第4食 鉄火丼

前編 ジャーを狩るもの

「────」


 響き渡る重低音のBGMとは真逆に。

 会場は、恐ろしいほどの沈黙に包まれていた。

 絶句。

 だれひとり言葉を漏らすこともできず。

 その場に居合わせたすべてのものが、その光景を見つめている。


 パン、パンパン、ガギン。


 厨房から途切れることなく響く、感情が宿らない正確な肉叩きメイスの音色。

 叩かれたことで柔らかくなったロース肉が、衣をまとい、油の中できつね色に揚がっていく。


実花ミカぁあああああ!!」


 ファイターの一人が叫んだ。

 長いブーメランのような前髪をたらし、左目を閉じた赤いスーツの男性。

 彼はファイターだった。


「うん、わかってるよ、織牙オルガ。こいつは、食っていいやつだから」


 実花と呼ばれた小柄な少女は、器用に左手だけでトンカツを完成させる。

 完成したトンカツが、織牙と呼ばれた青年のもとに運ばれる。

 彼は食べる。

 まるで必死に。

 それが、命懸けだと言わんばかりに。


「まさか……ここまでとは! これがニュータイプというものか……!?」


 織牙の対戦相手は、あのジャーさんだ。

 ジャーさんはトンカツではなくカツ丼に、大量の一味唐辛子をかけ貪っている。

 激辛と、コメ料理なら無敗の男、赤い炊飯のジャー。

 その人が──大差をつけられ、いままさに敗北しようとしていた。


 歴史が変わるような光景の中で。

 僕の隣で。

 木安原・レム・タイフーンは、ガタガタと、震えているのだった。


§§


「け──決着ううううう!!! なんたる番狂わせ!? まさかあのジャーが、赤い炊飯のジャーが、決勝戦前に敗北してしまったぁ!? 乱場河豚殿、この展開をどうみますか!?」

「落ち着け波呂沢、これが時代の変化というものだ。老兵は死なず、ただ去るのみ」

「ジャーが口にしていたニュータイプとは!?」

「時代が変わったと言った。あの少年少女こそ、今回の大会、その波乱の目となるだろう。風が、風が泣いている……」


 そんな実況が聞こえているのかどうか。

 レムさんは、控え室でうつむいていた。


「レムさん……」


 こんなとき、どんな言葉をかければいいのだろうか。

 ええい、マニュアルさえあれば……!


「おー、ここがてめーらの控え室か」


 とつぜん、そんな声が聞こえた。

 見れば入り口に、背の高い男が立っている。

 織牙弾正。

 さっき、ジャーさんを倒した今大会初参加のファイター。

 彼は挑戦的な笑みを浮かべていた。


「なんて顔してやがる。それが、このあと俺たちと戦うファイターの顔かよ」

「……僕たちと、戦う?」

「おうとも。あの腑抜けたジャーのやろうとは違う。てめーらは間違いなく勝ち上がってくる。そして、俺たちと戦う。だが、勝つのは俺たちフリージアだ。なあ、そうだろ」


 実花。

 と、その青年は名を呼んだ。


「そうだね、織牙。次はどうすればいい?」


 織牙さんの後ろから姿を現したのは、車いすの少女だった。

 先ほどのビルダー。

 名前は確か、葉月実花。

 彼女は、言う。


「織牙は、連れて行ってくれるんでしょ? アガリってやつに」

「もちろんだ、実花。この大会で優勝すりゃ、トンデモねー額の賞金が手に入る。そうすりゃおまえの手足だって、きっと治せる。養護施設フリージアのあいつらにだって、うまいもんを食わせてやれる。そのためによぉ、負けらんねぇんだ。てめぇらみてーな、食事を楽しめるような余裕がある連中にゃ、絶対に負けれんねぇ。飯は食えりゃあいい、それ以上でも、それ以下でもねぇんだよ。そいつを教えてる。俺と、実花がな」

「織牙のためなら、いくらでも捌くよ。なんだって、料理する。それで、勝てるんでしょ?」

「……だな。俺たちゃ勝つ以外ねーんだ。そーゆーわけだからよ、ご両人。決勝で俺たちに負けても、恨まねぇでくれよ。背中から撃たれるのなんざ、こりごりなんでな」

「じゃあ、それだけだから」


 言うだけ言って。

 本当に、もうなんか、自分たちの事情だけまくし立てて。

 そのふたりは、控え室から去っていった。

 僕は、なんとも言えない表情で立ち尽くしていたのだけれど。


「セイ」


 とつぜん、レムさんに名前を呼ばれて、向き直る。

 彼女は顔を上げていた。

 そこには、もう震えていた彼女はいなかった。

 ファイターとしての闘士だけが、灼熱のように燃えていた。


「あいつら、父さんを馬鹿にしやがった」

「うん」

「オールドタイプを馬鹿にするのは構わねぇよ、父さんにも焼きが回っただけだ。でも、でもさ……料理をあんな風に言いやがるのは我慢ならない! 飯ってのは、もっと素敵なものだ!」

「……うん」

「うまいもん作ってくれよな、セイ。負けられねー理由が、できちまったから!」

「──うん! まかせて! 僕が、最高においしい料理を作るから!」

「ああ、セイが作って」

「レムさんが食べる!」


「私たちが──勝つ!」


 スタンドアップ・ビクトリーしたレムさんが、大きく両手を天へと突き上げた。

 そして僕らの戦いが、あの激戦が、幕を開けたのだ──

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