第1章-1 テレビデオとケータイカメラ

 ―2003年。春。


 ひっそりと息づく闇の中の息苦しさを

 僕はずっと 心に刻みこんできた

 だから僕は靴を鳴らす

 鈍色に染まる部屋から逃げ出す音を鳴らす



 僕の名前はシュン。この春に大学4回生になったばかりだ。好きなことは、一人きりで映画を観ることと、読書にふけること。

 そして一番の趣味は……夜の散歩だ。


 地方の出身者だった。そんな僕が都会の大学に合格して、そして上京して、一人暮らしの部屋を見つけて転がりこんだ。

 僕の城は、小さな六畳のワンルーム。本当によくあるタイプで、扉を入ってまず廊下、右にユニットバス、左に小さなキッチン。奥に縦長に6畳の空間が広がっている。その部分は、住み始めて3年経った今では、僕好みのものであふれかえって、ごちゃごちゃと僕の視界をにぎわせている。

 少しくたびれたソファも、先輩からもらった古いテレビデオも、灯が切れたままの蛍光灯も、ベランダに置いてぼろぼろになってきた洗濯機も。

 そんな、色褪せた部屋で、僕は毎日を過ごしていた。


 大学では適当に授業に出て、適当にゼミに顔を出した。

 そして適当に恋人を作って、適当に別れた。

 別にその時その時が真剣じゃなかったわけじゃない。でもその瞬間は鮮やかだったはずの想い出は、過ぎてしまえばいつのまにか無彩色のモノクロフィルムに焼き直されて、頭の片隅にどうにかこびりついているぐらいだった。

 その理由は、よくはわからない。自分が人並み外れて記憶力が弱いのかな、とも思ったが、知り合いたちが旅行先とかで写真を撮りたがるのを見て、みんなそうなんだと思い直した。だって、記憶に鮮やかに定着するなら、わざわざ写真なんて撮らなくてもいいんだから。

 数年前からみんなが使うようになった、折りたたみ式携帯電話にはカメラがついていたが、画質が悪くて、まだカリカリと巻き直すカメラのほうがましだった。でもみんなは、そのケータイのカメラでカシャカシャと写真を撮りたがった。その粒子の粗さは、そのままみんなの、記憶の粗さにつながっている気がした。

 年季が入ってきたテレビデオもおんなじだった。お気に入りの映画を録画したビデオテープを再生するたびに、だんだんザラついた画面になっていて、もやがかかったような気分になっていった。


 だから僕は、なぜか脈略ないまま、これから残りの大学生活もずっとそんな調子で過ごしていくんだろうと考えていた。ケータイの写真のように、テレビデオのブラウン管のように、荒くざらついた、そして色あせた未来。

 いや、大学を卒業してからも、そのまま普通の仕事について、そして楽しかった大学生活もまた色褪せてゆく。そんな将来を勝手に決めつけて、そしてそれによりかかりながら、ちょっとずつちょっとずつ絶望していった。小さなことやどうでもいいことのいちいちに疲れ果てて、そして何かを失い続けていた。


 ある日、チェキを持っていた友人に、僕のぼんやりしている姿の写真を撮られた。ジジジッと音を立てて、ベロみたいに出てきたそのあったかいインスタントな写真は、僕の将来の見通しのようにぼんやりと、古ぼけてみえた。

 その友人が、「こんな曲が流行ってるんだぜ」と聞かせてきたのはSMAPの「世界に一つだけの花」だった。花は頑張って咲いたんだから、すべてきれいだよ、みたいな歌詞を、キラッキラのアイドルが歌うのを聞いて、へえそうかい、僕の未来もきれいにしてくれよ、なんてやさぐれていた。


 一番のいら立ちは、「やりたいことがなにもない」自分へ向けられたものだっただろう。周りのみんなが意気揚々と就職活動に精を出して、そしてある者は就きたい仕事へ、ある者は妥協した仕事へ、それぞれ就職先を決めていっているのを横目で見ながら、焦ることのできない自分に焦っていたのだ。


 春になったばかりの今日もそうだった。

 ゼミの発表の結果が少し悪くて、教授にねちねちと指摘をされた。その気分を晴らすべく食事に誘った女友達は、申し訳なさそうにしながら、別の男友達の先約を優先した。

 そんな、些細ないらだちがつのって、僕は部屋に帰ってくるなり不貞寝をした。そして、少し汗ばんできたことに起こされて時計を見ると、もうすぐ真夜中という時刻だったのだ。

 本格的に寝るには少し早い。そしてなにより、起きたばっかりで身も心も妙にすっきりしていた。しばらくは寝つけそうもなかった。

 だから僕は、今日も散歩に出かけたのだった。

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