第18話 天とつながる

 そびえ立つ近代的モニュメント、とも言える京都駅に入って、マスターは空を見上げる。

 ここは中央口改札前だ。天井は遥か高く、ガラスに仕切られた空は遠い。

 京都駅発、天橋立行の特急はしだて3号に乗る為に彼はここにいる。

 切符を改札に通して、彼は三十一番線に向かって、とことこ歩いて行く。一足先に電車は着ていた。指定席の番号を確認して、中に乗り込むと、間もなく電車は走り出した。

 今は午前十時二十五分。天橋立に到着するのは十二時半過ぎだ。

 京都駅から天橋立へ行こうと思うと、色々行き方はあるのだが、この特急に乗るのが一番手っ取り早い。本来ならJR京都駅から京都丹後鉄道に乗り換えるという方法を取らないといけないのが、特急なら一本で行けるのだ。まあ、一番お金はかかるのだが楽ちんなのである。

 他には高速バスなんかもあるが、予約をしないといけないし、電車の方が気が楽なマスターの場合、家から近い京都駅で切符を買って、うたた寝をしているうちに目的地へ着くのだから、特急はなんて素晴らしい移動アイテムなのだ、と褒めたたえてしまう。後ろから、お金ないくせに、と小鳥に言われたことはこの際忘れてしまおう。

 旅のお供は小鳥である。

 小さな渋いブルーグレイのダレスバッグを膝の上に乗せて、小鳥はマスターの隣で車窓を見ている。今日は口数が少ない。いるのを忘れるくらいだ。いや、それはないか。

 マスターは持ってきた雑誌を読むふりをして、隣の小鳥を盗み見る。

 黙っていたら天使のようだが、彼女をよく知っているので、嘘でも天使とは言えない彼である。

「マスター、本当に私も行っていいんですか」

 視線を感じて、小鳥が彼の方を向いて尋ねた。

「ああ。向こうの家族には話してあるし、気にせんでもええて、皆も言ってたで」

 彼の言葉に、小鳥は複雑そうに頷いた。

「俺の母の故郷ふるさとや。いい所やで」

「でも、私、何の関係もないし」

「あるやん。君、俺の義妹いもうとやんか」

 マスターは屈託なく言うが、それがひっかかる彼女にしたら、マスターの態度が恨めしい。

「お招きいただいたの、亡くなったお母さんの弟さんでしょ?やっぱり腹が立つんじゃ…」

 この期に及んで躊躇ちゅうちょしている彼女に、マスターは安心させるように微笑んで見せる。

かずさんが呼べって言ったんやで。小鳥に会いたいって」

 マスターの母の弟、つまりはマスターにとっての叔父の和彦が電話してきたとき、第一声、彼は「可愛い妹を連れてこい」と言ったのだ。

「うそ…」

「いや、ほんま。ずっと気になっててんて。きっと来づらいやろうから、お前が連れて来いってさ。俺と恭一兄ちゃんと小鳥と兄弟なんやから、小鳥も和さんの姪っ子やってさ」

 嬉しい話のはずなのに、やはり不安が消えない小鳥の顔を見て、マスターは彼女の頭を撫でた。小さな少女のように彼女はされるがままだ。

「いらん心配せんでも、和さんのこと見たら納得するわ。あの人、ほんまに豪快でええ人やし、ましてや細かい事全然気にせえへんねん。娘の彼氏にも慕われてるんやから」

 そう言われて素直に喜べていたら、と小鳥は思う。

 不愛想なマスターの顔を見て、彼女はほう、と溜息をついた。

 顔は怖いが、人情家で温和な義理の兄は彼女の複雑な心境を思いやってはくれるが、きっと理解はできないだろう。

 こういう場合、頼りになるのは恭一だが、彼も叔父の和彦についてマスターと同じことを言っていた。

 本当なら恭一も一緒に来るはずだったのだが、仕事で旅館を離れられないらしい。残念なことこの上ない。

 小鳥はもう見慣れてしまった人相の悪い顔を見上げる。

「?」

 マスターはニコニコ、慣れない優しい笑顔で彼女を励ますように見ている。

「私が京都のおうちに来た時、お兄ちゃん、言いましたよね」

 小鳥が珍しくマスターの事を「お兄ちゃん」と呼ぶ。

「うん?」

「俺が守ったるさかい、何でも相談し、って」

「うん。言うたな」

 マスターは初めて会った時の小鳥を思い出した。

 初めて会う見知らぬ家族と見知らぬ場所で、心細そうにしていた女の子が可哀想で放っておけなかった。他人に怖がられる顔だと自覚はあったが、そう言ってやりたかったのだ。

「絶対、守って下さいね。私を一人にしないで下さいよ」

 小さな女の子の顔で、彼女が言うものだから、マスターは心から微笑んで頷いた。

「まかしとき」

 実の母親が亡くなって、それからしばらくして新しい母親に連れられて来て彼の家族になった可愛い女の子は、今や立派な大人の女性だが、どうしてだか、今も放っておけない小さな女の子に見える時がある。それが妹と言うものなのか、彼はわからないけれど、彼女が助けを必要としなくなっても、きっと世話を焼いてしまうだろうな、と彼は思っている。

 それにしても。

 彼は少し気になる事を考えながら、再び雑誌に目を落とした。

 小鳥はいつから彼の事を「お兄ちゃん」と呼ばなくなったのだろう。

 遠い昔の記憶は曖昧で、今の「マスター」と呼ぶ声しか記憶にない。

 少し寂しい思いをしながら、小鳥を見ると、彼女は窓にもたれて目を閉じていた。














  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る