6話 大魔王召喚の目的

 ……やがて翌朝になり、そこでオレは鳥とも獣とも区別できないような、実に奇怪な鳴き声で目が覚めた。


『パペ、サタン……パペ、サタン、アレッペ!』


 うぅ……ん、何なんだこの鳴き声は……?


 外から吹き込んでくる暖かい風が、花瓶に生けられた真っ赤な花を優しく揺らす。木製の窓から差し込む朝の木漏れ日は、魔界の豊かな大地の匂いを静かに運んでくる……。

 こんなに清々すがすがしい朝はどれくらいぶりだろう、日本では到底感じることができないほど新鮮で美しい。

 少なくとも、この鳴き声がなければ……だが?


 ――バサバサッ!


「うおわぁぁぁっ――。何だぁ、この動物っ? いや、鳥なのかっ?」


 ベッドから飛び起き、オレは咄嗟とっさに身構えた。

 その窓の外には、頭に1本の角と背中に鳥の翼が生えた……まるでライオンのグリフォンのような小動物が、いつの間にかそこにいた。

 自身の体長の大きさから入れないのか、半開きになっている木製の窓をコツコツと叩いているようだ。その脚には、何か布切れのようなものが結び付けられている?


「トシオ様ぁ、どうしましたぁっ?」

「パパどうしたニャアァ?」


 朝食を作ってくれていたらしいエプロン姿のシーラが、ナナコを連れて喫茶店風の部屋から美味しそうな匂いとともに、パタパタと駆けつけて来た。


「み……みんな気をつけろっ。何か変な小動物が窓の外にいるぞぉっ――」


 オレは2人を背に壁際へと身を寄せ、その怪しい小動物がいる窓の方を指差した。


『パペ、サタン……パペ、サタン、アレッペ!』


「あぁ、プルーソンっ? この子なら大丈夫です。わたし宛の伝書鳩のようなものですよぉ」

「で、伝書鳩って……この異様な小動物がぁ?」

「はいっ、この子のことも後で説明しますね」


 そう言うとシーラは木製の窓を開け放ち、そのプルーソンなる小動物を取り上げて室内に入れた。


「それとトシオ様、少し遅くなりましたがもうじき朝食の用意ができます。そこの桶で顔を洗ったら、こちらへ来てくださいね」

「あ……あぁ、分かった。ありがとう」


 その小動物……といっても彼プルーソンの体長は、翼を閉じた状態で1m半ほどはあるだろうか。ナナコよりも一回ひとまわり大きく、翼を広げるとゆうに2mは超えるだろう。まさに鷲や鷹など猛禽類のいわゆるモンスターだった。

 彼女が開け放った窓の外を改めて見ると、早朝と言うよりは確かに10時頃に近い日差しだ。昨夜が長かったせいか、どうやらオレは随分と長いこと寝ていたらしい。

 シーラが、その小さな細い片腕にプルーソンを乗せて喫茶店風の部屋に戻っていく。


「ニャンニャン♪」

「あ、こらナナちゃん。プルーソンに猫パンチしてはいけません」

「…………」


 やれやれ、あのプルーソンには驚いたが……子供とはいえ可愛い女の子に、こうして朝食の用意をしてもらって起きる朝というのは、何だか家庭的でいいものだ。

 外には異様な形をした高い樹木たちがそびて立っているが、近くには静かな小川が流れ森や自然などに満ちあふれている。そして、この落ち着いた喫茶店風のログハウス……まるで大草原いや、さながら大森林の小さな家といったところか。

 彼女が木製の桶に汲んでくれていた水でオレは顔を洗い、なぜか懐かしい美味しそうな匂いのする喫茶店風の部屋へと向かった……。

 すると、ナナコとプルーソンが切り株のイスに座り、テーブルに並べられた朝食とともにシーラが晴れやかな笑顔で嬉しそうに待っていた。


「お待ちしていましたよ。今日の朝食は、トシオ様たちに合わせて〈地球の企業戦士、朝の食卓風〉にしてみましたぁ」


 なんとテーブルには地球でお馴染み……の?

 青紫色の得体が知れないパンと、鮮血を思わせる真っ赤な目玉のベーコンエッグ。茶色や紺色など地味な彩りの妖しげなサラダに、地の底のようにドス黒いスープのようなものが、樹木を加工して作られた木製の器に盛られ並べられていた……。

 しかし、その香ばしい匂いは見た目とは裏腹に極めて食欲をそそる。


「おぉっ、色的におかしいところは置いといて……美味しそうだなぁっ」

「はいっ、魔界で目覚める朝はどうでしたか?」


 昨夜のコーヒーのティーカップも木製だった。箸やスプーン、フォークに至るまですべて木の加工品であることから、この異世界での文明が見て取れる。

 空いているシーラの向かい、プルーソンの隣の切り株にオレはおそるおそる座りテーブルへとつく。

 こいつ、いきなり噛みついてきて襲いかかって来たりしないかな? 何を考えているか読めない、その猛禽類の眼光にオレはいささかの不安を覚えた。


「ま……まぁ環境は最高だし、すごく気持ちのいい朝だったな。プルーソン……には驚いたが」

「ですよねぇ……でも良かったです。ひょっとしたらまた、ここはどこだぁ? ドッキリかぁ……って言い出すのかと」

「ふっ、この目覚めのプルーソンが衝撃的過ぎたお陰かな。改めて地球での現実感が吹っ飛んだぞっ」


「「「わっははははははは」」」


 こんなににぎやかで楽しい食事は久しぶりだ。

 オレはそんなノスタルジックな気分に浸っていると、シーラは今朝早起きして朝食と一緒に作っていたという、魔界解説文書なる手製の布切れを1冊につづった本を見せてくれた。

 その書かれた文字は日本語に少し近いが、英語を混ぜたようにも思える見たことの無い文字だ。

 しかし、この魔界の大地からあふれる魔力で、こうして自然に会話ができているのと同じ原理なのか、なぜかその奇妙な文章がこのオレにも読むことができた。


「それでは……みんなで朝食をいただきながら、また魔界についてご説明していきますね」


「「「いっただっきまぁすっ」」」



『魔界について』


【魔界】世界の狭間、ゴーエティアとも呼ばれる。

 魔界は表向きは7つの圏(県)で1つの国家。

 平面図で考えると……日本列島をちょうど上下、北と南を逆さに反転した地形に酷似しているが、日本列島よりも大きい。

 地域による気候は南に行けば寒く、北に行けば暖かい、これも日本とは上下まったく逆。

 そして、魔界の日照時間は短く夜が長い。


 最上圏(最北端)から最下圏(最南端)までを日本地図に照らし合わせると……。


 沖縄=煉獄圏ゲヘナー(北西の最上圏)

 九州=黄泉圏ヨミ

 福岡=魔都万魔殿パンデモニウム(魔界の首都)

 四国=火獄圏ジャハンナム

 関西=冥府圏メーフ(近畿中国地方含む)

 関東=深淵圏アビス(関東中部地方含む)

 東北=死国圏ヘルヘイム

 北海道=氷獄圏コキュートス(南東の最下圏)

 硫黄島=奈落圏ナーラク(隠れた8つ目の圏)


 煉獄圏ゲヘナーには、人界と魔界との入口である大きな門がありここから出入りできるが、通常は閉じられていて滅多に開くことはない。



 オレが初めに召喚された街は、最下圏の氷獄圏コキュートスにあるタチハコという街。

 その後、シーラと転移して来たこのシーラの家がある今の場所は奈落圏ナーラク島――そこは深淵圏アビスからさらに北東に位置する。魔界最果ての孤島で前人未踏、まさに秘境の地と言われている。日本では東京の位置からさらに南、グアム島との中間地点にある硫黄島……その場所だ。

 彼女が言うには、このナーラク島はあらゆる知的生物の外部からの侵入を決して許さない絶海の孤島。この場所の存在はおろか、その位置すら正確に知る者は少ないとされる隠れた8つ目の圏で、北国の楽園と呼ばれているらしい。

 おまけに、島の樹海にある火山から侵入者の認識を阻害し混乱、廃人にさせる障気が立ちこめており空からの侵入も不可能。

 これら料理の食器がすべて木製なのは文明じゃなく、ここが辺境の場所であるために自作したものなのかも知れない……。


 またシーラは、このナーラク島出身者でその障気に耐性のある親友の魔族と契約し、一緒にここで暮らしていてその影響を受けないらしい。そしてそのシーラが許可したオレやナナコも、その障気の影響を受けずに済んでいるのだそうだ。

 ちなみにその親友は昨夜は出かけていて、今はもうこの島のどこかに戻って来ているが、かなりインパクトのある姿をしているので、まだ会わせられないという話だった。

 すでにこの魔界の地名や、まだまだ特殊性のありそうな他の大陸だけでも、かなりのインパクトがある情報量だ。

 だが、この魔界解説文書に書きつづった内容は、あくまでシーラが・・・・知っている範囲であり、主観的なものが含まれていると言う。

 それでも、ここまでのことが分かったんだ。とりあえず充分だろうと思う……しかし、まず絶対に今日真っ先に知っておきたかったことがある。その1つをオレはシーラに尋ねてみた。


「なるほどな、ここの世界観は大体は分かってきた……そして改めて問う、そもそも大魔王オレを召喚した目的は一体何なんだ――?」

「――はいっ、よくぞ聞いてくれましたぁっ」


 オレがズバリ言うと、彼女も待っていましたとばかりにそう答えた。そしてこう続けた……。


「しかし本題に入る前に、しばらくはトシオ様が大魔王様であること……ましてや、ルシフェル様の生まれ変わりであるということは、これからしばらくの間は秘密にしますっ」


 どうやら、何かまた込み入った事情でもあるようだ。道理で今朝から、オレを大魔王様とではなく名前で呼んでいるとは思っていたが……。

 これまでの世界観だけでも複雑怪奇なこの魔界……少し分かりかけてきたことだが、シーラが説明する内容はしっかり聞いておかないと、大抵そこにはとんでもないような設定や真相が飛び出してくることが多い。

 言うまでもなくそれは、昨日のオレの魔力解放しかり、魔界の古代史しかり、プルーソンしかり。この異世界で手掛かりとなるのは、オレには彼女しかいないのだから。


「ルシフェル様の生まれ変わりであることを隠すその理由も、今からご説明します。なので改めて今からは、トシオ様と呼ばせていただきますねっ♪」

「あ……あぁ、分かった。話しを続けてくれ」


 嬉しそうに少し弾んだ口調で断りを入れたシーラは、何やら感慨深い表情でひと息ついてから説明を始めた……。


「実は、今から数十年前のことです……突如として人界から押し寄せて来た〈人間の勇者たち〉と、魔族の配下だった〈亜人たち〉の反乱による襲撃を受け、その他にも様々な要因が重なったこともありますが、魔族は敗退してしまいました。そして、この魔界のほぼ全域をその勇者や人間たちに掌握され、今わたしたち魔族は虐げられているんです……」


 な、なんだと……?

 シーラが語ってくれたあまりに衝撃的なその話に、オレは思わずゴクリと息を飲んだ。

 オレが大堕天使ルシフェルの魂を受け継ぐ転生者だったということ以上に、この魔界では意外な展開が起きていて事は重要な問題だった……そう、大魔王は必要とされたその際に呼び出されるもの。


「トシオ様も昨夜、このナーラク島のわたしのおうちへと転移してくる前に、氷獄圏コキュートスの街タチハコでその光景を見たと思います」

「あぁ、アレだな。そういうことだったのか……」


 さすがにここまでくると、大魔王オレが呼び出されることになった経緯というものが嫌が応にも分かってくる。

 すると、配下だった〈亜人たち〉というのは……やはりあのコスプレだか、着ぐるみだかをしていたような人々のことだろう。妙にクオリティが高すぎるとは思っていたが、しかも〈人間の勇者たち〉までいるとはな……。

 ん、いや……待てよ、ということは……まさか?

 1つの懸念が自分の頭の中をよぎる……オレはすぐさま彼女にそのことを聞いた。

 それは、アニメやゲームなどの最後には必ず世界にもたらされること。しかし、それに喜び感動するのは地球人……いや言い方を変えれば〈人間たち〉なのだ。


「地球オタで日本オタのシーラなら分かると思うが……すると、今この魔界は人間たちからすると、ゲームで言うところのすでにクリアされてしまったと……こういう状態なのか?」

「はい……いわゆるそういうことに、なります……」


 シーラは悔やみながらにそう言うと、顔を下にうつ向かせた。

 彼女の暗く冷たい表情からは、数十年間に渡って募らせていたであろう、憤りや恨みのようなものがひしひしと感じ取れる。

 魔族の立場からするとバッドエンドなこの状況と、オレが地球の日本で暮らしていた時と同じような表情を浮かべた彼女を見て、オレは今すべてを理解した。

 いや、事の大小は違えど地球で似たような扱いを受けていたこのオレだからこそ、その思いがより伝わったのかもしれない……。


 つまり、今この魔界は勇者や人間たちの立場からすると、クリアしてハッピーエンド後の数十年先の世界という現実だった。

 最初のあの街、氷獄圏タチハコの人々の顔つきに、特定の人種とで明暗がはっきり分かれていたのはそういうことだったのか……。

 これまで疑問に思っていたこの異世界での様々な出来事が、パズルのピースを合わせていくように次々と頭の中で繋がっていく――。

 あの街で、おそらく魔族である者たちが受けていた人間たちによる不当な扱い。そして、例え魔王とはいえまだこんなあどけない少女シーラに、ここまで憎しみの感情を抱かせるに対し、自分自身の実体験とともに同じような何かが、オレの中でも静かにくすぶり始める。


「露骨に、奴隷のような扱いを受けている。そんな魔族たちもいたな……」

「あの短時間で……よく、気がつきましたね」


 問いかけられたシーラは、我に返ったように振り向くといつもの表情に少し戻り、感心した目でオレの方を見た。


「あぁ、オレもこれが現実だと分かってから、うすうす気になっていたんだ……」

「そうです。そしてその大戦後、勇者たちは今の魔界各圏を管理し魔族を虐げる原因ともなる〈市民階級〉という屈辱的な支配体制を作ったのですっ」


 地球の一般的なアニメやゲームでは、正義とされているその勇者たちが行った所業について、彼女はこう説明を続けた。

 いかに人間や勇者たちに対して、魔王などのいわゆる魔族たちが敵対関係にあろうと、これに市民階級を制定して支配する。そこまでの傲慢な振る舞いを一体誰が許すことができようか、いや許していいはずが無い……しかも堕天したとはいえ、仮にも彼らは元天使たちだぞ。

 どの時代どこの世界においても、大抵権力を握った奴という者はその力におごり、自分を正当化して他を支配しようとする。

 このことは地球の歴史を振り返っても言えることで、過去の歴史を紐解くと勝者が正義で敗者は悪。

 たとえ敗者に正義があろうと、それは勝者の悪によって事実は封殺される。そうやって歴史というものはその後の勝者によって、どうとでも常に書き換えられて来た。それを可能とする行いが、このようないわゆる戦後処理。

 この世界の勇者たちもまた権力に酔ったか……。

 ファンタジーであるこの異世界にあっても、こういうところは現実と変わらないことに、ゲーマーなオレは残念な気持ちでいっぱいだった。

 もしやと思い、オレはまた彼女に尋ねてみた。


「あの街で出会った男爵髭の男も、そんな1人……なのか?」

「あ……はいっ、まさにその通りです。あの髭男爵は、氷獄圏の街タチハコでは勇者たちに属する有力な人物の1人です。鋭い洞察力ですねぇ……」


 やはり当たりだったようだ……道理であの人を、いや魔人とオレをののしり、あの時から魔族として体質が変化していたオレを見下し、勝ち気な態度で接していた訳か。

 そして、彼女は大魔王オレを召喚したその目的を、改めてオレに告げた。


「トシオ様には、今の魔界を支配する勇者たちを打倒し、現在の体制から魔族を解放。そして、この魔界を再びわたしたち魔族の手に、取り戻していただきたいのですっ――」


 ッ……!?


 シーラが、まるで子猫のようにその青いつぶらな瞳で願をかけるように見つめ、こちらからの返事を待っている……。

 オレは両腕を組んで目をつむり、静かに深く考え込む。いや、考える素振りを見せたと言うべきか……なぜならダークファンタジー好きな中二病のオレにとって、それは尋ねられて答えるまでも無いこと。頭の中でもうすでに答えは決まっていた。

 しかし、アニメやマンガでもそうだがこういう話というのは、元の世界に戻れる保証は無い。もちろん戻れる話もあるが、それもオレにとっては問題じゃない。

 ただ、少しだけ感傷に浸りたかっただけだ。地球の日本という場所に産まれ、これまでそこで生きて来た屈辱的なその半生を……。


 あれはたしか、家電販売店の仕事をしていた頃――お客様というだけで、神様のように優遇されている立場であると自分を勘違いしている客から、でたらめな言い掛かりを付けられた時だ。反論したオレは不器用な性格から引っ込みがつかず、管理職からも見放されそのクレーム対応に自腹で10万支払ったこと……。

 またある時は、運転の仕事でろくに寝る時間も無い勤務シフトで働かされていた頃――営業車を運転中に激しい睡魔を払うことができず、ついにオレはガードレールへ激突させてしまい、自滅だけで済んだがその車の賠償金として会社から70万を請求されたこと……。

 それだけじゃない、自分の過去にはもはや後ろを振り返っても前を見ても、良いことなど何も無い。

 そんな事ばかりが続き、やがてオレの心は徐々にどす黒く染まっていった。

 オレは生まれ育った日本を、そしてあの地球を何度も好きになろうとした……しかし、オレはその地球から決して好かれることはなかった。

 もう人は信じない。他人は自分を何とも思っちゃいない……いつしかオレは、人とのつき合いも避けるようになり、それまで以上に他人を常に疑いの目で見るようになっていったんだ。そう、人に対しては・・・・・・……。


 仮に、あのまま地球にいたとしてどうなる?

 両親が残してくれた預金もいずれ底をつく。アニメやゲームに入り浸り、派遣社員として堕落した生活を続けその終わりが来ることを待つよりも、この異世界の方が何十倍も充実しているだろう。

 しかも今この魔界は、オレが地球で長年待ち焦がれていた……いわゆる魔王RPG(魔王が勇者を倒しに行く物語)だ。これはアニオタゲーマーのオレに残された最後のチャンスのようなもので、中でもダークファンタジーゲームはオレにとって唯一心の聖域……。

 例えるなら――シーラのような小学生の少女が砂場で遊んでいるところへ、子供心を意に介さない中学生たちが土足で入り込み、ようやく作り上げた砂の城を彼らによって踏み荒らされるようなものだ。

 この異世界で、オレの大好きな魔族たちを脅かす勇者や人間たちに復讐する意味でも、ここで奮い立たない訳にいかないだろう。


 それに、あの髭男爵の男はオレのトラウマを払拭するためにも、何とかひと泡吹かせてやりたい。あの檻に入れられた少女も気掛かりではある。

 あのような勝ち組人間たちがこの異世界でもそこら中にいて、設定上はラスボスたるこの大魔王オレが愛する悪魔っ娘や、カッコいい魔族たちを虐げているのだ。これを許しておけるはずが無い。

 しかも、この魔界でせっかく大魔王という厚待遇でオレは正規雇用されるのだ、ここでも負け組人生など送ってたまるか――。


おごれるもの久しからず、ただ春の夜の夢のごとし……」

「トシオ……様?」


 彼女が目をぱちくりとさせ、きょとんとした顔でこちらを見つめている。

 どうやら、少し長く感傷に浸り過ぎてしまっていたようだ。そろそろ返事をするとしよう。

 オレはスッと立ち上がり、右腕を振り上げ天に向かって吠えた。


「……待たせたなシーラっ、もちろんだ……いや、やってやるぞおぉっ――」

「ああぁっ……ありがとうございますぅっ。トシオ様なら、必ずやそう言ってくれると思っていましたぁっ」


 オレが拳を振り上げたその腕に、シーラは立ち上がるなりヒシッとしがみ付いて来た。


「ボクもやるニャアっ――」


 ひたすら朝食にがっついていたナナコが、話を理解しているのか突然この勢いに乗っかり、テーブルから飛び上がるとオレの拳にプニプニの肉球でタッチをしてくる。

 プルーソンはよく分からないが、何やらバサバサと翼を広げていた。


「ナナちゃんもありがとうっ」


 そして、オレたちが魔族たちの悲願に賛同したことに涙ぐんで喜ぶシーラを尻目に、ナナコはまた黙々と朝食を食べ始めた。

 どこまで話が理解できているのかは、気まぐれな猫のことだ……その辺はよく分からない。



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