第3食 ポケットの中の調味料

前編 その名は、赤い炊飯のジャー

 三日後には、ビルド・フード・ファイトの本選が開催される。

 だからと言って日課を欠かすわけにはいかない僕は、食材を仕入れるべく、早朝の市場へと出向いていた。


 みずみずしいホウレンソウ。

 香り高いホンシメジ。

 まっすぐな泥付きごぼう。

 程よくしまった鶏もも肉。


「おばさん、このアジ、少しまけてくれませんか?」

「自分の都合で大人と子どもを使い分けるんじゃないよ! うちは値切りには応じないって!」

「そこをなんとか、美しいお姉さん」

「坊や、意外といい面がまえをしているね。気に入ったよ、持っていきな!」

「これが……若さ!(を強調する利点)」


 まあ、そんなやり取りをしながら、僕は買い出しを終える。

 ついでに朝食を軽く済ませていこうかと、市場の中にある食堂に入った。

 そこで、彼女に出会った。


「あ、レムさん」

「おー、セイじゃないか! 奇遇なところで会ったな。ほら、座れよ」

「う、うん」


 例によって例のごとく、フードファイトメニューに挑戦しているレムさんの隣に、僕は腰を下ろす。

 おや? と、僕は首を傾げた。

 ひょっとして、いま彼女が食べている料理は……


「レムさん、この食事はひょっとして」

「ああ、さすが氷室レイの息子だ、目の付け所が違うや」


 にかっと、彼女は笑う。


「これは調整食。決戦に向けて、胃腸の調子を整えているのさ。でも本心を言えば、あたしは辛い物が好きだったりする」


 そう言って彼女が示す料理は、どれも胃腸に優しいものばかりだった。

 大盛りの中華がゆ、バンバンジー、山盛りのイワシ、起動エレベーターのごとき高さの豆のサラダ。

 聞いたことがある。

 一流のファイターは、ここぞという食事の前には、消化にいいもので胃腸を万全に整えるのだと。

 きっとこの食事は、彼女にとっての準備運動なのだ。


「これは、スペシャルで、2000円分で、模擬戦なんだよおおおおお!」


 とはいえ、やはりお値段はそのくらいするらしく、彼女は真剣に味わって食べていた。


 食事を終えた僕らは、そのまま市場を出た。


「セイ、このあと暇か?」

「暇かどうかで言えば、料理を作らなくちゃいけないんだ。僕はビルダーだからね」

「そっか。んー、ちょっと付き合ってほしかったんだが……なら別の日にするか……」


 どことなく寂しそうな表情をするレムさん。

 ……いやいや。


「なんてエネルギーゲインだ! 僕としたことがうっかり! 食材は河豚さんに預けるんだったよレムさん! 時間がないならリアルタイムで調整してやる……!」

「ほんとうか! よーし、だったら決まりだ。セイ、おまえの今日を、あたしにくれ!」


 そんな風に適当なことを言って。

 かくして僕は、レムさんに連れまわされることになったのだった。


§§


「セイもビルダーなら、もっと大局的に見ろ」

「……このゲームとフードファイトに、なんの関係が?」

「あー! なんでそれが入るんだよ!? ええい、やらせはせん! やらせはせんぞ!」


 ガチャガチャガチャ……

 チャリーン


「いい音だろう? これであとワンゲームは戦える」

「連コインって、嫌われるんじゃ……」

「シャクだねぇ。今日のところは見逃してやるぜ!」

「え、挑戦者がレムさんだよね……?」


 ガチャガチャ、ガガガガガガガ……

 チャリーン


「レムさん! 抵抗するとコインが減るだけだって、なぜわからないんだ!」

「セイ! それでもあたしは、やらなくちゃいけないんだ……! ふ、素人め、間合いが遠いわ!」

「あ、覚醒できる」


 トゥー!ヘァー!ハッテァッモウヤメルンダッ!!キラキラバシュゥゥゥン!イクゾッ!イヤァァァァァァァ!!ウワァァァァァァ!!タァ↑!!


「あああああああああああああああああああああ!!!!?」


 絶叫を上げるレムさん。

 巨大ロボットを操縦して戦うゲームで遊んでいたのだけれど、結果はごらんのとおり、ほとんど素人である僕の全勝だった。

 ……というか、なぜ僕はいま、ゲーセンで遊んでいるのだろう。


「うううう……!」


 頭をかきながら、涙目になったレムさんが僕のことをにらんでくる。

 いや、だからね、そんな顔されるいわれないからね、ほんと!?


「次、次に行くぞ、セイ!」

「ええー!? まだどこか行くの!?」

「次は服を買いに行くんだよ、バーカ!」


§§


「人はね、鏡を見るのが不愉快なのよ」

「なるほど」

「それでセイ、この白いワンピとこっちの赤いチュニック、どっちが似合う?」

「えっと」

「うん」

「なにが違うの……?」

「この、修正してやる!」

「え、ちょ、痛い、痛いよ!?」

「殴られたくなければ、自分のミスをなくせ!」

「なにをミスしたっていうのさ……あ、でも」


 ブティックの試着室から出てきて、僕をポカポカ殴るレムさんに。

 なんとなく、思っていたことをそのまま、口にした。


「僕は、赤いほうがレムさんぽくて、好きだな」

「────」


 ぴたりと殴るのをやめる彼女。

 帽子を目深にかぶると、そのままそっぽを向いてしまう。


「えっと、レムさん……?」

「いくぞ、セイ。次はおまえに、付き合ってやるよ」


 どことなく上擦った声で、彼女はそう言った。


「というわけで、やってきたのだけど」

「おまえ……家電量販店に女子連れてくるって……さすがにおまえ……」


 ドン引きしている様子のレムさんだが、これは大切なことなのだ。

 彼女たちファイターが食事の前に胃腸を整えるように。

 僕たちビルダーも、事前にどんな炊飯器具が開発されたか、そのスペックを知る必要がある。


 このアナハイム電機には、世界中の調理器具が勢ぞろいする。

 塩が足りなくてもなんとかなってしまうような、そんな夢のような家電だってあるのだ。ツィマッド社の木製ミキサーもある。

 もっとも、今日のお目当てはそんなものではない。


「これこれ! この真空パック! なんとゼロG環境下でも動く優れもので、わずか3秒で素材をシーリングできるだけでなく、スープの類も真空状態にできちゃう優れものなんだ……! Gセルフパックっていうんだけど」

「キラキラ目を輝かせて……子どもか、おまえは。あたしはそんな小難しいのよりも、断然こっちだな」

「どれ?」

「これだよ」


 そう言って彼女が指示したのは、炊飯ジャーだった。


「やっぱり大食いの基本は米だ。その白米をおいしく炊き上げる炊飯器は、外せないって」

「うーんでも、これ15万ぐらいするやつだし……」

「あ!? まじか、そんな高いのかよ……うへぇ」


 苦々しい顔になるレムさん。

 彼女は先ほどまで散財していた財布を開き、中身を確認して大きく肩を落とした。

 キュピーン!

 その時、僕らの脳裏に電流が走った。


「──炊飯器も買えない君を笑いに来た。そういえば、君は満足するのだろう? そう、炊飯器を買えないのは、君達が坊やだからさ」


 とつぜん背後から、声を掛けられる。

 異様にいい声だ。

 妙に貫禄のある、具体的にいうと通常の三倍いい声。


 振り返った僕らは、そして愕然とした。

 なぜなら──


「炊飯器のことなら、私が相談に乗ろう。なに、実際に焚いてみたコメを食わねば、人は味を理解できんのだ」

「あなたは──まさか!?」


 思わず叫ぶ。

 だって、そこにいたのは、赤い制服に身を包んだサングラスの男性。

 かつて河豚さん、そして僕の親父──氷室レイと死闘を繰り広げた伝説のファイター。


 通称、赤い炊飯のジャー。


 白米と激辛料理に限っては敗北したことがないという、伝説のフードファイターが、ドヤ顔でそこに立っていたのだった。

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