認められたかった彼の世界

 世界の上に立つ人間は案外脆くて。

 その様子を見ているとどんな強い人でも中身は同じなんだと理解できると同時に、同じ人間であるのを申し訳なくも感じる。神は世界を平等に作ったけれども、結果としてそれはただのエゴだ。同じはずなのに差別や力によって分けられた人間は、まるで神様や世界自身に見離された世界だ。

 そんな騒音と喧騒が行き交う街には無縁な僕は、無縁の世界で今日も一人、教室のちっぽけな特等席で傍観をする。


「なぁ、お前はどれがいいと思う?」

「……え?」

 かけられたのは意図が読めない言葉で。目の前にいるのは見慣れない彼で。

「……なに、が」

「文化祭の出し物だよ、お前だけだぞ、意見出てないの」

「……」

 濡れたような黒髪を綺麗に整え僕に笑う彼は、まさに世界のエゴから選ばれた人間のようだ。僕のようなゴミ箱に捨てられる運命ではない彼は、教室の中心からこんな片隅へと足を運ぶ。物珍しい人だ、僕とは違う道を行く人間だ。

「……どれでもいい」

「それじゃだめだ、文化祭はクラス全員で作らないと」

 いかにもな言葉を並べられても、ぼくにはどうしようもない。僕はここでいい、このちっぽけな特等席から世界を眺めるだけでじゅうぶんなのだから。それ以上は求めない、求めたくもない。

「……じゃあ、一番意見が多いやつ」

「……わかった、演劇だな。お前もちゃんと参加してくれよ」

 強制するわけでもなく、任意でもない。そんな曖昧という名前の吊り橋がふさわしい言葉に、僕は何も答えず目をそらした。

 眩しすぎるのだ、明るすぎるのだ。

 まるで太陽みたいな彼はそのまま、黒板の方へ歩いて行く。

 そんな彼を僕は、見ていただけ。

 違う世界の彼を、傍観するだけ。


 ***


 そんないつだったかも忘れてしまいそうな出来事から、しばらく経ったある日。

 何を思ったのか図書館に立ち寄ると、そこには一つの人影が。

「お、勉強?」

「……」

 濡れた髪の、彼。 

 いつもはない眼鏡をかけこちらを見つめる彼は、貼り付けたような笑顔をこちらに向け手をひらひらと振っていた。まるで人形のようだ。まるで、心がないようだ。

「……違う、寄っただけ」

「じゃあ、一緒に勉強するか?」

「……帰る」

「よし、俺も帰る」

 意味もない言葉のやり取りから出された結論に、僕は眉をひそめながらも彼に背を向ける。

「待ってくれよ」

「いいよ、勉強しな」

「大丈夫、俺勉強嫌いだから」

 まるで言葉が繋がらない。

 継ぎ接ぎで並べられた台詞達は学生のお遊戯以下で。そんな言葉をお構いなしに続ける彼は、僕の気持ちを知らないふりで後ろから追いかけてきた。

「勉強、嫌いなのにやってたのか」

 茜色が広がる空の下。僕は嫌味っぽく言葉を紡ぎ、横へ来た彼を見る。

「あぁ、馬鹿はこうしないと認められないからな」

「っ……」

 自虐的に笑うその顔は、教室の中心で笑う彼とはかけ離れていて。悲しみや苦しみ、嘆きが混じり合うそれに僕は思わず目を細めた。わかりたくもない、知りたくもない世界は確かに僕の横に存在する。それがどうしても、哀れに感じてしまうのだ。

「そんなに勉強して、認められて、どうしたいわけ」

「……どうしたい、ねぇ」

 駅へと向かう道で紡がれた言葉は、マーブリングされた空へ溶け込んでいく。教室の中心で優しく笑う彼と、薄暗い世界で冷たく笑う彼。どちらが本物の彼かはわからないが、僕からするとどちらも同じだ。

 だって彼は、彼なのだから。

「俺さ、中学時代馬鹿やってたんだよ。先生や親にも迷惑かけて、どうにもならないくらいの奴でさ」

「……」

 意外な話だ。あれだけ輝いている彼にも、人にはあまり言えない過去がある。綺麗でも汚くもない彼は、あまりにも不確かな存在で。それが僕には、愛おしくも思えた。けど、それも一瞬の話。

「だから俺は、決めてたんだ。高校になったら家から遠い学校に通って、勉強して、クラスの真ん中で笑うんだって」

 頭は悪いままだけどな、と続けて笑う彼はどこか子どもっぽく。万人受けこそしないだろうその顔のが、僕は薄っぺらな笑いよりも好きだ。

「……あぁ」

 なんだ、神様。世界はやっぱり不平等じゃないか。平等で、不平等じゃないか。

「……普段から、家から遠い図書館で勉強してるんだ。昔のツレに真面目やってるのを見られるのは恥ずかしいから」

 今度は苦しそうに笑う彼に、心が締め付けられる。彼はどうして、ここまで違う笑顔ができるのだろうか。どうして、本当の笑顔を浮かべないのだろうか。


「――どうして、自分を隠すの」


「っ……」

 僕からこぼれ落ちたのは、残酷なくらい平坦な言葉で。それでも彼には、じゅうぶんなくらいに刺さったようだ。顔をしかめる彼に、僕は下へ目線を落としながら一つ一つ言葉を選ぶ。傷つけないように、壊さないように。

「……どうしてって、それは」

「息苦しいじゃないか、それだと」

 失礼にも被せてしまっているからだろうか。世界に見捨てられた僕と、世界に見捨てられたくなかった彼を。僕の妄想でしかなかったそれは、どうやら図星をついたみたいで。

「……お前、すごいな」

 返ってきたのは、そんな言葉だった。

「あぁ、息苦しいよ。俺がまるで俺じゃなくなるみたいだ……けど俺は、見捨てられたくない、認められたい」

「……誰に」

「それは……」

 彼の言葉が、詰まる。

 苦しそうに詰まった言葉は、きっと答えが見つからないのだろう。わかるよ、わかるさ。だって僕も、同じだから。

「……そう、だな」

 彼はそこで、何かに察したのだろうか。僕を見ながらふにゃりと笑い、目を細めていた。着飾っていないその笑顔は、きっと本物の彼の笑顔なのだろう。

「……認められたかった、ただそれだけだった。けど俺、誰に認められようとしたんだろうな」

 ぽつりぽつりとこぼれる言葉に、彼は鼻で笑っていた。自分自身を、自分の世界を。

「……ありがとう、心が軽くなった」

「……僕は何もしてない」

「したさ、だってお前優しいから」

「っ……」

 不意打ちを食らった。

 優しい、そんなわけがない。

「だって僕は――見ているだけだ」

「知ってる、お前いつも授業で発言しないもんな」

 それならなおさらだ、僕にはゴミ箱の中でしか価値を見つけられない。僕には、何も出来ない。

「……お前がそう思ってるなら、それでいいんじゃね」

 そんな僕を見て、彼は素っ気なく言葉を紡いだ。

 その代わりと言わんばかりに、飛びっきり着飾っていないくしゃくしゃな笑顔を浮かべて。


「お前が世界を見てくれるまで、俺はお前に話しかけるよ」


 まるで死刑宣告のそれに、僕は思わず眉間にしわを寄せた。

 あぁ、君の世界は本当にお節介だ。


 ***


「なぁ」

「……」

 それから三日後。

 二日間の休日を挟んだ僕に話しかけてきた彼は、どこか楽しそうに笑っていた。

 教室の中もざわついていて、本能で彼の変化に気付いているのだろう。

「……なに」

「話しかけるって言っただろ、お前演劇何役がいいんだ」

 面倒な奴に絡まれたと思った。

 嫌な奴に絡まれたと思った。

 僕は三日前の僕自身を恨みつつ、外に目を向け溜息一つ。

 それでも彼の変化には僕も思わず頬を緩める。ここからどう進むかなんてわからないけど、きっと彼の世界は明るく騒がしいのだろう。


 これは誰にでもない『自分』に認められたかった、脆く強い世界のお話。

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