第一章
十月某日
午前七時十七分
彼女―白川郁子は困惑していた。自身の靴箱を前にして、それを開けることが出来ずにいた。
五ヶ月程前から彼女の靴箱には毎朝ゴミが詰めらるようになった。しかし、彼女が困惑はそれによるものではない。時折、靴箱の中から覗く小さく細い足のようなモノ、おそらく何かの虫のものと思われるそれに困惑していた。
それがただのゴミであったならば、彼女は毎日の事として処理することができた。だが、靴箱の中から漂う小さな生命の気配に、彼女は立ち尽くすしかなかった。
郁子はあらゆる虫が苦手である。
もし、その中にいるのが推測通り何らかの虫であったら、彼女は触ることが出来ない。見る事すら出来るなら避けたい。
誰かに助けを求めようにも、この時間に登校している生徒は少なく辺りには誰も見つける事はできない。
―仕方ない。
郁子は心の中でそう呟くと、真っ直ぐと校庭の方向に視線を向けた。昇降口の前には大きな花壇があり、その右隅には生徒向けの掲示板がある。その掲示板の影から、息を潜めてこちらを覗う気配をじっと見つめた。
「西野君」
聞こえるか聞こえないかの大きさで、だが、確かに掲示板の影の人物に呼びかけていることがわかるようにその名前を呼んだ。
一瞬の沈黙のあと、掲示板の影から一人の男子生徒が姿を見せた。彼は戸惑いながらも郁子の元へと足を進めていった。
「西野君。」
郁子は少し離れたところで立ち止まった彼にもう一度呼びかけた。
「靴箱、片付けて貰っても良い?」
真っ直ぐとビニール袋を差し出しながらそう言った郁子に、彼ー西野了は少し驚いた。
非難されるだろうと思っていた。何故こんな事をするのか、そう言われるのだろうと。
しかし、郁子からかけられた言葉は予想とは異なっていたのだ。
西野が思わず差し出されたビニール袋を受け取ると、郁子は鞄から上履きを取り出し校内へと向かっていった。
西野はただその背中を見送るしか無かった。
―彼女はいつから気が付いていた…?
先程までの呆然とした感情とは別の感情が湧き上がっているのを感じた。
感情に任せ靴箱を殴りつけた。その拍子に郁子の靴箱が開き、ゴミが溢れ出した。
西野はしばらくの間、床に散らばるゴミを見つめた。しばらく見つめた後、その中に蠢く無数の虫を、静まらない苛立ちをぶつける様に踏み潰し続けていた。
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