第2夜 すすり泣く亀に躓く

 見えた山を登り始めると、心がゆったりとしてくる。空気もうまい。だが、あたりの風景に気を取られ、足元が疎かになり、歩いていると石に蹴つまずき倒れかけた。

「アッ!なんだ、なんだ」

 何に俺は蹴躓いたのか?足元をよく見るとそれは岩の様であった。岩だったのかと上に向けたり、下に向けたりして何かを確認していたが、どうもそれは亀だった様だ。涙を流したり、「ウッウッ」と涙を堪える声を出すなんて岩では出来ないことだろうから。

「アッ!ごめんよ。俺が悪かった。泣くなよ」

涙を流し泣く亀に蹴ったことを謝ると、「いいんです。許すも何も、私、この事で泣いてるんじゃないんです」と答えてくれた。


「じゃ、どうしてこんな山の中、道のど真ん中で泣いていたんだい?」

「どうしてって、あなたは私の涙を流す訳を聞いてくれるんですか」

「ああ、話してくれるかい。聞かせて貰おうじゃないか」

「実は、ウサギに虐められているんです。あの長い耳をギューと引っ張って引っこ抜いてやりたい。あの尻尾に噛み付いて噛み付いて、噛み切ってやりたい。そうは思うものの、足の遅い私には出来やしないんですよね。どおして神様はウサギにあんな早く走れる足を付けたのでしょう。私にも早い足があればきっと今日のような嘲りは受けなかったように思います。悔しいのです。ただ、足が遅いだけで蹴る、叩く、足をかけて転がせる。悪事の後、ピユーっと走って逃げて行く、ウサギの後ろ姿を見送るだけなんて許せない。何か仕返しをしてやりたいと思いますが、何も出来ない私がいるのです。不甲斐ない自分を許せません」

「そんなにウサギを憎んでいるのですか」

「いいえ、呪っているのです。奴の弁当に下剤や毒をしかけてやりたいと思う事もしばしば。でも早く動きまくるウサギに追いつける訳もなく、ただこの悔しい思いが膨らむばかりで為すすべがないのです。奴は素早く、仕返ししようとしても追いつけません。笑いながら走って行くのです。や〜い。のろまなカメ。やれるものならやってみろ。や〜い、のろま。そう言っては私達亀を蹴ったり、転がしたりして意地悪をするのです。悔しくて悔しくて。それで泣いていたのです。こんな風に私たちを造った神様を呪います」


「でもそれは少し考えが浅いよ。確かにウサギとカメを足の早さで比べたら亀の負けさ。でも亀さんは重たい甲羅があるから足が遅いんだ。いわば鎧で身を守ってるんだ。それに泳げる。けれどウサギは泳げない。それに足の早さだけなら他にも多くの動物の名前を上げる事ができるさ。ウサギの一番の良い所は別の所にあるんだよ。亀さん、君は自分の強みで勝負しなきゃだめだよ。そうしないと勝ちはないよ。今、君が神様からどんな力を与えられているかを知って、勝負を計画し、その力をどう使えば勝てるかを考え出せたなら、「神様、ありがとう!」って、感謝しなきゃならなくなるよ。考え方を変えなくちゃ。そうしなきゃ、勝てないよ。このままじゃぁ、うさぎはやりたい放題、亀はやられ放題というわけだ」

「やられ放題?」

「そう弱い者をいじめて遊んでいるウサギのやりたい放題さ」

「自分は弱くはないと思っているんです。だけど兄貴は放っておけという。だけど、私はそんな事絶対に許せないと心に決めていたんだ。ジッとのんびりしている私の前にやって来たウサギは、目の前に自分の足を置いてボーとしていました。それを見て、これはチャンスだと思い、警戒してないウサギの足に噛み付いてやったんです。ヒイヒイ泣くウサギの足を口から吐き出し、ペッ、ざまあ見やがれと、言ってやったんだ。だがそれからというもの、奴は私を目の敵にして嫌がらせをするんだ。走って来ては転がす、踏み倒す。何とか仕返しをしたいんだが、やり返す事が出来ないんだよ。あいつに口惜しい悔しい思いをさせてやりたいんだ。奴はカチカチ山のうさぎの孫でウサギの中で自分が一番偉いと思っているんだよ。何とかできないものかと考えはするんですが、いい考えが思い浮かばないんだ」


 そういって亀はまた涙を流し口惜しさに震えた。

「そうだね。できなくもないよ。だが覚悟はあるのかい」

「えっ、本当。出来るんだね。どんな努力も惜しまないさ」

「そうだなぁ。ただ、確認しておきたいことがあるんだ」

「なに?」

「それは君が泳ぐのは早いかと言うことだよ」

「鯉やメダカの様に速くは泳げないが、それなりにゆっくりと泳げるよ」

「ゆっくりか」

「でも何故そんなことを聞くんだい」

「ウサギ君には走らせ、君、亀君は必死に泳ぐんだよ。君の本気を見せておくれ」

「エッ。どう言うこと」

「いいかい、あそこに見える山のふもとには何か目印になるものはないかい」

「ごめんなさい。なにもないんだ。けれどもう一つ向こうの山のふもとには大きな松の木が川のすぐ横に立っているよ」

「行ったことがあるのかい」

「あるよ。でもここからじゃ、すぐそばに見えるあの川を泳いでもだいぶんとかかるんだ」

「でもウサギが山二つを走って行くならどれくらいかかると思う」

「そうだなあ。朝出かけて夕方前くらいかなあ。でもあいつはウサギの中でも足が早いと自慢してたから昼過ぎくらいには着いてしまうかも」

「亀君、君はどれくらいかかると思う」

「昼を越えてお日様が少し傾くくらいかなあ。いや、もしかしたらもう少し早く着くかも」

「そうかい。それならうまくいくだろう。ウサギもそんなに早く着けるとは思わないだろうから、きっとこの話に乗ってくれると思うよ」


 亀君を前に手振り身振りで話し始めた。

「いいかい、よくお聞き。カメ君。言い間違えてはダメなんだよ」

「はい」

「ここから見える二つ向こうのあのお山の、ふもとの川岸にある松の根元までどちらが早く着くか競争しようと言うんだ」

「うん。そう言うんだね」

「間違っても駆けっこなどと言う言葉を使ってはダメだよ。あくまでどちらが早く着くかの勝負として持ちかけるんだよ」

「どうして」

「いいかい。相手が絶対に勝てると思う事が必要なんだ。ウサギ君がこの勝負を受けないと始まらないんだ。それにウサギ君がこの前の道を走って山を二つ越えて行くことを心に思い浮かべた時、君は勝てるんだよ」

「でもどうしてここから競争を始めるの」

「ここからカメ君は必死に走ってあの川に飛び込むのさ。きっとウサギ君は君を笑って道なりに走って行くさ。ウサギ君は君が川に飛び込む所を見る事なく走って行く。君は川に飛び込み泳ぎ続け、目的の岸から上がって松の木の根元まで走るんだよ。それに目的の松の木はこの川の下流にある。流れに乗って早く着けば、松の木の下で甲羅干しをしていてもいいんだ。ウサギ君のやって来るのを待っていれば良いんだ」

「ふ〜ん。それなら十分勝てそうだね」

「勝負の行方は始める前から九分九厘決まっている様でなくちゃダメなんだよ。それにどんな競争も相手がある。相手の承諾なしには始まらない。だから相手がこりゃ勝てるって、思い参加するようでなくちゃいけない。そして、この勝負は駆けっこで競争するんだとウサギ君の頭の中に刷り込んで、道なりに山の中を走って行き、ウサギ君が亀君よりも早く到着する姿を想像させる事が出来ればほぼ成功だよ。この勝負絶対に勝てると、ウサギ君をやる気にさせるんだ。そして、亀君が勝負をウサギ君に挑み、勝敗の行方を見届ける者がいる。つまりカメ君の口上を横で聞いて、挑んだ勝負の内容の証人が必要だ。それと公正な勝ち負けを宣言する審判もね。わかったね。必ず用意するんだよ。立会人と審判」

「わかりました」


 サイゾウが立ち去ろうとすると亀が呼び止めます。

「これをどうぞ」

「これは何?」

「ここから遠いところに大きな池があります。昔遊んでいた時に池の中で拾ったんです。綺麗な石ではありませんが、お持ちください」

亀は口から豆粒程の黒い石を吐き出しました。サイゾウは断る事も考えましたが、亀の誠意を汲んで受け取る事にしました。ダグから貰った袋の中に入れるのを見た亀は満足そうでした。サイゾウは、亀に別れを告げ、道を歩いて行きました。ただ、なぜ自分はこちらの方に行きたいのか、漠然とした不安が頭をよぎりましたが、考えない事にして歩を進めました。


 次の日、ウサギは早々と亀を見つけると蹴り上げ、亀を転がした。亀はコロコロと道の側に転がった。そこで亀はウサギが逃げるのを見て、近くにいる犬や猿に向かって大きな声で言った。

「卑怯者のウサギめ。逃げてゆくとは。俺が怖いんだろう。そう言えば昔に奴の足を噛んでやったものだ。あの時はヒイヒイと泣け叫ぶもので許してやったんだが、今度は噛み切ってやるさ。今、逃げてもいつか悲鳴をあげさせてやる」

大きな声をあげたもので、ウサギにも犬や猿にも聞こえた。離れた所にいた鹿やカラス、雉にも聞こえたらしく皆寄って来た。


「あんまり大きな事を言うなよ。俺様がお前なんぞに足を噛み切られてたまるかよ。あの時は俺様はジッとしていたからやられたが、もう二度とやられることはない」

ウサギは上から目線で亀に言う。

「そりゃそうだ。亀君は足が遅いんだからウサギ君には追いつけやしない」

猿や犬が声を揃えて言う。


 亀は犬や猿、ウサギに向かって喧嘩腰でものを言った。

「よくも足が遅いと言ったなぁ。それじゃあ、勝負しようじゃないか」

犬に猿、ウサギは目を互いに合わせるとワハハハと、笑い出した。この経緯を見ていたカラスも吹き出した。鹿は亀に馬鹿なことはやめておけと注意した。雉は首を横に振り、何も言わなかった。


 それでも強気の亀は語気を強めてみんなの前で勝負を挑んだ。

「いつも亀を馬鹿にするうさぎ、あの二つ向こうに見えるお山のふもとにある松の木までどちらが早く着くか勝負しようじゃないか。」

このカメの売り言葉にウサギは勝てると思ったが、何か罠でもあるのかもと少し疑っては見たものの、どう考えても負ける気はしなかった。ここから二つ向こうの山の麓には確かに川岸に大きな松の木が立っていた。他のウサギは今から出たら夕方には着けるだろう。だが俺は昼頃には着ける自信がある。なぜならウサギ仲間で駆けっこした時に確かそれぐらいに着けたはずだったから。だが、亀だぜ、亀の野郎がこの俺に勝負を挑むなんて、おかしい、勝てるわけがないのに挑んでくるとは。何かあると思うウサギではあった。もしかしたら山道に何か罠を仕掛けているのか、何処かで俺をボコろうと考えてるのだろうかと、想いを巡らすウサギであった。

「このノロマなカメのくせに。この俺様に勝てるとでも思っているのか」

「お前なんか地獄に突き落としてやる。この前から私を蹴ったり転がしたりしやがって、思い知らせてやる」


 この時ウサギは「ハハ〜ン、やけのやんぱちか〜。馬鹿な奴」と、思い込んだ。

ウサギは横にいたキジやサル、犬やシカに言った。

「おい、お前たちも聞いただろう。こいつが俺に勝負を吹っかけたんだぞ。笑ってしまう。みんな証人になってくれよ。キジ、お前は松の木のところに先に行って勝負の判定をしてくれ」

そう言うとウサギは仲間を自ら采配で動かし、勝負を成立させた。出発の号令を発するのは犬、どちらが早く着くかの判定はキジと決め、勝負の立会人は猿と鹿に決められた。カメとウサギは横一列に並んだ。


 松の木にとまって待つ雉は当然ウサギが勝つと信じていた。だが律儀な雉はジッと枝にとまって待っていた。そこにカラスが三羽やって来た。

「雉、この勝負結果はもう分かっている。ウサギの勝ちだ」

「そうだ、そうだ。何かの間違いでウサギが大怪我するか、昼寝でもしない限りはウサギの勝ちさ。まあ、誰かに待ち伏せでもさせる事もあるかもな。でもそんな気の利いた事、亀の奴に出来るかなぁ」

「まあそうだ、出来ぬ相談だろうなぁ。そうだ」

「それに昼寝をしても亀なんてすぐに追い抜けるさ」

「そうだ、そうだ」

三羽は散々亀の負けを口にする。

「私は仮にもウサギさんと亀さんの勝負の判定を任された者です。勝負の行方を判定し、多くの仲間たちに告げる責任があります。ウサギさんも亀さんも自分が勝つと信じて勝負をしているのです」

「だがよう、あの亀が勝てるのか。羽でも生えて飛べればそれもあるかもと思うけどよ」

「カラスさん、さっきもあなたが言ったように勝負の世界は何が起こるかわかりません。絶対はないのです」

雉はカラスたちが何を言おうとも、もう無言で山の方を見ていました。


 犬が「ワン!」とスタートの合図を叫んだ。

カメは必死になって走り始めた。あの川までと全体力をかけて走り始めているが、まだまだ先の方に見える。シュッと懸命に進み、少し止まってからまた走る。それを横で見いたウサギは笑い出した。亀の方を指差して、もう片方の手を目に当てて反り返って「ハハハハ」と笑い出したのである。


 亀は笑われ様が、その目的は川に飛び込むためであり、ウサギの横を必死で走っていた。だが、勝負を見ていた犬や猿などは、早く山道を登って行く努力をしてる様に見えているのだった。

「ガンバレ、亀さん。もっと早く」

猿や犬の応援を聞いたウサギは、このスピードでこの俺様に勝とうだなんてお笑い種だね、周りの連中もバカじゃないの。誠意があって必死なだけで勝てるほどこの世は甘くないんだよと思いつつ、亀を大声で馬鹿にした。

「そんなスピードで俺と勝負しようだなんて、お笑い種だね。好きなだけ行きな。もうちょっとだけ待っていてやるよ」


 カメの目には川が見えてきた。「やった!」、もう少しで川に入れると思いながら必死で走っていた。だがウサギはカメの目的を知らずに動き出した。

「これだけ待ってやったんだ。先に着いて待っててやる。後で着くお前を笑ってやるさ」

そう言って走り始めるとカメを抜き、振り向きもせずに走り去った。


 カメはウサギが山に駆け上がっていく姿を、見送りながら走った。

「もう少し、もう少しで川に入れる」と思いながら走っていた。

犬や猿が、「ウサギ、もう見えなくなったね」と話す頃にやっと川に入る事ができた亀。犬も猿も亀が道から見えなくなり、何処に行ったかと辺りを見渡すと川の中を泳いで行く姿を見つける事が出来た。

「なるほど、亀さんやるねぇ。ウサギは駆けるが、亀は泳ぐわけだ。こりゃぁ、勝負の行方は分からないぞ。どちらが勝つと予想します」

「犬さん、きっと亀さんが勝つと思いますよ」

「猿さん、それはどうしてですか」

「だってね、この勝負は亀さんが言い出したんだから。勝てる自信があるから言い出したんですよ」

「そうでしょうなぁ。なるほど」

猿、犬、鹿は、川を泳いでゆく亀を見送った。


 カメは一生懸命に泳ぎに泳いだ。話を聞いた鯉や鮒などの魚たちが応援してくれ、背中を押してくれたり、先導してくれる中、亀は川の流れに乗り昼頃には目的の松の根元に到着した。

「お〜い。キジさん。今着いたよ」

キジはびっくりした。

「エッ。もう君が着いたのかい」

「キジさん。びっくりしたのかい」

「そりゃそうさ」

だが、もっとびっくりしたのは雉のそばでとまっていた三羽のカラス達でした。

「おい、エライコッチャ!」

「こんな事が起こるのかい。どうかしてるぜ!世も末だ」

「ヘン!こいつはみんなにふれ回らないとならない様だぜ」

「亀、ウサギに勝つ」

「いや、ウサギ、亀に敗北。いや、愚かなウサギ負ける」

「そうだな、その方がウケがいいぜ。奴はまだあの山の何処かで走ってるに違いねえ」

「さあ、これからみんなに知らせてやろうぜ」

そう話し合うとカラス達は何処かに飛び立って行きました。


 横で聞いていた雉はどうでもいいって顔をしながらも、うるさいカラス達がいなくなるのは嬉しかったので何も言いませんでした。そして、松の木の下に居る亀さんに向かって声をかけました。

「よくここまで早く来れましたねぇ。そこでゆっくりしていて下さい」

「ああっ、ここでウサギの奴を待つ事にするよ」

そう言った亀は日の当たる場所に座るとゆっくりと日向ぼっこを始めた。


 ウサギは見晴らしのいい山のてっぺんでカメがどこまで来ているのか、後ろを振り返って眺めたが、姿など見えるわけもなく、自分の勝利を確信した。それでつい、木の根元で一休みを始めた。木陰は優しく風が流れており、心地よくつい寝てしまった。


 ウサギがふと目を覚ませば、知らず知らずの内に大きく時間が経っていた。

「しまった。もうこんな時間か。お日様が随分と傾いている」

だがウサギにはカメが黙って通り過ぎて、だいぶんと先に進んでいても追い越す自信があった。それで走りながら亀を探しながら走りに走った。だが、亀のかの字も道端には落ちていなかった。それで勝利を確信して、ゴールの杉の木に到着した。

「ここまで来るのにカメには出会わなかった。やっぱりカメはまだ来てないのか」

安堵と勝利の確信が沸き起こった正にその時、足元から声がした。


「遅かったじゃあないですか」

その声のする方を見たウサギは驚愕する。

カメが笑いながら木の根元にいるのを目撃したからだ。

「君の負けだ。ウサギ君。随分と遅かったね」

そう宣言したのは木の上で判定を任されたキジであった。


 その日から「駆けっこでカメに負けた愚かなウサギ」の汚名をカラスにつけられたウサギは、森の仲間から愚かなウサギと呼ばれることになりました。ウサギ界のプリンスから一転、愚か者に身を落としたウサギは、周りの者達から嘲りの対象とされ、周りからの暴言で鬱になってしまいました。

「愚か者のウサギは、亀に抜かれたのも知らずに昼寝してたのです。なんと愚かではないですか」

 ウサギの族長から娘を嫁にと申し込まれていた約束も反故にされ、ウサギ界の寵児から落ちこぼれに身を落としてしまった。道ゆくウサギを呼び止める者は誰一人としてなく、一人寂しく過ごす毎日でした。たまにウサギが仲間に出会うと、「愚か者」とか「バカーニー」とか言われ、あまりに恥ずかしくて地面を見ながら日々歩いているのでした。首はうなだれ、歩く姿はまるで鳥が夜中寝る姿に似て首がないようでした。鬱でストレスに苦しめられたウサギは毛が所々脱けおち、以前様な精悍な姿を失ってしまいました。


 対してカメは「ウサギに勝ったヒーロー」として人生の花道を歩み出していた。ただの亀だったのにあれ以来、彼の周りにはメスが沢山やって来て、彼を誘惑するのであった。甲羅干しの時も一番日の当たる場所を皆から譲られ、気持ちの良い日々を過ごしていた。


 サイゾウは山から降りて来た。歩みを進めると石畳の道が現れた。そして、何とも芳しい香りが漂って来る。香りに誘われて歩みを進めると一軒の喫茶店が現れた。そこにあったのは「童夢」という名の喫茶店で、入店してマスターにコーヒーを注文した。マスター曰く、ここのコーヒーは、夢の国はインファン島にのみ栽培されているマラドウナー種であるそうな。この香りに誘われて多くの客が訪れるという。飲んでみると確かにうまい。コーヒーを楽しんでいると、店内の客は、みんなウサギとカメの対決の話で盛り上がっていた。


 やはり亀の勝利とウサギの敗北を噂しており、ウサギが村八分にされ、話しかけるものさえいなくなり、一人寂しく生きていること。対して亀は多くの恋人を獲得し、池や川で優雅に暮らしていると言う噂が聞こえてきた。

 誰もが勝負の行方を気にかけてはいるが、どうしたら亀が勝てるのかと考える者はいないようであった 。やはり勝負は結果が全てであり、勝たねばならないものだと思い知らされるサイゾウであった。


 香り高いコーヒーを味わいながら窓の外を眺めていたサイゾウは、石畳の随分と先の方に人影を認めた。遠く方に目をやるとそれは点から大きくなって、空の鳥かごを持つ少年と少女の二人である事が見てとれた。






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