4-3


「ねぇ」


 バッグからハンカチを出そうとしている夏帆の横顔に声をかけた。彼女は、なに? という感じに少し首をかしげながら振り向いた。黒いつややかな長髪がふわりと揺れた。


「付き合ってくれないか」


 おれたち二人の近くには店員さんもいるしお客さんもたくさんいる。そんなことなどお構いなしの、必死の告白だった。

 夏帆は、なに言ってんだこいつ、とでも言わんばかりに眉間にしわを寄せ……るようなことはしなかった。


「はい」


 ……え?

 これほど『きょとん』という日本語が似合う瞬間もないだろう。

「はい。わかりました」

 大事なことなので二回言いました、ということか。

「えええええええええええ! うそお! お前自分が何言ってるかわかってる?」

「はああああ? あなたこそ、せっかくOK出したのに嬉しくないんですか、禿げ!」

「んなわけないだろ。小踊りしたいくらい嬉しいわ! でもちょっと待って、混乱してる。あと禿げは余計だ! てかまだ禿げてないし。将来は危ないけど」

 夏帆はくすくすと笑った。

「正直に言いますね。私、齋藤さんのこと好きじゃないです――そんな顔しないで。ちゃんと聞いて。好きじゃないけど、一緒にいて楽しいし、私のこと本当に好きなんだなって感じるから嬉しいんです。だから、付き合ってみようと思います。私もあなたのことをちゃんと好きになりたいです。だから好きになれるように齋藤さん、頑張ってくださいね。これからもちゃんと追いかけてきてください。手を握ってください。じゃないと、すぐどっか行きますからね。経験あるでしょ、たくさん。私、あなたが追いかけてきてくれるって信じてるから、安心して他人のふりして通り過ぎてるんですからね」

 頭が垂れた。脱力した。

 好きじゃないというのは、そういう気持ちなのだから仕方がない。これから好きになってもらえるように努力すればいい。

 そんなことよりも、夏帆がおれを信じてくれていることが嬉しかった。

『これからもちゃんと追いかけてきてください』

 会ってからというもの、ずっとそうしてきた。だって好きだから。お安い御用だ。

「一生追いかける。嫌だって言ってもそばにいる」

「まあ常識の範囲内でお願いしますね」

 一生、というワードを使った時、心に決めたことがある。


「おれ、絶対夏帆より長生きするから」


「いきなりなによ。私に早死にしろと?」

「あなたのこれからの人生全て、おれはちゃんと追いかけ続けるから。夏帆を一人で遺していなくなったりしない。寂しい思いをさせたりしない」

 おれの生きている限りでは意味がない。夏帆が生きている限り、おれは夏帆のそばで愛し続けてみせよう。

「でも、女性の方が男性より寿命長いし、そもそも齋藤さんのほうが年上だし」

「それでもおれは夏帆より長生きする。死にそうになったら気合で何とかする」

「わたしがおばあちゃんになって、ボケて齋藤さんのこと忘れちゃったら? 誰この変な虫、ってなったら?」

「そしたら毎日『はじめまして、齋藤准一です。好きです。結婚しよ?』って言う。毎日プロポーズする。毎日一目惚れするよ。安心して『お断りします』って言っていいからな」

 今度は夏帆の頭が垂れた。目に雫が浮かんでいるように見えたが、夏帆のプライドのためにも気のせいと言うことにしておこう。


 改札まで手を繋いで歩いた。しかし付き合う前からそうやって歩いていたからあまり新鮮味はない。改札まで見送りに来てくれたことの方が幸せだった。

 手を離す。

 繋がりが途切れるその刹那、名残惜しそうに指が触れる。

 切符を入れて改札を通過する。

 振り返ると、夏帆が手を振っていた。

 ホームに上がる階段まで、何度振り返っても夏帆は変わらず手を振ってくれていた。

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