第二章

「おはよう、西野君」

靴箱の前に虫の死骸が放置されていた、と騒ぎになった翌日、郁子は何時もよりも少し早く登校していた。西野に挨拶をする為である。昨日の今日の事であったが、西野は何時も通り、郁子の靴箱にゴミを入れる為に、彼女よりもほんの少し早く登校していた。


「早いんだね、学校に来るの」

返事はなかったが、郁子は構わず西野に話しかけた。見る限り西野はゴミを持ってはいない。しかし、郁子の靴箱にもゴミは入っていなかった。

(流石に、もう入ってはいないか)

郁子は空の靴箱を見つめて、ぼんやりと考えていた。西野は相変わらず黙ったままである。

「西野君も図書室?」

鞄から上履きを取り出しながら問いかけてみるも、返事はない。これでは距離を縮めるどころではない、と西野の様子を窺うと、目を伏せたまま眉をハの字にして、困惑と罪悪感を混ぜ合わせたような表情を浮かべていた。

(戸惑うのも仕方無い、か…)

つい昨日まで、靴箱にゴミを入れるという嫌がらせに等しい事をしていた相手だ。その反応も無理はない。しかし、郁子にとって重要なのはゴミを入れていた事ではなく、何故そうしたのかを知る事である。そしてその為に、西野との距離を縮める事だ。


相変わらず黙ったままの西野を見て、郁子はどうするべきか悩んだ。無視されている訳では無さそうだが、こちらからの問いかけに反応はない。ならば、もう少し踏み込んでみようか、と郁子は西野の方を真っ直ぐ見た。目が、合う。

「一緒に図書室に行かない?」

思わぬ誘いに、西野は目を見開いた。郁子は答えを待っているのか、じっと西野を見つめていた。その視線に、西野は頷くしかなかった。


静かな廊下に二人の足音だけが響く。図書室までの道のりを西野は郁子と並んで歩いていた。

(白川さんは、何がしたいのだろう)

郁子の表情を窺うも、その思考を測ることはできなかった。何か言うべきだろうか、先ずは謝罪をするべきだろうか、西野が出方を思案していると、郁子がふと立ち止まった。

「西野君はさ、何で、ゴミを入れていたの?西野君だよね?私の靴箱にゴミを入れていたのは。」

郁子は前を向いたまま、西野が口を開く前に言葉を続けた。

「ああ、別にね、責めたいとかでは無いの。ただね、どうしてなのか知りたいだけ。私、西野君に何かしてしまったかな?」

郁子は相変わらず前を向いたままである。西野はなんと返すべきか分からなかった。己の中に湧き出た欲望を打ち明けるのか、あるいはひたすら許しを乞うのか、どちらが正解なのか検討をつけることすら出来なかった。

(何か、答えなくては…)

そう思った西野が振り絞った言葉は、郁子も、西野本人も予想しなかったものだった。


「白川さんが…好き、です。」




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