2-3
「ちょっとトイレ行きます」
飲み会が始まって一時間ほど経ったころ、そろそろいいだろう、と、おれは席を立った。そして、おっさんたちのテーブルには戻らず、夏帆の隣に腰を下ろした。
「お疲れさん!」
夏帆の頭をぽんと叩く。
「お疲れ様です」
こちらを向いた夏帆の眉間には、深いしわが寄っていた。眉が見事に八の字だった。
竹内も、お疲れ様ですと言いながら、ビール瓶を近づけてきた。おっさん席でそれなりに飲んできたので、ビールはもう口にする気分ではなかったが、一応マナーとして応じておく。
「夏帆ちゃん上手だったじゃん、ほんとに未経験者?」
夏帆は、フォアのスピンがなぜかアドサイド限定で非常にうまかった。そのため、どうしてもフォローができない夏帆のレシーブであっても、安心して任せることができたのだ。
「テニスラケットなんて持ったの、今日が初めてですよ」
夏帆が言った。
「卓球のラケットなら中学のころ持ってましたけど」
「え、もしかして卓球部?」
全然イメージに合わない。夏帆のイメージはどちらかというと、茶道部とか、華道部のような、着物が良く似合う部活だ。それでなければ、例えばお菓子作り同好会なんかがそれっぽい。
「ほとんどユーレイ部員でしたけどね。うちの中学、必ずなにか部活入んなきゃなんなかったんです。楽かなーって入ったら意外とガチで、じきにお化けになりました」
夏帆は、体の前で手をぶらりと垂れ下げてみせた。
「でもやっぱ少しでもラケット競技してて慣れもあったから、おれたち優勝できたんだよ。夏帆ちゃんのおかげ」
「齋藤さんペア、強かったっす」
竹内が言った。竹内はつっきーとペアで、おれたちとは準決勝で当たった。竹内のサービスゲームはさすがにキープされたが、それ以外はおれたちが全て奪い、竹内・月島ペアを下したのだ。ちなみに、優勝賞品はちょっといいお茶の葉で、竹内は三位だったのにタワシだった。順位にかかわらず竹内にはタワシ、というおれが始めた伝統は、しっかり受け継がれているようだった。
「齋藤さんは経験者だし、斉藤さんはもはや普通にぽんぽん打ち返してくるし」
「どっちもさいとうで紛らわしいですね」
つっきーがくすくすと笑った。つっきーは、黒の長髪の夏帆とは対照的に、茶髪のボブ。黒のシャツにピンクのスカンツを合わせ、ゆったりとした雰囲気をまとっている。
「じゃあ……夏帆ちゃんも齋藤さんも、どっちも上手くて完敗でした」
「お前どさくさにまぎれて夏帆のこと下の名前で呼んでんじゃねえよ!」
「齋藤さんだって、いきなり呼び捨てにしてんじゃないですか!」
「いいだろ呼び捨てくらい。夏帆も、おれのこと下の名前で呼んでくれてもいいのよ?」
「結構です。齋藤さん」
夏帆は少しだけ首を傾げ、満面の笑みを浮かべた。そして、テーブルに身を乗り出して、つっきーに耳打ちをした。耳打ちを装っているが、声量は特に変化していなかった。
「ねぇねぇ、つっきー、齋藤さんの下の名前なんだっけ? 興味なさ過ぎて忘れちゃったあ」
しらじらしい。
竹内は「ドンマイです」とか言いながらビールを注いでくる。ビールが満タンに入ったピッチャーを竹内に持たせ、「先輩方に挨拶して来い!」といって、おっさん席に追いやった。
「そうだつっきー、聞いてよ。この人、白昼堂々、初対面でプロポーズしてきたんだよ? 頭おかしくない?」
「マジ? キチガイじゃん」
「キチガイとはなんだ、ひでぇ。夏帆ちゃん、そろそろおれと結婚する気になった?」
「なるわけないでしょ。私の理想の男性はアシタカですから」
「そなたは美しい」
これ幸いと、すかさずおれはもののけ姫のアシタカのセリフを引用した。
「その喉切り裂いて、二度と無駄口叩けぬようにしてやる」
同作ヒロインのサンのセリフを使った、相変わらず切れ味鋭い切り返しだった。
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