第160話 愛は陽炎


 食卓テーブルに用意された食事が、凄まじい速度で消えていく。

 自身を語るにしてはずいぶんと説明的であるが、同席している人間全員が比喩表現を抜きに吸い込むような勢いで食べているのだからそうなってしまうのも仕方がない。

 さすがに皿が飛んだり、肉叉フォークや箸がぶつかり合ってはいなかったが、控えめに言ってもちょっとした戦場の様相を呈していた。


 所狭しと並べられている料理は、葡萄酒で丁寧に煮込まれた牛腿肉と野菜、香草をふんだんに使われた鶏肉腿肉のオーブン焼き、肉団子の赤茄子トマト煮、腸詰ソーセージかし芋、魚と貝の酒蒸し、牛酪チーズ小麦麺パスタなどなど……。

 これらに併せて用意された酒にしても、一応は公女の食卓であるため麦酒エールよりも葡萄酒ワインが多い。


 そして、それらが瞬く間に姿を消していく光景はまさに圧巻のひと言に尽きた。


「お前たち、本当によく食べるよなぁ……」


 自分自身も身体の命じるがままに食事を次々に口へと運んでいくが、それでも呆れ交じりの声は漏れる。


「ジュウベエ様がお倒れになられてから、心配で食事も喉を通らなかったのですから当然です!」


 飴色になるまでじっくりと焼かれた豚肉を美味そうに平らげながら、ハンナが口にする。

 だが、普段が普段なのでどうにも説得力がない。むしろいつもと同じ勢いじゃないかとツッコミすら入れたくなる。


「そうです。あ、本当はジュウベエ様のご飯が食べたかったなんて思っていませんよ?」


 懸命に小麦麺パスタを口に運んでいるイレーヌも、ハンナより控えめとはいえ何気に本音が漏れ出ている。まぁ、そう言われては近々作るのも吝かではないが……。


「ふふ、そういうことじゃ」


 もっともらしくエミリアが締めくくった。


「よく言う。好き放題食べるための口実を探していただけにしか思えないぞ、エミリア。というか、お前はこの家の住人じゃないだろうが」


「なんじゃ。共に戦った仲間につれないことを言わんでほしいのう、ユキムラ殿」


 すこしだけバツの悪そうな顔で舌を覗かせるエミリア。

 それにしても、赤の葡萄酒ワインを口へ運ぶ仕草が異常に似合っているどころか、むしろ艶めかしく感じられるのは彼女が《真祖エルダー》の姫だからであろうか。


「こうなってしまったら信じられないかもしれませんが、みんな兄者のことを心配していたんですよ。いやぁ、モテる男はつらいですねぇ」


 困ったような笑みを浮かべた征十郎が、とりなすようにそっと声をかけてくるが最後の言葉で台無しだ。

 彼は白の葡萄酒が気に入ったらしく、さっきから魚料理をつまみに楽しんでいる。


「わかっているさ。こうしてみんなと食卓を囲めるのも生きて帰ってこそのものだ」


 身体が求めるまま鶏の腿肉を口に運んで一気に食い千切る。今日ばかりは作法にも目を瞑ってもらいたい。


 ちなみにこれらの食事だが、起きたばかりの俺が厨房に立つのを止められたため、使用人たちが腕によりをかけて作ってくれたものだ。そのため普段のそれらよりも大陸の料理に偏っている。

 ちょうどよく目覚めたのが夕食の時分だったのもあり、彼らが行ういつもの仕事にひと手間ふた手間かかっただけで済んだのは幸いというべきか。


「わたしだって心配していたんだぞ……」


 隣に座っているリズが葡萄酒を口へ運びながら小さな声でつぶやいた。

 こころなしか先ほどから次第に飲む速度が上がってきている気がする。これ以上顔を真っ赤にされたくないので下手な言葉を返したりはしないでおくが、その気持ちは先ほどの姿を見てよくわかっている。


「しかし、起き抜けにそんなに食べて大丈夫なのか、ジュウベエ殿」


「どういうわけか大丈夫そうでなぁ……。食べる傍からどこかに消えているようで、自分でも驚いているくらいだ」


 およそ三日間も眠りこけていた身体は、緋緋色金ヒヒイロカネの腕輪や魔王から吸収した魔力などによって最低限の損傷は修復できていても、新たな血肉を作り出すためのエネルギーが絶対的に不足しており、普段の食事量では到底満たされなかった。

 胃に優しいものがよいのでは……と使用人から控えめに言われるも、こればかりは身体が求めているのだからどうしようもない。

 最初はかゆで慣らそうとしたのだが、瞬く間にそれらは吸収され胃の中身は枯渇。肉体の方が「早く次を寄越せ」と不満を訴えたため通常の食事に切り替えたのだ。


「関白殿の十鳥とっとり攻めを思い出しますな」


「いや、俺はあまり思い出したくない話題だぞ。しかも今言うか、それ……」


 八洲では先のいくさで討ち取られた関白かんぱくがまだ覇王の配下であった頃、西国さいごくへ侵攻した際に考え得る限り最悪の兵糧攻めをやってのけ、長期間に渡るそれで膨大な量の餓死者を生み出した。

 最終的に限界を迎えた籠城側が降伏するも、本当の意味で救われない展開となったのはそこからで、長らく食事を口にしていなかった人間はまともな食事すら受け止めることすらできず、降伏により助かったと思われた人間の半数が命を救うはずの事態となってしまったのだ。


 空気を読まず、しかも似たような状況の俺の前で話すあたりが実に征十郎らしかった。


「なにを言っているんですか。兄者がそんなことであっさり死ぬわけないでしょう」


「ちょっと待て。べつに俺は人間をやめたつもりはないんだが……」


「人間はやめておらぬかもしれんが、人外の猛者たちを次々に撃破している事実から目を逸らしてはならぬと思うのじゃよ」


 葡萄酒の硝子杯グラスを口へと運びながらしみじみとつぶやくエミリア。

 皆も食実を続けながらその言葉に頷いていた。



 しばらく食事を続け、ようやく腹が満足感を覚えたところで、その場は解散となった。

 意識を取り戻して程ない俺に気を遣ってくれたのだろうが、実際にはそれだけでもないように思う。とはいえ、それは後でわかることか。


 これといった外傷も残っていなかったので湯浴みを行い、身体の汚れを念入りに落としていく。

 傷ついた肉体が急激に修復を行ったせいで、手拭いで肌を擦ると老廃物が面白いほど取れた。ついでに持ち込んでいた剃刀カミソリで伸びていたひげを剃る。


「あ~、たまらん」


 ひととおり身綺麗にしてから湯船に浸かると、あまりの心地よさに堪えきれず気の抜けたような声が漏れ出る。


「風呂はいいな。これだけで明日の活力になる」


 ノウレジアから来る前に手配しておいたが、やはり作らせた甲斐があるというものだ。身体の芯に残っていた疲れまでもが外へ抜け出していくようだった。

 八洲では蒸し風呂が主流であり、大陸でも習慣とはなっていないようだが、いずれこういった方式が徐々に普及してくれればと思う。何気にリズをはじめとした女性陣からも好評なのだ。


 風呂から上がり、熱を帯びた身体を冷ましながら自室へと戻る。

 ほのかに残る疲労感に促されるように寝台ベッドへ横になると、寝具一式が真新しいものへと変えられていた。昼にでも干しておいたらしく陽の匂いが鼻腔をくすぐる。

 食事をしている間に替えてくれたらしいが、使用人が気を利かせてくれたのか。あるいは、ハンナかイレーヌが指示を出していたか。

 しかしありがたい。戦場いくさばでは様々なものに不自由した経験もあるが、さすがにこの平時に三日間も眠っていたままの布団で眠りたいとは俺も思わない。


「あれだけ寝たっていうのにまだ眠くなるのか……」


 ふと気が緩むと睡魔が襲ってくる。

 三日間も眠りこけていたにもかかわらず瞼が重くなってしまうのは閉口ものだが、修復を遂げた肉体が今度は失った栄養を取り込もうと休養を欲しているのだ。


「今くらいはいいと思うんだが……」


 生物災害スタンピードも俺の手によってではないが解決し、その後襲来した邪竜についても倒すことができた。

 通常であれば大問題になったであろう竜の遺骸も、死後発動するように仕掛けられていた魔法により塵一つ残さず燃え尽きており、素材を巡って新たな火種が生まれることもなく済んだ。

 自分自身の痕跡を消すために残しておいた最後の力を俺との戦いに使っていれば、果たしてどうなっていたかわからない。

 だが、それはザッハーク自身が選択したことで、他人がどうこう言うべきことではないと思う。


 眠気に身を任せながら思考を巡らせていたところで部屋の扉が叩かれた。


「空いているぞ」


 返事を投げると扉が控えめに開かれる。刺客が丁寧に来訪を告げるとは思えないし、まず殺気もなかった。

 視線を向けると、そこにはリズの姿があった。すでに寝支度に入っていたか薄手の外套ローブを纏っていた。


「リズ、どうしたこんな夜中に」 


 さすがに寝転んだ姿勢のままでいるほど無粋でもなく、起き上がって部屋に入ってきたリズへと歩み寄っていく。

 今までリズが夜に俺の部屋を訪れることはなかった。どこの国でも“女が男の部屋に夜向かう”ことが意味するものは一緒であり、公女という立場を持つ以上は避けるべき行動だ。

 この時点で俺は理解していた。リズが何の目的を持って訪ねてきたのか。


「ジュウ――――殿!」


 短く叫んでリズが胸に飛び込んできた。受け止めると日頃の鍛錬で引き締まりつつも女としての柔らかさを持った感触。これ以上はないほどの距離の中で、目覚めた時に感じたものとは明らかに異なる体温と息遣いが伝わってくる。


 こちらを見上げる蒼の瞳には決意と迷いが混じり合っていた。


「どういうことか意味はわかっているんだな」


 一旦距離をとってから、俺はリズへと正面から問いかけた。

 ただ感情に流されただけであればかならず後悔する。もしも今リズが抱いている感情が間近で死線を潜り抜けてきた者への憧れなのであれば、それは一過性の熱病のようなものだ。


「ずっとユキムラ殿のことを考えていた。出会った時からずっと――――いや、出会ってから今まででどんどん想いは大きくなるばかりだ。自分でもこんなことははじめてなんだ……」


 リズははじめて己の想いを口にした。なにかがそう決意させたのだ。


「ユキムラ殿はきっとこれからも不死の帝や《真祖エルダー》、それに邪竜のような存在と戦うことになるのだと思う。それを止めはしない。だが、ともすればそこで……」


 言葉を切るリズ。

 俺が必ず生きて戻る保証などどこにもないと理解した上で、それを口にすることができないでいるのだ。


「だから、今回の件で決めたんだ。わたしは自分の想いを秘めたままにしたり、裏切りたくないと」


 そこでリズがそっと外套を取る。

 均整の取れた身体と下着が露わとなるが、今彼女が身に着けているのは肌を隠すことを目的としたものではなく、男の劣情をより強く呼び起こすために作られた薄衣うすぎぬだった。


「信じられないというなら今だけでもいい。せめてわたしにユキムラ殿の――――」


「わかった、リズ。もう何も言わなくていい。お前を抱く」


 最後まで言わせることなく、俺は彼女を抱き寄せてそのまま唇を塞いだ。


 はたしてどれが正解だったのか俺にもわからない。この世には斬って解決するものなどほとんど存在せず、自身の選択によって立ち止まったり回り道をしながら、まっすぐ進もうとしている。

 リズもそうであるし、俺とて例外ではいられない。

 それでも、抱いた己の感情だけは裏切ることができなかった。


 もしもふたりが過ごすこの時間が陽炎のように束の間にしか存在しないものであったとしても、せめて今だけはその中に包まれていたかった。



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