第15話 玉子サンド論争

 チリン、と鈴の音が鳴って、小さな店内に響き渡った。

 ざわつくランチ時間の店内は既に満席であるが、基本的に相席をお願いしないのがマスターの主義である。兄の恭一には商売っ気のない奴め、と言われるが、心地よく喫茶の時間を過ごして欲しいのが営業コンセプトなのだから、何と言われようとも構わない。

 今頃は相席目的の居酒屋なんかがあるらしいが、人見知りする人はどうすりゃいいんだ、とマスターは真剣に心配している。

 人相の悪いマスターは顔のわりに人が良い。

 店の看板娘、小鳥が常連客のコップに水を足しに行った。

「増えてますよね」

 小鳥がいつもアイスコーヒーを頼む若いサラリーマンに唐突に語り掛ける。彼は寂しい頭頂部の黒髪を撫でる様にして彼女を見上げた。

 なんと!髪の話を彼にしているのか、とマスターが鋭い目を彼女に向ける。天然力、おそるべし。

「良い薬があって、結構生えてるんです」

 常連客の彼は嬉しそうに答えた。もめなくて良かったとマスターも一安心だ。

「あの、玉子サンド、お願いします」

 彼は追加注文を口にして、注文を伝えに背を向けた小鳥を「あ、」という呟きで呼び止めた。

「はい?」

 振り返った小鳥が愛らしく彼を覗き込むと、彼ははにかんだように目を伏せた。

「あの、つかぬ事を伺いますけど、玉子サンドの卵はゆで玉子ですか、焼いた玉子ですか」

「ゆで玉子を潰してマヨネーズで和えたものです」

 小鳥の答えに、彼は少しがっかりしたように見えた。

「わかりました」

「厚焼き玉子派ですか」

 小鳥が身を乗り出して尋ねると、彼はますますはにかんでうつむいた。

「はい」

「私もです!」

 力強く賛同して、小鳥は笑顔を残してカウンターに戻る。

「マスター、玉子サンドひとつです」

「あいよ」

 答えつつ、マスターは注意するべきか迷って止めた。ゆで玉子のサンドイッチを出す店の店員が厚焼き玉子のサンドイッチが好きです、と客に言ったからとて、問題ないと判断した。いや、本音は言って欲しくないのだが。

 黙々作業するマスターに、小鳥が無言で圧力をかけてくる。

「おい、なんやねん」

 小声で小鳥に抗議すると、彼女はえへへ、と罪のない天使の顔で微笑んだ。

「眼力でゆで玉子が厚焼き玉子にならないかと思って」

「なるわけないやろ」

 呆れながらマスターは言い、手際よく作った玉子サンドをカウンターに乗せる。

「はい、運んで」

 オーダーの通っているものは全部出してある。後は客が引いてからの片付けがあるだけで、ランチ時間はもう終了だ。ここからはおやつの出番である。

「あ、生クリームきれてるわ。ちょっと買ってくるし、店見ててや」

 マスターは小鳥に言いおいて、全く似合っていないデニムのエプロンを脱いだ。

「はい、行ってらっしゃい」

 小鳥に見送られて、近くのエビスクまで走る。

 この頃よく出番の増えた抹茶パフェとパンケーキには生クリームが欠かせない。泡立てておく事も考えて、少し多めに購入して、すぐに店に戻る。

 マスターが戻っても、店の込み具合に変化はなかった。安心してエプロンを付け直す。この食後のまったりした時間を会話で過ごす店内の雰囲気が彼は好きだ。

 そういえば、小鳥は?

 彼が目を向けると、彼女はあの常連客の彼と話し込んでいる。

 耳をすますと、まだ玉子サンドの話をしているようだ。

「あそこのパン屋の玉子サンドは厚焼きじゃないですか。でも、三軒隣のパン屋はゆで玉子でしょ?これって地域性とか関係ないんですかね?」

 彼が眉間にしわを寄せて言うと、小鳥は天井を見ながら脳の情報を検索している。

「どこかで聞いた話なんですけど、関西の玉子サンドは厚焼きなんですって」

「ですよね。なんでここのお店はゆで玉子になったんですか?」

 眉間のしわはそのままで、彼が尋ねると、小鳥は思案顔になる。

 答えは簡単。作って冷蔵庫に入れておけば、すぐに出せるからだ。厚焼き玉子は焼く時間もかかるし、客を待たせる。近隣で働く常連客の為に早く料理を提供するにはゆで玉子が手っ取り早い上、人手がない分ランチ時間に制御しやすいのだ。

 それを正直に話すのは、やはりためらわれたので、小鳥は誤魔化しの笑顔を浮かべる。

「たぶん、マスターが好きなんじゃないですか。ゆで玉子」

 おいおい。

 心の中で突っ込みを入れて、マスターは聞こえていないふりをした。

 カウンターに戻った小鳥はお会計の客の対応をして、空いた食器を下げに行った。

 店内に少しずつ静寂が戻り始める。

 小鳥が引き上げてきた皿やグラスを洗いながら、マスターはふと幼い頃に食べた玉子サンドの事を思い出した。

 一枚を半分に切って、間に切り込みを入れて焼いた食パンに玉子焼きが挟んであるやつだ。薄い玉子焼きはサラダ油にまみれていて、レタスとキュウリとトマト、マヨネーズとケチャップがこれでもかと挟んであった。小さな子供の口には食べにくく、かなり汚れた記憶があるが、あれが一番美味しかった。

 記憶の中にある玉子サンドは不格好だったが、母の愛情いっぱいの一品だった。

 チリン、と客の帰る鈴の音がして、彼は現実に戻った。

 今度から玉子サンドは薄焼き玉子サンドにしようかな。

 なんだか浮き浮きと考えていると、小鳥が背後で何か呟いているのが聞こえた。

「マスター、思い出し笑いなんて気味悪いです」





 

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