第159話 夢と現の狭間で逢うは


 夢を見ていた。


 すぐにそうだとわかったのは、かつて八洲にいた頃出会い、そして死に別れた人間たちが現れたからだ。

 死者は二度と戻らない。人間がどれほど凄まじい破壊のための力を得ようとも、有史よりそこだけはどうにもならないままだ。物語のような奇跡など起こらない。

 先に逝ってしまった死者たちは、生者の記憶の中にのみ残り、いつ消えてしまうともわからぬ残滓が刹那の出会いを作り出す。


「――—―ワシはなァ、雪叢ゆきむら。この八洲やしまからいくさを無くすぞ」


 古都ことの寺院、池や遣水などの水を用いず石や砂だけで山水の風景を表現した庭園。そこを間近に臨む座敷で覇王と俺は向かい合っていた。

 野獣のような光を放つ双眸そうぼうには相反する静謐さを宿していた。


「今の幕府をなんとかしようとしてきた雪頼ゆきよりとお前には悪いが……ワシはワシの描いた天下を取る。じゃからのぅ……」


 覇王は語り、その途中で言葉を切った。

 辺りにはひんやりと底冷えした空気が漂う。もうじき長い冬が訪れ、八洲の大半が束の間の平穏に包まれる。


「ここらで舞台から降りてくれんか」


 どこまでも穏やかな口調のまま覇王は告げた。


「ひとつだけお聞きしたい。あなたの描く天下とは?」


 思わず俺は問いかけていた。


「知れたこと。子が親を、親が子を、兄が弟を……。つまらぬもののために血を分けた肉親を手にかける必要などない世の中じゃ。そのような世界などワシャァ要らぬ」


 覇王の言葉には積もるに積もった苦渋の響きが滲んでいた。

 家臣の裏切り、肉親の裏切り、そして義理の弟の裏切り……戦国の世の習いなどというものに翻弄されてきたのは他ならぬこの男なのだ。

 それゆえに理想を並べるだけの者と違い、当事者の言葉として俺の胸に染み入ってくる。


「その分、より多くの血が流れますな」


 八洲の多くを支配下に置いたとはいえ、西国さいごくを含め覇王の勢力は未だ盤石ではない。


「フン、最後の仕置きじゃ。どうせワシは長生きなどできゃあせん。だが、この地に溜まった膿を確実にワシの代で吐き出させる」


「なんと誹りを受けることか」


「呼ばば呼べ。悪鬼羅刹を超え、“征天魔王”と呼ばれようとも関係ない。ワシはかならずやり遂げる」


 すべての汚名すら被り、新たなる時代のため進む覚悟を定めたように覇王は俺を真正面から見据えた。


「それでも、ワシと共に戦ってくれるか、雪叢。――――いや、《死に狂い》の侍よ」





 場面が飛んだ。


 先ほどと同じくどこかの建物――――その縁側に座っているが、月日が幾分か流れたのか目の前には天より静かに降り注ぐ雪が舞っていた。

 無音の大地に積もっていく冬の証。純真無垢な白が乱世をひっそりと包み込んでいく。

 ここは……弐条にじょうの御所か?


「そうか。覇王殿はそのように言っておられたか……」


 静寂に包まれた世界で、ひとりの男が庭を眺めながら口を開く。

 目の前を舞う白雪のごとき肌に、触れれば壊れてしまいそうな硝子の如き輪郭りんかくを描く美丈夫びじょうぶ。血を分けた実の兄にして上条幕府十四代将軍を継ぐ男、雪頼だった。

 腰には青い柄巻糸の拵えが見事な太刀 《傀伝斬光代おおでんたみつよ》をいていた。


「あの男の本質はどこまでも苛烈。それと同時にどこまでも純粋だ。淺倉あさくらが逃げ込んだ天醍てんだいの総本山を焼いた時は言葉も出なかったが、その言葉を聞いた今ならはっきりとわかる」


「兄上……」


「すべては杞憂だった。あとは任せよう」


 短く息を吐き、兄は決断を下す。

 それは三百年に渡り八洲の武家社会の頂点に君臨してきた上條幕府の終焉を意味するものだった。


「お前には迷惑をかけるな、雪叢。……どうだ。すべて終わったら世界を見てくるというのは」


 こちらへと向き直り、将軍の顔から兄のそれへと変わる雪頼。


「世界、にござりますか?」


「ああ。群雄割拠となった八洲で誰しも天下天下と口にするが、それはあくまでも八洲の話でしかない。異国の商人たちに言わせれば、この世はもっと広いと聞いている。八洲など、そのほんの一部に過ぎんともな」


 将軍でいる時には見せることのなかった笑み。久しぶりに見る兄の表情だった。


「それはなんとも心躍る話ですな」


「できることなら俺も行ってみたいが……将軍職を返納してもすべてから解放されるかはわからないからな」


 そう言って雪頼は苦い笑いを浮かべる。おそらく自分でも無理とわかっているのだろう。


「だが、お前は世界を見るべきだ。八洲に留まり剣の道を究めんとするのもよかろう。それでも俺は弟に世の広さを知ってほしい」


 自分にできなかったことだから――――言葉には表れずとも、俺には兄の内心が痛いほどに伝わっていた。



 覇王が死んだのはその翌年、兄が死んだのはそれから数年経ってからだった。






 そこで意識が戻る。

 身体を包む感覚から、自分が寝台ベッドに寝かされているのがわかった。


「夢、か……。久しく見ていなかったんだがな……」


 目の辺りがなんとなくむず痒い。掛け布団を退けて手を持っていくと乾いた涙の跡。

 柄にもなく過去の記憶に浸っていたらしい。夢の中では虚勢を張ることもできないが、たったひとりの――――いや、死人しびとと邂逅できる唯一の時なのだ。これくらいは許してもらいたい。


「邪竜を倒して……。いや、それからどうなったんだ?」


 ザッハークの最期を看取ってからの記憶が完全に途切れている。こうして夢を見て意識が戻ってきた時点で死んではいないのはわかるんだが……。


 窓の外には月の光。体内の治癒具合から考えると、数時間だけ意識を失っていたとは考えにくい。


「ぐっ……」


 全身に走った痛みで思わず呻き声が漏れ出る。

 限界を超えて戦ったためか、全身を激しい筋肉痛に襲われていた。刺激しないよう静かに上半身を起こすと、押さえつけられているのか布団の一部が動かないことに気付く。


「う、ん……」


 小さな声。見ればリズが俺の布団の上で眠っていた。

 さすがにひと目でわかる。つきっきりで傍にいてくれたらしい。


「……はっ! ジュウベエ殿!?」


 俺の動きに違和感を覚えたのかリズが覚醒した。これだけで跳ね起きるとは伊達に長年騎士としての鍛錬を積んではいないようだ。

 いや、感心するべきはそこじゃないな。


「すまない……。どうも気を失っていたようだ」


「……と、当然だろう! あんな無茶な戦いをして! 三日も眠っていたんだぞ!?」


 小さく叫んだリズが胸へと飛び込んできた。両手を使って受け止めるが身体に走った衝撃で声を上げそうになるが必死で耐える。

 ここで呻いてしまっては台無しになってしまう。そんな気がしたので体内を駆け巡る激痛を必死で耐えるしかなかった。涙目になっていなければいいのだが。


「そうか、三日も……」


「邪竜を倒してから、戻ってきたジュウベエ殿はすぐに倒れてしまったんだ。そこからはもう大変だったんだぞ……」


 俺の代わりに涙目になっているリズが上目遣いにこちらを見た。


「さすがに何があったか聞いておきたい。説明してくれるか?」


 生きて帰ってきただけいいじゃないかと思わなくもないが、それを言ったら間違いなく怒るか泣かれる。さすがに空気を読んだ。


「仕方ないな――――」


 一旦は冷静に戻ったのか、寝台に腰を下ろす形となった俺の横へと座ったリズが、あの戦いの後起きた出来事について順を追って説明していく。


 生物災害スタンピードの群れを滅ぼした古の邪竜。それを討ち取ってしまった存在が露見すればとんでもないこと――――大陸がひっくり返りかねないのは明白だった。


 幸いにして、衛兵たちは避難指示が出されたことでハイスクルの街を放棄する寸前にまで至っていたこともあって、城壁に残っていた人員もほとんどいなかったという。

 また、数少ない目撃者もエミリアが機転を利かせ《魅了チャーム》によって記憶を上書きしたため集団幻覚の様相を呈しており、誰が邪竜ザッハークを滅ぼしたかまではさっぱりわからなくなってしまったようだ。


「何の手がかりもないんだ。ノウレジアの連中も今頃は大わらわになっていると思う」


 どこか愉快そうなリズ。先日押しかけてきたバカな王族のせいでノウレジアに対する印象が悪くなっているのだろう。


 いずれにせよ、あまりにも想定外の事態が重なり続けたため、かえってノウレジア側の情報が錯綜して大騒ぎになっているらしい。

 謎の騎馬軍団として扱われている信重のぶしげたちも、リズと征十郎が話をつけて密かにオウレリアへと向かわせたとのことだ。

 公女の書状も持たせているならそう悪いようにはならないと思うし、狸親爺エーベルハルトのことだ、信重たちをどのように利用できるか喜んで策謀を巡らせるに違いない。


「そうか……。それはまた上手くやってくれたんだな」


 今回の件では、自分たちの国だというのに何らまともな対策が打てなかったのだ。結果がこれで済んだから言えるわけだが、いい薬になったことだろう。

 いや、リズじゃないが先般会った王族の様子を見るにあまり期待はできないそうにないな。


「それはいいんだ。なによりもジュウベエ殿が生きて戻ってきてくれただけで……」


 不意にリズとの視線が交差する。先ほど浮かんでいた涙とはまた別の感情により、その瞳が潤んでいた。

 ゆっくりと近づきつつある互いの距離。途中でリズの目が閉じられた。この期に及んで彼女が何を求めているかがわからないほど朴念仁ぼくねんじんではない。


 今まで、俺はリズと積極的にそうなろうとはしてこなかった。

 理由を挙げれば色々ある。単純に彼女がオウレリアの公女であり、そして数年の内に故郷へと戻る可能性があることが大きな要因だ。

 もしも大公位を継ぎ、女元首となるならば俺のような根無し草が近くにいるのは醜聞のもととなりかねない。気持ちを受け入れるだけでは済まされないのだ。


 だが、ふとそこであやしい気配を感じる。そっと視線を動かしてみれば扉の隙間からこちらの様子を窺う三つの視線があった。


「……そこのお前ら、出てこい」


 小さく溜め息を吐き出しながら、空間収納から取り出したこうがいを扉の縁を狙って投げつける。


「……次は大技をカマすぞ」


 脅しをかけると、しばしの沈黙があってからそっと扉が開いていく。


「あちゃー、バレてしまいましたか……」

「ああもう。伴蔵が覗こうなんて言うから……」

「いやぁ、ふたりのことがちと気になっての……」


 殺気もないことから身内の犯行だと予想していた通り、ハンナにイレーヌ、そしてエミリアの姿があった。

 揃いも揃って子どものような行動をしていたことに疲れがどっと湧き上がる。


「なんで……ここぞで邪魔をされてしまうんだ……」


 俺の溜め息に先んじて小さく漏れたリズのつぶやき。

 さすがにやりすぎんじゃないかと視線を戻すと、姫騎士は顔を真っ赤にして震えていた。


 どうしたものかと後頭部を掻いているとちょうどいい具合に腹が鳴った。


「なぁ……メシにしないか?」


 どうにもならなくなった空気を正常化させる魔法の言葉だった。

 

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