第3話 ムナカタ・シスターズ

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むなかたさんじょじん――多紀理毘売命タキリビメ多岐都比売命タキツヒメ市寸島比売命イチキシマヒメの三柱の女神を指す。宗像神むなかたのかみ道主貴みちぬしのむちとも呼ばれる。

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 雨音が耳につく。窓の外をチラリと見上げると西の空が明るくなってきていた。もうすぐ止むようだ。再び視線を落とした神名辞典なるマニアックな書籍のページにはアニメ調の女神の挿絵がなされている。ため息を吐いて本を閉じるとゆっくり室内を見回した。

 誰も座っていない机、カウンター、並ぶ書籍、書籍、書籍。雑誌、文庫本、ありとあらゆる、本、本、本―――。正直見ているだけで頭痛がする。こういうの苦手だなあと肩を落とした。まあ仕方ない。ここは図書室なんだから。なんというか知識の山に圧倒されるような気がするだけだ。思いつつ腕時計を見る。もう少しで十六時になるところだった。

 要するに。学園名物ってやつを目にしたと聞いたのは本日の昼休み。彼女たち三人については、朝から誰かに問いただしたくて仕方なかったのだが教室にはご本尊たる篝多希さんがおいででなかなか切り出せなかったわけだ。

 昼になり、彼女が消えたのを見計らって問いかけたのは、篝多希、綺莉、そして姉妹とつるんでるマシュマロ系女子について。クラスメイトは篝、と切り出しただけでああ、と腑に落ちた顔になった。

「姉に蹴られたのか?妹になじられたのか?」

 げんなりする。机に並べたパンと牛乳パックはひとつは葵のもの、もうひとつは前の席の椅子に逆向きにかけているこの男のものだ。昨日はもう二人居たが部活の何かしらで急いで出て行った。どうやら三人組で内二人が同じ部活、一人は帰宅部で、よくあぶれていたらしい。

 葵は少し考えてから返した。

「…前者は半分当たりで後者はちょっと違う」

「じゃあ何?」

 ニヤニヤ、と笑われる。彼の名は西之園蓮二にしのそのれんじ。御大層な名前のクラスメイトだがなんというかちょっとちゃらそうなイメージで、かなり話しやすい。葵は牛乳を喉に流し込みながら答える。

「姉に蹴られかけて、妹にパシラされた」

「なんだ、普通じゃん」

 みんな一回はある、といった解答は少し盛りすぎだろう。「へー」と気のない返事をすると蓮二は「俺はな」と切り出した。

「仲は良くないけど小学校からずっと一緒なんだよ」

「すごいなそれ」

「田舎じゃフツーだよフツー」

 高校までってのはそんなには居ないけど他にも居る、と言われて少し羨ましくなる。勿論そんな人間一人も居ない。牛乳パックを持ち上げてたたみながら最後の一口をすすった。

「その二人、篝姉妹じゃない方は綾目さゆりっていうんだよ。ちなみに同級」

 年上だったら少し嫌だなと失礼な感想を抱きながら頷くと、蓮二は少し困ったような顔をした。

「その…子供の頃綾目はイジメられててさ。あの子片親なんだよ。別に俺とかなんとも思わねーけど悪く言う大人も居るし、そういうの子どもは真似したりするだろ?それで、いじめてた奴らを綺莉が殴って多希が罵ってた。いっつも三人だからついたあだ名がムナカタシスターズ」

「むなかた?」

 何なのだそれは。きょとんとしているとああ、と返事がある。

「地元の爺さんがさ…祭とか世話してる人なんだけど。宗像三女神みたいだって言い出したんだよ。判るか?なんか昔話に出てくるらしい」

 しらねーよなーっと笑う彼に葵は突っ込めなかった。おそらくそれは、昔話ではなく日本神話だと。

 そんなわけで、放課後、つまり今、もののついででこの怪しげな神名辞典なる書物を手に取るに至ったわけだ。中学生ならいざしらず、少し恥ずかしく感じる。そのためか周りを気にしても見たがやはりひと気はない。試験も終わっている筈だというのに少し寂しい気すらした。カウンターの後ろで構えているはずの委員すら居なかった。

 ただし――。ただしこれは、本題ではない。なんとなく後ろめたい気持ちではあったが幸い誰も居ないわけだし、と、ポケットから紙片を取り出す。あの三人にパシらされている時に拾ったメモだ。破り取られたノートらしく単語の切れ端を載せるだけだが妙に心惹かれた。走り書きのような手書きの文字はノートの罫を無視して右肩に上がるように斜めに書き取られている。読み取れる文字は四行分、十三文字。角の部分だけ斜めに破り取られていてなんと書かれていたかは推測するしかない。

 一行目ハネのような、点のような文字は判別不能だ。読めるのは二文字、"バム"。

 二行目、殆ど切れているが、上部の丸の部分の一部を欠いているもののアラビア数字の九で始まる三文字、"965年"。

 三行目、"P5"の前の余白は余裕がある。この行はおそらくこれだけだったんだろう。

 そして最後の四行目。"(5,2)"。意味がよく判らない。

 昼間に歴史の年表をめくって見たが、九六五年にめぼしい事件はなかった。ひょっとしたらもう一桁あったのではないか、と思った瞬間閃いて、ホームルームが終わると同時に図書室まで来た。カウンター近くの棚を探して見るとやはりあった。禁持ち出しの赤いシールが付いた、同じ背表紙の群れ。別に全集とかじゃない。卒業アルバムだ。

 すぐに開こうかと思ったのだが、なんとなく後ろめたくて少し当たりを伺いながら例の本を開いていたのだが、結局誰も来なかった。そんなわけで、手にしていた本を戻す。

 そして、目的のアルバムの前に立った。誰も見ないのだろう、最下段に並ぶそれらを上から見下ろしてみると、背表紙から伸びる綴じられた紙の部分に茶色っぽいシミが浮いていた。引っ張りだして表紙を見る。一九七〇年度とある。当てずっぽうではあったがいいところをひいた、と五冊左に指を滑らせて気付いた。一冊抜かれている。念のためその余白の両脇を引っ張りだしてみたがやはり、一九六四年のあとは一九六六年に飛んでいた。

 なんだかひどくがっかりした。思わずよろけて膝をついた瞬間、結構な音量で雷鳴が響く。

 キャッ、なんていう可愛らしい女子生徒の悲鳴が聞こえて、自分の他にも人が居たのだな、と驚いて振り返ったところで。

「げ…」

「転校生!」

 ばったり、というに相応しい。思ったより近く、すぐ背後に立っていた女子生徒を見上げながら今度こそよろけて尻もちをつく。腰に手を当ててふんぞり返っているのは相変わらずの態度のデカさ、篝綺莉。ただし、先程の悲鳴は明らかにこの女のものではない。もしやと視線をずらすと予想通り。少し恥ずかしそうなさゆりが立っていた。驚く事ではない。でも驚いた。

 否。驚いたのは別の理由だ。

「!!」

 思わず目を見開いたのは彼女が確り胸に抱いた本の表紙。臙脂えんじの布張りの表紙に金の文字が箔で押されている。今しがた手にとったのと同じ装丁のそのアルバムには、一九六五、という文字が見て取れる。

 が。驚いたのは目前の綺莉も同じだったようだ。突然身を屈めた彼女は勢い良く葵の胸ぐらを掴んで引き上げる。折れそうに細い腕に見えるのに大した腕力だ。慌てて引っ張られるままわたわたと要領悪く立ち上がると、彼女は葵の手首を掴んで目の高さまで持ち上げた。

「このメモ!」

 たった四文字にこれだけの怒気を含められるのも或いは才能かもしれない。そう冷静に考え、またこうも思う。本当にこの少女とは相性が悪そうだ。

「拾いました」

 とっさに出た一言だが、綺莉を留めるにはよい一撃だったようだ。彼女は一瞬何かを言いかけるように息を詰めたが、結局黙って葵の手を離す。葵はシャツを軽く下に引っ張ってからメモを突き出した。

 そう、少し怒っていたわけだ。

 綺莉は口元を引き結んだままそのメモを受け取る。軽く視線を走らせてすぐ、背後のさゆりに渡した。愛想のない顔。いい印象は抱けない。でも、彼女のその後の反応は全く予想に反するものだった。

 彼女はじっと葵を見て、目を伏せた。そして言った。

「ありがとう」

 なんだそれは、嫌味か、と身構えそうになった所で、

「あと…ごめんなさい」

 ご丁寧に確りと頭を下げられて、思わずがに股で仰け反りそうになる。意外というか、夢なのではないかと思うほど、彼女の印象とはかけ離れた姿だった。

「え…あの…」

 うまく答えられない。色々と言葉を探したけども彼女の頭はなかなか上に上がらない。暫く慌てた後、結局葵は同じように頭を下げるに至る。

「その、すみませんでした。大事なメモと思わなくて」

 顔を上げた綺莉は不思議そうな顔をしている。まあ、そうだろう。葵とて彼女に謝る気なんてさらさらなかった。自分でもよく判らない。幼児の頃よく言われていたあれのせいかもしれない。喧嘩両成敗ってやつ。

「綺莉が悪いんだから謝る必要ないですよ、一青瀬さん」

 声はさゆりより更に後ろから。現れたのは勿論篝多希だった。綺莉は少しむっとしたような顔をしている。まあ無理もない。多希はさゆりの手のメモを見てから葵の方を見る。

「それより、貴方このメモの中身がわかったのね」

 意味、とは。さゆりの持っているアルバムをチラリと見て、憶測があたっていた事を確信する。肩を竦めた。

「当てずっぽうだけど」

 答えると、多希は葵に向けて手招きする。黙って近寄ると、彼女はさゆりにアルバムを机に置くように言った。多希は静かにページをめくる。白い和紙のような紙が表紙の裏に挟まれて、大きな集合写真が一枚。隅にお決まりの丸い枠、おそらく欠席者だ。ページをめくる。見開きの両ページに1クラスずつの個人写真が配置されているようだ。A組、B組、と各ページの真ん中より少し上に張ってあった。綴じ部分でわかれた二つのページの左側に二、右側に三と手描き風の文字がある。

「メモの意味、どう読み取った?」

「どうって…」

 多希に促され、葵はアルバムの正面に立つ。妙に緊張した。空が光る。一瞬蛍光灯の明かりが点滅した。

「そうね。そもそもなぜここだと思ったの?」

 うまく言葉が接げないでいると気付いたのだろう。多希が問いかけてくる。葵は少し考えてからアルバムのページをめくった。

「バム、がつく言葉はアルバムしか思いつかなかった」

 五ページ目の所で彼は手を止める。

「九六五年の出来事は調べてみたけど、パッと目につくものはなかった。そうなると、この紙の破れ方からして、もう一文字あったかもしれないと推察した」

 一旦言葉を切る。多希の目は教師のそれに似ていた。答えは判ってるって、そんな感じだ。

「とすると、一九六五年しかありえない…普通に考えたら。マイナーどころなら他の暦の利用が考えられるけど、なにも解らなかったらそっちもあたろうと思った」

 言いつつ記憶の中のメモを手繰る。

「アルバム、一九六五年、百年も二百年も前じゃない。ならば学校の卒業アルバムを指してるのかなと思った。この辺りはただの勘。もしこの問の答えが学校に用意されているなら、っていう前提で」

 そんな前提で考えたら、見つけられる答えはそうないと思ったわけだ。

「P5はそのまま五ページだろう。このページ」

 指し示すページは前のページ同様四角い個人写真が並んでいる。葵はおあつらえ向きだな、と小声で呟いた。

「最後、括弧閉じの二桁数字、と聞いたらひとつしか浮かばない。座標だと思う。この場合、整数しかありえない現実世界だから、綴じの方を原点として数えて」

 五、と打たれているのは右側のページの左隅、閉じ部分のすぐ脇だ。その真上の写真を指す

「ここが一の一」

 指先は静かに顔写真を差していく。右に五つそして、上に二つ。

「あ」

 思わず声が出た。答えはあっていたと確信した。古ぼけた写真でかしこまっているベリーショートの少女。この場にいる一人に瓜二つだったからだ。写真の下に打刻された活字を思わず、声に出して読んでいた。

「綾目…さなえ」






「どうぞ」

 出されたお茶はビーカーに入っているというだけで全く美味しそうに見えない。おぼん代わりの銀の角バットを持って小首を傾げるさゆりは可愛らしいのだがそのトレイ自体が明らかに実験器具だ。出されたお茶に口をつけるかは悩ましい問題だった。

 雨はすっかり止んだ。代わりに差し込んできた日はかえって蒸し暑さを煽ってくるようだ。ただし、この部屋には空調が効いている。外に出たらもわっとしそうだなとかどうでもいいことを思った。

 件の質問タイムの後、多希は突然場所を変えましょう、と言い出した。アルバムを元に戻すさゆりと、無言のままの綺莉。これから何が起きるのかさっぱり想像もつかないが、連れて行かれるのがどこかだけはなんとなくわかった。そしてその予想はあたった。今、葵は生物準備室の中にいる。

 手近な丸椅子に座るように指示した多希。そしてそれに従った葵の背後で、乱雑に鍵を閉める綺莉。ちょっと怖い。そして奥にあった小さな冷蔵庫からペットボトルのお茶を出したさゆりはおもむろに小さなビーカーを出してそこに注ぎわけて行ったわけだ。

 重たい沈黙が流れている。圧迫感が半端ない。なんだこの急展開は。目前には紙片が一枚。経験はないがこれは多分万引きで捕まった後に似ているんじゃないだろうか。商品を前に座らされて裁かれる時を待ってるような嫌な気分だった。

「一青瀬くん」

「はい」

 急に呼ばれて顔を上げると、声を掛けた多希は少し首をかしげた。長い黒髪がさらり、と揺れる。腕を組んでビーカーを持っているだけなのにサマになってる。なんというか、次元が違う。本当に見たことないくらいきれいな子だ。急に緊張がぶり返してきた。

「このチラシをみてこの間ここまで来たわよね」

 言いながら彼女が差し出したのは先日の二つ折りのわら半紙。M歴C部の文字。

「入部希望ということでお話させてもらいます」

「え?ちょっとま…」

「話を聞いてから、断れ」

 遮る声は綺莉のものだった。彼女は言った後きまり悪そうに部屋の隅のパイプ椅子に座る。口調はキツイし鋭い目はしているものの少し態度は軟化しているような気がする。なんとなくだが。

「部活と言っていますが、規定人数に足りていません。今3名。この学校で部活を名乗るには5名必要です。部と付けておきながら実質同好会ということです」

「はい」

「具体的な活動ですが、正直なところ方針は決まっていても、明確な活動内容はありません」

 何を言われているのかよく解らなかった。さゆりが付け足す。

「その時のノリで、遠くに遊びに行ったり、ずっと部屋で調べ事をしたりするんです」

 なるほど、’遊びに行く’というのも部活とは捉えにくい活動内容だ。葵は逆に気になって思わず問いかける。

「で、結局その’方針’というのは…」

「謎の解明。それだけ」

 綺莉の言葉は一言だけ。イマイチ掴めない。顔にそれが出ていたのだろう。多希はお茶で唇を湿らせてから続けた。

「例えば、街角で見かけた記号だとか、なんでもいいの。疑問を持ったものについてとことん調べるだけの部活よ」

 時には現地の図書館に行ったりすることもある、と補足されてはあ、と曖昧な相槌を打った。要するにそれは仲良し部みたいなものなんじゃないだろうか。なんだろうと気になったものを一緒に調べたり、時にはフィールドワークをしたり。葵は取り囲む少女三人をぐるりと見回して、率直に問いかけた。

「でもそれ、俺は必要ないですよね」

 要は、バスケットがしたい、という人はバスケットボール部に入る。多少仲の良くない人が居ても目的が同じだから仕方がない。普通の部活はそうだが、特に決まってない謎を、一緒に調べる、という部活は仲の良い人間が集まってやるものではないのかとそう思ったわけだ。だって、実際問題目的はあってないようなものなのだから。

「お誘いした理由は二つあるわ。一つ目、貴方は二つのメモだけでここにたどり着いた」

 多希はそう言いながらゆっくりと葵の目の前のデスクに手をついた、見下ろす彼女は眉根を潜めて、苦悩の表情を浮かべている。

「もう一つ。私達、今、少し困っているの」

 困っている?それは何?と問いかけようとした瞬間だった。突然ガタガタと揺らされる扉。全員の視線が戸口に張り付く、と同時に―――。

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