8話 レベルと死生観

 ハッ……!?


「ト……トシオ様、大丈夫ですかぁ? ご、ごめんなさい。わたしったら、つい……」


 5mほどは張り飛ばされ、そのまま後ろの壁に頭が突き刺さった大魔王オレは、シーラの手によって救い出された。

 先ほどまでシーラの膝元で寝転がっていたナナコは、いち早くその殺気に勘づいたのかどこかへ身を潜めて姿を隠しているようだ。


「あ痛たたた……まったく、その細くて小さな腕のどこにこんな力があるんだぁ?」

「えへへへへ……まぁ、女の子の秘密というやつですよ。それにしても……そんなに痛かったですかぁ?」


 女の子の秘密と言われても露ほども知らないオレは、シーラに思い切り叩かれたほほに手を触れてみる。

 そう言われてみると、確かにそれほど痛くは無い……?

 あまりにも素晴らしいフォームから繰り出されたシーラの平手打ちの迫力……そして、この大人の身体をいとも簡単に吹き飛ばしたことから、自分でそう錯覚していただけなのか?

 まるで、それを物語るかのようにあのプルーソンはオレがいた隣のイスに座したまま、目をピクリとも動かすことなく微動だにしていない。

 痛いのはむしろ、後ろの壁へ突き刺さった時の頭がまだ少しヒリヒリするくらいだ。

 魔人としてこの身体が変化を遂げたことで、肉体的にも強化されたということか? オレは、自分に起こった身体の変化を改めて認識した。


「ともあれ……魔界に来たトシオ様にとっては今の一撃が、初めて与えられたダメージ……といったところでしょうか。そう、初めての痛み……」


 最初は少し心配そうにこちらを見つめていたシーラだったが、次第に何かを連想していこうとする彼女に、オレはいつぞやの既視感デジャヴを感じた。


「ということは……ト、トシオ様の初めてを……こ、このわたしが? えへ、えへへへへへ……」


 彼女は自分のほほに両手を添え、何やら宙を眺めて悦に浸っているようだ。

 しかし、その目の輝きはさながら調理台に乗せられた魚を見つめ、これからどうさばこうか模索している料理人のそれのようだった。

 シーラめ……オレと同じ下ネタ知識で張り合えることを知って、今度は反撃に出てきたか……。

 実際にこうして自分が下ネタではずかしめられることで気づいたが、下ネタで茶化される方は何とも惨めで情けなく、形容し難いほど恥ずかしいものだ……。

 しかも普段は無邪気である分、サイコな一面も合わせ持ったこの少女の頭の中で、今頃自分は一体どのように持て遊ばれているのかを考えると……気が気でならない。


「シーラ、いや……さんっ。た、頼む……もうこの辺で勘弁してくれっ」

「はひっ? あ……す、すいません……わたしったら、もぅ……」


 白々しい……首を左右にブンブン振って何事もなかったようにやり過ごしているようだが、この反撃の機会をずっと待っていたのだろう。

 だが、そのワザとらしさがまたさらにオレをはずかしめる。魔界の叡知と呼ばれる魔王少女か……やはりかなりやり手のようだ。


 再びシーラとともに切り株のテーブルにつく。

 しかし、オレがこの魔界で記念すべき初ダメージとなった先ほどの彼女の平手打ち……あれで一体どれほどの強さだったのか、今後の参考のために知っておきたい。

 例えば……昨日氷獄圏コキュートスの街タチハコで、シーラが空から降ってきてあの髭男爵の顔面を足蹴に踏みつけた時のダメージと比べて。


「そうですねぇ……あの時は、召喚でトラブルが起き無我夢中で魔力を頼りに探し回って、ようやくトシオ様を見つけ出したところでしたから。そう、例えるなら……料理中に床を回るG《ゴキブリ》を見つけ、これをスリッパで叩きつけた時くらいの力。というところですかねぇ……」


 そう言うとシーラは手元にある魔界解説文書を丸め、ハリセンのように降り下ろす素振りを見せた。

 なるほど、すごく分かりやすい……。

 だが、まさかこの魔界にもG《ゴキブリ》がいるとはな……どんなおぞましい姿をしているのかは分からないが、恐るべき生命力だ。


「それに対しさっきの平手打ちは、コンビ漫才師の突っ込み。くらいの力でしょうかぁ……」


 彼女は向かいにいるプルーソンの頭上に、魔界解説文書をそのままチョンと添えて見せた。

 そうは言っても、あれは相当クリティカルヒットした感じだった。しかし、それでもまだ比較的弱い攻撃だったということなんだろう。

 オレは両腕を組んで目をつぶり、この2つの出来事を思い返してその強さを見比べていた。


「ですが、トシオ様の覚醒が済んでいて良かったです。これがもし覚醒する前だったなら、ちょっと危なかったかも知れませんねぇ」


 おいおい……さすがにそれは冗談キツいぞ。

 悪寒とともに、頭から下に向かって血の気が急激に引いていく。

 これからこの魔界で、オレもようやく面白くなりそうなんだ。あんなショートコントのようなノリで、その人生の幕を下ろすことになっては笑い話にもならない。


「しかし……覚醒するだけで、強さというものは随分と変わるものなんだなぁ」

「はいっ、そうなんですよ。いずれトシオ様の戦闘訓練をしようと思いますが、その前にレベルや死生観について説明しておきますね。ナナちゃんもそろそろ出ておいで……」


 そう言うとシーラは、この部屋のどこかにじっと身を潜め、姿を隠しているであろうナナコに向けて呼び掛けた。


「……ニャアァい」


 どこからともなく声が返ってくる。

 オレがそこに振り返ると寝室入口のところで、ナナコが壁から半分だけ顔をのぞかせ、おそるおそるこちらの様子をうかがっていた。

 もうあんなところまで逃げていたのか……相変わらず逃げ足は早い。

 ナナコが切り株のイスへ戻って来ると、ようやく頼んでいたコーヒーをシーラが用意してくれた。

 先ほどのドタバタで、その平手打ちに恐怖を覚えたのか、ナナコは身を震わせながらもキチンとした姿勢……いや、またいつでもすぐに逃げられる態勢で彼女の動向に気を配っている。

 そんなシーラは、まるで何事もなかったかのように魔界解説文書を広げ、説明を再開した。


「さて、それではレベルと死生観の話ですが、ここは特に戦闘に関しても色々と重要なところですよ」



【レベル】

 レベルにより戦力(総合的な力)が上昇する。

 種類は大きく分けて3つ。

 体力:生命力と素早さ

 筋力:物理攻撃と物理耐性とスタミナ

 魔力:魔力攻撃と魔力耐性と魔力量

 これら総合した力のことを〈戦力〉と言う。

 また、生命力とスタミナと魔力量を総称して〈生体エネルギー〉と呼ぶ。

 レベルの上限値はLv99。

 いわゆる経験値制ではなく経験制(ミッションのようなもの)であり、これを達成することでレベルアップする。

 経験とは、戦闘だけに限られたものでは無い。

 

 現在のレベルを正確に確認する方法は、後述の各覚醒段階に到達したことで分かる。

 しかし、そのレベルや戦力の度合いは、目で見える魔力の感覚によってもある程度は判断できるそうで、戦闘に慣れて来ると分かるようになるらしい。

 また極めて稀であるが特殊な条件などによっては、レベルが減少することもあるんだとか……。



【魔族覚醒進化】

 覚醒することができるレベルに到達した時、これも個体によって定められている条件のようなものを達成することで覚醒する。

 覚醒進化にはいくつかの段階があり、たとえレベルが高くても皆がそのすべてを、必ず達成できるとは限らない。

 このような覚醒進化の概念は、同様にこの異世界の人間たちにも当てはまることだが、彼らは魔族のような翼を持つことなく飛行することができる。

 覚醒進化の段階には、次のようなものがある。


 魔族第一覚醒:Lv5→魔力の行使

 ほんの一瞬だけ戦力が上がり、覚醒した者が本来持っている属性魔力が解放される。

 魔族第二覚醒:Lv10→翼の開花

 背中の表皮を突き破り、身体の外側に弾け出た肩甲骨が翼へと変貌を遂げる。

 初めての時は大量の出血を伴い、かなり痛い。

 魔族第三覚醒:Lv20→???

 魔族第四覚醒:Lv40→???

 魔族第五覚醒:Lv80→???



【時間と寿命、輪廻と出生】

 寿命は丸500年で老衰により必死。

 神々が定めたと言われるこの摂理を輪廻と言う。

 輪廻後は魂が新しく生まれる命へと転生し「前世での記憶」「覚醒段階」「修得魔法」などの70%を任意で選択し、これを割り振ることで来世へと引き継ぐことができる。

 いわゆる強くてニューゲームのようなもの。その際にはレベルは0からに戻り、外見も以前より少し変わる。

 亜人は魔法を使用できないため、記憶のみを引き継ぐことができる。

 結婚自体は、男女ともに120歳から認められている。

 400歳を過ぎてから衰え始め、450歳でお爺さんくらいの見た目になる(400歳未満は、地球人の年齢感覚だと0を一桁足すと異世界人年齢)

 魔界に召喚される大魔王(地球人)も同じ寿命。

 大魔王級が輪廻した場合は記憶が初期化され、何1つ来世に引き継ぐことはできず地球に転生されるため、意味合い的には後述の消滅(死亡)にほぼ近い。



【消滅】

 殺傷や病気などにより死亡すると、レベルや外見はもちろん「記憶」「覚醒段階」「修得魔法」などすべてが初期化され、0歳の赤子として初期出生地で自然復活する。

 自分を初めに生み出した原初の生みの親(一番最初の親)のことだけが、かすかに記憶として残される。これを消滅(死亡)と言う。

 死後は0歳の赤子として復活する。ということが判明しているだけに優しい摂理とも言えるが、以前と同一の人物に成長するということは有り得ないため、実質的に死亡と概念は同じである。

 消すまたは消される、などと表現される。



 なるほど……輪廻と消滅のところは少し難しい。

 それと気になるのは寿命のところ……これによるとオレは、これからこの魔界で向こう300年もの年数を生きるというのか?

 果たして本当にそんなことが……何かこれまで以上に途方もない話だ。


「では、120歳から男女ともに結婚できる……というところも見ていただけましたね? ここも大事なところなので、チェックしといてくださいね」


 シーラがつぶらな瞳で何か思わせぶりに、子猫のような視線をこちらに向けている。

 確かにそんな記述があったな……しかし、それが一体何だというんだ?

 そういえば……オレが家を壊してしまった後に魔族第ニ覚醒について彼女に尋ねた時、120歳だからそんな下ネタに例えた話は知っている。とか言っていたのはそういうことだったのか。

 たしか……いざとなれば身体の発育なんて魔力でどうにでもなる。とも言っていたな……オレはそんなシーラと目を合わせゴクリと息を飲む。

 いかん。何を考えているんだオレは……彼女の有りのままの姿を見てみろ、まだ子供じゃないか。


「コ、コホンッ……な、なるほどなぁ……」


 脳裏によぎった不適切な気持ちを誤魔化すように、すぐにオレは目をうつ向けて誤魔化した。

 しかし、お陰様でこの異世界のことがだいぶ分かってきたぞ……。

 シーラの攻撃力とそれがオレに与えたダメージが、一体どれ程のものだったのかも確認することができた。

 不思議と昨日から気がかりになっていたあの髭男爵に連れられた100歳くらいの少女を、手始めにオレは助けようと思う。後はそのために必要となる情報は相手のレベルだ。


 オレは参考のため、彼女に今のレベルを尋ねたが平手打ちこそ飛んで来なかったものの、顔を真っ赤にさせて怒られてしまった。

 何でも女性にレベルを尋ねるということは、レベルが戦力を測る物差しであることから、その内部を測るのと同じような意味になる。

 つまりは3サイズを尋ねられるのと同じくらい恥ずかしいことで、セクハラに該当するらしい。

 分かるような分からないような気もするが……これも異世界特有の性に対する表現方法、というか価値観なのだろう……。

 すると、オレがレベルを尋ねたその理由をシーラが聞き返してきた。


「ですが、どうしてまたわたしのレベルを?」


 ん、そうだな……そろそろオレが考えているこのことを彼女にも伝えるべきだな。このやる気と意志とともに……。

 それはあたかも、入社したばかりの新入社員が先輩社員から必ず聞かれるやり取り――どうしてうちの会社を選んだの? と尋ねられるそれにダブってオレには思えた。


「あぁ。昨日のタチハコの街の髭男爵なんだが……奴に捕まっていた角が1本生えた少女、あの娘も魔人なんだよなぁ?」


 ッ――!?


 どうやらシーラは、すぐにオレの考えを察したのかパッと目を見開いた。

 そして、少し下をうつ向くとけわしい表情をして目を細め、何やら難しそうな顔をする。

 あの髭男爵の男は、あの氷獄圏の街タチハコでは勇者たちに属する〈有力な人物の1人〉、たしか彼女はそう言っていた。

 しかし、それもオレが思っていた以上に強いというのか……。


「あの髭男爵も放ってはおけないが……何よりオレはあの子が気がかりなんだっ。奴はどこにいる? 何とか助けに行くことができないか?」


 オレが続けてシーラに尋ねると、ひと呼吸置いてからようやく彼女はその重たそうな口を開いた。


「うぅ……ん、居場所は分かるんですが……まだ今のままでは難しいでしょう。なぜなら、あの髭男爵の男はあの氷獄圏ではNo3の実力者で、その名もバッカスケス大佐という軍人です。そして、昨日の街タチハコに〈五城郭ごじょうかく〉という宮殿を構え、そこに非力で美しい魔人たちを多数捕え囲っているということまでは分かっていますが……」


 何、だと……そんな、男なら誰しも一度は夢見るほどのハーレムを、それも美しい魔族の美女たちを大勢捕らえて囲っているだと? まるで時代劇に出てくる悪代官のような話じゃないか。

 妖艶な魔族美女たちと、そんな彼女らを蹂躙じゅうりんしているあの髭男爵の醜悪そうな顔。そして、オレたち魔族自体を見下しすっかり勝ち組気分でいるであろうその様子を、オレは容易に想像することができた。

 それなら尚更のこと、魔族のラスボスたるオレがこのまま黙って、そんなゲスな大佐を許しておくができるものか……。


 だが、その五城郭宮殿周囲の警備態勢は特に厳重で、生半可な襲撃では進入すら難しいんです。とシーラは話を続けた。

 しかし、だからといってここで引き下がるというのか……いいや、できない相談だな。

 これから魔界を支配する勇者たちを打倒し、現在の体制から魔族を解放。そして、魔界を再び魔族の手に取り戻すことに、オレはやってやるとついさっきあれほど息巻いてみせたばかりじゃないか。

 彼女によってこの異世界に召喚されてきたが、それまで地球で過ごしてきた負け組の人生をこの魔界でやり直すと、もうオレはそう心に誓っているんだ。


「なぜだっ……シーラもそういうことを頼むために、オレを呼んだんじゃなかったのかぁっ?」

「もちろん、わたしもそうしたいです……ですが、日も暮れていない内は……まだ早いんですっ」


「「…………」」


 そこまで話してしまった瞬間――しばらく2人の間を静寂とともにゆっくりと時が流れた……。

 理由は……今の会話のやり取りの中で、地球で行われているあるサービスのことを思い浮かべてしまったからだ。

 もちろん、この魔界にも同様なサービスがあるかは分からない。だが、自らを地球オタで日本オタと自称するシーラのことだ、そのサービスのことを彼女が知っていたとしてもおかしくは無い。

 しかし、残念ながらそのことに彼女も自ら気づいてしまったのだろう……さすがに動揺を隠せないシーラの視線はあちこちへ泳ぎ、身体を硬直させ止まってしまっている。


 通常では決して踏むはずの無い大人の地雷を踏んでしまった天才的な少女の、こういう姿を見るのは非常に痛ましい限りだ……。

 やむを得んな、ここはこのお兄さんがフォローを……すると、シーラは意を決したようにそのまま話しの続きに踏み切った。


「え、えと……と、いうのも……ま、魔族は日没になって太陽が隠れ月が昇る夜になると、ふぅ……Lv+30相当の戦力上昇補正を、受けることができるんですっ――」

「ほ、ほぅ……」


 せきを切ったように話し終えたシーラは、とても満足そうに微笑ましい笑顔を見せた。

 シーラ……よくがんばって説明を続けることができた、さすがは魔王たる少女だ。

 しかも、魔族にそんな種族優遇システムがあるとはな……。


 さらに天使はその逆で日中の昼間に、戦力の上昇補正を受けていたらしいと、そう彼女は説明を補足した。

 仮にも魔族は堕天前までは元天使、その子孫たちであるため、ただの人間よりもまだ分があるんですと、シーラはそう自慢気に話しを続けた。

 確かに、大抵ゲームでも夜になると魔物が強くなるというような設定が多かった……。

 そうか……それで昼間はダメだが、夜になってから襲撃するのであれば賛成だと、こういう訳だな。



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