不幸を口々に話しているのでした。


 そんな太郎は海の底で楽しい時を過ごしていましたが、ある時母親のことが思い出され、心配になって来ました。それで竜宮城での毎日に未練があったのですが乙姫様に帰る意向を伝えました。

「母親がどうしているか心配です。ここには未練もありますが、帰って、母の無事を確かめたいと思います」

乙姫様は亀と約束しているのでイヤとは言えません。

「ふん。何よ。こんなに楽しく過ごしているのにもう帰りたいですって、イヤになるわ。私が嫌いになったのかしら。この前の人は死ぬまで帰りたいとは言わなかったのに。バカにしてるわよ。どうしてやりましょうか」


 乙姫様は何かを思い出し、ニコリと笑うと宝物殿に入ってゆきました。

「太郎様。名残惜しい事でございます。これはお土産です。ただし、決して開けないで下さいませ。これは約束ですよ」

太郎は何も考えずに受け取ると、カメに連れられ生まれ故郷の海岸につきました。カメは浜辺に降り立った太郎とその胸に抱かれた玉手箱を見て、一抹の不安を感じ太郎に尋ねました。

「太郎さん。これはどうしたのですか」

「乙姫様がくれたんだ。どんな事があっても開けてくれるなと言われている」


 それを聞いたカメは、物凄く悪い予感がしました。

「太郎さん。この箱を乙姫様が言った様に決して開けてはなりませんよ。でも人は開けるなと言われれば、開けてしまうものです。それに開けられない箱は持っていても意味がありませんですよね。もしなんでしたら、いらないと乙姫様にお伝えしますので私が、持って帰りましょう」

 太郎はカメの親切を、カメが玉手箱を欲しいから寄こせと行っているのだと、判断して、きつく玉手箱を抱きかかえました。それを見た亀は溜息をついて、海に帰ってゆくのでした。


 竜宮城に帰ったカメは乙姫様に事の次第を報告しました。

「ふん。大事に抱えていたかえ。それは良い。カメよ。もう一度面白そうな若い男を連れて参れ。そうよなあ。もうちと、薄情な方が良いようだ。母親の事なんぞ知らぬ存ぜぬと言う様な輩で良い。あまり優しい奴はいけない。頼んだよ」

「優しくなく、薄情者。強欲で意地悪。それって姫様の事じゃない。鏡と話ししてたらいいんだよ。どうしようか」


 亀はサイゾウに教えられた方法では、律儀で優しい男しか集まらない事を、知っていたので誘う言葉をどうしようかと考えていました。

「あ〜あ。また人を連れに行くのか。この仕事キツイなあ」

そんな事を思いつつも海の底から、明るい海面を目指して浮上していると漁師の網にかかってしまいました。


「わあ!大変ダァ」

亀は大暴れ、なんとか逃れようとしましたが、漁師の船に横ずけされ括られました。もう終わりだと思ったその時です。ある思いが頭に浮かびました。それはサイゾウに教えられた方法でした。自分を捕まえた漁師に話しました。

「あなた、太郎という漁師を知っていますか」

「太郎?漁師の長男なら皆太郎さ。それがどうした」

「あなたは太郎さんですか」

「いや、俺は次郎だ」

「ああ、残念。太郎さんなら竜宮城に連れして来いと乙姫様が、私に仰ったのです」

「竜宮城に招待されたらどうなるんだ?」

「話すのですか」

「そうだ。話してみろ」

「わかりました。お教え致しましょう。魚達の踊りや豪華な食事。何日も続きます。ただ、あなたがイヤになれば御帰り頂きますが、御帰りの際には乙姫様が宝物の中から心のこもったお土産をお選びになり、お渡しになられます。あなたはそれを持って帰るという段取りです。わかります」

「ということはお前は竜宮城からのお使いなのだな」

「はい。そう言うことです」

「じゃあ、俺が太郎でも良いんだろう」


 そう言う漁師は欲に塗れた目をしていた。

「えっ。あなたは太郎さんでしたか」

すると漁師は「そうだ」と答えた。そう言ったかと思うと亀の網を切り、亀を解き放した。亀はスッと潜ってから船の舳先の前に顔を出し、漁師に声をかけた。

「太郎さん。さあ、いらっしゃい。私の背中に乗ってください」


 漁師は残酷な笑みを浮かべて、亀の背に乗り移った。

「さあ、行けっ。早く行け」

「しっかりと捕まっていてください」

亀は竜宮に向かって泳ぎだした。これは良い拾い物をしたとほくそ笑みながら。

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