第12話 たまには別のことを考えよう
夜は小説の執筆活動に明け暮れている僕だが、昼間は世間一般と同じように会社で仕事をしている。
しかし、真面目に仕事に従事しているかと問われたら……首を縦には振れないのが悲しいところだ。
僕は、仕事をしている最中も自分の小説のことを考えている。
次はどんな場面を書くか。登場人物たちにどんな言葉を喋らせて、どんな風に動かすか……そんなことばかりを考えているのだ。
そのせいで、作業をしている手が止まることもしばしばある。
その度に、同僚にツッコミを入れられている駄目な社会人なのだ。僕は。
「川崎。どうした? ぼーっとしたりして」
「あ……うん、いや、何でもない」
同僚には愛想笑いを浮かべて誤魔化して、しかし頭の中では小説のことを考えるのをやめない。
やはり僕は、根っからの小説家なのだろう。
早くプロになりたい。誰に咎められることもなく、心置きなく小説を書けるようになりたい。そう思わずにはいられない。
時計をちらりと見て、早く終業時間にならないかなと心の片隅で思ったりする。
今日は残業を押し付けられたりしないよな……?
そんな感じで表向きは真面目に仕事をしている風に装いながら、書類を書く手を動かしていると。
「仕事をしながら小説のことを考えるなんて……なかなか器用なことをするもんだね。類」
頭の中で響くアオイの声。
僕はぎょっとして、ぐりっとボールペンを持つ手に変な力を入れてしまった。
此処でアオイに反応するのはまずい。此処には僕以外にも大勢人がいるのだ。
こんなところで独り言を喋っていたら、こいつ頭がどうかしたのかと可哀想な目で見られてしまう。
それだけは断固として避けなければならない。僕の名誉を守るために。
「そこまで自分の作品に愛情を注ぐのは悪いことじゃないと思うけど──」
頼むから会社では黙っててくれよ。僕の声はお前の声と違って人に聞こえるんだから。
「たまには作品から離れて頭をゆっくりと休めなきゃ、息切れしちゃうよ?」
真面目な口調で言うアオイの諭しに、僕は脳内の言葉を停止させた。
かりかりかり、と書類を書くボールペンの音だけが無機質に辺りに響く。
アオイは言葉を続けた。
「プロの作家たちだって、たまにお休みを貰ってゆっくりしてるでしょ? 何事も集中しすぎると、それがかえって毒になることがあるんだよ。類も、小説を書いてない時くらいは小説のことを忘れて別のことを考えなよ。その方が、書いている作品のためにもいいんだよ」
小説のことを考えない時間を作る。
今まで僕は、時間があれば……時間がない時だって小説のことを考え続けていた。
それをいきなりやめろと言われても、急にすっぱりとやめられる自信なんてない。
どうしても、何かの拍子に考えてしまうと思うのだ。
仕方ないじゃないか。それが性分なんだから。
アオイは苦笑した。
「……まあ、類のことだから急にそうしろって言ってもできないのは目に見えてるけどね。でも、本当に今書いてる作品を良いものにしたいのなら、少しは僕の言うことも聞いてくれると嬉しいかな。君の作品を良いものにしたいと思ってるのは、君だけじゃない。僕だって同じなんだから」
……そんな風に思ってくれていたのか。アオイは。
今のは、ちょっぴり嬉しかったぞ。
分かった……急に全く考えないようにすることは無理だけど、ちょっとずつ、小説のことを考えない時間を作ってみるように努力するよ。
今書いてる小説には、本当に命を懸けてるつもりだからね。僕は。
僕は心の中でアオイに御礼を言いつつ、それからは書類の作成に真面目に取り組んだのだった。
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