第2話 仮初の夫婦



 無事に宿で部屋を取ったステルとキティ。

 ステルは椅子に、キティはベッドに腰かけ、対面で今後の予定を話し合う。


「とりあえずキティの旅用の服とか諸々の道具を揃えてこないと動けないな。荷物を載せる脚竜も用意しないといけない」


「えっ、鉄道は使わないの?」


「目的地には鉄道が伸びていないから移動は基本徒歩。それに機関車なんて、乗る前に駅で見つかって終わり。よしんば乗れても逃げ場の無い機関車の中なんて論外。人の目を掻い潜るには不特定多数の群衆に紛れるのが一番だよ」


 てっきり蒸気機関車に乗って移動すると思っていたキティは驚きを隠せない。その様子を見たステルは、彼女は生まれてから長距離移動は鉄道か竜車ぐらいしか経験をしていないと判断した。そんな人間は基本、高位貴族か王族ぐらいだ。自分で申し出た手前、彼女を突き放す気は無いが、ちょっと早まったかもしれないと感じていた。

 百年も前から蒸気機関を導入してきた西の大国、ドナウ帝国の支援によって、メロディア王国にも蒸気機関車が浸透しつつあるのはステルも周知の事実だ。元々彼もこのメロディア王国の王都バッハには鉄道を用いてやって来ている。

 だが、まだそれは十年に満たないごく短い期間でしかない。この北皇大陸の半ばを貫通する大陸間鉄道を有する帝国に比べ、メロディアの鉄道普及率は王都とその周辺都市に限られる。蒸気機関の優位性は、隣国の強大さが嫌が応にも証明しているが、それでも新しい物を自らの実の内に取り込むには、二の足を踏むのが人間である。それに、街中に立ち込める排煙の酷さも躊躇う要因の一つだった。ここ最近の王都住民の流行が煤除けの傘や外套なのが、如何に蒸気機関が功罪を産むかを語っていた。

 それはともかく、徒歩での移動と聞いて顔が強張る。今まで王宮暮らしで碌に運動をした事が無く、外出もいつも脚竜の曳く竜車や機関車を利用しての移動だ。体力にはまったく自身が無い。現に今日は街中を走り回って、足が動かすのを止めてくれと悲鳴を上げている。もう寝心地の悪いベッドでいいから、横になりたいと全身が訴えていた。


「そういうわけで、俺はこれから物資の調達に行ってくるから、大人しく部屋で待っててくれ。ベッドは好きに使ってくれていいよ」


「うん、お願いねステル。ところで、どうして部屋にベッドが一つしかないのよ?ここって二人部屋でしょ?」


 宿の部屋も以前滞在した宿に比べて、二人で使うにはあまりにも狭いと感じるが、それ以上にこの小さなベッド一つきりなのがキティには不思議でならなかった。


「だって夫婦用の部屋を借りたから、ベッドは一つでいいじゃないか。二つある方が不自然だよ」


「ああ、そうだったんだ。私達夫婦なの―――――――――――――えっ?」


 夫婦―――婚姻をした男女を指す言葉だ。自分は一体いつ結婚したのだろう。いつ向かいに座る少年に嫁いだのだろうか?


「―――――――――!!!!!!」


 驚きのあまり、酸欠に喘ぐ魚のように口をパクパクと動かす彼女に、ステルは順序立ってなぜ夫婦でなければならないのかを懇々と語り始める。

 若い男女が旅をするとなると、知った仲であるのが前提。全くの他人が連れ立って移動するのは不自然極まりない。従者と主人でも、鉄道や竜車を使わない旅となると、かなり目立つ。かと言って血縁にはどうしても見えない。一番納得出来る関係が、若い行商人の夫婦だというのがステルの言い分だった。

 その言葉に理性面では納得しているが、感情面ではどうにも受け入れがたい。出来れば姉弟などで通してほしかったが、目立ちたくない状況では贅沢は言えなかった。

 今後、夫として接しなければならない少年と目が合う。翡翠のような瞳に覗き込まれ、心臓の鼓動がだんだんと早くなっていくのが分かる。そして自分がいま座っているベッドに意識が向くと顔が火照る。キティも一般的な男女の交わりがどのようなものなのかは知識として納めている。もしかしたら今後、自分も知識でしか知らない行為を、出会ったばかりの少年と行うのではと夢想すると、頭から湯気が出てくるほどに熱くなる。


「そんなわけで、俺は素敵な奥さんの為に服を見繕ってくるから、大人しく部屋で待っててね」


 茹でた蛸のように赤い顔のキティを茶化すかのようなセリフを残して部屋を出ていった。その場にポツンと取り残された少女の精神は限界を迎えてしまい、糸の切れた人形のごとくベッドに倒れこんだ。



      □□□□□□□□□



 翌日、無事に準備を済ませた二人は宿を引き払い、街の外へと向かっていた。それとステルは全身に羽毛を生やし、真っすぐ伸びた尻尾を使ってバランスを保ち、前傾姿勢の二本足で立つ体高150cm程の爬虫類―――人が脚竜と呼ぶ、移動用、農耕用、軍事用、多岐に渡り運用する家畜を一頭、荷物運搬用に調達していた。


「ねえ、私って変じゃない?いつも着ている服と全然違うし、髪だって染めちゃって。何だか自分が自分じゃないみたいだけど」


「大丈夫だよ、キティはどんな格好してても綺麗だ。けど、髪の方は今は我慢してくれ。色ぐらい変えておかないと捜索兵を誤魔化せないんだ」


 しきりに髪を弄って違和感を拭おうとしているが、生来の金色から黒色に変わってしまった座りの悪さは中々消えてくれない。当然眉毛も染めている。

 服装もいつもドレスかスカートを履いていたが、現在は長旅用にズボンを履いている。しかも絹製ではなく綿製だったので、着心地の違和感が凄まじい。ただ、替えの下着は気を遣って絹製を用意してくれたので局部や胸部の不快感は無い。これで二人はどこからどう見ても若い行商人の夫婦として群衆に溶け込んでいる。

 ただ、キティは顔を赤くして俯いている。先ほどステルから賛辞を送られて羞恥心が抑えきれなかった。王宮暮らしの彼女にとって賛美称賛はごく当たり前の行為でしかないが、なぜか隣の仮初の夫から言われると、異常に心が掻き乱される。それは振りとは言え、同じベッドで寝起きした事が大きく彼女の心に影響を及ぼしていた。さらに王宮暮らしで、生まれてから一度も一人で着替えをした事が無く、随分と手間取ったのを見かねて着替えの手伝いまでさせてしまい、髪梳きもされてしまったのも恥じらいを助長させているのだろう。


「頭は下げちゃだめだよ。顔を隠していると思われると余計に注目を浴びる。こういう時は堂々と振る舞っていた方が、相手に不審感を抱かれない。それに落ち着いて周りをよく観察して見なよ、誰も君に注目なんかしちゃいない。彼等にそんな余裕は無いんだ」


 恥じらいを隠すために俯いているのを、警戒から顔を見られないように振る舞っていると勘違いしたステルに言われて、人の気も知らないでと憤る。自分の不手際を棚に上げてステルに腹を立てるが、ここで見つかっては困ると思い直し、業腹だったが偽りの夫の言う通り、顔を上げてただ真っすぐ前を見る。

 少し冷静になった頭で周囲を観察してみる。成程、彼の言う通り自分達に注目する者など一人もいない。誰もが虚ろな目をして足早に勤務地を目指している。彼等はみな都市の外れか、郊外にある工場に勤務する低賃金労働者だった。

 数年前にドナウ帝国の援助を受け入れたメロディアでは、このような労働者階級が徐々に浸透している。厳格な法規制のあるドナウ本国より、規制の緩い外国に進出したドナウ企業が、現地で労働者を雇用して長時間彼等を働かせている。二人が混じっている集団はそんな労働者達だ。

 キティも城でこうした人間が増えていると噂で聞いてはいたが、まさか自分がそんな階級に紛れて歩くとは思っていなかった。彼等の死人のような生気の無い顔に思うところはある物の、今騒いだところで何もならないと思い、心の中で申し訳ないと思いつつ何事も無いように振る舞った。



 街の中心から離れると、段々と群衆は減っていく。ここまで一度も警邏隊に止められなかったので少しほっとしたキティだったが、ステルはまだ気を抜いていなかった。どうやらかなり先の橋の上で軍服を纏った十人程度の集団がたむろっているのが気になるらしい。


「軍人か。検問ではないけど君を探しているのかな?」


「えっ、ちょっとどうするのよ。今から別の道を探すの?」


 キティが騒ぐが、ステルは冷静に考える。メロディア王都バッハは川に囲まれており、橋を渡らなければ外に出られない。おそらくどこの橋も軍人が見張っている事だろう。街を出るだけなら通行証など必要無く、検問所も無いが、銀盤写真か人相書きでも渡っていたら、一発でばれる。ただ、幾つか幸運なのは、彼等があまり熱心に人を観察していない所だ。何人かは欠伸をしているし、それを咎めようとする同僚は居ない。それに都市の外に建っている工場に向かう労働者も、まだかなり居る。彼等を一々止めて確認してはいない。

 それらを冷静に観察し、問題ないと判断したが、念のために道の脇を歩きながら荷物から何かを取り出して、マッチで火を付ける。そしてそれを袋に入れて路地裏のゴミ山に向かって投げた。それを見たキティは説明を求めたが、後で分かるとだけ言って黙殺した。

 そしていよいよ橋の上まで来た。軍人たちはみな面倒くさそうに通行人を眺めているだけだったが、二人が通過しようとした時、紙煙草をふかしていた一人が呼び止める。

 キティは顔がばれたと思い、もうおしまいだと絶望したが、ステルの方はにこやかに対応する。


「お前さん達、随分若い行商だな。何を商ってるんだ?」


「ご苦労様です、軍人さん。基本的には宝石とか装飾品なんかを扱っていますよ。今回はこの国をあちこち巡って掘り出し物を探す所です」


「あー、確かにうちは昔から良質な石が採れるから、坊やみたいな商人はよく見かける。それにしては若いけどな。ほんで隣の嫁さんも掘り出してきたのか?」


 別嬪さんで羨ましいと、しみじみと言う。それには他の軍人達もゲラゲラと笑っているか、俺の使い古した嫁さんと交換してくれと冗談を飛ばす者もいる。さらにステルが、もし良かったら商品を見てはどうかと勧める。それには一刻も早くこの場から離れたかったキティが抗議したかったが、ステルは唇に手を押し付けて黙っていろと身体で命令した。


「いらんいらん、職務中に買い物出来るほど金持ってねえよ。ったく景気が悪くて仕方ねえ。坊やも人の懐具合を見て商品売りつけな」


 紙煙草を咥えた軍人は手で追い払うような仕草で、もう行って良いぞと催促する。最大の難問を越せたキティは、顔には出さないが、ほっとしている。しかし、別の軍人が手に持っていた紙切れとキティの顔を見比べて、首を傾げている。人相書きと髪の色が違うので疑ってはいるが、顔は似ていると思っているのだろう。同僚達と相談して、呼び止められた。

 今度こそおしまいだと思ったキティは観念したが、次の瞬間、街の方から爆音が轟き、軍人も労働者も全てがそちらに注意を向けていた。もくもくと煙の上がる建物に、ただ事ではないと判断した軍人たちは持ち場を離れて現場に駆けていく。


「軍人さんは忙しいねー。仕事の邪魔しちゃ悪いから俺達はさっさと退散しようか」


 騒然とする現場から一刻も離れようと駆け出す労働者に紛れるように、二人は足早に橋を渡り切った。街には逃げ惑う住民達や事態を収拾しようとする軍人と警邏隊の怒号が響いていた。



 街を出て街道を歩き続ける二人。既に労働者は一人も居ない。黙々と歩き続けて、街が彼方に見える所まで来ると、ステルは溜息を吐いて足を止めた。


「あー緊張した。やっぱり備えはしておいて損はしないよ」


「あの音ってさっき貴方が路地裏に放り込んだ物よね。いったい何をしたのよ?」


「ああ、爆弾を投げ込んでおいたんだ。火を付けても爆発までにある程度が掛かるように導火線を長めに調整しておいてね。ちょうど良い時間だったでしょ?」


「ばっ、爆弾!そんな危ない物持ってたの!?貴方何しに旅をしてるのよ!!て言うか、巻き込まれている人だっているかもしれないじゃない!!」


「大丈夫だよ。投げ込む前に人が居ないのは確認しておいたし。野良ネコは何匹かいたけど、多分匂いですぐ離れたんじゃないかな?それに巻き込まれても火薬量は結構少ないのを選んだから怪我ぐらいだよ。死人は出ない」


 飄々と語るステルにキティは初めて恐れを抱いた。そして自分より二つも年下の少年が何者なのか知りもしないで行動を共にしている自分が、とても愚かなのではと考え始めた。しかし、彼が居なければきっと自分は昨日のうちに連れ戻されていただろう。助けてくれた事には感謝しているが、このまま付いて行って良いのか不安だった。



 自由を求めて生まれ故郷を離れた少女。その行く末に明るい未来が待っているかは神ならぬ人には知る由もない。


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