第9話 舞妓さん 

 チリン、と鈴の音が鳴って、人相の悪い男が一人、入って来た。

 暗い色のスーツで背は高い。鋭い目つきで、店にいた女の子の姿を捕らえる。

「あ、マスターおかえりなさい」

 留守番の小鳥が声をかけると、マスターは低い声で「ただいま」と言った。

 ここは京都駅にほど近い路地裏の喫茶店である。人相の悪い男はマスターで、迎えた小鳥は手伝いをしている。

「暗いですね。楽しんできたんじゃないんですか」

「うん?まあ、楽しいんか、ようわからんわ。親父の付き添いやし」

 マスターは父親のお供で上七軒の歌舞練場へ北野をどりを見て来たのだ。

 京都には他にも祇園の芸妓舞妓の舞う都をどり、宮川町の芸妓舞妓の舞う京をどりがある。これも京都の名物だ。

 他にも春の京都は特別拝観や桜祭り、伏見の三十石船、四月二十九日の東本願寺の花まつりなど、イベントごとがいっぱいだ。

「可愛い舞妓さんいなかったんですか?」

 小鳥はマスターにアイスコーヒーを注いだ。喉が渇いていたのか、一気飲みして、彼はふう、と一息ついた。

「舞妓さんって、並んで踊ってたら余計みんな同じに見えんねんけど」

 白いし、と彼は疲れた様子で言った。

「興味ない人には、何でも同じに見えてしまうのですね」

 小鳥はしみじみ呟いて、苦労して芸舞妓になった女性達を想った。

「いやあ、舞妓って仕込み期間とか、お稽古とか、挨拶回りとか大変なんもわかるけど、白いねんもん。日中の普通にしてる恰好で会うならええけど。ってか、舞妓遊びなんて俺せえへんし。気楽に会えるわけでもないし、金かかるし。他の旅館の若いモンらは付き合いあるし、座敷に呼んだりするらしいけど。それにしても、白いよなあ」

 舞妓はお座敷に上がる夕方にしか化粧をしないから、昼間会った舞妓は偽物だ、とはよく言われれる。

「そう言えば、夏に鴨川納涼のとこで舞妓茶屋ってありましたよね」

 小鳥が言うと、うんうん、とマスターが頷く。

「先斗町のとこな。兄ちゃんも手伝い行ったりしてたみたいやけど。外国人とかも当日券買って気楽に入ってるって言うし、お近づきになるにはええんちゃう?」

 マスターはジャケットを脱いで、カウンターの奥にある控室に持って行った。

 戻って来た時には全然似合わないデニムのエプロンをしている。

「修学旅行で旅館の広間で舞妓さん呼んで踊りを披露してもらうの、ありましたよね」

 小鳥がグラスを磨きながら言うと、マスターは頷いた。

「ちゃんとしたとこなら地方じかたのお姉さん連れて舞妓さんが来るけど、今時はバイトの子がカセット、いやCDか、持って来たりするしなあ。俺も何回か見たけど、夢を壊さんように、あれ偽モンやでって言われへんから、辛いところやわ。目の前ですぱすぱタバコ吸われたら、結構なインパクトやし。生徒に見られたらどうすんねんって言いたくなるわ。もちろん、ちゃんとしている子もおるんやろうけど」

 舞妓ショーと名乗っている、これもビジネスなのだ。本物は高いから、という理由もあるし、エージェント側の頼みやすいから、という理屈もあるのだろう。置屋は敷居が高いイメージがある。良いとも悪いとも、外野は判断できない。でも、せっかくなら、きちんと修行をした女の子に報酬が行くといいな、と彼らは思っている。

「どこの世界も一緒です。マッチョじゃないのに、マッチョバーでバイトしている学生とか」

 小鳥が言うのを、マスターは無言で聞き流す。

 最近マッチョバーにはまっている小鳥には、少し鍛えただけの細身のマッチョは受け入れられないらしい。マスターにしてみれば、細くとも鍛えていたらマッチョじゃないかい、と思える。

 そこに料金が発生する以上、責任がある、ということだ。食品表示法と同じことなのだ。

「あれ、マスター、これなんですか」

 小鳥がカウンターに置いてあった小さなシールを見つける。

「千社札のことか?」

 マスターは小鳥の手にあるシールを見た。

 千社札せんじゃふだというのは、元々江戸時代に庶民が神社やお寺に参詣した記念に柱などに張った紙のことをいうのだが、近年、シールになってカラーで誰でも作ることができる。それを舞妓が自分の名前で作って配ってくれるのである。舞妓ファンにとっては嬉しい贈り物だ。

「市駒さん?」

「そう。親父の知り合いのとこの舞妓さん。可愛らしかったで。白かったけど」

「へえ。可愛かったんだ」

 女性とは、他の女性を褒めると腹立たしくなるらしい。

 なんだか不機嫌になった小鳥に首をかしげながら、マスターは小鳥へのお土産の駅で買ってきた赤福を開けた。

「え、なんで赤福?」

 小鳥が小皿に黒文字と一緒に出されたこし餡の餅を見て呟いた。

「どうする?お茶がええ?それともコーヒー?」

 マスターがお湯を沸かしながら聞くと、小鳥はお抹茶、と答えた。

「ふーん。俺は断然コーヒーやけどな」

 日本人なら煎茶じゃないの、と小鳥に突っ込まれて、彼はニヤッと笑った。



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