第6話 れんがどおり
レンガ敷きの町並みはハイカラなんてレトロな響きの言葉を思い起こさせる。見慣れたアスファルトの道路を走りながら歩道のレンガに驚いた。そして何度目か立ち止まって歩道に上がり、携帯で位置を確認。次の次の交差点か、と思って顔を上げて気付いた。目的の建物はレンガでできているようだ。
夏休み三日目だが昨日は多希と遠出していたし、今日は集合がかかって指定の場所に向かっている。れんが作りの箱のような建物は図書館。弧を描いた大きなガラス窓の前の植え込みに、防空頭巾姿の少女の像が立っている。その手の白いうさぎが妙に印象的だった。ガラスのうさぎ、と口に出してから、かなり前どこかの地方の学校の課題でイヤイヤ読んだのを思い出した。戦争の話だったっけ。自転車を手で支えたまま、無言で像を見上げていたら、不意に肩口を叩かれる。振り返ると仏頂面の夕歌だった。
「何してんの」
思わず狼狽える。夕歌は暑そうに黒に近いグレイのカーゴパンツの裾を引っ張り上げた。裾に付いている紐で七分丈に絞って居るようだ。Tシャツの上にマリンボーダーの裏地のパーカー、表地はグレイ。こちらも袖を乱暴にたくっている。それでも暑いようでしきりに掌で首元辺りを仰いでいた。
葵はなんとか取り繕おうとする。
「あ、ガラスのうさぎって本の像かなって」
「そうだよ。駐輪場あっちだぜ」
夕歌はあっさり答えてから左手の細い路地を指す。すぐ脇に橋と水路があった。入り口を避けて自転車を立てかけ、夕歌について水路の向こう側についていたれんがの階段をのぼる。建屋もれんが、通路もれんがだ。なんでだか、テンションが上がる。
「あんまりこういう町並み、見たことないなあ」
「転校多かったのか?」
「両手超えてるよ」
夕歌は階段を登ってすぐ左手の小さなドアを押した。甘味処と書かれている。
「あ、きたきた」
和風に飾り付けられた店内に私服姿のシスターズが居る。ちょっとびっくりした。よく考えたらこの三人、かなりの美少女の集まりなわけで、ひょっとしたら今が人生最高のリア充期かもしれないと思った。
多希はモノトーンのワンピースを着ている。アールデコ調の大きな花柄のワンピースはくるぶし辺りまでの丈だが化繊っぽいしゃなりとした軽さでふんわりと涼しそうだ。胸元のシャーリングが胸のラインを連想させて思わず目を逸らす。
綺莉が目に入った。襟のついたノースリーブのワンピはミリタリー調でらしいといえばらしい。ミニ丈の下にニーソックスを履いているが逆に少しだけ見える太ももが目に毒だ。
泳いだ視線はふんわりと髪を結うさゆりにたどり着く。白のミディアム丈のバルーンスカートにノースリーブのシャツ、ネックレスが可愛らしい。三者三様だけど、いずれもよく似あってると思った。
「かき氷?」
「私あんみつ」
「白玉食べたい~」
きゃいきゃいと話してる姿でなんとなくこの眼の前の三人がただの女子高生だったと気付く。当たり前なんだが、さゆりはともかくも多希はひどく大人だし、綺莉はどこか現実感がない。こうしてみると本当に普通にきれいなだけの女の子たちだった。甘味はそんなに苦手じゃないし、自分もなにか頼んでみよう、と思いながら三人が見ているメニューを伺い見る。
(あれ?)
丼ものとうどんが並んでいた。ちょっと驚いた。食事もできるらしい。どうぞ、と渡されたメニューをひっくり返すと、甘味が並んでいた。すぐに決めて隣に渡そうとすると、
「今辺、甘いもの嫌いじゃなかったか?」
綺莉が問いかける。夕歌は静かに頷いた。よく覚えてるな、と思っていたら、綺莉は少し視線を落として一度同じクラスだったな、と呟いた。夕歌はもう一度、浅く頷いた。
なんとなく少し空気が重い。思っていたら脳天気にさゆりが問いかけた。
「うどん食べる?」
夕歌はいつもの調子で「要らねーよ」とぶっきらぼうに返した。いつもの彼だ。注文を取りに来た店員に対して夕歌は真っ先にコーヒーを注文した。
注文した品が揃った所で、さゆりがトートバックの中から例のクリアファイルを出す。綺莉もノートを取り出した。
「よし、じゃあ始めよう」
多希がいいながら問題を指す。
「(ロ)、の問題について思いついた人」
レンガ通り 4-11 Life isn’t always what one likes、ってやつだ。誰も答えない。誰も答えないのを見て、さゆりが小さな声をあげる。
「英語のほうなんだけど、お母さんが好きだった映画の台詞みたい」
その情報を聞いても、思いつく答えはない。それは他の全員が同じだったようで、沈黙が続いた。多希はその次の問題まで指でなぞって設問の中に(ロ)の数字が必要と気付いたのだろう。更にもう一つ下に移動する。
問いは"・(ニ)=真道山 桜/連なる平和の鳥"というものだ。
「この、まみちやま?は?」
綺莉の声に応じて、腕を組んで仏頂面だった夕歌が口を開いた。
「しんどうざん、だった。昭和十一年江田島海軍兵学校が真道山山頂五千坪を購入、桜千本を植える。真道山千本桜というそうだ」
ちゃんと調べてくれていたらしい。なんとなく嬉しくなって笑うとテーブルの下で足を蹴られた。
「えと、じゃあ千本桜、割る千羽鶴?」
「一っぽいな」
綺莉が一、と書き込む。夕歌も頷いた。
「一だろうな」
言いながら出されたお冷に口をつける。一口飲んでから続けた。
「そもそも問の答えが写真の位置を示す座標になるなら整数以外はありえない。となると千以上且つ千単位、千で割り切れる数しかありえない」
なるほど。全員が小さく頷いた。
次いで、多希の指がすぐ下の問題を指す。
「あ、コレなんだけど」
言いながら、多希の表情筋が目に見えて緩む。
問いは”黒い血手形 茶屋 (ホ)F”。
文字を見つめながらも、葵は昨日の彼女を思い出して笑いそうになった。
一昨日の昼、多希は葵宛に電話をかけてきた。インターネットで調べて件の手型について見当がついたとのこと。場所は御手洗、次の日には電車とバスで現地に行くと言っていた。往復運賃もバカにならないから多希が一人で行くとの事だったが、御手洗といえば先日某神社で綺莉と言う妖怪に会って慌てて訪問を中止した町だ。訪れる予定があった事を告げた葵が立候補する形で二人での遠征が決まり、多希の到着時間に合わせロードバイクを走らせたわけだ。
結論から言うと、収穫はあった。
「こ、怖い話ですか?」
さゆりが肩を窄ませている。多希は艶然と笑った。
「怖いってほどでもなかったわ」
そうだろうか。確かに怖いというよりはぞっとするような話だったかもしれないけど、葵には充分怖い話だった。
「御手洗には昔遊郭があったそうなの。そこで禿が一人、遊女に殺されてしまった」
さゆりが目に見えて怯えている。多希はおもむろに一枚のチラシを出した。お歯黒伝説、と書かれている。現地で確保した案内のプリントだった。
「お歯黒のノリが悪いことに苛立った遊女が禿…禿というのは世話役の女の子、多分十歳以下の子どもね。その子に煮えたぎった鉄漿、つまりお歯黒を飲ませて殺してしまった、という話なんだけど、その禿が血を吐いて苦しんで付けた壁のシミが…」
「!」
さゆりが真っ青になっている。多希ははっとしたようにワクワクした顔を引っ込めて小さく頷いた。
「そ、その手形が残ってるってところ、見てきたの。落書きとシミだらけで手形とかわからなかったけど、場所は二階だったわ」
葵は思い出してちょっと身震いする。隅に隠されたようにひっそりとあった階段の登り口。足を踏み出すにも躊躇した。なんとなく、他の場所より空気が冷たい気がした。
綺莉が(ホ)、の位置に2と書き込む。それで、とコーヒーをソーサーに戻しながら夕歌が問いかける。
「下の問ははどうなんだ?血手形の禿ってその殺されたって娘だろ」
夕歌が言っているのは二ブロック目の一番上の問のとこだろう。”天岩戸・太陽の象徴・御神体・血手形の禿”とある。多希は小さく頷いて言った。
「ずっと考えてたんだけど、この答えはおそらく、鏡だと思う」
「鏡?」
よくわからない。葵だけではない。綺莉もさゆりもよくわかっていないようだった。ただ、夕歌は何かしら思い当たるフシがあるらしい、視線が設問を何度かなぞっている。
「神楽の天岩戸、私何度か見たことあるんだけど」
「神楽?」
葵は言葉の意味が掴めない。神楽と聞いてもなんとなくぴんとこなかった。神社でやるものなのは知っているけど。
「このへんの神楽は…奉納舞なんだけど劇っぽいんだよ」
綺莉の補足が入るがそれでもいまいち掴めない。奉納舞、というのはよく見る巫女舞と同じようなものだろう。それが、劇?
「神話とかさ、能楽とかの演目をやるんだよ。メジャーなのだと八岐の大蛇とか」
尚も想像はつかないがなんとなく理解はできた。曖昧に頷く。多希は頷き返して続けた。
「天の岩戸という演目で、天照大御神役の人が鏡を持ってることが何度かあったの。気になって調べてみたら、鏡は天照大御神の象徴なんですって」
「2つ目の項目そのまんまだな。天照大御神は太陽神だ」
夕歌が2つ目の項目を指す。太陽の象徴とある。3つ目は?と目を滑らせると御神体とあった。
「御神体…鏡を祭ってる社もある。で、最後の禿なんだけど、伝説の中に化けて出る禿が鏡の中から話しかけるところが」
「ひっ」とも「ひゃっ」ともつかない悲鳴に多希の声が止まり、全員の目が声の主の方を向く。もちろんさゆりだった。夕歌の目は無駄に冷たい。代わりにその視線を受けてあげたい位だ。ごめんなさい、と小さな声。多希はさゆりに微笑みかけて続ける。
「…なのでおそらく鏡」
「異論ないね」
夕歌も応じる。全員が頷いた。
「ミ、ヒジ、は?」
問いかけは多希から。皆が首を横に振る。少しの沈黙を挟んで綺莉がその下の問題を指した。
設問は”5月 高松山 火”。
「次の高松山、調べてきた。可部にある山で5月に大文字焼きがあるそうだ。多分、大だな」
「ということは?」
多希の問いかけ。葵は上から答えを並べる。
「鏡、大学」
夕歌がそうか、と呟いた。
「二番目は山、だ。みせん、ひじやま、おうごんざん、えばやま。…鏡山大学」
「鏡山大学がなんなんでしょう」
さゆりは頬を蒸気させて問いかける。夕歌は冷たく返す。
「わかんねーよ。卒業生なんじゃないか?」
範囲が広すぎる。…否、年度さえわかれば或いは判るのかもしれない。問題はロの枠、一九六何年かだ。みんなそう思ったらしい、未だ解けていない二問目を見つめる。
れんがどおり 4-11 Life isn’t always what one likes…。何も思いつかない。
「行ってみるか、れんがどおり」
夕歌の声に全員が頷いた。会計を済ませ、全員でぞろぞろと外に出る。夏の太陽が照りつけていた。れんがどおりは道路をわたって少し歩いたところらしい。先頭の綺莉に続いて道路を渡る。程なくしてアーケードが見えてきた。大きくれんがどおり、と書かれている。アーケードの中に踏み込むと日が遮られて幾分マシになった。
特にあてもなく、五人でぞろぞろと進んでいくと、チェーン展開してる居酒屋、 ファーストフード、コーヒーショップ、コンビニなんかに混ざって、海産物屋だとか、服屋だとか、いろいろ並んでいる。シャッターがしまってるところも結構 あった。
「4-11、或いは-7っぽいもの、か」
キョロキョロしなが ら進むがめぼしいものはない。おもちゃ屋が表に出してるワゴンに花火が乗っている。甘味処を出た時はまだ良かったがまた暑くなってきた。夕歌も暑いようで またズボンを引っ張りあげていた。細長いブティックなのか雑貨屋なのかつかみにくい店舗、居酒屋はこの時間閉まっているようだ。最初はそれなりにあった人気がまばらになってくる。駐車場もちらほらあるし最初よりシャッターもより目立ち始めた。アーケードの終わりがどんどん近づいてくる。キョロキョロと焦って見回すが、結局、端まで行っても何も見つからなかった。
「暑い、帰る」
言い出したのは夕歌だ。それも仕方ない。むしろ彼がここまで不愉快そうにしながら付き合ってる状況が異常だ。さゆりは困ったような顔をしている。綺莉は怒り顔で夕歌を睨むが、自身も暑そうに手で首もとを扇ぎながら言った。
「とりあえずパーカー脱いだらどうだ?」
「日焼けするだろ」
夕歌は誰が脱ぐか、と悪態を吐く。綺莉はむっとして言い返した。
「お前同じこと言って夏の間来なかったな。中三の時」
暑くてイライラするのだろう、ヘタしたら掴み合いにでも発展しそうだ。ヤキモキしていたら、多希が二人を制する。
「どうせ駅の方向に歩くんでしょう、黙ってもう一度歩いて、それから帰りましょう」
どちらも答えなかったが、黙って元きた道を戻り始めた。再び、きょろきょろと左右を見るが、先ほどと同じく、特に何も思いつかない。尚もあちこち目をやっていると、後ろからするすると近づいてきたさゆりが小声で話しかけてきた。
「思うんだけどね」
「うん」
頷くと彼女はとても嬉しそうに笑った。夕歌に冷たくされて結構堪えてるのかもしれない。なんだか不憫になってくる。でも夕歌とて実はさゆりの為に動いているわけでそう悪くは思えない。彼は多分、とても不器用なんだと思う。
さゆりはええと、と前置いて尚も小さな声で話しかけてきた。
「他の問題は、調べたりしたらなんとかなってたけど、これだけ見つからないのね」
「うん」
頷く。さゆりが普段より早足なのに気付いて葵は速度を緩める。彼女はありがとう、と小さく会釈してから続けた。
「なくなっちゃったのかもしれないと思って、目印が」
葵は思わず立ち止まる。気付いた多希も立ち止まり、少しして誰もついて来ていないと気付いた先頭の二人が揃って振り返った。その後ろを赤いバイクが通り過ぎて行く。勿論郵便配達だ。
突然閃いた。もしかして、と思ったのだ。
「ひょっとして、番地か」
4-11。もしかしてそんな番地があるのではないかと思ったが、多希が否定する。
「それは思ったんだけど、特に怪しい建物は…」
葵は手でそれを制した。
「今綾目さんが気付いたんだけど」
言いながら後ろの綾目を指す。
「設問作った時にあった建物がなくなってる可能性がある」
多希はそのまま黙った。少し遠かった綺莉と夕歌が戻ってくる。多希は少し置いて言った。
「4丁目の11付近に、大きな駐車場があるの」
それはものすごく怪しい。早足で歩き始める多希に全員が続く。商店街の中央付近に突然ポッカリと空いた空間。駐車場だ。葵はキョロキョロと周りを見回して長く続いてそうなメガネ屋さんを見つける。店内に入って店主らしき年配の男性に声を掛けた。
「すみません、この向かいの駐車場なんですけど」
「はい?」
男性は目を瞬かせている。葵は客でないことを少し申し訳なく思いながら問いかけた。
「元々は何があったんでしょうか」
男性はああ、と気のない声を出した。何だそんなことか、とでも言いたげな感じで笑う。
「映画館だったよ。サン劇場って言ってね」
「映画館」
反芻しながらさゆりの言葉がよみがえる。お母さんの好きだった映画の台詞…映画といった。多分あたりだ。
「ありがとうございます」
しっかりと頭を下げると「いいえ」とのんびりした声が返って来た。急いで外に出て、待っている面々に伝える。
「当たりだ、答えは三…サン劇場って映画館だって」
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