第8話 動物園

 春爛漫。

 桜の花びらが風に乗ってヒラヒラ舞っている。

 地下鉄に乗り京都駅から御池駅まで行き、そこで東西線に乗り換える。蹴上駅まで行って、そこから徒歩で動物園まで降りて行く。

 マスターはヒラヒラのワンピース姿の小鳥を伴って、見慣れた道を歩く。

 途中、南禅寺へ行く道に分れるが、歩道続きに降りて行く。

 信号を渡って、動物園の裏門、いや改装されてからは東門になった場所へ出る。

 ここ、京都市動物園は幼稚園から小学校と、遠足に何度も足を運ぶ場所である。懐かしい気分で、マスターがチケットを買って、小鳥に渡す。チケットも可愛い動物がのっていて、子供も大喜びだろう。

「マスター、これって慰安旅行?」

 小鳥の問いに、マスターが大きく頷く。

「え、何か変?」

「いいえ、別にー」

 小鳥は答えながらワンピースのボタンを開け始める。

「ちょっと、君、何してんねんな」

「はい?」

 きょとんとした小鳥のワンピースの下からTシャツとジーンズが出てきて、マスターは安堵した顔になる。

「マスター、この私でも日中堂々と露出狂にはなりませんて」

 小鳥が真顔で突っ込みを入れる。

「そりゃそうやな」

 マスターはえへへ、と笑い、その顔が周囲の子供を怖がらせているとは彼は知らない。

「どっから見る?」

 マスターに聞かれて、小鳥はうーん、と辺りを見回す。

「新しくなってからは来たことないので、とりあえず、ゾウさんから」

 小鳥の提案に頷いて、二人して遠巻きにゾウを眺める。ゾウは人気者だから、小さな子供たちが可愛らしい手でゾウを指さしているのを見ると、なんだか微笑ましい。

 ゾウの隣はバクで、バクと言う動物が本当にいたのかとマスターが驚いている。

「今まで動物園の何を見て来たんですか」

 小鳥に言われて、マスターが頭をかいている。

 バクの檻から移動してサルワールドを見て回る。おなじみのアカゲザルのサル山に、テナガザルやゴリラ、チンパンジー舎がある。

 小鳥の一番のお気に入りはゴリラだ。ガラスの向こうにいる大きなゴリラの迫力に、ちょっと引き気味のマスターを尻目に小鳥はワクワクとガラスにへばりついている。目がハートだ。

 マスターはベンチに座って、来る時に買った志津屋の菓子パンを食べながら、小鳥にも手渡す。水筒に入れて来た紅茶で一息ついて、まだ真剣にゴリラを見ている小鳥を観察する。いつの間にか、手渡したパンは完食している。

「君の好みの男性のタイプが分かった気がする」

 マスターの発言にハテナマークを返して、小鳥は飽きもせずにずっとゴリラの動向を追っている。。

 やっと移動して、ペンギンプールで透明な板の向こうの水の中を見ていると、高速で移動しているペンギンと目が合って、マスターがぎょっとしたように立ち上がる。

「マスターって、怖い顔なのに気が弱いですよねー」

 何気なく言って、小鳥がふれあい広場に入って行く。

 ふれあい広場には羊やヤギが近くで見られて触れるのだ。そそくさと抜け出たマスターはレッサーパンダの方に行っている。頭上を通り抜けていくレッサーパンダを見ることができる仕掛けがある。後から来た小鳥とずーっとレッサーパンダの動きを見ているが、通り抜ける気はないようだ。諦めて、キリンやシマウマのいる場所を見ることにする。

 階段を上がっていくと、キリンの目線で見ることができる。

「マスター、あのキリン、ちょっとおかしくないですか?」

 見ると、キリンのなにがピンとなっていて、それをもう一頭のキリンに押し当てようと必死である。珍しい光景なのだろう、とは思うが。

「…」

 マスターは無言で移動を開始する。

 噴水の向こう側に移動して、ジャガーやライオンのいる檻の前に来る。猛獣の匂いというのだろうか、鼻にくる匂いがある。

「あれ、マスターに似てますよねえ」

 小鳥がライオンの雄を指している。いいのか、悪いのか、判断に迷うところだ。

「どういう意味で言ってんのか、聞いてもええか?」

「身だしなみに気を使わないところとか、怖い顔で無表情なところとか」

 悪気もなく言っているところを見ると、悪い意味で言っているのではないとわかるのだが、気分は良くない。

「お客さんに悪い印象を与えたくないし、身だしなみは気を付けてるんやけどね、伝わってないみたいやけど」

「そうなんですか?」

 小鳥はトラの檻の前で立ち止まり、マスターをカメラに収めると、次にトラの写真を撮った。急に写真を撮り出すなんて、どうかしたのかと思ったが、そこにきっと理由はないから何も聞かないでおこうと彼は野鳥舎に移動する。

「ここの動物園のええとこは広すぎひんとこやなあ。歩き疲れへんし、丁度ええ」

「マスター、おじいさんみたい」

 小鳥が笑った。

「熱帯動物館がまだやったな」

 パンフレットを見ながらマスターが言うと、小鳥は子供の遊ぶ遊具がある場所にある乗り物を指さす。

「乗らなくて、いいんですか」

「君、本気で言ってんのやったら給料カットな」

「あー、パワハラ」

 小鳥はケラケラ笑って、小走りに熱帯動物館へ入って行った。

 ここは蛇の展示があって、蛇がいる中にカプセルから頭を出せる仕掛けがある。小鳥が嬉々としてやっているのを見て、彼はぎょっとなる。蛇は好きでも嫌いでもないが、あの中に顔を出したいとは思わないマスターであった。

 散々楽しんで、正面から外へ出る。帰りは地下鉄の東山駅まで歩き、京都駅まで戻ることにする。小鳥はもう一度一人で来ようと心に誓う。マスターは久しぶりのお出かけにご満悦の様子だ。

 こんなちぐはぐな二人にも、家族連れにも、カップルにも、ちょっとしたお出かけに最適な市民の憩いの動物園であった。

 








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