後編 トラスト・ユー

 鉄火丼。

 言わずと知れた海鮮丼ぶりの王者。

 マグロの赤身だけを使用し、ワサビとともに酢飯の上に盛り付ける、これ以上ないシンプルな料理だ。

 赤身の色と、ワサビの辛さが鉄火──すなわち熱く燃え盛る鉄をイメージさせる。

 なるほど、決勝にふさわしい熱い題材だ。


 だが……恐ろしいほどこの料理は、工夫の仕様がない。

 酢飯であることと、赤身を使うことはほぼ決定事項なのだ、それを変えては、鉄火丼ではない。

 唯一、工夫ができるとしたら、それはマグロの赤身を引き立たせる調理法……すなわちヅケだ。

 タレに切り身をつけることで、色鮮やかに、そして味をつける。

 ここに、活路を見出すしかない……!


 Aパートが開始されるまでのわずかな時間に、僕はそこまで考えた。

 そして、なによりも早く、ヅケの準備に取り掛かる。

 マグロの赤身、そのサクを切り分け、たれに浸し。

 そして酢飯を作る。


 なんという創意工夫のない作業。僕のようなマニュアル人間には、これ以上ない正確さで実行できる手順。

 赤身を食べやすく、一番旨味の出る角度になるよう包丁を入れる事に没頭する。


『おっと、なんだこの音はー!?』


 だから、波呂沢さんの実況が聞こえるまで、僕はその音に気がつかなかった。

 ダン、ダダン、ガギィン!

 巨大な金属を振り回すような──いや、その物音が、隣のブースから響いてくる。


『なんと葉月実花選手、マグロをたたきにし始めた……! いや、これはもはや叩きどころか、ミンチよりユッケのような!?』

『マグロのユッケは通常中トロなどで作られる。ネギトロのような旨味と柔らかさが要求されるからだが……むぅ、まさか赤身を叩いて見せるとは。これがニュータイプのちからか……』


 なん、だって……!?

 赤身をたたきに?

 そんなことしたら、すごく食べやすくなってしまうじゃないか!

 く、赤身だけをタタク機械かよ!


「だ、ダメだ。集中しなきゃ。僕はレムさんに、最高においしいものを作って食べてもらわなきゃ──」


 そんなことを考えている間にも、時間は刻一刻とすぎてゆく。

 本当に、あっという間に。


『Aパート終了! これよりビルド&フードのBパートに突入! さあ、ファイターたちよ、ビルダーが作った飯をかっくらえ!』


 レムさんたちの戦いが、始まってしまった。


§§


「おらおら、どうしたよねーちゃん! そんなもんか、あんたの気概はよ!」

「黙って飯も食えねぇーのかよ弾正さんよ! なめるな、私はもっと食う!」

「くっくっく、その割にはよぉ……箸が進まねようだな、女だてらのファイターさん!」

「ぐっ」


 すでに6杯を平らげた織牙さんに対し、レムさんはいまだ4杯。

 その理由は、明確だった。


「そうだ。同じ味付け、最適化された食材、! 飽きるのが道理ってもんだぜ」

「…………」

「怖ぇーだろ、己の食欲を生かせないまま負けていくってのはなぁ……!」

「…………」

「俺たちはよぉ、育ちがわりぃから、飽きなんざとっくに慣れちまってんだ。なぁに、胃の中に入っちまえば、なんでも同じってもんだ! 味なんざ気にしねぇ!」

「……ッ! セイ!」


 わかってる。

 わかってるんだ、レムさん。

 このままじゃダメだって。

 このまま、同じものを作り続けたって駄目だって……でも、僕にはオリジナルの料理を作る事なんて……!


『おっと、氷室選手、作業効率が低下しているのか!?』

『まずいな。己の内側にとらわれている。なにか、なにか突破口がなければ、あやつは──』


 僕は。

 もう。

 ダメ、だ──


「セイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!!」


 その声が。

 澄み渡るような、心の中を直接殴りつけてくるようなその声が。

 距離を超えて、たしかに僕の心へと届いた。


「セイ、私はなぁ!」


 僕の前に、レムさんがいる。

 もちろん、本人はいまだ、鉄火丼を食べている。

 でも、そこに彼女はいた。


「うまいもんが、食べたいんだ! これがおまえの、精いっぱいなのかよ!?」

「……やったんですよ、精いっぱいやったんです! その結果がこれなんですよ! これ以上、どうしろっていうんですか!?」

「甘ったれんな! これ以上を思いつけないのは想像力が足りないからだ! それでもだ、それでもと言い続けるんだ、セイ!」

「レムさんになにがわかるっていうんだ!」


 僕と彼女は、まるで宇宙のような場所で、お互いをさらけ出しあいながら、本音をぶつけ合っていたんだ。

 僕の嘆きに、彼女は答える。


「知りたいか? 昨日までの時点で、68497皿だ」

「え?」

「私は、それだけの飯を食ってきた。そして、その中であのチャーハンは、一番うまかった! セイ! おまえならできるんだ……! おまえなら、究極の鉄火丼が……! 心が弾む料理が作れる……!」


 心が、弾む料理……?


「そうだセイ。飯ってのは、作るんも、食べるのも、めちゃくちゃ楽しいもんなんだよおおおおおおおおおおお!!」

「ああ、ああああ……飯が見えるよ、レムさん……」


 カッと光が瞬き、唐突にその空間は消滅する。


 レムさんは食事を続けたままで、僕は鉄火丼を作っているままだった。

 でも……もう違っていた。

 僕は、変わっていたんだ。

 変われなかった以前の僕の代わりに、いまの僕が変わるんだ……!


 僕は、手の中にいつの間にか握り込んでいたクミンシードを砕く。

 パリィーン。

 目が、醒めた。

 なにをこだわっていたんだ。

 だって料理は──自由なのだから!


『おっとー! ここにきてセイ選手の調理速度が上がった!』

『やはり、時代は変わったのだな、ジャー、そしてレイよ……』


「作るだけでも、食べるだけでも……両方ができなくちゃ、ビルドフードファイトじゃない……!」


 Bパート終了間際。

 僕はすべてをかけて、鉄火丼にある工夫を行った。

 それは、いつか彼女が教えてくれた、あの味の──


『ではこれより、最終Cパートを開始します……!』


 最終決戦。

 泣いても笑ってもこれが最後のフェイズに、突入する……!

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