第20話 天とつながる3

 天橋立ビューランドへ行って、かの有名な「股のぞき」というのをやってみて、小鳥は歓声を上げた。

 このビューランドは展望台の他、サイクルカーやゴーカート、レストランなどが揃っている遊園地だ。天橋立を見下ろす高台にあるのだが、ここを文珠山と言い、この山頂から逆さに覗く天橋立は、竜が天に昇るようだと言われている。

 ここから見下ろす天橋立は確かに天と繋がっているようだ。

 高い所が苦手なマスターはそう思いつつ、小鳥から少し離れて彼女を見守っているが、周囲の観光客から不審な目で見られて、居心地の悪い思いをしている。

 小鳥は和彦と一緒に不愛想な顔のまま突っ立っているマスターのところへ行き、どれだけ素晴らしい眺めなのか彼に説明するが、聞くだけでも恐ろしいと彼は思っているに違いないと長い付き合いで思った。

 あちこち観光に連れて行ってもらい、小鳥は子供の様にはしゃいだ。和彦の家に向かう頃には、車の中でウトウトし始めている。

「ええやなあ、小鳥ちゃん」

 和彦が運転席から後部座席のマスターに声をかける。小鳥はマスターの腕に頭をもたれさせて、完全に眠りに入ったようだ。

「和さん、ありがとう」

「ん?」

「小鳥を招いてくれて。俺たちの事、本当の兄弟として迎え入れてくれて」

 マスターの言葉を和彦は微笑んで聞いていた。

「実はな、お前の母さんが言ってたんや。自分は子供の成長を見られへんから、絶対に親父さんに後妻を紹介してやってくれって。それで、その人に子供が出来たら、もしくは子連れやったら、兄弟達が仲良く暮らしていける様にサポートしてやってくれって。ずっと遠くから見て来たけど、お前ら仲良かったしな。余計な口出しせんでもええかと思ってたんや。それで、今頃な、遅くなってしもたけど、小鳥ちゃんと話してみたいと思ってなあ」

 和彦は小鳥を起こさないよう小声で言った。

「そうやったんや」

 マスターは母親の面影を和彦の中に見た。

「あの人、いつまでもお前らの事、天から見てるで」

「天、か」

 マスターは小鳥の頭を自分の膝の上に寝かせてやり、呟いた。

 天はあまりに遠く、儚く感じていたが、こんなすぐ側にあったのかと彼は目が覚めるようだった。

 天国や地獄なんて、信じないと思っていたけど。

 小鳥の寝顔を見ながら、彼は心が温かくなるのを感じる。

「そういえば、お前、結婚する気ないんか。親父さん、めっちゃ心配してるで。こないだ見合いして、逃げられたんやって?」

 和彦が面白い話題に思わず大きな声で言うと、マスターは冷や汗をかきつつ、小鳥が起きていないのを確認してホッとする。

「和さん、意地悪で言うてるんちゃう?俺、こんなんやし、初対面の人はだいたい怖がるし、逃げるねん」

「そうか?顔はイケメン言うのとはちょっと違うけど、悪い方とちゃうで。それに、お前の人がええところ、にじみ出てると思うけどな。人にはないオーラが出てるやん」

 和彦は褒めているらしいが、なんだか微妙に気になるマスターだった。

「ま、こういうのは運とタイミングやから、焦らんでもええわ」

 明らかに慰めである。

 マスターは苦笑して、こう言う風に心配されるのも悪くないかも、と思った。

 小鳥が起きていたら、きっといらない情報を流すであろうことは予想されたので、彼女が寝ていて本当に良かったとも思った。

 和彦の家に着くと、マスターは小鳥を優しく起こした。

 彼の家は古びた農家を所々リフォームしてあって、手入れの行き届いた過ごしやすい空間になっている。この母屋と離れが三棟あって、そのうちの一棟にマスターと小鳥が泊めてもらうことになっている。そして、残る二つのうち一つは倉庫で、あとの一つがバーになっている。

 和彦の趣味で、農家の仕事が終わったら、夜このバーを不定期で開けている。

「今日は店開けるから、こっちでご飯用意するし。ちょっと遅くなるけど、風呂でも入ってゆっくりしてて」

 和彦は離れの鍵を開けると、すぐに母屋へ行ってしまった。

「ほな、先風呂でも頂こうか」

 マスターが言って、小鳥が頷く。

 離れにはこじゃれた小さな風呂やミニキッチンも付いていて、交友関係の広い和彦の友人が時々連泊で泊まったりしている。マスターもここを見ていたから、民泊のアイデアがよりリアルに想像できた。

 小鳥が風呂に入っている間に、マスターは恭一に電話して無事に到着していることを伝えた。それから、コンロで湯を沸かし、キッチンの棚から琺瑯のドリッパーを出してフィルターをセットすると、持参したコーヒー豆を入れた。

 鼻をくすぐる芳香が充満する。

 風呂から上がった小鳥が、ラフなワンピース姿でやって来た。

 マスターの手元を覗き込んで、それから顔をまじまじと見る。この香りには覚えがある。

「わざわざ持って来たんですか」

 敬語が戻っている、と彼は思ったが、顔には出さずに頷いた。

「どんな時でもコーヒーが飲みたくなるねん」

「そう言えば、山に登った時も持って行ってましたよね」

 私ならしない、とでも言うような口調だ。

「まあな」

 なんだかバツが悪い。

「お兄ちゃん、私が淹れてあげるよ」

 小鳥が彼からケトルを奪い、にっこり微笑んだ。

「今日のお礼。人に淹れてもらった方がおいしいでしょ?でも、お兄ちゃんが淹れるコーヒーが一番おいしいけど」

 彼女の言葉が彼の頭にキラキラとした幻影を見せる。

「おおきに」

 微笑むだけで精いっぱいだった。

『ほんまに、あんたの淹れるコーヒーが一番美味しいわ』

 亡き母がいつも言ってくれていた言葉が、小鳥の言葉にリンクする。

 母のこの言葉が、彼が喫茶店をしている最大の理由だった。

 彼の天とつながる架け橋は、目の前にいたのだと彼は悟った。


 







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