第3話 旅は疲れるが楽しい
王都バッハから離れたステルとキティはひたすらに北へと足を向けた。目指すのは北の都市ヴェルディ。徒歩で三日の距離だった。
そろそろ夕刻になろうかという時刻、二人は街道から少し外れた川沿いに野営することにした。
天幕を張るステルをよそに、キティは草原に身体を投げ出して荒い息を吐く。
「疲れたよー、しんどいよー、足が痛いよー。ステルー、後で足を揉んでよー」
「まったく、昼間揉んであげたじゃないか。初日からこんなんじゃ先が思いやられる」
天幕を張り終えて、次に水を汲みに行こうとしたステルの足を、転がりながら移動してがっしりと掴む。食事の準備が出来ないから手を放せと言っても、揉んでくれるまで放さないと、さらに力を込めて握られた。
細腕のくせに万力のような力でギリギリと足を握るキティに根負けしたステルは、食事が終わったら揉んでやると折れた。
(後で尻まで揉んでやる)
足も相当に魅力的だが、マッサージも結構体力を使うので、何かしら役得が無いとやっていられない。ついでとばかりに体中弄ってやろうと、思春期の少年らしい欲を満たす気でいるステルだった。何だかんだで二人は上手く行っているらしい。
夕食を終えた二人は約束通りマッサージをしている。キティは口車に乗せられて、疑いながらもズボンを脱がされて下着姿でうつ伏せになってステルの成すがままだ。若干、顔が紅潮して息が荒いのは気のせいだろう。きっと焚火の炎の照り返しで赤いに違いない。
「ん、やあ。くすぐったいよお。ステルー、お尻はもういいから、足をおねがーい」
「だめだめ、足以外にもお尻の筋肉が硬くなってるんだ。もうちょっと揉んで柔らかくしないと疲れが明日に残るよ」
艶のある声で抗議するが、揉みしだく手の気持ち良さに随分と弱弱しい。一方ステルもキティの柔らかいお尻の触り心地に虜になっており、尻を撫でる為ならこれから毎日でもマッサージしたいと思った。
マッサージを終えて、ご満悦なキティは毛布に包まりながら熱いコーヒーを啜る。コーヒーは北皇大陸産ではなく、南半球に位置する南陽大陸の植民地で大々的に作り、ドナウ帝国が各国に輸出している。少々値は張るが、一応平民でも飲める嗜好品だ。
行儀悪く寝そべりながら飲むキティとは違って、ステルはたき火の前で石に腰かけて飲んでいる。これではどちらが育ちが良いか分かったものではない。
「うへへ、旅って楽しいね。ステルはいつからこうやって旅をしてるの?」
「旅自体は12歳の時からだよ。その時は勉強ってことで、先生と一緒にあちこち旅してた。一人で旅をするようになったのは、ここ半年ぐらいかな」
12歳と聞いて驚きの声を上げる。大陸の成人年齢は15~16歳が一般的だが、ステルのそれはかなり下回る。先生なる人物と一緒に居たとしても、自分の12歳の頃を思い出し、全然違うと視線に尊敬の念を送る。自分の12歳はずっと王宮で芸事や礼儀作法の稽古に語学勉強ばかりしていた。それ以外は地方行幸で社交界三昧。碌に外に出る事もせずに、列車や竜車に乗るだけの移動。決して旅などとは言えない外出だ。
そんな味気ない旅に比べれば、今日一日自分の足で歩いた短い距離の方が、何倍も価値のある歩みに思えてならない。それに夕食に食べた、硬いパンやチーズも王宮で食べる物よりずっと美味しかった。今飲んでいる粉っぽい安物のコーヒーだって極上の味だ。王都に近く、蒸気排煙で星空が見えないのは不満だったが、気になるのはそれだけだ。
その言葉にステルもおおむね同意はするが、旅で一番怖いのは夜盗と群れを成す獣だと語る。
「あいつらは弱いと思った獲物に集団で襲い掛かって来るからね。特に寝ている時なんて一番無防備だから、一人旅で野宿なんて余程準備していないと三日経たずに命を落とすよ」
「じゃあ、ステルはどうやって一人で過ごすのよ?毎回宿に泊まってるわけじゃないんでしょ?」
「もしもの時はこれを使うんだよ」
そう言って腰のホルスターから黒い金属の塊を引き抜いてキティに見せる。たき火に照らされる黒金は手の平よりもやや大きく、握っている部分から先端の筒状の部分が露出している。明らかに人の手による幾つもの金属部品を組み合わせた道具だった。
世間に疎いキティもそれがどんな道具なのかはおよそ察しが付く。それは生まれ育った王宮の警護兵が常に身に着けていた道具に酷似していた。
「それって銃よね。火薬を使って金属の弾を飛ばすんでしょ?私もお城で観た事だけならあるわ。でも…ちょっと形が違う」
「帝国製の新型だからね。まだどの国の軍でも採用していない銃なんだよ。旧来の銃は弾を一発込めて一発撃つけど、これは一度弾を込めたら六発まで連続で撃てる。これなら集団で襲撃されても対処が楽だ。いざという時はこれを使って夜盗や獣を追い払う」
現在この北皇大陸で流通している火器のほぼ全てが前装式であれ後装式であれ単発式だ。ごく一部に連装式という二発まで撃てる銃もあるが、基本的に一発撃ったら一々弾を装填しなければ次の弾は撃てない。しかしステルの持つ新型の回転式拳銃はその常識を覆し、六発まで連続で撃てる。単純に手数が数倍となり、これならば一人でも複数の相手を殺傷出来る。一人旅にこれほど役立つ武器は無いだろう。
しかしながら不利な点も多くあり、単発式より構造が複雑なので壊れやすく、高い精度を誇る工作機械を使わない粗悪品をつかまされると暴発の恐れがある。その為、生産国のドナウでもまだまだ普及しておらず、他国であるメロディアでは殆ど出回っていないので補修部品も手に入りにくい。弾薬も同様に特殊で、この国では王都でもほとんど手に入らないと思って良い。現在持ち歩いている100発を撃ち切ったらもう鉄くずと大差が無い。
銃を見せても興味無さそうな様子を見て、あまり詳しい説明はしなかったが、取りあえず旅の間は危険があっても年下の同行者が頼りになると分かって気分良くしていた。
「そういえばステルはメロディア人っぽくないけど、帝国の銃も持ってるみたいだし、もしかして帝国人なの?」
「ああ、まだ言ってなかったけど俺は帝国人だよ。生まれも育ちも西の端っこ。つまり、ドナウの人間なんだ」
北皇大陸半ばを征したドナウ帝国―――――当時、大陸西部の小国だった、かの国が帝国を名乗り膨張を始め、周辺国を次々と傘下に収めたのはおよそ四百年前からである。突出した軍事力と経済力を背景に東へ東へと覇道をひた走り、領土を広げてきた。
しかし、武力による強引な併合は極力行わず、主に外交と経済圧力によって自主的な帝国への編入を求め続けた結果、かなりの数の王家や支配者階級が帝国に併合されつつも、従来通り為政者として統治を任されていた。その為、国の名もそのまま残り、帝国領となった現在でもドナウ人と名乗らず、出身地の○○系帝国人、あるいは単に帝国人と名乗る国民が大多数を占めていた。
そんな中で自らをドナウ人と名乗る者も居る。彼等はまだドナウが王国を名乗っていた時代、大陸の最西端しか領土を持たなかった、最も古い時代から変わらず帝都を有し続けた旧王国領周辺で生まれ育った人間だった。勿論出身地で差別されるような事は無く、帝国の法でも明確に人種、出身による差別は禁じていたものの、どこか帝都以外の人間を田舎者扱いする傾向にあった。事実、名実ともに大陸最強国家の首都とその他では経済や発展の格差はあったので、寧ろその程度で済んでいるだけでも幸運な部類だろう。
薄々他国人だろうとは思っていたキティだったが、それとは別に疑問が浮かぶ。彼は自分と会ってからずっとメロディア語を使っている。本人は商人と言っていたが、外国語を話せる商人というのは世の中にどれほど居るのだろうか。もしかしたら世界最先端を行く帝国人は全員外国語を話せる教養があるのかもしれないが、この少年と接していると、王宮に居る貴族のような振る舞いが所々目に付く。もしかしたら自分と同じように、身分を隠して市井に紛れているかもしれないと思うと、少しばかり親近感が湧いてくる。
「だからって身体を許したりはしないんだからね!」
「いや、いきなり何の話だよ。じゃあ、明日からは身体を揉まなくても良いってこと?」
「それは嫌!それにアレはい、医療行為なんだから!ちゃんとしてくれないとやだっ!」
急に怒り出したキティに、まさか身体をべたべたと触っていた怒りが今更ぶり返したかと、身に覚えのあったステルは恐る恐る尋ねるが、予想とは違い、明らかに性的な理由で身体を触っているのに全然気づいていない。そして、貞操は渡さないときっぱりと言い放ちながら、これからもマッサージしろと喚く基準が分からない。内心かなり頭の残念な人だと思っていたが、これほどとは思わなかった。何だか無知な童女を騙しているような気分になって、自分がひどく汚い人間ではないかと自己嫌悪を抱き始める。
この話題は精神的によろしくないと感じたステルは、多少強引にでも話題を変えようと思い、コーヒーのお替りを勧めつつ、好きな物など、ありきたりな話題を振る。
「うーん、歌かな?楽器の演奏も芸事で小さい頃から練習してるけど、歌の方がずっと好き。自分で詩を書いて歌うのが一番好きなんだ。
うちの国の王家って音楽の神様を祀る巫女が源流にあるから、身分関係無しに音楽の教育に力を入れているのよ。三百年ぐらい前だから本当かどうかは分からないけどね」
「へー、じゃあさ、何か歌ってみてよ。俺は音楽とか全然分からないけど、キティの歌なら聞いてみたい」
「ふふん、良いわよ。私の歌に慄きなさい」
話題を変える程度の何気ない言葉だったが、非常に乗り気なキティは毛布から這い出て、眼を閉じながらゆっくりと歌い始める。
――――彼女の歌は心を揺さぶる。焦がれるような熱が心臓の鼓動を速めている。技術云々はまったく分からずとも、彼女の声が、歌が、人を突き動かす何かを帯びた、他者には無い突出した『ナニか』を帯びているのだけはステルにも分かった。
清純、高貴、荘厳、昂然、さまざまな形容の言葉が浮かぶものの、どれもしっくりこない。かつて師が、優れたモノほど形容する言葉は陳腐になる。魂を揺さぶるモノに出会った人は思考が停滞する。そのように語ったが、彼女の歌がまさにそれだ。
だが、あえて彼女の歌を言葉にするなら、一つだろう。
――――『火』――――聴き入る者の心を焼き焦がす、強烈な熱だった。
歌っていた時間はおそらく数分。歌っている間は目を閉じていたが、歌い終わったキティは唯一の観客であるステルがどのような顔をしているのか気になり、目を向ける。そこにはキティを視ず、ただ己の胸に手を当てて俯く少年だけが目に映った。会ってまだ二日の仲だが、いつもと雰囲気の違う少年に不安だったが、恐る恐る声をかけると、ただ一言だけ彼は呟く。
「すごいな」
早打つ心臓から搾り出したかのようなたった一言の称賛だったが、キティにはそれでも十分だった。
「これでちょっとは私の事見直した?貴方、今まで私の事駄目な女だって思ってたでしょ。これでも歌にはちょっとは自信があるんだからね」
やや慎ましい胸を張ってドヤ顔を晒す。今まで年下の少年に助けられてばかりで、年上としての矜持を傷つけられていたキティにとって、ようやくぎゃふんと言わせられたので、非常に上機嫌だった。
「ああ、結婚してほしいぐらい―――――ごめん、今の無し」
熱に浮かされて勢いのままに求婚してしまったステルは慌てて訂正した。しかし、その言葉はしっかりとキティの耳に届いており、数秒間考え込んだ後、尻を撫でまわした時以上に赤面した。
しばらく二人は無言で視線を泳がせたが、ややあってからステルの方から、明日も早いからもう寝ようと切り出し、天幕に入る。
元々一人用の天幕は狭く、二人はお互いに背を向け合いながらぴったりと寄り添うも、出来るだけ互いを意識しないように眠りに就いた。
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